ネットのフリーマーケットで巣を張る人たちの哀しみ
その危機を乗り越え...てはいないな、傷だらけになりながら通り過ぎた際の出費だと思えば、安くはないけれど高くもない。そして、ロードバイクがなければ心身のストレスの解消はありえないという先入観からも脱し、自転車という趣味が次の過程に進みつつある。
ロードバイクもシクロクロスバイクも、コンポーネントについては多くが重複している。今回の機会で700C用の自転車用品を売り払ったことで、自室の中から実走用の自転車が姿を消した。
いくつものスペアホイールがなくなった自室は広く感じる。この時点で、新車が到着するまでの期間、私はサイクリストという立場でもないという解釈になる。
ヘビースモーカーがタバコを止めた後の環境を想像することができず、ヘビードランカーが酒のない環境を想像することができないことと同じように、スポーツ用の自転車がない環境を想像することは難しい。
だが、実際にタバコを止めても、酒を飲まなくなっても、大して生活は変わらない。それらには精神的な依存性があり、スポーツバイクにも同様の依存性があるのだろう。
これで自転車という趣味に散財する生活が終わると思うと、気持ちは清々しくも晴れやかだ。
廉価版のミニベロの場合、完成車自体はあまり高価ではない。とはいえ、スポーツの用途に見合うパーツに換装しようとすると金がかかる。
言っているそばから散財するのかという突っ込みが入りそうだが、現在の私はストレスフルでストイックな生活が続きすぎて精神が暗い井戸に落ちかけている。
生きていて楽しいと感じることがないくらいに追い詰まっているので、何かで気持ちを引っ張り上げないと沈み続ける。
もとい、完成車の価格を下げる場合、クランクやホイール、タイヤ、サドルが影響を受ける。クランクやホイールはどこのメーカーのものなのか判別不能、タイヤは滑りやすく、サドルは長時間座っていられないくらいの品質だったりもする。
外から見えない部分としては、ヘッドパーツの質がとても低かったりする。ボールが剥き出しになったベアリングにグリスが塗られているだけで、外から水が入っただけですぐに錆びが広がるような廉価版を使うことで完成車の価格を抑えていたりもする。
総じて、これらのパーツの耐久性はあまり考慮されておらず、街乗りで買物に出かける程度で使うレベルのパーツが取り付けられていることが多い。
一方、値が張る完成車の場合には、それらのパーツが標準的なモデルだったりもする。経験があるサイクリストであれば、「シマノ○速!」といったフレーズではなくて、クランクとサドルを見て大まかな質が分かったりもするわけだ。
折り畳み式のミニベロのブロンプトンは、完成車の価格が30万円近いのだが、それぞれのパーツのスペックを考えると、むしろ安く提供されているように思える。タイヤやサドルを含めて、新車を購入してからすぐに交換する必要がある部分がないわけだから。
なるほど、高い自転車には高いだけの理由があるということだな。
そして、ネットで注文したブルーノのミニベロを写真で見て、「ここを交換せねば、ここも交換せねば」とパーツを調達したところ、フレーム以外の全てのパーツを交換するという見積になった。
自転車の本来のカスタムの楽しみ方は、実際に乗り始めて少しずつパーツを交換していくというスタイルが望ましい。しかし、あいにく私にはそのような過程を楽しんでいるような気持ちの余裕がない。
自転車用品が品薄になっている現在、将来的にそれらのパーツを交換する必要があるのならば、先に買ってしまった方がいいやという割り切った考えだったりもする。
ということで、カスタムパーツを買うための資金を用意するために、700Cの自転車で使っていたパーツをメルカリで売り払った。
以前はヤフーオークションを使っていたりもしたのだが、ユーザーの数を考えるとメルカリの方が早く買い手が付く気がする。
パーツを綺麗に掃除して、写真を撮り、説明文を用意し、それらを出品するという一連の流れには慣れているのだが、値段を付ける段階で少し悩む。早めに売り飛ばしたい場合には、格安の値を付ければすぐに売れる。あまり損をしたくないと値段を上げると、誰からも「いいね!」を付けてもらえなくなる。
