これでいいのだ!
しかし、浦安という私にとって嫌悪と苦痛を伴う街での生活によるストレスは、確実に私の心身を蝕んでいく。この悪条件で元気に働くことができるはずがない。最近、まるで暗い井戸の中に落ちたかのような虚無感や絶望感が続くようになった。
ということで、新しい自転車を手に入れることにした。
まるでバカボンのパパのように脈絡のない行動だ。しかし、自分なりに色々と考えて導き出された結論が、これだった。
なるほど、子供の頃にテレビで見たバカボンのパパはロジックが破綻しているおかしな人という私なりの理解だったが、実際には視聴者には見えないところで考えて結論に至っていたというわけか。
人には好き嫌いがあって当然で、それは住む街にも当てはまる。私は新浦安に住みたくなかったし、引っ越した後も住みたくないと思っている。
妻が妊娠して精神的に不安定になり、仕方がなく義実家がある浦安に引っ越した。ところが、その生活環境の酷さは私の想像を超えたところにあった。
人口密度が高すぎて酸欠に陥るような鬱陶しさがあり、都内への電車通勤の不便さがあり、我が強くて短気な住民が多すぎる。
さらに、住民のことなんて全く考えていない人たちが、まさに旅の恥をかきすてる勢いで頭にネズミの耳を付け、キャリーバッグを引っ張って通路を塞ぎ、異様なハイテンションで押し寄せる。
今はコロナで減っているが、修学旅行シーズンにはこれまた異様なハイテンションの中高生が、電車を一本遅らせると遭難でもするのかという勢いで集団を形成したまま電車に突撃したりもする。
満員の武蔵野線の乗客たちが、「おい...それだけは...やめろ...グハッ!」という表情で修学旅行生の集団から突撃を受けている姿はとてもシュールだ。
浦安が住みやすいなんて言っている人を批判するつもりはないが、おそらく彼らと私は別の世界で生きている。
四十路を越えた同世代の浦安の父親たちの中には、ディズニーを褒め称えてツイートを飛ばす人までいる。気持ち悪いと思わないのか?40代のオッサンがディズニー大好きなんて。
私なりの解釈として、あの場所はただの遊園地だ。あのような内容について40代のオッサンが喜ぶという精神構造が理解しえない。余程に狭い見識の持ち主なのだろう。
ディズニー大好きの浦安の大ファンの父親たちについては意識の中から飛ばす。あの人たちは私から見ると感性や思考がおかしい。それはお互い様だろう。
乱暴な表現として、「クソみたいな○○○」というフレーズがある。私はこの録において、「新浦安はクソみたいな街だ」と下劣に表現するつもりはない。
しかし、出勤時にマンションから出て新浦安駅に向かっている時に、一気に押し寄せる激しい下痢に苦しむことが多い。
クソみたいな○○○という表現は、あくまで比喩表現だ。私の場合には比喩表現ではない。新浦安という街はストレスで下痢便が出る街だ。誹謗中傷しているわけではなくて、事実なのだから仕方がない。
繰り返しになるが、私にとっての新浦安はクソみたいな街ではなくて、下痢便が出る街だ。
それにしても不思議だな。どうしてストレスを受けると腹がくだるのだろう。
腸という臓器は神経が張り巡らされており、腸管神経系には数億個の神経細胞が配置されている。自分の脳で情報を伝達しなくても腸の機能が維持されているのは、これらのニューラルネットワークの存在によるものだ。そのため、腸管神経系は「第二の脳」と呼ばれている。
しかしながら、個体が極度のストレスに暴露された際には、自分の頭で考えて指示を出す前に腸が動いてしまったりもする。過敏性腸症候群というストレス性の下痢あるいは便秘は、腸の神経がストレスに応答した結果として引き起こされると考えて矛盾しない。
このような現象は、ヒトに限った話ではない。巨大なネズミに会いたいがために多数の人々が押し寄せる街なので紹介すると、ネズミにストレスを加えるとすぐに大便を出す。おそらく、生命の危機に備えて身体を軽くしようとか、そのような機序なのかもしれないな。
私が新浦安の街中に出たり、新浦安駅にたどりついた時に激しい下痢がやってくるのは、おそらく過敏性腸症候群による症状だろう。これに対して投薬による治療を施すつもりはない。
