2022/02/06

中学受験の本戦はトップガンやエースコンバットの世界だった

「番号あった!番号あったよ!」と、妻がメールではなくて電話で私に連絡してきた。妻はこのセリフを言ったことを覚えていない。彼女の記憶に残っているのは、その後に続く「合格したよ」というフレーズからだ。余程に感激していたのだろう。

上の子供が第一志望として受験した私立中学の合格発表。1月の初戦で轟沈して、一時はどうなることかと思っていたが、めでたく首都圏の難関中学の入試に合格することができた。加えて、複数の進学校に次々に合格し、記念受験として受けた御三家の入試においても合格点まであと10点に迫った。本気で御三家を目指していたら合格していたかもしれない。


第一志望校の受験の後、寒風吹きすさぶ保護者待合場所という名の駐車場で待っていた私の前を上の子供が通り過ぎた。

背中には子供が通っている大手学習塾の専用バッグ。1月受験では自前のリュックサックを背負っていたが、サピ生の真似をしているようで私は気に入らなかった。

真田幸村の軍勢の赤揃えではないが、強者に立ち向かう決戦では自分が所属する集団の衣装を身につけた方がいい。

そして、私が目の前にいるにも関わらず、上の子供は私に気が付かず、深い思考に入っていることが分かった。

私が声をかけた後、上の子供がようやく気が付き、「合格点を超えたかもしれない」という言葉をつぶやいた。

自己採点を行う前に本人の肌感覚として察したくらいなので、もしかするともしかするかもしれないと私は思った。

試験の後、とりあえず腹が減っただろうということで、子供を連れてレストランに行き、巨大なハンバーグを注文して腹一杯食べることにした。

大人と同じ分量の食事を平らげている子供の姿を見て、全力でやりきったことを実感した。

それにしても...自己採点で大まかに見積もっても、やはり例年の合格者の平均点よりも高い点数を獲得している。最低点ではなくて平均点を上回っているのだから間違いないと思うし、単なる運で合格して入学後に深海魚になるという形でもなさそうだ。

しかも、どう考えても教科書に載っていないような内容の設問を受験テクニックだけで正解していたもりした。大人でも動揺するような状況で、冷静に問題をクリアしたことが分かる。

一体、うちの子供はどこで化けたのか?

1月に千葉県内の中学入試で合格し、その後の2月の初っ端の御三家の入試においてあと10点で合格というラインまで迫ったので、自信を付けていたかもしれない。しかし、メンタルだけで学力が上がるものなのか。

もしくは、学習塾の模擬試験で本気を出していなかったのか。

妻からのペップトーク、あるいは強烈なプレッシャーが引き金となって、銀杏の紋章を持っている私が子供に伝えた脳細胞の遺伝子プロモーターが強発現したのか。

もしくは、どこかで魔法陣でも拾ったのか。そう、たぶんこれだな。魔法陣を展開して少し未来の自分を召喚したのだろう。

ハンバーグを食べながら妻にメールで連絡したところ、「まさか...いや、でも今までの本人の予感は当たってるのよ...だとしたら...」と困惑していた。

受験しただけで轟沈が確定したような合格発表は、むしろ気分が楽だ。もしかして合格しているかもしれないという合格発表は寝付きが悪い。有名校は解答速報が流れるし、子供本人はすでに浮かれている。夫婦ともに心が落ち着かない朝を迎えた。

なにせ、上の子供が受験した第一志望校は、「二月の勝者-絶対合格の教室-」という有名なコミックにおいて名前をオマージュされた形で登場する難関校だ。高校入試や大学入試に換算すると、偏差値が軽く70を超えている。

当然だが、日本全国の中学受験生やその保護者が二月の勝者を読んでいるはず。そのような舞台に自分の子供がいる。それはとても面白い。合格すれば、まさに「二月の勝者」だ。

私なりの理想としては、中高一貫で進み、大学入試において学年で10~20名が国公立大学に合格し、マーチが試し斬りになるくらいの進学校であればどこでもいいと思った。あとは子供が気に入った学校であればそれでいい。