利用する前、ネット上であってもフリーマーケットという場には穏やかなイメージがあった。
自分が出品した後、しばらくしてから遠く離れた場所に住むサイクリストが出品物を見つけ、匿名ではあるけれどちょっとしたコミュニケーションが生まれ、互いに楽しみながら取り引きをするという、ほのぼのした機会があればいいなと。
ところが、実際に自転車のパーツなどを出品すると、明らかにメルカリに張り付いて獲物を狙っているような人たちが、数分どころか数秒の間隔で即座にアクセスしてくる。その数は内容にもよるが、常時300名といったところか。
そして、コメント機能を使って、提示した金額よりもはるかに低い値段を要求してくることがある。15000円の値を付けたものを12000円にしろとか。彼らに礼儀や恥は存在せず、もはや狂っているとしか思えない。匿名だからこそこのような輩が跋扈するのか。
メルカリで不要品を出品してから数年が経っているので、私としても彼らがどのような人たちなのかは知っている。できる限り安く中古品を仕入れて、それらを再出品することで差額を得るという「せどり」の連中だ。
コロナ禍では、新品のマスクや消毒薬、あるいはゲーム機などを買い占めて、それらを法外に高額な値段で売るという「転売ヤー」が問題になった。せどりも転売ヤーも同じ穴の何とかで、重複している人もいるはずだ。
メルカリというフリーマーケットツールは、せどりや高額転売のためのサービスとして始まったわけではない。メルカリに限らず、その盲点を巧みに利用して小銭を儲けようという輩が必ず現れる。
日本人は勤勉であるはずなのだが、楽をして小銭を稼ごうという思考に陥る人が少なくない。また、職場で副業が禁止されているからと、小遣い稼ぎで頑張る人もいる。
その典型が、かつて流行したアフィリエイトブログだな。自分のブログに広告を載せることでアフィリエイトの収入が得られるという話が広がり、世界的にみて日本はブロガーの数が突出して多くなったという不名誉な事実がある。
実際にアフィリエイトによって得られる金額はわずかだ。しかし、その収入のために他のネットユーザーが書き綴った文章を盗用したり、写真を無断使用し、金太郎飴のような記事を量産する人たちが続出した。
そして、Googleのアルゴリズムの変更によって、ネットで小銭を狙うアフィリエイトブロガーたちが殲滅されたという経緯がある。
これは私の持論だが、金とは自らが汗水を流し、時に身を削る労働の対価として得るものだと考えている。ネット上でちょこまかと細工をして小銭を稼ぐというスタイルは気に入らない。
素人がネットで儲けようとしても大して儲からないだろうし、その時間や労力を実際の勤労に費やした方が見返りが大きいように思える。
もとい、メルカリの場合には、中古の自転車パーツの転売で小銭を稼ごうという連中を見分けることは難しくない。派手なアイコンを表示させており、取り引き後の評価の数が明らかに多いのですぐに分かる。
普通に不要品を出品したり、掘り出し物を見つけるだけで、評価の数が300とか500になるわけがない。日常的に売買を繰り返しているからこそ、このような数になる。
加えて、アカウント名に「プロフィール参照」という趣旨のフレーズが付随しているユーザーは、間違いなくせどりの連中だと判断して差し支えない。
それぞれの出品物の説明文に同じ文章を貼り付けることが面倒だとか、あらかじめトラブル時の口実になるように、プロフィール欄に約款のような形でルールを決めている。
この連中は、プロフィールという言葉の意味を理解していないらしい。
当然だが、これらのルールはユーザーが勝手に用意したものだ。「即購入禁止」とか、「商品を確保します」とか、そのようなルールはメルカリの利用規約には記載されていない。
せどりの連中が出品する商品は元から中古品だったものだ。消耗が激しかったり、壊れかけているものが多い。数枚の写真や説明文に騙されてはいけない。
しかも、このような人たちはメインのアカウントの他にサブアカウントを有していることがある。
