「一月の中学入試は前哨戦に過ぎない」という言葉の意味
「長時間の通勤は離婚率が高まる」とか、「配偶者の実家の近く住むと離婚しやすい」とか、「夫婦共働きでの子育ては離婚のリスクが高い」とか、「中学受験をきっかけに離婚することが多い」とか、まあとにかく夫婦関係のクライシスについては様々な情報が広がっている。ミスマッチがない夫婦であれば、それらは噂の類いでしかないが、私の場合にはそれらのクライシスを奇妙なまでにトレースしながら生きている。
中学受験は平日に試験日が設定されることがほとんどだ。1月に入って私自身の業務が激しく混み合っているにも関わらず、受験する子供に付き添うと平日が潰れる。その分の仕事の遅れを休日出勤で補充すると、当然ながら私自身が休養するタイミングがなくなる。
一方、仕事が遅れると、様々な人たちから催促の連絡が飛んでくる。同じ職場の人たちであれば家庭の都合ということで配慮してくれるのだが、私の場合には職場の外の人たちからの依頼が多い。その人たちにとっては、我が家の中学受験なんて関係ない話だ。
年寄り臭い話だが...右腕が神経痛のようにピリピリと痛み、それを我慢しながら働いていたら、右の肩が上がらなくなった。原因は分からない。左側の肋骨付近にも神経痛があるので、ヘルペスウイルスの再活性化によるものだろうか。
あるいは、長年の疲れが脊椎に蓄積して神経に痛みが生じたのだろうか。それらの痛みを我慢していたら、今度は腰にも痛みが出てきた。
そういえば、最近は公私ともに忙しすぎて、トレーニングチューブによる上半身、あるいはスピンバイクによる全身的な運動をすることさえできずにいた。まあ、身体の疲れは休んだり運動することで緩和するので何とかなる。むしろ、精神の疲れが深刻だ。それらを何とかして散らしながらコンディションを維持する必要がある。
金曜日の深夜まで働いて遅れていた仕事が一段落した後、電車に乗って新浦安にある自宅に帰宅する。片道1時間半もかかるので、電車の中で日付が変わる。そのように狂った生活を10年以上も続けてきた。
妻は普段から子供たちに対して辛辣な言葉を使ったり、怒鳴ることが多い。家の外では他者に対して慇懃無礼なまでにペルソナを展開する人なので、その反動が家庭に向かう。よくある話だ。
そして、数年前までは妻からの辛辣な言葉や暴言が私にも投げられた。よくある話だ。
もはや夫婦関係に何の希望もなくなった私は、布団や衣類、生活用品、趣味品といった身の回りの一式を自室に持ち込み、そこで生活するようになった。これは私自身の精神の疲弊を可能な限り減らすという対応なのだが、妻から見ればいつでも夫が家を出て別居することができるという意思表示に映ったらしい。
妻から私へのモラハラは減ってきたが、それでも子供たちを辛辣に叱った後、私に対して暴力的な発言が飛んでくることがある。昨夜もそうだった。
このような状況がやってくると、私は妻との会話を遮断し、目も合わせないことにしている。
癇癪持ちに対して真正面から対応していると精神が憔悴する。熱くなったケトルの湯を冷ますには、放っておくことが最も楽だ。
父親である私の現時点での命題は、とにかく心身ともに疲弊して倒れる、あるいは我慢が限界に達して離婚するというインシデントを避けることだ。
子供たちが成人した後、私自身がどうしても辛いようであれば別居なり離婚を考えればいい。
そんな生き方が幸せなのか、我慢の先には老いた自分しかいないだろと批判されるかもしれない。そのテーマについては、数え切れないくらいに自問自答を続けた。その上での結論だ。
仕事や家庭はクジ引きやガチャのようなもので、自身の能力や努力だけでなく、確率論的な組み合わせによって大きく影響を受ける。
抗っても仕方がないことだってある。自分の運命だと受け止めて地道に生き、細やかな趣味の中で幸せを求める。それでいいじゃないか。
なるほど、子供の中学受験が夫婦の不和のきっかけになるという話は本当だな。また、それはきっかけでしかなくて、内在していた夫婦の軋轢が表在化するだけという仮説も確かに正しい。
