2021/12/31

奴隷の鎖を外して楽になろう

この2週間は仕事と家庭のルーティンに加えて、自転車用品の梱包とメルカリでの出品を繰り返していた。録を記している余裕はなかったし、自分は何をやっているのだとおかしくも感じたが、勢い付いてからの取り組みは有意義に感じた。

コロナの第5波が落ち着いた11~12月の期間において、自らの精神が暗い井戸に落ちたような虚無感と絶望感を覚えた。その理由については、先の録にて記した通り、雑多なストレスがループすることで負の思考の淵に引っ張り込まれたらしい。この井戸から抜け出すためのヒントは意外なところにあった。


2016年頃にバーンアウトを起こした時は、この暗い井戸の底まで落ちていく感覚があり、そこから這い上がることは不可能だと思った。

文字通りに感情やモチベーションが燃え尽きて、生きるだけで精一杯だった。それでも家庭で妻が暴れ続けたことのダメージも大きかった。

その後、自力でバーンアウトから回復し始め、暗い井戸を苦しみながら這い上がり、そこから顔を出し、ようやく身体を持ち上げて地上に転がったところでコロナがやってきた。

かくして、慌ただしく変化する世の中で自分の心身を維持しつつ、夫婦共働きで複数の子供たちを育てながら中学受験に挑むというハードモードな生活が始まった。

「夫婦共働きの子育てで大変なのは子供が保育園に通っている間だけ。小学校に上がると楽になる」という話は必ずしも真ではないことを身をもって知った。私立中学の入試を受験するのであれば、そのような希望的観測は「嘘」だと表現しても差し支えない。

とはいえ、何事も経験だ。バーンアウトを起こした頃の私は、悲鳴を上げることさえできず、頭から真っ逆さまになって井戸の底まで落ちていった。必死に手を伸ばしても、どこにも掴まるところがなかった。

一方、現在の私は、あらかじめ身体に取り付けていた命綱によって井戸の途中でぶら下がり、そこから足場を見つけ、少しずつ這い上がっている感覚がある。

あくまでイメージだが、その「命綱」とは何かというと、自分の力の限界を受け止めること、そして、自分自身を否定し続けないこと。これらは内的な思考であって、薬でも道具でもない。自己暗示の類なのだろう。

そして、慌てずに自分がどうして井戸の中に落ちたのかを考える必要がある。

「まだ、大丈夫だ」とか「自分なら何とかできるはずだ」と我慢を続けていて、井戸の底まで落ちてしまうと、元の状態を取り戻すためには多大な労力と苦痛を伴う。

次のステップは、精神の井戸の途中でぶら下がった状態から足場を見つけ、地上に向かって這い上がること。

いくら思考を展開させて理由を見つけたところで、あるいは自分を律して耐えようとしたところで、さらには不満を蓄積させて過去の判断を悔やんだところで、沈んだ状態の自分を引き上げることは困難だ。

自分を引き上げる上で必要となるのは、自分を前向きに動かしうる脳の活動なのだろう。人によっては、それが真っ暗闇のトンネルの向こうに見える一筋の光として表現されることもあるし、文章としては汎用されすぎて時に陳腐に映る「希望」という二文字になる。

希望と類した言葉として「生きるためのモチベーション」というフレーズがあったりもする。そのモチベーションが得られないからこそ人は悩み苦しんだりもするわけだ。

そのモチベーションを湧かせるためにはどうすればいいのかという点について、様々な資料や文献を読んでみた。しかしながら、他者が発信した情報を有り難がる必要はないと思った。答えは自分の脳の中にある。

とりわけ、著者の顔写真が表紙に印刷されている自己啓発系の書籍については読む価値さえないように感じた。

このようなアクシデントは何度も経験したくないものだが、バーンアウトによって実際に暗い精神の井戸の底まで墜ち、そこから這い上がる過程で学んだコツがある。それはとても簡単なことだった。

