2022/02/08

中学入試の合格の後にやってきた嵐

上の子供が日本全国のランキングでトップ50に入る難関中学に合格して数日が経過してから、一時は喜んで盛り上がっていた妻の様子が明らかにおかしくなった。合格すれば妻の気持ちにゆとりが生まれて穏やかになると予想していたのだが、現状では逆方向だ。妻は感情の線が切れたかのように苛立ちのベースラインが上がっていて、家の中で頻繁に癇癪を起こし甲高い怒鳴り声を上げている。

入試に合格した上の子供の変化はとりわけ大きくないが、妻と同様に下の子供の様子も明らかにおかしくなった。図工や体育、道徳などは知らないが、すでに受験塾で小学校のカリキュラムを終えてのんびりしている上の子供のペースに、下の子供が引っ張られてしまっている。


うちの子供たちは普段から妻から指示を出されないと自発的に片付けや学習をせずにさぼって遊び始める。逆に言えば、妻が指示を出すということに子供たちが慣れきってしまっている。

だが、下の子供の荒れ具合は凄まじい。親の言うことを聞かなくなったし、その姿に対して妻がさらに苛立って怒鳴り続ける。

下の子供の感覚や思考においてどのような変化が生じたのかを知ることは難しい。これまで同じ学校に通っていた上の子供がどこか遠くに離れてしまうような寂しさもあるのだろうか。

あるいは、上の子供があまりに有名な中学校に合格してしまったので、下の子供としては焦りというかプレッシャーというか、まあそういった精神的な負荷がかかって混乱しているのだろうか。

もしくは、今まで同等だと思っていた上の子供が周りから祝福されていて、下の子供が嫉妬しているのだろうか。

上の子供が中学入試に合格したので、今度は下の子供だと妻がテンションを張っていることは理解している。しかし、下の子供の能力や適性も考慮する必要があるし、必ずしも上の子供と同じレベルを目指す必要はない。どうしてこうも融通が利かないのだろう。

他方、私の方はどうなのかというと、上の子供の合格通知があった2日後から、酷い気怠さや目眩に苦しむようになった。以前のバーンアウトと比べると症状が軽いが、モチベーションの低下や希死念慮も感じられる。

その理由を考えることは容易い。受験シーズンのプレッシャー、夫婦仲の悪化、家事負担の増大、平日の有給取得による仕事の遅れ、休日出勤による疲れ、合格してからの歓喜、その後の妻の苛立ち、下の子供の混乱といった変化の連続に疲れ切ってしまった。中学受験の後で親の感情が燃え尽きてしまうことはよくあるらしい。

精神の井戸に落ちかけている時に妻や子供が癇癪を起こして家庭が荒れると、ダウナー系の方向に自分の気持ちがさらに引っ張り込まれてしまう。

妻が甲高いガナリ声で怒鳴り続けるのはいつものことだ。この癇癪は子供たちにも受け継がれていて、特に下の子供が癇癪を起こすと泣き喚きながら怒鳴るので手に負えない。

子供が癇癪を起こしている上に妻も癇癪を起こしてさらに怒鳴るので、まるでPCRの連鎖反応のように互いのボルテージが上がる。

とにかく、気が狂いそうになる妻や子供の怒鳴り声を耳栓で緩和し、自室に入って考えを落ち着けることにした。私が倒れてしまうと、私立中学だなんだと言っている場合ではなくなる。妻も子供も私の大切さを理解していない。バーアウト直前で離婚していたら、癇癪を起こしている余裕すらなかったはずなのに。

我が家のように妻がマウントを取りたがる家庭の場合、妻が荒れると全体が荒れる。理想的な家族であれば、夫と妻が連携してシーソーのようにバランスを取るのかもしれないが、夫が自室に入って別居しているような状況だ。

妻が落ち着けば、子供たちも落ち着く。しかし、癇癪持ちの妻に対して言葉をかけたところで意味はない。本人が自分で落ち着くまで、私としては嵐が過ぎ去るまで待つだけだ。

そもそも、子供が第一志望校に合格したという喜ばしい状況で、我が家はどうしてこんなに荒れているのだろう。そして、私はどうしてこんなに苦しんでいるのだろう。

父親としての人生において嘆く必要がないことは理解している。子供にとってより輝かしい世界の扉が開いたわけだから、二月の勝利を喜ぶ状況だ。

しかしながら、中年男性の思秋期とは恐いもので、(私だけかもしれないが)毎日生きている中で常に死という概念を意識することが多い。趣味の品を手に入れる時も「明日、死ぬとしたら何が欲しいか」という判断基準が頭をよぎったりする。

1月の中学受験では初陣で散り、これからどうなるのかという強いプレッシャーが親子に圧しかかった。とにかく1月中に中堅校に合格し、そこから2月の本戦に臨み、快進撃を続けて第一志望校のチケットを勝ち取った。