しかし、第一志望校は学年で10~20名が東大や医学部に合格し、早稲田や慶応が試し斬りになるような進学校だ。

私は子供にそのような学校を求めていなかったのだが、自分よりも先に進んでいる子供たちの背中を追っていれば自分も引っ張られる。ロードバイクで速くなるための鉄則だったりもする。

確率論的には、運動が好きな小学生たちがミニバスで全国大会に出場するどころか、決勝トーナメントまで勝ち進むくらいだろうか。

ミニバスで全国大会に出場すれば、その子供たちは「公立小学校の」教師たちから褒め称えられることだろう。しかし、その教師たちは、たとえ児童が難関中学に合格したところで褒め称えない。

この教師たちの偏った価値観が、現在の公立小学校の歪な世界を反映している。

「健やかな成長!」とか「夢をもつことの大切さ!」とか「個性を伸ばす!」とか、そのように具体性を欠くお花畑的な考え方が公立小学校に蔓延している。

厳しい現実社会との解離、閉鎖的な学校教育。個性を伸ばすと言いながら、教師たちにとって都合の良い性質だけを個性と呼び、教師たちにとって都合が良くない性質については無視する。それが旧態依然とした公立小学校の教育現場の姿ではないか。

私感ではあるが、現在の公立小学校は役所の一部になってしまっていると思う。管理職を目指すような教師たちに私は敬意を持つことはない。最も教師に向いていないような人材が管理職になっているような気がする。それで公立小学校がより良い方向に変わるのか。

公立小学校と公立中学校はリンクしていて、あまり変わらない質の教師たちがいて、学区だけで一絡げにされた子供たちが集まる。そして高校入試のための内申書で子供も親も縛られる。

そのような教育環境を嫌悪して公立中学への進学を拒否し、私立中学に子供たちを入学させる保護者の気持ちはよく分かる。

もとい、翌日には先ほどの第一志望校の合格発表があるのだが、不合格になった場合を想定して別の中学を受験することにしたらしい。私は前日になって子供から受験することを教えてもらった。妻から私への連絡はなかった。

そして、最終戦の入試に連れ添った妻が、子供が受験している最中に第一志望校の合格をネットで知り、驚いて私に電話をかけてきたわけだ。

あれだけ苦しんだのだから、妻が喜んで当然だと思う。また、妻自身が中学受験を経験しているので、この合格にどれだけの意味があるのかを理解している。

「怖いので、すぐに入学金を振り込むね」と、最終戦の合格発表が終わっていない段階で妻は第一志望校に入学金を振り込んだ。第一志望校に合格したのだから、第二志望校をキャンセルしても構わないのだが、すでに上の子供は試験会場の中にいた。

その帰り道、妻はお世話になった学習塾に立ち寄り、担任の先生に合格の旨を伝えた。

担任の先生は、上の子供の合格を知り、言葉を失ったらしい。受験塾に通っている子供たちの中には、頻繁に実施される模擬試験の偏差値では想定しえないくらいの学校に合格する子供がいる。

二月の勝者では「ジャイアント・キリング」と呼ばれていたが、実際に巨人を倒して首を持ち帰る子供の割合はもっと少ないらしい。100人に1人程度といったところか。

二月の勝者では、ひとつのクラスに4~5名のジャイアントキラーが出たりするが、あれは漫画だからだ。

うちの子供は、大手学習塾の中でトップクラスの学力がある精鋭のクラスには選別されていなかった。

たまにそのクラスに上がったり、すぐに下のクラスに落ちたり。受験業界で考えれば、まあそれなりに名の知れた中学に合格する程度といったところだろう。

ところが、御三家を志望する特別進学クラスの子供たちが必死になっても成否が分からないくらいの学校に、トップクラスではない子供が合格してきたのだから、担任の先生としてもリアルなジャイアント・キリングを目にして驚いたのかもしれない。親も驚いた。

