ウトメのアポなし凸 リターンズ
すると、案の定、これ以上の高音になると超音波に達するくらいの甲高い大声が部屋に響いた。加えて、いつも酔っ払っているように抑揚がない太い声も聞こえた。浦安に住んでいる妻の両親が、世帯主である私に何の連絡もなしに家の中に入ってきた。この街に住んでいて、私が最も嫌悪するイベントだ。
そうか、朝方に見た親戚付き合いでのトラブルの夢は、この前兆を察したと言うことか。
このように配偶者の父母が事前の連絡なしに自宅にやってくることは、ネットスラングで「ウトメのアポなし凸」と呼ばれている。
「凸」とは、その響きの通りに「突撃」を意味する。
「ウトメ」とは、「ウト」と「トメ」を組み合わせたものだ。「ウト」とは「舅」で、「トメ」とは姑。「舅」は「配偶者の父親」で、「姑」とは「配偶者の母親」のこと。
そもそも、義実家との間が良好な場合には、ウトメなんて言葉は使わないことだろう。
義実家との関係に悩み苦しんでいる人たちとしては、義父とか義母、もしくはお義父さんとかお義母さんといった言葉なんて使いたくもなく、怒りを込めて「ウトメ」の三文字で表現するわけだ。
ウトメに対して、「コトメ」というネットスラングがあるが、これは「小姑」、つまり配偶者の姉妹のことを意味している。ウトメは我慢していれば寿命が来ていなくなるが、コトメはずっといる。
しかも、私の義妹のように独身のまま実家の子供部屋に住み続けているようなコトメの場合には、義実家の主のように態度が大きくなり、遠慮がない。しかも、このコトメはドラマに登場するようなコトメであり、癇癪持ちで我が強い上に言葉遣いが荒く、さらに強烈な自己愛を放つ。まともな会話が成立しないし、結婚相手が見つからない理由も分かる。
私が義実家に近づかない大きな理由のひとつが子供部屋おばさんの存在でもあるし、この人物が老いた時に我が子たちの大荷物になるのではないかと危惧している。コトメには自分の力と金で介護付有料老人ホームに入ってもらう。墓は用意しない。
一般論として、配偶者の実家が自分の家庭に対して鬱陶しい干渉や害のある要求を加えてきた場合に、配偶者がどっちつかず、あるいは義実家を擁護することは、夫婦関係において大きな禍根を残す。
かつての日本では、嫁入りした多くの女性たちが、義実家との関係に苦しみ、涙した。
しかし、現状では義実家との関係に苦しむのは女性だけではなくて、男性も苦しんでいる。「妻の実家の近くに住む」というキーワードでネット検索すると、「離婚」というキーワードが提示される理由も分かる。
私も義実家のストレスおよび義実家の味方になる妻に対して何度も憤り、何度も離婚を考えた。ウトメやコトメがアレな場合のストレスはとてつもなく大きい。
もちろんだが、ウトメとのトラブルに際した配偶者への憤りや恨みは、ウトメが鬼籍に入った後でも続く。子供が成人した際の離婚の原因にもなりうる。
子供部屋おばさんと化したコトメに至っては、私だけでなく子供たちや配偶者たちにとっても大きなストレスになる。
おい、ウトメ。お前たちが生きている間はコトメに子供部屋を用意することができる。しかし、その先はどうするのか。まさか我が家に背負わせるなんて考えていないよな?