上の子供や妻の姿はとても素晴らしかったし、まるで漫画やドラマの世界にいるような気持ちになった。つまり、「人生の良き日」を迎えたわけだ。

その良き日をただ単純に喜ぶべき状況であるにも関わらず、「そう、これが人生の良き日だ。なので、終わろう」という潜在意識が生まれるらしい。顕在意識の下に広がっている思考なので、私自身がよく分からない。

そのように厭世的な気持ちに加えて、合格後に荒れている家庭の状態が追い打ちをかけた。

私は急激な変化に弱いので、多動性と衝動性が強い妻がシフトチェンジしても付いていけないし、疲れると世を去りたくなる。

繰り返しになるが、上の子供がトップクラスの学校に合格したからといって、下の子供が背中を追う必要はない。コミュニケーションが苦手でマニアックな上の子供と比べて、下の子供には愛嬌と細やかさがある。その性質を伸ばせばいい。

しかし、長い付き合いなので分かることだが、妻が上の子供から下の子供にスパルタ指導を移行させたこと自体が、彼女のストレスゲージを高めているわけではない。

癇癪を起こして子供を叱るという妻の行動の背景には、別の理由がある。その要素が彼女の心の線を、まるで弓の弦のように引っ張ってしまっている。

その要素とは、間違いなく「不安」なのだろう。具体的には、上の子供が名門校に入学するというステージで妻の心の中に様々な不安が蓄積して動揺し、負の思考のループがストレスゲージを上げてしまっている。

そのような時に限って下の子供が親の言うことを聞かないので妻が癇癪を起こしているというわけだ。

それにしても妻の思考は相変わらず私の想定の斜め上を猛烈な勢いで飛んで行く。

上の子供が入学する学校では、そろそろ制服のための採寸やガイダンスが始まる。そのような期間は親としても楽しい時間だと思う。しかし、妻としては楽しさよりも不安や面倒臭さが先行するらしい。

受験の際の学校見学などは、私が同伴しなくても何ら気にしなかったようだが、次のステップに進むこれらの行事については、私が同伴することを妻は希望している。

妻は自己肯定がとても強い性格なのだから、自分で考えたことを信じればいい。しかし、その割に精神の線が細いので、強い負荷がかかると思考がループして線が切れ、間欠泉のように天高く癇癪を起こす。

この精神の線が張り続けて切れそうになった際に相互依存の形で安定させている存在が、妻の両親や妹といった義実家だと私は解釈している。

しかし、今回だけは頼りにしていた相互依存が機能していない。なぜなら、この人たちはトップクラスの学校に通ったことがないからだ。

妻としては実家に相談したいところだが、難関中学に入学する時の準備のことなんて実家の人たちもよく分からない。

そうなると、妻はスマホで色々と情報を調べるかもしれないし、実際に調べているはずだが、都合の良い情報が転がっているようには思えない。ブログを公開している私が言うのもおこがましいことだが、そのような難関中学の保護者がツイッターで情報を発信しているとも思えない。

つまり、現時点での妻としては、経験したことがない世界に入ることに対して動揺し、ストレスゲージが高まっているという私なりの理解になる。

妻も義妹も中堅の私立中学の出身ということもあって、ある程度はイメージすることができるはずなのだが、逆に私立中学に通っていたという過去の記憶があることで何らかの感情が生まれるのだろうか。

他方、私は公立中学の出身なので、そもそも私立中学に合格した後のことなんて何も分からない。昔の公立中学の入学準備なんて実に適当だった。

近所の衣料品店に行って吊しの詰め襟の学生服に袖を通して買うだけ。教科書なんて一括購入で学校にまとめられていて、ガイダンスなんて立派な行事はなく担任が適当に話すだけ。

ビーバップハイスクールの影響を受けた不良たちが変形学生服(短ランとかボンタンとか...ああ、懐かしい)で登場し、入学直後に生徒指導の教師に捕まって体操服になっていたり。

上の子供が通う名門校の入学においては、親として戸惑うことがあるかもしれないが、何ら気後れする必要はなくて、堂々としていればいい。

いくら名門中学だといっても、銀杏の紋章に比べれば大したことがない。どんな保護者が集まったとしても私は気にしないのだが、妻は気にして空気に飲み込まれる。まあとにかく、分からないことは直接的に自分の言葉で学校に尋ねてみるしかないだろう。

むしろ、私としては、中高一貫の学校に進む子供たちに特化した英語と数学の学習塾を探さねばと考えている。この点については別の録に記したい。

そういえば思い出した。

同じように母親が思考のループに落ち込んで動揺している光景を見たことがある。私の実母だ。

大学の入学式や卒業式に私の両親が同伴したことはない。男子学生の親が来るなんて何とも気持ち悪く感じもするし、そもそも私の実家は大きな借金を抱えた自営業で休みなく働いて生計を立てていたので、地方から出席するという余裕もなかった。

しかし、大学院の博士課程を修了する際には、実母が上京して安田講堂で行われる修了式に同伴したいと言い出した。

当時の私は当然だが成人しており、大学院に通っている時から学術振興会の特別研究員に選ばれていたので、大学院生だけれど社会人一年生くらいの生活費を支給されていた。だが、実母としてはやっと長い子育てが終わるという気持ちがあったのだろうか。