第一志望の中学に合格した翌日。

我が家ではそれまで全く気が付かなかった春の訪れを感じつつ、とてもゆっくりとした時間が流れている。

ホットカーペットの上で寝転んで、ずっと我慢していたSNSに興じる上の子供。

晴れやかな表情で参考書や塾の資料を片付ける妻。妻はその後で布団にもぐりこんで泥のように眠ってしまった。

上の子供が予想以上の結果を出して周りから褒められ続け、どうにも自分の立ち位置が難しいという表情の下の子供。コロナにかかると上の子供が受験できないので、友達と遊ぶことを我慢していた。よく頑張ったと、妻からプレゼントをもらっていた。

それにしても厳しい1週間だった。

変異コロナウイルスによる第六波がやってきて、陽性と診断された時点で中学入試はアウト。子供にとってはすでに風邪と同じような病原体になっているように思えるが、政治や行政は全ての世代を考慮する必要があり、またその対応について様々な世代からの不満が蓄積している。

中学受験の場合にはコロナにかかっても追加試験や再試験なんてものは用意されず、諦めて公立中学に進むしかない。教育行政の無能さを痛感した。

私自身は中学受験を経験したことがなく、高校入試や大学入試と同じ感じだと考えていた。しかし、いざ中学入試が始まってみると、自分の想像とは全く違う戦場が広がっていた。

戦場なんて大袈裟だと思うかもしれないが、たった1週間で6校とか7校の入試を受けるなんて、高校入試や大学入試では考えられないことだ。

午前と午後で別の中学入試を受験するとか。受験の願書のタイミングが受験日の前日とか、合格発表のタイミングが受験日の当日とか。高校入試や大学入試ではありえない話だ。

私が最も驚いたのは、大手受験塾が子供や親をサポートしてくれるのは受験シーズンの前までということだった。

プランAが破綻した場合にはプランBという程度はサポートしてくれるが、たった1週間で勝負が決まるような乱戦で、受験塾が細やかにサポートしてくれるわけではない。

中学受験が始まると、それぞれの世帯が孤立した状況でドッグファイトが始まり、勝利をもぎ取るような乱戦に入る。何か尋ねたいことがあれば受験塾から情報を得ることができるが、ストラテジー自体はそれぞれの世帯で選択することになる。

例えば、2月1日の受験が終わって不合格になった場合、その学校が志望順位で上位なのか、滑り止めなのかという要素だけでも次のプランに大きく影響する。

志望順位で上位だった場合には同程度の難易度の学校に願書を出したり、滑り止めに不合格になったらより難易度が低い学校に願書を出すこともある。

妻が夫にどこを受験するのかを伝える前にオンラインで願書を出すなんてと私は遺憾に覚えたが、もはやそれくらいのタイミングでないと間に合わない。

母親ではなくて父親が中学受験の主体を担っている場合には、その構図が逆になる。しかし、「中学受験の合格には母親の狂気が必要だ」というフレーズの通り、母親が子供に寄り添って入試に挑むパターンが多いことだろう。

受験の付き添いで定番となっているマクドナルドで妻が待機していた時、近くのテーブルで錯乱しかけた母親を見かけたという話を聞いた。

妻の話では、その母親は泣きそうな形相で手元のノートに様々な中学の名前を延々と書き殴っていたらしい。

妻も同じ意見だったが、その母親の子供は普段の模擬試験であれば容易く合格すると考えていた滑り止めの学校の入試に落ちてしまい、命綱がない状態で他の志望校の入試に挑戦することになったのだろう。

千葉県内や埼玉県内で始まる1月中の受験をスキップして、2月からの都内の入試に入り、そこでプレッシャーに飲まれてしまったのかもしれない。その退路がなくなった時、「全落ち」という恐怖が頭をよぎる。あの恐怖は凄まじい。

中学受験のために費やした時間も金も労力も、そして我が子の希望も努力も全て灰になり、後悔と悲しみを抱えながら公立中学で3年間を過ごし、高校入試にリトライするなんて、中学受験を経験した子供や親にとっては考えたくもないルートだ。

とはいえ、入試のシーズンが始まる前には、想定される学校の過去問を繰り返し解いて出題傾向などを把握しておく必要がある。偏差値が下だからといって、何の下準備もしていない学校を受験すると難易度がさらに高くなる。