メルカリでは規約で複数アカウントの使用が禁止されている。しかし、実際には同居する家族の名義で別のアカウントを使い、他者を装ってせせこましい工作をやる輩がいる。
例えば、法外な値下げを要求してくる輩をブロック機能で制限すると、別のサブアカウントからツイッターのように攻撃を受けたり、別人のふりをして取引を完了させた後、腹いせとして相手に低評価を付けるという嫌がらせまである。くだらない。
そのような性格や言動を改めないから、せどりで小銭を稼がなくてはならない経済状況に陥ったのではないか。
というか、せどりは不用品の取引には該当せず、課税対象だ。彼らはきちんと税金を納めているのだろうか。
あまつさえ、せどりの連中だけではないが、明らかに精神が不安定で意味不明な要求を送ってくる人や、自己愛性パーソナリティ障害をこじらさせているような人が絡んできたりもする。このようなタイプの輩はヤフコメやツイッターでも見かける。
前者については、もはや意思疎通が困難だ。別の世界にいるらしい。後者については、お前は何様だというくらいに文句が多く、実に不快で厄介だ。しかも、そのような自己愛者は他者に文句を投げて攻撃することは得意だが、反撃されると弱い。守りに入って亀になり、無応答を続けて逃げる。それはリアルな世界でも同じことだ。ならば最初から挑発するなよという話だが。
もとい、メルカリに巣を張るせどりの連中は、私から見て「さもしい」と言わざるをえないし、家の外に出て働けと思うのだが、彼らにも相応の都合があるのかもしれない。
そもそも、メルカリで中古品のせどりをやるだけで利益が得られるのだろうか。
出品物が売れると、メルカリ側に10%の手数料を支払う必要がある。加えて、転売する時には送料が発送する。そのほとんどが匿名配送による出品者負担だ。着払いを選択すると通常の実名配送になるので、せどりの連中は嫌がることだろう。
出品した後、まるで農作物を育てるかのように購入者を待ち続けて実際に売れたとしても、実際の利益としては多くて千円くらいではないか。それを積み重ねるとは大変だな。
そうか、だからこそメルカリで巣を張っている連中は、出品者に対する礼儀なんて考えず貪欲に値下げを要求し、手に入れた品物を再出品した際の差額を増やそうとするのか。
乱暴な表現かもしれないが、地獄絵図に描かれた「餓鬼」のような人間の内面の醜さを感じざるをえない。
ということで、私がメルカリに不要品を出品する際には、最初から値引き不可であることを明記し、それを要求するコメントがあると無視、あるいは事務局に通報する。
そして、過去に取引された同等品の相場を観察し、せどりの連中が購入して再出品したとしても利益が出ない程度の値段を付けて出品するようにしている。
計算方法は単純だ。相場の価格に1.2倍をかけて出品すればいい。私の場合には、相場の価格に1.5倍をかけて出品し、「値下げしました!」と1.2倍くらいに価格を下げたりもする。
出品した直後に湧いてくるせどりの連中たちが即座にアクセスしてきても、「いいね!」が全く付かない。これでは小銭を稼ぐための利ざやがないと「グヌヌ...」と感じているだろう。私はとても気分が良い。
そして、時間が経つと、少しずつ希望者からの「いいね!」が付き始める。このようなユーザーにせどりの連中は少ない。単に出品を探している人たちだ。
数名から「いいね!」が付いた段階で、自分の出品物に対して値下げのアナウンスをする。これは「いいね!」を付けておかないと分からない。結果、せどりの連中を出し抜いて、本当に出品物を使いたいというユーザーを探すわけだ。
私の場合には、メルカリで儲けようなんて気持ちが全くないので、購入が決まった後、礼儀正しいユーザーにはオマケとして何かを付け加えて送ったりもする。
とはいえ、メルカリを使って不要品を処分すると、疲れが一気にやってくる。せどりの連中のさもしさが苛立ちとして蓄積するからだ。
この人たちは、ネットの画面に張り付いて獲物を狙っているようだが、そのような回りくどいやり方ではなくて、自分で汗を流して働いたらどうなんだ。一体、どのような仕事で収入を得ているのだろうか。
その点について不思議に感じたので、このような人たちのバックグラウンドをネットで調べてみた。