また、実母は地方の県立高校の商業科を卒業してすぐに働き始めたので、大学という場所を訪れたことがない。せっかくの機会なので、東京大学の中を見てみたいという気持ちになったのだろう。

とはいえ、普段から機嫌が悪くて癇癪持ちの実母だが、その当日はさらに機嫌が悪かった。しかも、その場に現れた実母の衣装に強い衝撃を受けた。

黒のインナーに黒のパンツ。その上に眩しいくらいに純緑のジャケット。

団塊ジュニア世代の父親たちなら、その姿にどれだけのインパクトがあるのかを察することだろう。

そう、この格好に黄色のネクタイを合わせると、ルパン三世だ。

実母としては、地方から東京のど真ん中にやってきて見苦しくない格好を色々と考えて、たぶん近所の量販店で揃えた衣装なのかもしれないが、同じ保護者たちの中で強烈な個性を放っていた。

そういえば、コミック版でカラー印刷された際のルパン三世は赤色のジャケットを着ていたが、アニメ版の第1シーズンではルパンのジャケットの色が緑色に変更された。当時のテレビの映像技術では赤色を鮮明に表現することが難しかったという理由があったそうだ。

その後、映像技術の改良とともに鮮やかな赤色を映すことができるようになってきたので、アニメ版の第2シーズンではルパンが赤色のジャケットを着るようになった。

しかし、例外もあって、宮崎駿監督が担当した作品群では第2シーズン以降であってもルパンが緑色のジャケットを着ているらしい。さすがのこだわりだ。

もとい、私はルパン三世の大ファンではないし、実母がどうしてルパン三世の格好でやってきたのかは分からない。最初から言ってくれれば私も次元や五右衛門の格好で待っていたのだが。

まさか、実母はコミック版のルパン三世を読み込んだことがあるのだろうか。実は、作中でのルパンや銭形の出身大学は東京大学という設定だった。厳密には、バカボンのパパが早稲田大学...ではなくバカ田大学出身という程度のオマージュだが、確かに彼らの出身校が東京大学をオマージュしていることがよく分かる。

しかも、ひとりで上京するのは心細いからだろうか、私にとっての叔母にあたる実母の妹までが修了式の会場に入るらしい。なぜに叔母を引き連れてくるのか。

実母と叔母が赤門や安田講堂を眺め、お上りさんのようにはしゃいで記念撮影に興じるのかと思ったら、彼女たちの表情は凍っていた。叔母はともかく実母の緊張感は私にまで伝わってきた。

同じように同伴している親御さんたちの姿もあったが、大学の卒業式と比べて大学院の修了式に親がやってくることは少ない。

それでも実母たちは他の保護者(大学院生はすでに成人なので、保護者という表現はおかしいが)を意識しているようにも思えた。

普段は言いたいことを言う自己主張の強い二人だが、この状況においては借りてきた猫がソロリソロリと歩く状態に似ていた。

東京大学のキャンパスで撮影した写真の中の実母や叔母は、予想通りに笑顔が消えていた。

その後、私たちは安田講堂に入った。総長たちが並んでいるステージの前にある下段の座席に修了生が座り、上段の座席に同伴者が座った。

厳粛な式が始まろうとしていた頃、背後の上段席から聞き慣れた方言が飛んできた。うちの実母と叔母の声だ。「ほら、あそこにいる!」という趣旨の発言だが、方言なのでたぶん他の列席者は聞き取れなかったかもしれない。興奮していることだけは分かった。

ふと思ったのだが、自分の子供とは、どこまでが子供なのだろう。期間という意味でも、精神的な繋がりという意味でも。

父親とはいい加減なものだ。種と金を用意したら、そこから先は子供が頑張れという思考になってしまう。ヒト以外の生物でも程度の差こそあれ同じようなものだろう。

しかしながら、母親の場合、子供は自分の身体の一部から始まったわけだ。産まれて育っている過程においても自分の一部という感覚が残り続けるのかもしれないな。

もとい、確かに中学入学の準備は親の役目だが、今の妻は難関中学への入学というイベント全体の空気に飲まれてしまっている。

初めてのことなのだから知らないことや分からないことがあって当然で、ネットで検索して答えが見つかるわけでもない。

母子の間の精神的なリンクを介して、上の子供のこれからのステージを妻が疑似体験しているのかもしれないな。

ハリーポッターの舞台にあるような全寮制の魔法学校に子供が通うわけではないし、入学のガイダンスで保護者が魔法を使う必要もない。

入試の偏差値が高いといっても、保護者の学歴や職歴が必ずしも凄まじいわけでもないはずだ。実際に凄まじい保護者が多いかもしれないが、臆する必要はない。

精神の弦が張って切れそうになっている、というかすでに切れてしまっている妻に対しては、私が何を言っても状況は変わらない。10年以上も連れ添ってきたのでよく分かる。

この状態は家庭内で生じる嵐のようなものなので、無理に何とかしようとしても何ともならない。

とにかく、入学式が終わって落ち着くまで耐えるしかなさそうだ。