妻は普段よりもさらに性格が荒くなり、普段よりもさらに自分をコントロールすることができなくなっている。通常と違う状態を狂っていると表現するのであれば、明らかに狂ってしまっている。
会話のキャッチボールが成立しない夫婦関係。妻が発し続ける早口の大声が鼓膜に響くので、自室で耳栓を付けて生活する日々。現状としては同居人だが、法的には夫婦だ。
新しく手に入れたミニベロがなかったら、私の精神的な支柱が確実に崩壊し、家を出て夫婦別居の生活になっていたはずだ。危ないところだった。やはり趣味は大切だな。
さて、コロナの感染者が減り、社会が穏やかなムードで年の瀬に入った後、高い感染性を有するコロナが出現して第6波がやってきた。大局的に見ると、この現象は新たに出現した病原体が人間社会に溶けていくプロセスに相当し、過去の歴史から考えても矛盾がない。
新妻がいつまでも新妻ではないように、新型コロナがいつまでも新型ではない。いつかはただの風邪コロナに変わるかもしれないし、いつまでもマスクを付ける生活が続くよりは望ましいことだろう。
しかし、政治や行政、マスコミなどがウイルスの変化に対応しきれておらず、多くの人たちは、自分たちにとって何が脅威なのかよく分からないステージに移行したと感じていることだろう。
マスコミについてはともかく、政治や行政がウイルスの変化に対応するためには、その根拠が必要となる。急に変化したウイルスに対応して法律を変え、その後で再びウイルスが変化したら、状況がさらに混乱する。
その上、膨大な数の人たちの思考が収束せずに拡散を続けている状態だ。コロナに感染すること自体を脅威と感じる人もいれば、コロナに感染することで社会的な制限を受けることを脅威と感じる人もいる。
他方、コロナではなく社会によって自らの行動が制限されることを嫌悪する人もいれば、経済的に大きなダメージを受けて怒りと悲しみにくれる人、もはや何も考えたくない人もいる。
「何を信じたらいいのか」と嘆いている人を見かけたりもする。マスコミ、政府、自治体、ツイッター、その他。確かにこれは大変だ。
最近、子供たちが通う小学校から保護者宛にメールが届いた。土日に子供が体調を崩したら、その詳細をオンラインで小学校に伝えてくれという依頼だった。
公立小学校が休日のプライベートな内容にまで介入することは、見方によっては越権行為に該当すると私は考えている。小学校は保健所ではないし、管理職の教員たちが動揺および混乱していることがよく分かる。
以前から神経質な割に頼りない小学校だと思っていたが、相変わらずだなと私は感じた。
まあ確かに子供たちに感染が広がれば保護者や教師にも感染が広がる、もしくは濃厚接触者になって行動が制限される。教師たちはともかくエッセンシャルワーカーが働けなくなると、社会全体が機能を失ってしまう。
とどのつまり、これまで通りの感染症対策が通用しないステージに入ったということだ。どの段階で政治が決断し、行政が動くのか。
このようなタイミングで我が子が中学入試を受験する。子供が産まれた後には大震災による液状化で街が崩壊し、中学受験では変異したコロナの大波が押し寄せるという、何ともハードモードな子育てだな。
中学入試といっても、そのスタイルは地域によって異なる。受験する学校の選択肢がほとんどない地方もあれば、共通試験のように日程が重なっている地方もある。首都圏の場合には、千葉県や埼玉県内の私立中学の入試が1月から始まり、都内の私立中学の入試が2月から始まることが多い。
1月を前哨戦として2月を本戦とするか、1月を本戦として2月を退路とするかは世帯によって異なる。
精神面での負荷は前者の方が軽いので、千葉県民であって良かったと思ったりもするし、順調に事が進めば中学生という段階から千葉都民になるのかと思いもする。
我が家の場合には、入試が始まる前から上の子供も妻もプレッシャーに飲み込まれてしまい、初陣は合格発表を待たずして、残念な結果を察した。