本職がありながら趣味として転売をしている人もいるようだが、中には精神を壊して働けなくなってしまったり、実家に引きこもった状態で少しの金を何とかして手に入れようとしている人がいるらしい。
40代で鬱病を発症して退職し、個人事業主として物品の販売をやっているというネットユーザーがいたりもする。個人事業主とか物品販売といった肩書きではあるけれど、その実は自宅でネット上のせどりや転売で収入を得ているという解釈になりはしないか。
メルカリに自転車用品を出品すると、真夜中でも一斉にアクセスが集まる。その大勢の人たちは、希望しているパーツを探している素人だとは思えない。
メルカリのページに張り付いて出品物をチェックしている人たちなのだろう。では、その人たちはどうしてメルカリに張り付いていなければならないのか。何とも哀しい生活スタイルだと感じる。
その理由を深く推察してみると、彼らの姿がさもしいと嫌悪していた自分の考えが不十分だということに気付く。いや、嫌悪すること自体が間違っているように思える。
日本の世の中は、一度でもレールを外れてしまった人たちに対してあまりに厳しい。とりわけ、メンタルを痛めることは職業人としての窮地に繋がりうる。
「スポーツで転んで骨折しました」と職場に伝えれば、「何やってんだ、さっさと治して元気になって戻ってこい!」と明るい返事がやってくるだろう。
しかし、「すみませんが、鬱病になったのでしばらく休ませてください」と職場に伝えれば、周りから一斉に人が去り、職業人として戦力外のレッテルを貼られ、さらにはリストラの対象になったりもする。
一度でもメンタルを痛めたら、元には戻らないと断言するベテランの職業人は珍しくない。古くさい考えだと思うが、それが日本に根付いた職業観でもあるわけだ。
さらに、上司たちは自分の責任を回避することを優先して逃げ回るだろうし、同僚だって自分の負荷を増やすまいと付き合いを減らしてくることだろう。
それが社会の厳しさでもある。
私がバーンアウトで調子を崩した時、上司や同僚はとても優しかった。なぜなら、鬱病ではなかったので仕事を続けることができたし、バーンアウトの理由がプライベートな事象によるものだったからだ。職場環境のストレスで不調になったという流れであれば、周りから人が去ったことだろう。
自分の精神を保護しうる存在は、自分だけだ。同じ境遇を耐えた人たち、あるいは過去の賢人たちが遺した名言が励ましや支えになることはあっても、妻や子供たちが自分の精神を守ってくれるわけではない。
私にとってのサイクリングとは趣味ではあるけれど、心身の健康の維持のために必須の存在になっている。
自転車を乗り換えたりパーツを手に入れて散財しているように見えるし、実際に散財しているのだが、ストレスによって倒れて動けなくなるよりはマシだ。
累進課税と国からの補助の逆格差に苦しむ何とか万円プレーヤーにとって、身体を壊して休職あるいは退職といった事態を考えると、自転車なんて安い買い物だと思う。
自転車は金を貯めれば買うことができるが、心身の健康は金を出しても取り戻すことはできない。特に、精神の不調から回復するためには、まさに地獄のような苦しみを乗り越える必要がある。
なるほど、メルカリに出品すると、いつも鬱陶しい連中が湧いてくるので嫌悪していたのだが、そのような人たちから学ぶことがあったというわけか。
彼らのようになりたくないと怯える気持ちがあったりもするし、できるだけコンタクトを取りたくないという忌避の感情も私の内面に浮かぶ。だが、彼らにも様々な都合があって、このような行動を続けているのだろうなと思った。
同情する気持ちもありはするが、同情したところで彼らに感謝されるわけでもない。値引きして金を恵んでやるつもりもない。精神の井戸から這い上がらずに、井戸の中から手を出しても地上には届かない。ネットで小銭を稼ぐなんてことは止めるべきだ。
彼らの貪欲な姿を見つめて、やはりレールから外れてはならないという気持ちを強めた。そのためには、自分の精神を自分で守らねば。
さっさとミニベロを手に入れて、落ちかけた精神の井戸から這い上がろう。結局そこなのかという話になった。