事前に学校を見学して、その学校が子供に合っているのかを確認する必要もある。それらの準備がない状態でも、1週間で勝負が決まる。

おそらく、妻がマクドナルドで目にした母親は、「まさか」という最悪の状況を想定していなかったのだろう。それが無能だと言うわけではない。我が家も1月入試で経験したことだ。

公立中学に子供が入学する母親たちから見れば、「何それ、そんなに追い詰まるの?」と不思議に感じるかもしれないが、実際に中学受験を経験すれば不思議でもない。この不条理なまでの精神的重圧は、五十路を迎える私自身でも味わったことがない。

子育てというステージには方向性があり、時間が戻ることもない。しかも、中学受験は小学6年生の短い期間で勝負が決まる。米国では珍しくないそうだが、浪人して再び中学を受験することが難しい。その学校が気に入らないからと、中高一貫校に通っているにも関わらず別の高校の入試を受ける私立中学生は珍しくない。

それにしても「中学受験は親の受験」というフレーズがあるが、確かに親の負荷が大きい。

また、私なりには実体験するまで感じえないこともあった。

我が家の場合には子供と妻がザイルパートナーになり、雪山の登山に挑戦するようなイメージがあったが、受験本番になるとそのイメージはすぐに砕け散った。

このスピード感に登山のイメージは相応しくない。

母親が中学受験のプライオリティを担っている我が家の場合、父親である私の目には、まさに子供と妻がF-14 トムキャットのような二人乗りの戦闘機に搭乗して、入試というターゲットと空中戦を演じているように見えた。

私のような団塊ジュニア世代においては戦闘機のドッグファイトで頭に流れる曲はたったひとつ。

ケニー・ロギンスのDanger Zone(デンジャー・ゾーン)だな。映画「トップガン」で流れた名曲だ。



子供が先頭の座席でパイロットとして戦闘機を操縦し、妻が後方の座席でオペレーターとして索敵や火器管制を担当しているようなイメージ。

公立中学に子供を進ませるような保護者には「なんて大袈裟な」と鼻で笑うかもしれないし、一度でも中学受験を経験した保護者には「ああ、そうかもしれない」と共感してもらえるはずだ。

実戦に入ってからのステージにおいては、受験塾が情報を伝えてくれるのは広域レーダーでの索敵やターゲットとなる志望校の大まかなデータだけだ。管制センターからのアナウンスのようなものだと思う。

実際の受験では、ターゲットに対峙した時点で臨機応変に空中を飛び交い、予期せぬ問題が飛んできても冷静にパスし、全身に押し寄せる重圧に耐えながら目視でターゲットを捕捉し、これを撃破する必要がある。

自分たちが撃破されたらパラシュートで脱出し、別の戦闘機に搭乗してすぐに出撃しないと間に合わない。負けたと落ち込んでいる余裕さえない。

しかも、試験時間が短い中学受験の場合には問題数が少なく、一撃で勝負が決まってしまうこともある。即日、もしくは翌日には合否が分かるので、親子ともに疲労が蓄積する。

初戦で惨めなまでに散り、もうどこにも合格しないのではないかと絶望して母親に泣きすがっていた上の子供が途中で自信を取り戻し、次々に目標を撃破していく姿は痛快だった。

初戦で不合格になると親子ともに「全落ち」の恐怖がやってくる。その恐怖を耐えることも中学受験のキーポイントなのだろう。

その後の中学受験とのドッグファイトは、かつてゲーマーだった私から見れば「エースコンバット」の世界のように見えた。次々とターゲットを捕捉して撃破していく子供と妻の勇姿がとても格好良く見えた。



そういえば、第一志望校を受験する日の朝、家を出発する子供と妻はとても落ち着いていて、そこには何の動揺も感じられなかった。

すでにいくつかの学校の入試に合格して退路を確保し、中一日を確保して最良のコンディションで決戦に臨む。

2月1日のスタートから御三家を受験させた妻の選択は、私から見ればギャンブルだと思った。そこで不合格になって調子を崩すと、その後の受験で落ち込んでしまうと思った。しかし、その入試で合格点に迫ったことで、自分は何とかなるのではないかと子供が思ったのかもしれない。