このまま全落ちするのではないかと絶望している子供と、激しく混乱して早口の甲高い大声でペップトークを繰り返す妻。
妻は激しく混乱して、夕飯さえ作らずに何時間も上の子供にペップトークを繰り返していた。相変わらず、強烈な自己主張を有している反面、神経が細い人だと思った。すぐに癇癪を起こしたり、糸が切れた凧のように予測不可能な方向に思考が飛んでいってしまう。
私が帰宅すると、腹を空かせた下の子供が自分で冷凍食品を解凍して食べていた。妻と上の子供は、子供部屋に引きこもったままだった。
部屋の中は玄関からリビングまで妻子の上着や鞄の中身が散乱し、酷い有様だった。
子供が動揺している時に、親まで動揺すればさらに混乱するのだが。
父親である私としては、中学受験についてあまり多くを期待していないので、とりわけ動揺することもなかったし、家庭内での雰囲気や自分自身のルーティンが変化することの方が疲れる。
私は深夜のコンビニに行き、明らかにカロリーが高そうなお好み焼きを買ってきてひとりで食べた。
若い頃、弟が広島大学の入試を受験したことがあり、下宿探しを兼ねて私が合格発表に連れ添った。本人なりには自信があったらしいのだが、結果は不合格。
その帰り道、落胆している弟を連れてお好み焼きを食べに行った。
二人とも気分は落ち込んでいたが、お好み焼きは旨かった。
精神に大きな負荷がかかった時には食欲がなくなったりもするが、そのような時こそ何かを胃に入れた方がいい。空腹では思考がまとまらずに空回りする。
以来、あまり幸せではないことがあると、お好み焼きやラーメンといったハイカロリー食をとることにしている。
自分が銀杏の紋章を持っているから言うが、たとえ難関中学を経て東京大学に入ったところで、その先に輝かしい未来が待っているとは思えない。
もちろん、名門の大学で学び、幅広い人脈を持つことは自身の成長や職業人生において有意義だ。
しかし、学歴社会のマウンティングで上位になりたいという理由で難易度の高い学校を目指すのであれば、それは違う。
大学受験と中学受験はシステムが大きく違うが、よく似た共通性があることに気付く。
あくまで個人のレベルでは、大学の入試の難易度が必ずしも職業人としての能力を反映していないことと同様に、中学の入試の難易度は必ずしも大学入試における優位性に反映されていない。
にも関わらず、両者がさも繋がっているような先入観を覚える。難易度の高い大学に入れば職業人として優秀になり、難易度の高い中学に入れば難易度の高い大学に進むことができると。
それらの思考の過程では、本人の能力や努力といった要素がスキップされており、中身ではなく器で物事を考えてはいないか。
また、入試の難易度が高い中学は、「うちの中高一貫校は、大学入試で○○大学に○○名の合格者を出しました!」と誇っているわけだが、優秀なのは生徒たちであって学校自体が優れているというわけではないように思える。現役の保護者としての印象でしかないが。
学習塾や予備校の場合には、カリキュラムや講師の質によって成績が変わってくる。入試に特化したこれらの受験産業では、より多くの情報を把握して分析し、学力を底上げする方法論を磨くという取り組みにおいて差が出て当然だ。
しかし、中高一貫校の場合には、入試で難関校に位置する中学校の教師たちと、入試で中堅校に位置する中学校の教師たちの教え方やカリキュラムに大きな相違があるように思えない。
つまり、中高一貫校における大学進学実績というものは、中学入試の段階で子供たちにフィルターを用意し、地頭や性格で選別しているだけではないのか。地頭とはそのままの意味だ。性格とは何かというと、机上の学習に真面目に取り組むという性格のこと。
それぞれの中高一貫校におけるカリキュラムや教師の質が同程度であっても、入学してくる子供たちの地頭や性格に差があれば、当然だが大学進学の実績にも差が生まれる。
保護者が中学受験時の志望校を選ぶ際には、中高一貫で進級した後の大学入試の実績が気になる。