「希望」だとか「生きるためのモチベーション」だとか、そのように抽象的もしくは難しく考える必要はない。

まず最初に理解することがある。

それは、自分が生き続けた際にたどり着くゴールを明確にすること。

あまり縁起が良い表現ではないが、そのゴールとは何かというと、間違いなく自らの「死」だ。

たくさんの人たちの死を受け止めながら仕事をしていると、最初は人の死が悲しく辛いものだと認識して苦悩する。当然のことだ。

さらに経験を積むと、途中から「人は何のために生きるのだろう」とか、「人は朽ちて何を残すのだろう」といった哲学的な思考の淵に誘われる。

そこからさらに経験を積むと、何も感じなくなる。サイコパス風の精神構造ではなくて、人の生死を達観してしまうというか。

バーンアウトを起こした過去の私の反省点としては、仕事は仕事、家庭は家庭、という形で両者を切り離してしまったことだった。仕事だけでなく家庭においても自分の生と死を眺めていれば、感情がなくなるくらいのダメージを受けなかったはずだ。

若い頃は「理想の職業に就きたい」とか「家庭を持って幸せに生きたい」とか、様々な目標をイメージしながら生きる。しかし、それらが生きることの小目標であったとしても、生きることの目的ではない。

そのゴールがどこか?

紛うことなく朽ちて死ぬことだ。

死というステージを思考の中で禁忌のように扱うから、どこを基準にして生きるのかという物差しが分かりにくくなる。

私を含めた中年親父のよくあるパターンとしては、定年退職による職業人としてのリタイアをゴールとして設定してしまうことではないか。

定年は確かに大きな節目ではあるけれど、そこから死ぬまでの期間は長い。

リタイアしてからは年賀状の数が一気に減り、妻からの当たりが強くなり、蕎麦打ちだ家庭菜園だと趣味を探し、それらが思ったよりも深みがないことに呆然とし、孫の顔を見ることが生き甲斐になるようなシニアが多くはないか。

老後の夢なんてものは、老いる前にさっさとやるべきだ。

人生の終点は定年退職ではなくて死ぬことだと理解すれば、現役時代から老後までのスキームを組み立てやすい。

終点をしっかりと把握し、残り時間をどのように生きるのかを逃げずに考える。それはとても大切なことだな。

加えて、子供を産み育てる行為は生命の本質でもあるわけで、子供が自立していない段階で自らが世を去ることは避けねばならない。

生のゴールが死だとしても、急いで死ぬ必要はない。生きていれば、やがて死がやってくる。

併せて、死に至るまでの期間において、何を心掛けるのかというと、過去と未来に挟まれた「今」という瞬間を地道に生きることだ。

次に、自分が生き続けた際の最終地点が死だと定義すると、その間でどうやって前向きに生きるのかという話になる。

若い頃は様々な恋愛や就職、結婚といった小目標を設定することができたのだが、五十路近い親父にとっては、仕事においても家庭においても「責任」という重荷を背中に乗せて歩き続けているだけのような感覚がある。

しかし、難しく考える必要はなくて、些細なことであっても「楽しみ」を持つことが大切だな。そんなことで精神の井戸から這い上がることができるのかという話だが、井戸の底まで完全に墜ちた場合には無理だ。

完全に墜ちると、楽しみを持とうという気力さえなくなる。自分に余力が残っている時に「楽しみ」を見つける必要がある。

最近になって自分が精神の井戸に落ちた理由は、先の録で記した内容の他にもありそうだ。

霧が広がった海面を眺めるかのような精神世界の中で、自分が生きることの希望や楽しみを感じられない理由を思い浮かべた。

私の場合には、「奴隷の鎖」という喩話に似た心理的な制約が関係しているような気がしてならない。

このフレーズは奴隷制度についての歴史学あるいは社会学的なテーマではなくて、心理学的なテーマに該当し、個人が認識する世界の範囲、およびその世界への順応を示唆していると私は解釈している。

自分の意志で回避しえない厳しい状況に置かれた時、人は自分の境遇を嘆き悲しむ。

苦しみ続けて倒れる人もいるが、その他の大勢はどうなのかというと、避けることができない生活を強いられているうちに、自分の境遇が日常だと感じるようになるそうだ。

実際のところはどうなのか知らないが、大昔に奴隷になった人たちが、苦しい生活を続けているうちに抗う気力さえ失い、途中から互いの鎖の品質を見比べることがあったという話に基づくらしい。