その理由が分かりきっているのに、薬で下痢を抑えるなんて無様なことだ。
この街は下痢便が出るほどに嫌いな街なのだから、下痢便が出ない街に引っ越すだけの話。
人が心穏やかに生きるためには、住む街が重要だ。私はその判断を疎かにした。妻が何と言おうが、ウトメが何と言おうが、離婚を盾にしてでも浦安に引っ越すべきではなかった。
その教訓を刻むためにも、浦安を脱出するまで下痢便を出し続けようと思う。
しかし、子供たちを育てていなければ、私は明日にでも都内の不動産屋をまわって物件を確保し、速やかに浦安を脱出するはずだ。
妻の実家?そんなことは全く関係ない。
私にとって、妻の実家はストレスでしかない。口は出すくせに金は出さないし、命を救っても何の見返りもない。浦安から脱出した後は縁を切る。
無断で都内の自宅に義父母が入ってきたら、私は110番に通報する。本当に嫌なんだ。私の家庭に土足で入られるような苦しみがある。
しかも、帰宅時には激しい目眩に襲われ、吐き気がやってくる。
特に、京葉線に乗る時が地獄だ。私の脳が千葉県に帰ることを拒否している。江東区や江戸川区でさえ限界なのに、その外側に住むなんて。
私は思う。どこまでも理由を突き詰めると、こんなにストレス耐性のない精密機器のような自分が、自己主張が強くて気が荒い浦安出身の女性と結婚したことが間違っていた。
加えて、この新浦安という街は人を集めすぎた。こんなに住宅やホテルを作って人を集めて、快適な生活が待っているはずがない。
生物には集団として生活しうる密度というものがあり、それを超過すると様々なトラブルが引き起こされる。もはや限界を超えている。
しかしながら、妻や義実家を含めて、このように蜂の巣のような街の姿を誉れだと思い込んでいる市民がとても多い。私から見ると、宗教のように思える。
その地獄のような苦しみを耐え続けて、10年以上の月日が流れた。とても長かった。
そして、上の子供が私立中学を受験する時期がやってきた。下の子供が私立中学に入学する頃、私は晴れて嫌悪と苦痛の街から脱出することができる。繰り返しになるが、とても長かった。
ここまで来ると浦安を脱出して引っ越す時期が先か、自分がストレスで倒れるのが先か、もはやそれくらいに切羽詰まった状態だ。この街を脱出したら、二度と近づくものか。
ところが、浦安からの脱出が近づいていることを察した時、今まで張り続けていた糸が切れかかっているような気がした。ゴールが見えてきて気が緩み、そこにストレスが突き刺さってきたのか。
それとも、この苦痛を伴う地獄のような生活を脱出して、新しい生活を始めるというイメージすら磨り減ってしまっているのか。
これはいけないな。ここまで来たら勢いで乗り切るしかない。
下の子供が市外の中学に合格したら、私は浦安を脱出する。妻はそのことを承諾している。義実家が何か五月蠅いことを言ってきたら、私は別居をしてでも浦安から引っ越す。このままストレスで倒れたら子供たちの学費だなんだと言っている場合ではなくなる。
楽しいことがまるで感じられない私生活において、少しでも生きる楽しみを感じられるようにアイデアを思い浮かべてみた。
自分があと少しで死ぬと仮定して、最後にやり残したと思うことは何か。
加えて、新浦安に引っ越してきてからのストレスで心身が削れる生活の中で、自分の精神を閉じ込めてしまっているのは何か。
ネットで検索したところで、その答えが見つかるはずもない。答えは自分の頭の中にある。
仕事や家庭においては、すでに終点までのレールが敷かれていて、そこを踏み外さずに歩き続けるような状態になってしまっている。それが五十路の親父の生き方なのだろう。楽しみを見つけるとすれば、ささやかな趣味の世界という話になる。
とても不思議なことだが、趣味として楽しんできたはずの700Cの大きなホイールが付いたスポーツ自転車が、逆に自分の思考を制限していることに気付いた。
飽きたと言えばそれまでだが、確かにこのタイプの自転車については自分がイメージしていたことのほとんどをやりきった感覚がある。それとともに、これからの自分の生き方には700Cの自転車が似合っていない気もする。