あまり幸福なアウトカムに至らない人たちと親戚になったものだ。
現時点をもって、私は義実家に新年の挨拶をしないことに決めた。当然だが、顔も合わせない。昨年の正月も顔を合わせていないので、おそらく2年くらいは会っていないし、会いたくもない。
私は何度も妻に言ったはずだ。ドアを開けて義父母がいきなり私の家の中に入るのではなくて、事前に私に相談してくれと。何の連絡もなしに、いきなり義父母がやってくるのは私にとってストレスなのだと。
しかし、妻は私からのお願いを聞き入れたことが一度もない。
最初は何を考えているのかと私は憤慨したが、どうやら妻の頭の中に義母から刷り込まれた価値観があるらしい。また、義母も妻も互いに精神が共依存しており、私への配慮は優先されない。
妻の思考は、私と世帯を持った今でも実家優先であり、まるで鎖に繋がれているようだ。気持ちが悪い。
義母と妻が共依存の関係にあるが、義母は、自分の母親、つまり私にとっての義祖母に精神的に依存していた。
義祖母はとても落ち着いていて素晴らしい人物だった。会話も楽しかった。
義祖母が地方から訪れた時には、義母がいつものように浅はかな軽口をたたくと、それは間違いだと義祖母が叱っていた。
妻の話では、子供の頃の義母は癇癪持ちでパーソナリティに問題があり、義祖母が躾として義母の言動を矯正したそうだ。
矯正してもこの状態なのか。義祖母が亡くなった後、義父も義母も糸が切れた凧のように落ち着きがなくなった。
結束が強い家族ほど、そのメンバーが減った時には脆い。お互いに依存しているので、ひとりで生きることを恐れる。これから義父や義母が世を去るステージだ。現実をもって自分の考えを検証する時が来る。
それにしても、私が明らかに嫌がっていることを、ウトメは察することができないのだろうか。普通に考えて、「ああ、娘が住んでいるとはいえ、いきなり訪問したらご主人に迷惑かな」と夫婦で話さないのだろうか。
まるで自分の家のようにウトやトメが靴を脱いで、夫婦共働きで散らかっている家の中に上がり込んでくる。しかも、掃除をやっているのは私だ。
それ以上に不愉快なのは、ウトメが凸してくることを妻が私に伝えないことだ。もはやパーソナリティにおいて問題があるとしか思えない。
妻を含めた義実家のLINEグループという、私にとって不快極まりないシステムがあり、我が家で何かがあると速やかに妻を通じてウトメやコトメとの間で情報共有がなされる。
私は、このようなやり取りがとても不快で、そもそも妻は自分の家庭を築くという意思がないと考えている。
この自宅は私が住宅費や光熱費、食費などを支払っており、義実家からの経済的支援なんて全く受けていないけれど、妻としては義実家の別館のような感覚なのだろう。
私がバーンアウトを起こして感情を失った2015年から2016年にかけて、ウトメのアポなし凸は異常な頻度だった。
週末になると、私が全く頼んでもいないのに産地直送の大きな魚を通販で買い、それを発泡スチロールの箱に入れた状態でウトメが突撃してきた。
釣ったばかりの魚は確かに新鮮だが、魚に取り付いた寄生虫も新鮮だ。プロが捌いた魚なら危険が少ないだろうけれど、妻が包丁で捌いて刺身で食べるなんて危険過ぎる。
刺身を食べたければスーパーに行くから、突然、ウトメが凸してくるのだけは勘弁してくれと私は妻にお願いしたのだが、それでは妻の立場がないと拒否してきた。
この魚介類に限らず、ウトメが食材を我が家に持ち込んでくる場合、その分の代金を妻がウトメに支払っている。
その金は、私が妻に渡している食費の一部だ。つまり、買いたくもない押し売り商品に対して、私の金が使われている。
妻の異様な価値観を実感したのはその時だった。まるで宗教のように実家の指示に従い、私という配偶者の意見を跳ね除けてしまう。
結婚して所帯を構えた後でさえ父母を優先する実家依存というケースだ。
まさか自分の妻が...と衝撃と落胆を覚えた。
すでにストレスで体調を崩し、睡眠障害まで起きていた私が休日に寝込んでいても、いつもの甲高い大声を上げながらトメが自宅に上がり込んできた。なぜにウトやコトメまで上がり込んで来るのか。
この歳で街中を家族全員で行動することは理解し難い。共依存の恐怖だ。
それにしても、この人たちはハイテンションで大声を出さないと死んでしまうのか。うるさくて仕方がない。「うるさいよ!出ていけ!」と私が怒鳴りたくなったことが何度もあった。