その詳しい機序は分からないが、奴隷のケースに限らず、避けることが難しい境遇を普通だと錯覚し、独自の世界観や価値観が形成されるという順応性が脳に備わっていることは分かる。

厳しいブラック職場から抜けられなくなったり、暴力的な配偶者と離婚せずに連れ添ったりと、奴隷の鎖に類したパターンは世の中にたくさんある。

私の場合はどうなのかというと、妻の実家がある新浦安に引っ越してから10年以上の月日が流れた。妻は新婚時代とは別人のように性格や言動が荒くなった。最初からこの状態だったなら、私は決して結婚しなかったと思う。

街中を出歩くだけでめまいを起こし、通勤地獄では時に感情を枯渇したり、嘔吐や下痢を起こすくらいのストレスを浴び続け、妻や義実家との軋轢に悩み、心身共に擦り切れ続ける毎日だ。

最初の頃は、家事や育児に努めて妻との関係を良くしようとか、通勤経路を変えてみようとか、この街の良さを見つけようとか、そのような取り組みによって不遇に抗おうとした。

しかし、抗う力が尽きてバーンアウトを起こしてからは、下の子供が成人するまでは家庭に残り、とにかく浦安から脱出することだけを考えて、ひたすら耐えながら生きている。

苦しみに耐え続けながら家計を支えている私に対して、妻や子供たちからの理解や労いはない。たったひとりでわずかな楽しみを見つけ、あと少しだけ生きてみようと一歩を踏み出す毎日だ。

そして、上の子供が私立中学を受験する時期が来た。その後で下の子供が私立中学を受験し、合格すれば浦安という街を脱出することができる。何百回どころか何千回も心の中で望んだ時がやっと訪れる。

それなのに、脱出した後のイメージが湧いてこない。なぜだろうか。

10年という時間はあまりに長く、自分の潜在意識の中にまで「奴隷の鎖」が形成されてしまっていることに気が付いた。何だろうな、自分の希望や楽しみまで絡み取ってしまうような。

しかも、楽しくて始めた自転車という趣味でさえ、この街での生活の苦痛を紛らわすための鎖になってしまっている。

700Cの自転車に乗りたくないなら降りればいい。そんな簡単なことさえ行動に移せないほどに浦安での生活は私に苦痛を強いている。

なるほど、自分の潜在意識の中に奴隷の鎖があることで、生き続けるためのモチベーションが失われていたということか。ならば、引き千切ろう。脱出は近い。

そういえば、ロードバイクという趣味は浦安に引っ越してきてから始めた。色々と辛いことが多い街において、せめて何か楽しいことがあればと思った。

その後、より楽しく感じるサイクリングコースを探し、千葉県北西部に広がる谷津道というルートに出会った。荒れた路面が多い谷津道を走る上でロードバイクがあまり適していないため、ロードバイクを処分してシクロクロスバイクに乗り換えた。

そのシクロクロスバイクが気に入らないという話ではなくて、乗りたいという気持ちが湧いてこない。

さらにそういえば、1ヶ月で7kgの減量に至った過程で、身体的なトレーニングは屋外のサイクリングではなくて屋内のスピンバイクで実施してきた。

不思議なことに、スピンバイクでペダルを回すだけでも効率的に痩せることができ、しかも精神的なストレスも緩和されることに気が付いた。

過去のバーンアウトから回復する際には、確かにサイクリングがとても効果的だった。だが、必ずしも自転車に乗って外を走る必要はなかったのかもしれない。あくまで自分については。

自分の潜在意識まで介入することは難しいが、さらに考察を深めてみる。

奴隷の鎖によって、浦安から脱出した後の生活をイメージすることは難しい。だが、趣味についてはイメージすることができる。

新浦安においては、700Cのロードバイクやシクロクロスバイクを室内に保管することは難しくない。23区内の住居と比べれば、より広くて安い物件に住むことができるからだ。