一方で、ブロンプトンのような折り畳み式のミニベロに乗って優雅にポタリングを楽しむという性格でもない。
色々と思案してみたところ、低価格なホリゾンタルフレームのミニベロを手に入れて、それを自分でカリカリにカスタムし、生活の中での相棒として使うのはどうかというアイデアが浮かんだ。
すると、暗い井戸の中に落ちたかのような虚無感や絶望感が少しだけ軽くなった。最高学府で様々なことを学んだけれど、思いついたことがこの程度なのかと情けなく感じはする。しかし、実際に気持ちが楽になるのだから、それが答えなのだろう。
何のためらいもなくミニベロの完成車の在庫を探して注文し、その納車を待っている。
それにしても、700Cのスポーツバイクを処分して20インチのミニベロに乗り換える際には、それなりの出費になる。700C関連の自転車用品をメルカリで売り払ったが、ミニベロのためのパーツが必要になる。
10年近く使ってきた自転車用の工具も古びて壊れてきた。せっかくだからと工具についても新調したので、想像以上に出費がかさんだ。結局、中古品の処分では予算が足りず、かなりの赤字になった。
しかしながら、このままストレスを受け続けて調子を崩した場合、「暗い井戸」と私が表現している脳の不調に陥り、職業人としての残りの生き方ならびに家庭全体の経済状態にまで影響を及ぼしかねないと危惧した。
望むことと、生きることは違う。しかし、生きるために何かを望むことは間違っていない。
生きていて何も楽しく感じないという精神状態はとても深刻であり、些細なことであっても楽しみがあるという段階まで自分を引っ張り上げる必要がある。そのための20万円弱の出費は、高いけれど安くもある。
ストレスで倒れてから目の前にその金があったとしても、元気な状態に戻るためには全く足りない。そもそも元気な状態に戻ることができるかどうかさえ分からない。
今後は節約に励むことはもちろんだが、自分自身の精神を守るという大切な出費なので、これまで個人的に用意しておいた特別予算を使用することにした。専門用語でヘソクリとも言う。
「これでいいのだ!」と自分自身が開き直るために記しておくと、ミニベロだから数十万円の出費で収まった。
これがミニベロではなくてロードバイクだと話が違ってくる。ある程度のスペックが整ったロードバイクを購入する場合には、これくらいの金額では全く足りない。あと数倍の金が必要になる。
趣味に大金を投じることは無駄なように思えるし、バーンアウトで文字通りに死にかけた時には、その無駄金で買ったロードバイクが自分を救ってくれた。
あの悪夢のような時間においてロードバイクによる自己療法を行っていなかったなら、おそらく倒れた後で投薬治療を受け、現時点でも薬漬けの日々が続いていたことだろう。当然だが、職業人生においても破綻し、二度と戻ってくることができなかったはずだ。
ここで自分の中年親父としての生き方を振り返ってみる。
妻がいれば、子供たちがいれば、父親は強く生きることができるのかというと、私感ではあるがそれは幻想でしかない。
実際にバーンアウトで苦しみ続けた時、妻や子供どころか、自分の周り全てが無力であるように思えた。職場の人たちの有り難さや気遣いを感じたが、引っ張り上げてくれるような人たちはいなかった。
結局のところ、中年親父に限っていえば、妻や子供たちを守る責任があったとしても、自分を守ることができるのは自分だけという解釈になる。
一度、暗い井戸の底まで落ちたからこそ肌感覚として分かることだが、毎日の生活で何も楽しみがないという精神状態はとても深刻だ。井戸の底まで落ちる前に、無理矢理にでも楽しみを見つける必要がある。
無理矢理という表現は語弊があるかもしれないが、自分の思考がネガティブな霧に巻かれて閉じ始めた時が危うい。
たかだか趣味の内容を変えるだけで楽しみが生まれ、思考を閉じてしまうような殻が割れるのかという話だが、私なりには視界が広がったような気持ちになる。
ミニベロの注文や支払いはネットを経由することにしたが、受け取りは配達ではなく店頭で行うことにした。