より多くの難関大学に合格している学校では、それ相応の素晴らしい環境が用意されていて、我が子がその中学に入学することができれば、より難易度の高い大学に入ることができると感じてしまうことだろう。
だが、より難易度の高い大学に合格している生徒が多い中高一貫校では、中学入試の段階での選抜によって勉強ができる子供たちが集まっているからだという身も蓋もない結論もありうる。おそらくそれが現実なのだろう。
輝かしい大学進学実績がある難関の中高一貫校においては、落ちこぼれてしまい、大きな劣等感を背負って6年間を過ごす子供がいるはずだ。我が子がそのような状況になる可能性は否定しえない。
つまり、学校のシステムが優れているから子供の学力が高まるというよりも、子供の学力が優れているから学校のシステムが優れているように見えるという話ではないか。だとすれば、思考の順序が逆になる。
大学受験についてあまり関心がない中学校、あるいは勉強している同級生に対して嫌がらせを加えるような子供までがいる中学校に通うと苦労する。それらが、我が家において公立中学校が最初から視野に入っていない最たる理由だ。
他方、私立中学への進学を想定した場合には、ある程度の大学進学実績がある中高一貫校であれば、中学入試の難易度や知名度を過度に気にする必要はないように思える。
大手の学習塾の中学入試の偏差値で60未満であっても、毎年、国立大学に10~20人程度、マーチに100~200名程度が合格するような中高一貫校はたくさんある。
大まかに見積もってみると、中学入試の偏差値に7を足したくらいが高校や大学の入試の偏差値に相当するらしい。つまり、偏差値55の中学に入学した子供が年相応に成長したとすると、大学入試の際の偏差値が62という換算になる。
この見積は、国立大学に数十名、マーチに数百名が合格するという実績と矛盾しない。
もちろん、子供や妻がより難関の中学を目指したいのであれば止めはしないが、あくまで個人レベルで考えれば、偏差値60未満であっても十分という私なりの考えに至る。
むしろ、難関中学に入学して、周りの生徒の学力に圧倒されて深海魚になるよりも、モチベーションが維持しうる程度の中堅校に子供が進んだ方が幸せかもしれない。
また、国立大学といっても、別に東京大学や京都大学、旧帝国大学にこだわる必要もない。
必ずしも国立大学が私立大学に優っているというわけではなくて、企業とか役所といった職場で働く場合には、学歴社会のマウンティングにおいてつぶしが利くというだけの話。学歴のレッテルが及ぶ範囲とでも言おうか。
地方国立大学を卒業した場合には、その大学がある道府県のレベルでの学歴社会においてレッテルが通用する。旧帝国大学の場合には東北や九州といった地方でのレベル、東京大学や京都大学の場合には全国区のレベルになる。
また、地方国立大学の出身者が自治体の範囲を越えた場所で生活したからといって、そのレッテルが学歴社会において完全に効力を失うことはない。私立大学と比べて、国立大学の入試では共通試験と二次試験といった苦労があり、それらをクリアした人材なのだから、たぶん真面目で優秀なのだろうという評価になるわけだ。
それらはレッテルでしかないので、より良いレッテルを貼られたところでより良い人生が待っているわけでもない。就職の際に書類選考で不合格になりにくいとか、親戚の結婚式に呼ばれる回数が増えるとか、自分自身が結婚する際に相手の実家で上から見られないとか、その程度の話だ。
就職してからも学歴のレッテルが影響する職場があることは確かだが、大学のレッテルなんて関係なくて職業人としての能力だけが評価される職場もある。
そこまでのスパンを考えたとしても、長い人生では始まりに過ぎない。
加えて、国家資格が必要な職業に就きたいのであれば、国立大学にこだわる必要さえない。入試の偏差値が高くない私立の中堅大学であっても何ら構わないと私は考えている。それらの職業は学歴というレッテルよりも、本人の能力や努力が優先されるからだ。