その分、通勤のための時間や苦痛が増えるというだけの話であって、全てがラッキーというわけでもないが。

近い将来、浦安を脱出して都内に引っ越した場合、700Cの大きなホイールを取り付けた自転車を室内に保管する余裕があるのだろうか。

また、新浦安の場合には色々と変わっている人が多いためか、あるいは他者のことに無関心な人が多いためか、700Cの自転車を持ち上げて階段を上がったり、エレベーターに乗ったとしても文句を言われることがない。

ペットの飼育が禁止されているはずのマンションのエレベーターからプードル犬を抱えた老人が降りてきて、すれ違い様に悪路で汚れたシクロクロスバイクを抱えた私が乗り込んだところで、何もトラブルがない。

だが、23区の場合には浦安流のスタイルが通用するとは思えない。私は東京都内での生活が長かったので分かる。

新浦安にはピーキーでせっかちな住民が多いことは間違いないが、23区内の場合には「マジでヤバい」という住民が、まさに地雷のように点在していることがある。そのヤバさは新浦安の比ではないと思う。明らかにおかしいという人がいたりもするのだ。

なるほど、せっかくシクロクロスバイクをカスタムしたにも関わらず、愛着どころか乗る気さえ湧いてこないという気持ちは、近い将来に700Cのスポーツバイクに乗ることができなくなるということを潜在意識の中で感じていたからなのかもしれないな。やはり、これもまた奴隷の鎖のようなものだ。

...という、相変わらず長々とした自己問答の末にたどり着いた答えは、「浦安を脱出したという前提でサイクリングという趣味の形を変える」ということだった。

生きるためのモチベーションが足りなくなってきている現在の私の状態は深刻だ。このままだと再び精神の井戸の底に墜ちる。

その場合には、職業人として完全に終わってしまうだけでなく、家庭の経済的な損失も免れない。

趣味の形を変えるなんて、死という人生の最終地点までの期間を考えた場合には大変なことではない。

そもそも、五十路になると人生の残り時間が少ない。仕事だって家庭だって、思い通りに行かない割に責任ばかりが背中に乗ってくる。趣味くらいは自由に楽しみたいものだ。

また、今さら新しい趣味を見つけようとしたところで見つかるとも思えない。男の趣味としては、釣り、料理、カメラ、ジョギング、読書、オンラインゲーム、パチンコ、風俗など色々とあったりもするが、自分にとっては魅力を感じない。

自転車という趣味をより楽しむためには、今の状態を変える必要がある。だとすれば善は急げだな。

ということで、部屋の中にある700Cのスポーツバイクに関連したものをメルカリで売り払うことにした。カスタムを施したシクロクロスバイクを分解している時には我ながら狂気を感じたが、それくらいのことをしないと、この精神の井戸から這い上がることは難しい。

それとも、残りの人生を浦安で耐え続け、今まで通りにシクロクロスバイクに乗って谷津道を走るのか?

そんなことをしていて、井戸の底まで精神が墜ちたら、サイクリングだなんだと言っている場合でもなくなるだろ、自転車の乗り換えなんて安いものだと自分に問いかけた。

最近ではコロナの影響で自転車用品が品薄になっているので、中古品でもそれなりの値が付くことだろう。すでにシマノのロード用品はリア12速の時代に入っている。手持ちのパーツは11速用のものばかりだ。売り払うのなら今だ。

我が家は妻が決めた「2台ルール」という自転車の室内保管の決まりがあり、スピンバイクが自転車に含まれる。そのため、屋外を走るための自転車については1台の保管しか認められない。

ただし、自転車を乗り換えることについて、妻から指摘を受けたことは一度もない。その点では、夫に関心がない...いや、夫の趣味に寛容な妻はありがたい。

メルカリで自転車用品を売り払ったので、次に乗る自転車を早速オーダーした。

よし、ようやく生き続けるための気持ちの灯火が光を発し始めた。

一年の最後の録が、新しい自転車を買う話かよと情けなく感じるが、来年も生きようという気持ちが高まった。やはり自転車という趣味は素晴らしいと思う。