今までロードバイクのプロショップのお世話になることはなかったが、ミニベロについてはカスタムが得意で敷居が低いショップを東京都内で見つけたので、これからもお世話になることにした。挨拶がてらショップを訪れることにしよう。
そういえば、浦安市内にもミニベロ専門のショップがあったりもするのだが、都内のショップにお世話になることには理由がある。
近い将来に都内に引っ越すことを私は心に決めているので、浦安市内のショップは相応しくない。都内に引っ越した後でショップを訪れる必要が出た時、浦安市に足を運ぶなんてことは想像したくもない。
また、浦安市内のミニベロのショップは雰囲気が洒落ていて素敵なのだが、個人的にはどうにも受け入れがたい。
自転車とは汗を流してペダルを漕いでナンボだ。それを脇に置いて別の部分で楽しんでいるような気がする。
好みは人それぞれだが、私としては、店内に入った瞬間に「自転車の臭い」がする整備工場のような雰囲気のサイクルショップがいい。
床が薄汚れていて、修理を待つ中古の自転車が並び、店の奥からグリスで手を真っ黒にしたメカニックが挨拶してくれるような。
メカニックは整備能力の優劣で評価されるべきだ。洒落ているとか、アピールが上手いとか、そのような点で判断する必要はない。
それと、手組ホイールについては船橋市で職人を見つけたので、これからもそのショップにお世話になることにした。この職人もかなりの堅物だ。手組ホイールなのにメニューが数種類しかない。まるで深夜食堂のようだ。
都内と船橋市内のショップの共通点としては、メカニックが自転車のことを知り尽くしているということ。
特定のメーカーの自転車だけでなくて、ありとあらゆる自転車に詳しく、さらに乗り手の体重や筋力、柔軟性まで考えた上で自転車を調整してくれる。どの分野にもプロがいるものだ。とても敬服する。
とはいえ、完成車を購入するショップには、これからどれくらいのお世話になるのかは分からない。隙間時間に自分でミニベロのカスタムを行う予定なので、あまりお世話になることはないかもしれないな。
休日出勤が続く日々の中で時間を融通し、朝から夕方まで頻繁に宅配の配達員が自宅にやってきた。ブルーノのミニベロの在庫が確保されたので、カスタムのためのパーツを年末に多数注文していた。それらが細切れに到着すると、自転車用品を買ったことではなく受け取ることが面倒だという理由で妻の機嫌が悪くなる。
そこで、時間指定で一度に私が受け取ることにした。
ブルーノの完成車が自宅にやってきたら、ヘッドパーツやボトムブラケットまで全て取り外し、フレーム以外の部品を全て交換しようと考えている。そのためのパーツが一通り揃った。
予定としては、ヘッドパーツをTANGEのシールドベアリング、スレッドステムとシートポストとハンドルをNITTO、サドルはBROOKS、ホイールはシマノハブとアレックスDA16、変速はR3000系、クランクはGRXとWolf Tooth のチェーンリング。
どうして11速の105や10速のTiagraのコンポーネントを使用しなかったのかというと、9速のSORAのコンポーネントを使用したかったから。
以前、ロングホールトラッカーという名前の自転車に乗ってアメリカ大陸を縦断したサイクリストのインタビューを動画で拝聴したことがあり、シマノのSORAが強靱な耐久性を持っていたという話を耳にした。
SORAは、完成車に付属してくるエントリーグレードのコンポだが、重量を気にしないで済む分、開発側としては丈夫に作っているのかもしれないな。
R3000系のSORAについては、かなり前にGIANTの完成車に付いてきたことがあった。実際に使った感想としては、まあうんこれはSORAだなと言える重量ではあるけれど、想像以上に変速がスムーズだった。何ら心配はない。
しかも、Wolf ToothのGRX用のシングルチェーンリングは、シマノの9速から11速に対応しているそうだ。これは素晴らしい。グラベル用のクランクを20インチの小径車に取り付けてみたいという、私なりの変態性を発露するには十分すぎる要素だ。