ここまで考えてみると、中学受験での知名度や難易度にこだわる必要はないし、それなりの大学進学実績がある学校ならば環境としては問題ない。
あとは、子供が通いたいかどうか、子供がどれだけ頑張るかどうかだ。
....という話を、緒戦での轟沈に混乱して甲高い大声でペップトークを繰り返す妻に私は説いた。
しばらくすると、妻は受験塾の講師からアドバイスを受けつつ落ち着きを取り戻し、入試の日程をプランBに変更することにした。
常日頃から自己肯定が強く、私の意見には耳を貸さない妻だが、さすがにプランBへの移行については私にも相談してきた。本人としても不安だったのかもしれないな。
そして、上の子供も何とか調子を戻してきた。
プランBといってもそれなりの難易度があるので、容易く合格することができるかどうかは分からない。そのようなタイミングで、浦安市から公立中学への入学を案内する手紙が届いた。破り捨ててやろうかと思った。
初陣の次の中学入試では、私が子供の受験会場に足を運ぶことにした。
「私は受験に落ちたことがないので、たぶん受験の神様が降臨する体質だ。受験の神様を連れていくよ」と子供に伝えておいた。
小学生のメンタルの場合には、このような冗談でも点数に影響するかもしれないと思った。いざとなれば神や仏に頼るのが人間の性質だ。
受験会場では、コロナ対策ということで保護者に控室が用意されなかった。子供が試験を終えるまで、保護者の待合場所が指定されていたのだが、その場所に行って愕然とした。
屋外の運動場にパイロンが置かれているだけ。そこに多数の保護者が集まり、まるでイカゲームのようなサバイバルが始まるのかという困惑と殺気が漂っていた。
メガホンを持ったベテラン教師が、「寒くて申し訳ございませんが、間隔を開けて立ったまま試験の終了を待ってください!」と連呼し、寒いにも程があると私は思った。
受験終了から30分ほど待って、キャンプ道具でも入っているのかと驚くくらいに大きなナップサックを背負った我が子が外に出てきた。
ここは受験塾のバッグを背負うタイミングだろと思ったが、妻が用意した受験キットが入り切らなかったそうだ。他の受験生たちは身軽だったのだが。妻のバッグも普段から重いので、たぶん同じような荷造りだったのだろう。
そして、受験を終えた子供の表情を見ただけで、試験の結果が分かった。
私は、試験の出来具合を子供に尋ねることはなく、「とりあえず、腹が減ったから何か食べよう」と、ランチタイムなのに貸し切り状態になっている焼肉店を訪れた。
入試の結果はすぐに発表され、合格通知がやってきた。
「受かったよ!」という子供の表情はとても晴れやかで、達成感に充ちていた。それだけでも中学受験の意味があると思った。
また、家の電話で学習塾の講師と会話している妻の声も明るくて、今までの狂ったようなペップトークは何だったんだと思った。
それにしても、初陣で散って子供と妻のメンタルが落ち込んだ時に、速やかにプランBを用意してくる大手学習塾はさすがだな。ノウハウはたくさん蓄積されているだろうけれど、高い金を払うだけの意味はあった。
上の子供も妻も、2月から始まる入試を本戦として考えている。「1月の入試は前哨戦に過ぎない」という二月の勝者の漫画のようなフレーズが頭の中に流れる。
そして、機関銃のように射出される妻のペップトークが再開した。早口なので私には聴き取れないが、これからのステージで何が必要なのかを懸命に子供に伝え、気持ちを高めている。
しかし、今回のペップトークは正しい意味でのペップトークだな。
現在の状況としては、まるで子供と妻がザイルパートナーになって、雪山の頂上に向けてアタックを仕掛けているようなイメージがある。
1月中の合格によってベースキャンプを確保することができた。そして、これから一気に山頂を目指す。そのルートは受験する中学校の数に応じて存在している。
天候が悪くてベースキャンプに引き返すことになっても、目指した頂上に到達することができても、父親である私がやるべきことは決まっている。
子供の取り組みを認め、褒めることだ。