ウトメたちが私の自宅に上がり込んでくる場合、その要件は大して重要でもない。
結局のところ、私の家庭の様子見や監視が目的だ。実家に戻った後は、我が家の詮索ネタで上から目線でとやかく言うのだろう。
ああ、本当に鬱陶しい! この鬱陶しさは凄まじいストレスだ。浦安になんて住むんじゃなかった。
その後も、ウトメやコトメの凸を止めてくれと妻にお願いしても聞き入れない。実家依存は病気だと考えても矛盾はなく、お願いしたところで改善されるはずもない。
だったら実家に戻ると妻が激昂し、ああそうかいと離婚した夫が養育費を払わず、子供たちが経済的に困窮するパターンなんて珍しくない。
私は実家依存や子供世帯への過干渉は悪だと考えている。子離れできない祖父母の世代や、親離れできない親の世代なんて、気持ち悪くて仕方がない。それは家庭の形成が偏ってしまった結果だ。
予想以上に共依存した家庭の娘と結婚してしまったというショックが、私の精神をさらに追い詰めていった。
私にとってウトメとの関係が最悪になったきっかけは、コロナ禍がやってくる少し前のことだった。
妻が突然、我が家も資産運用をすべきだと狂ったように主張し始めた。とりわけ、「外貨建て債券を購入すべきだ」と、わざわざパンフレットまで用意していた。
それと、何のことか私には分からないが、保険に入ることで資産運用をするというシステムもあるそうで、それについては私の名前が入った契約申込書まで用意されていた。
その時には、さすがに私はウトメに対して激怒し、妻との離婚を考えた。
妻は気が付かないのだろうか。こんなに分かりやすい馬鹿話があるだろうか。なぜなら、ウトは証券会社の社員だったわけで、トメは保険の外交員だった。妻の後ろで糸を引いている人たちについて、私が気付かないはずがない。
なぜに私が身を削りながら地道に貯めた金について、ウトメの干渉を受けねばならんのだ。
金については、親や兄弟といった関係でも信用してはならない。義実家なんてハイリスクの典型じゃないか。それによって自己破産した人なんてたくさんいる。
そもそも、妻の貯金だって、私が住居費や生活費を出しているから余裕があるだけの話だ。共働きなのだから、妻だって家庭について金を出すべきなんだ。
ウトメがその金に目を付けるなんて、この一家は異常だと思った。
しかし、「この資産運用について考えたの、あなたの実家でしょ?」という私からの問いに対して、妻は頑なに否定し、自分が考えたことだと言い張った。
そんなはずがない。妻は資産運用なんてことを考えるタイプの人間ではない。誰かが入れ知恵をしている。分からないはずがない。
「ああ、そう。自分で稼いだ金で趣味として投資するのは構わないけど、家族の貯金を溶かしたら離婚する。それくらいの覚悟でやれば」と、私は子供たちの前で言った。
素人が資産運用で儲けが出るほど、世の中は甘くない。このような儲け話に乗るような母親に対して父親が怒ったことを、子供たちに見せておくべきだと思った。
私がウトメに直接抗議すると言ったところで、この件は私の耳に入らなくなった。実際はどうなのか分からない。
そして、コロナ禍がやってきた。
妻が主張していた外貨建て債券は、大幅に下落した。ザマはない。
金については親兄弟でも信用してはならない。金は人を狂わせる。
あの時に私が資産運用について賛成していたら、間違いなく大損害を被っていた。
わざわざ我が家の資産運用について口を出してきた過干渉な人たちにおいても、株価が下落して資産を減らしたことだろう。
金とは自ら汗を流して稼ぐものだという私の考えは絶対に曲げない。楽をして稼ぐことを覚えてしまうと、仕事という取り組みを軽んじてしまうと私は考えている。
このような経緯があり、私はウトメと顔を合わせることを拒否するようになった。
私が危険性を察して未遂に終わったけれど、金に絡んだトラブルを生じうるような人たちとは距離を置いた方がいい。
そのような人たちと配偶者が共依存になってしまっていることは救いようのない悩みではあるけれど。
ウトメは金に対する執着が凄まじい。娘家族に対して口は出すけれど、金は出さないというウトメが最も嫌われることが分かっていないのだろうか。
せっかくの休日なのに、ウトメによるアポなし凸によって気分を大きく害した。
一言でも事前に妻が私に伝えてくれればアポなしにはならなかったが、チャイムがなってからの数秒間でウトメの凸を知らされても、対応のしようがない。