また、105以上のコンポーネントと比べると、SORAのそれらは間違いなく安価で供給も多い。
上位グレードになるにつれて製作や仕上げの工程が複雑になるからなのか、完成車用に多めに数量を用意しているのか、そもそもロードバイク乗りにとってSORAは恥じらいの象徴になってしまっているのであまり売れないのか、その理由は分からない。
だが、自転車パーツの品薄が続いている現在においてもSORAは調達が容易だ。105のパーツを1つ購入する金額で、SORAのパーツを2つ購入することができる。
さて、波のように訪れる変化が社会に押し寄せ、もはや何が日常で、何が平凡なのかを見定めることさえ億劫に感じ始めた。
加えて、仕事がとても忙しくなってきた上に、子供の中学受験が近づいてきた。色々と考えても仕方がないのだが、自分なりにはハードモードな生活が続いている。
逃げ出したくなるような気持ちはないが、数週間後の状況さえ考えたくないほどに、懸念が多すぎて自らを閉じてしまっているような。
精神的にタフなようで線が細い妻は、上の子供よりも受験のプレッシャーに覆われてしまっているようだ。自宅で疲れ果てているし、家事をこなしている余裕もない。
対して、決戦に臨むはずの上の子供は、受験のプレッシャーを感じているのかどうか私にはよく分からない。鼻歌を唄っていたりもするし、妻から厳しく叱られても馬耳東風のようになってしまっている。
父親である私が理解している限り、上の子供は受験に対して本気にならないまま受験に突入するらしい。中二病的な物語の中では、このように斜に構えたタイプのキャラクターが登場したりもするが、まさか自分の子供がこのようなタイプだとは。
生来の性質なのか、私たち夫婦の躾や教育の影響なのか。おそらくその両方なのだろう。
そのままの平常心が試験会場においても維持されるようであれば、コンペティションの中で有利に働くかもしれない。勝負において緊張せずに集中するというメンタルは重要だ。
しかし、上の子供が受験というハードルの現実を直視できないというだけの話であれば、試験会場で雰囲気に飲み込まれ、緊張や混乱、もしくは焦りによってポテンシャルを発揮することができないかもしれない。
20代や30代の頃は、これから迎える様々な状況について真正面から受け止めて、それらを乗り越えようという気概があった。
では、五十路が近くなった現在の私はどうなのか。「まあ、なるようにしかならないな」と開き直り、コツコツと前に進み、たまに振り返って少しの道程を確認し、再び前に進む。若い頃のように無理することは難しい。
妻や子供たちについては自分が頑張っても仕方がない。けれど、家族の希望ができるだけ実現するように支えるのが父親の役目なのだろう。その取り組みに自己満足しているステージは幸せだった。今は虚しくもある。
そして、仕事と家庭においてタスクに流されるように日々を過ごし、自分の老いを実感する。他者と違った生き方を望んだけれど、気が付くと典型的なオッサンの生き方になってしまったな。
そんなことを嘆いたところで時計は回り続ける。
仕事でも家庭でも色々とあって、責任という重い荷物を背負って、助けもなく一人でレールの上を歩き続ける姿を想像するから、さらに生きることが辛くなるのだな。
重い荷物を背負うことに変わりはないが、自転車に乗ってレールの横を走って行くイメージを持とう。それならば楽しいロングライドだ。そうだ、これから乗るミニベロにはリアキャリアを取り付けて自転車に荷物を背負わせよう。
今回のミニベロへの転換は、自分の生き方の中でどのような意味があるのか分からない。しかし、井戸の中に落ちているような精神状態であっても強いモチベーションが生じていたのだから、おそらく自分を守るために必要だと察したのだろう。
くどいようだが、精神の井戸の底まで落ちたら、そこから這い上がることは困難だ。その前に自分の状態を整える必要がある。
かなりの金がかかったが、生きる上での楽しみが得られたのだからそれで良しとしよう。
アニメの中で「これでいいのだ!」と言っていた登場人物の設定上の年齢を過ぎてから、私はこのフレーズの意味が分かった。