或港で目にした奇妙な風景
車も歩行者もいない一直線の道路を快適に進み、行き止まりまでたどり着いた。すぐ近くの岸壁はコンクリートで埋め立てられているものの、辺りには海砂が溜まり、潮の香りが身体を包む。かつてはどのような海岸だったのだろう。
目の前には180度のパノラマが広がっている。濃紺の海のはるか先に浮かんでいるような東京や千葉の街並みを眺める。大きなビル群がミニチュアの模型のように見えて、そこで生活する自分がいかに小さな存在なのかを実感する。
今日は良きライドだと来た道を引き返す。ソロライドはこういった新しい光景との出会いがいい。今度は魔法瓶を持ってライドに行き、コンビニでホットコーヒーを入れて海を眺めよう。
年の瀬も近づいてきたから、あと何回かのライドで吐息が白くなることだろう。
再びこの風景を眺めることを自分に約束して袖ケ浦港から国道に戻る。その途中、走りながらサイクルコンピューターをチェックしていると、左側の視界の先に何かが見えた。
車道の脇に続く植え込みの上。小さくもカラフルで輝きのある布片が落ちていることに気づいた。走り去ったので今ひとつ分かりにくかったが何だか嫌な予感がする。
長年にわたってサイクリングを趣味としている人なら経験があるかもしれないが、河川敷や車道では意味不明なものが落ちていることがある。
いくら法や社会、教育やシステムが整っても、人のモラルやマナーが格段に進化するわけではない。日本は恥の文化だというが、恥を知らない人が増えた。私が言うのもアレだが明らかに違うと思える行動に出る人が少なくない。
何だか嫌な気分だ。引き返して確認してはいけない予感がする。目に映った内容を思い返す。あの小さな布片は間違いない。ただ、仲の良い若いカップルが夜中に港に来て忘れていったのなら仕方がない。少子化に窮している我が国を救うのは男女の燃えさかる愛だと思ったりもする。
ところが、そのまま走り続けていたら、今度は4枚もの布片が植え込みの低木の脇に捨てられている。けしからん。
せっかく美しい海を眺めて、クロモリロードに乗った渋いベテランライダーを気取っていたのに雰囲気が台無しだ。
露骨な表現を避けるために敢えて曖昧に記述するが、様々な女性用のセクシー系の下着、おそらくTバックであろうものが道端にたくさん落ちていた。
走りながら考える。まずは自分自身。職場での定期的なメンタルチェックはパスしている。妄想や幻覚を生じる疾患も有していない。中二病はWHOを含めて疾患として定義されていないし、こういったタイプの空想でもない。
そもそもこれが幻覚だったとして、ここまで露骨でリアルな幻覚が見えるはずがない。背丈ほどある巨大なパンツに襲われるとか、そういう幻覚だったら納得するが、そもそも私は下着に興味がない。
さらに20メートルくらい走ると、再び同じ種類の女性用下着が撒かれている。そこで私が懸念したのは、悪意ある第三者が通行人である私にドッキリを仕掛けているのではないかということ。
バカッターとまで揶揄される一部のツイッターユーザー、もしくはアクセス数を稼ごうとする一部のユーチューバーの仕業なのか。しかし、周りを見渡したが誰もいない。望遠レンズで隠し撮りしていたらもはや刑事案件だろう。
その後も、植木の上にまとめて捨てられている同じ種類の下着を二回くらい見かけた。わざわざ数えたくないが合計で数十枚はあった。
それにしても、道路上に下着が散乱していて通行において危険が生じるのであれば市役所か警察署に連絡するという判断もあるが、道路脇の植木の上に乗っけられている場合にはどのような扱いになるのか。
それぞれに使用感や劣化等は認められず、窃盗犯による行為とは思えなかったし、犯罪性があるのかどうかも分からない。
この場合、私はどこに連絡すればいいのか、いや、そもそもどこかに連絡する必要があるのかどうか分からない。道路に下着が落ちていたら警察に届けなくてはならないという法律があっただろうか。
拾得物を自分のものにすれば法に抵触するが、拾ったわけでもない。これらの下着がゴミだと解釈すれば、私たちが道端で下着以外のゴミを見かけても常に拾って届けることになる。
まあ、状況から考えると、下着を撒いたのは20代から50代の男性で、女性の下着を集めるという変わった嗜好の持ち主で、交際している女性もしくは配偶者がいないことが推察される。そういった存在がいれば、パートナーに燃えるゴミとして普通に廃棄してもらえば済む話だ。
近年では女装をする男性も珍しくないが、そういった人たちは使用するために下着を持っているわけで、わざわざ港に捨てる必要もない。
個人のフェティシズムに文句を言うつもりはないが、他者に迷惑をかけるのはよろしくない。
ただし、ここが不可解なのだが、犯人...いや、この事象が犯罪なのか法的に分からないので私のプロファイリングの対象者としておこう...は、どうして広範囲に下着を撒く必要があったのか。
コレクションが増えすぎた、あるいは結婚や実家からの独立等によって下着を廃棄することだけが目的ならば、目立たない袋に入れて適切なゴミ集積所に捨てる方が安全ではないか。となると、下着を派手に撒くことで何らかの興奮を得ていたということだろうか。男の欲望は奥が深いので分からない。
あるいは、岸壁の近くにひっそりとまとめて下着を捨てた後、別の第三者、例えば遊んでいた男子中高生たちが面白可笑しくふざけて撒いたという仮説。
昭和の時代では河川敷に捨てられた成人誌が、そこで遊んでいた少年たちに見つけられて二次利用されるというスプレッダーシステムがよくあった。
すでに国道を走り始めたが確証に至るための仮説が立たない。走っているうちにどうでもよくなって、どうでもいい空想がはじまった。
例えば、ロードバイク乗り、特に実業団クラスのレーシングチームが走っていて、この状況で下着を拾得物として警察署に届けることになったら、どのような展開になることだろう。
袖ケ浦市内には警察署がなくて、この辺の所轄は木更津署だったと思う。さらに、タイミングよく他のレーシングチームが通りがかり、「じゃあ、警察署までチーム戦をやろう」という話になりスピードと拾得物の数で競うことになったとする。
スタートの合図とともにレーサーたちが次々に下着を拾い、バックポケットに入れて疾走するわけだ。そして、ローテーションを繰り返しながらチームのエースに拾得物を手渡していく。エースのバックポケットは大変なことになっていることだろう。
この場合、ルーラーが多いチームが有利だ。チームメイトが風除けになってエースを守りながら時速40kmを超えるスピードで巡航していく。その姿は群で泳ぐ魚たちにも似て、もはやライバルではなく自らとの勝負になっていることだろう。
そして、木更津署が見えた。ゴールスプリントが始まる。ギリギリまでアシストに牽引されていた両チームのエースが、矢のような勢いで発射される。弱虫ペダルのような展開だ。唸るホイール音、1cmでも前へ、1mmでも前へ。
エース同士の一騎打ちを制したライダーが、雄叫びとともに両手をハンドルから離したよくあるポーズで警察署の門をくぐり抜ける。
そして、そこで待っている警察官たちから拍手喝采...されるはずもなく、「はい、こちらに来てくださいね。ああ、落とし物ですか? こちらに並べてもらえますか?」という展開になることだろう。
この勝負はタイムだけでなく、届けた下着の数が少なければ引き分けになる。警察官がオフィシャルチェックをしてくれるレースは珍しい。調書を取っている間に他のチームメイトが写真を撮ってツイッターに投稿するかもしれない。
何だか下手なギャグ漫画のようなことを考えている自分の馬鹿さ加減に吹き出してしまう。まあ、たまには馬鹿になろう。