では、夫婦共働きのスタイルを続け、母親が中学受験の主体を担当しているという今時の家庭において、父親はどのように立ち振る舞うか。その正解があれば苦労はない。「二月の勝者」に描かれていることが通用するとも思えない。

しかし、中学受験というイベントが、子供と妻が復座戦闘機に搭乗して入試とドッグファイトを演じるというイメージであれば、父親は戦闘機の離着陸を誘導する「マーシャラー」に相当すると勝手に思った。



US NAVYのマーシャラーは、どうしてこうも格好が良いのだろう。日本人と比べて手足が長いからなのか、派手なポージングが様になっているな。

1月入試を前哨戦として、2月1日の本番からたった1週間で勝負が決するタイトなスケジュールでは、子供や妻が頻繁に戦闘機に搭乗して出撃と帰還を繰り返す。

ドッグファイトでターゲットを撃ち漏らしてボロボロになって帰還しても、撃ち負かされてパラシュートで海面に落ちて回収されても、翌日には再び甲板から出撃していく。

当然だが、マーシャラーが機体に搭乗して戦うわけではない。中学受験は重要なステージではあるが、中学進学を下支えをする経済力を父親が担う。私立中学に進むには金が要る。その金を稼ぐだけで精一杯だ。

加えて、夫婦共働きの家庭において中学受験に挑む場合、子育てや家事の分担がアンバランスになる。

妻が中学受験に付きっきりになるので家事をこなしている余裕がない。その分の家事を夫が担当する必要が生じる。

もちろん、妻に負荷をかけることなくスマートに中学受験に臨んでいる父親もいるはずだが、中学受験における父親の役割なんて往々にして無力なものだと私は思った。

状況がどうあっても、マーシャラーは懸命に機体を誘導し、アフターバーナーの衝撃を地面で突っ伏して受け止めて、飛び立った後の機体を眺め、戻ってきた機体に手を振って迎える。そのような心構えは重要だと思った。

また、子供が公立中学に入って、県立高校、そして国公立大学がコスパ最強なんて思っていた私の先入観は間違っていた。

これほど派手なドッグファイトを眺めることができたし、子供が次々とターゲットを撃破する姿は最高に興奮した。子供と妻が頑張ってくれた成果だ。

しかも、公立中学であれば必要になる高校受験がスキップされる。中学三年生で高校一年生の学習を始め、高校二年生でカリキュラムを完了する。高校三年生は大学受験の準備期間だ。この進捗は大学受験において極めて有利だ。

レールの上を歩き続けるだけのオッサンの人生にも、ここまで刺激的で感動的なイベントがあったのだな。



とはいえ、中学受験はスタートでしかなくて、大学受験が小目標。その後で職業人生という大目標がある。それだって長い人生を考えると一部でしかない。

子供をつくるのは簡単なことかもしれないが、子供が生まれた後の関わりは長く続く。それでも父親になったのだから責を負う必要がある。このような取り組みを社会が大切にしなかったから、少子化が進んで国が傾いているわけだ。

さて、上の子供が合格した後は、下の子供の中学受験がやってくる。何も経験がなかった時と比べれば、夫婦ともに経験値を得ることができた。

上の子供と同様に下の子供がどこかで魔法陣を拾ってくるとは思えない。今回は二月に勝利したが、敗北で終わる可能性もある。

それでも、子供の数だけ苛烈なドッグファイトを繰り返す。下の子供の頃にはコロナで一発レッドカードがなくなっていることだろう。

受験の狂気だなんだと言われるが、付き添いで訪れた私立中学校はどの学校も校舎が綺麗で、教師たちはやる気に充ちていた。

公立中学の教師たちにこの活気があるとは思えないし、実際に我が子が通うことを想定すれば大方の学校生活を察することができる。

我が子により良い教育環境を用意することは親として間違っていないし、様々な疲労や葛藤がありながらも前に進む。今の私は生きていることを実感している。良いことだ。