このケースにおいて夫婦の立場が逆だったなら、つまり、夫が意図的に妻に全く知らせることなく、いきなり夫の両親が家の中に上がり込んできたら大迷惑でしかない。
それと同じことをやっているのに、無神経だと言わざるをえない。
私は自室のドアを閉め、モルデックスの耳栓を詰めた後、その上からイヤーマフを装着して音を遮り、目を閉じ、とにかく時間が過ぎることだけを待ち続けた。
ウトメが立ち去り、微妙に義実家の臭いが家中に広がっている。義実家は犬を飼っているので強い臭い消しを使っている。あの臭いだ。
感覚過敏に苦しんでいる私は、もちろんだが嗅覚も過敏なので、そのような臭いも察する。
理由もなく、妻の実家を否定しているわけではない。浦安に住むことになって職業人生が傾いたきっかけにおいても義実家との関係があった。
その後も、度重なるウトメの過干渉によって、私は常にストレスを抱えてきた。その辛い気持ちを妻が理解しようとせず、ウトメの味方になっているように煮え切らない態度を取る度に、自分の家庭という存在が砂のように崩れていく気がする。
結婚した以上は、精神的にも実家ではなく夫を優先すると覚悟してくれた妻であれば、生涯にわたって信頼して連れ添うだろうけれど、いつまでも義実家の顔色を伺うような妻を信用することができるだろうか。
もちろんだが、妻の実家の近くに住み、経済的なサポートも含めて幸せに暮らしている夫だって、この街にはたくさん住んでいる。実際にそのような父親たちから話を聞いたのだから間違いない。
口を出すなら、金も出してくれと私は言いたい。口だけ出すのなら必要ないので、私の自宅に入らないでくれと言いたい。
以前はそのような不満を妻に告げ、妻が反論して怒り、口論に発展していた。
今は違う。もはや修正は不可能だ。
バケツを持って子供たちの上履きを洗おうとしていた時までは、とても穏やかに夫婦で会話していたのに、ウトメの凸があったので、私は最低限のコミュニケーションを除いて妻との会話を拒否することにした。
しかし、子供たちが成人するまでは夫婦として連れ添うことに決めたので、とにかくこの怒りを静めねばならない。
そういえば、自転車の空気入れが劣化して壊れかけていた。その他にも細々とした自転車の消耗品が足りなくなっている。
自室に閉じこもったまま、それらをネットで注文し、ウトメの凸については意識から可能な限り消すことにした。あの人たちは私に対してストレスをかけていることに気付いていない。
本来ならば、妻がウトメに対してそのことを伝える必要がある。私が嫌がっていると。
しかし、伝えない。
妻の癇癪持ちな性格や自己肯定の強さについては、私は夫として受け入れる必要がある。結婚前にそのような性質に気付いてはいなかったけれど、それらを含めて婚姻関係が成立している。
だが、私は妻の実家に婿入りしたわけではないし、ウトメは妻の両親というだけの話で、私にとっては他人という感覚が大きい。
しかも、ウトが身体を壊して死にかけた時、私はウトの命を助けたはずだ。私がいなかったら、ずっと以前にウトは墓の下だ。
義実家にしても、妻にしても、相応の恩がある存在である私に対して、あまりに配慮が欠けていないだろうか。
もらえるメリットはもらったから、その後は知らないということか。
来年の正月も、義実家への挨拶を拒否することにした。
妻と子供たちが近距離の帰省をすればいい。私はウトメやコトメに会いたくないし、年明け早々から不快な気分になる必要はない。
しかも、断酒しているので素面のまま義実家に向かうことになり、アルコールで脳に麻酔をかけることができず、ストレス直撃で正月休みにずっと寝込む可能性がある。
まあいいや。このような悩みは結婚したからこそ始まったことで、その結婚について判断したのは私自身だ。
妻の実家に挨拶に行って何だか違うと感じた時点で引き返しておけば、このような苦しみもなかったわけだけれど、実家と結婚するわけではないし、ここまで来たら男気で進むしかないだろうと思った。
結果として、この状態になった。
一触即発の微妙なテンションを張り続けながら義実家との関係が続くことが憂鬱だが、ここまで来たらウトメの元気がなくなるまでテンションを張り続けることにした。
妻が夫の味方ではなくて実家の味方といった話はネットではよく見かけるが、まさか自分がそのような状況になるとは。
このようなウトメの凸がある度に、私は完全にアウェイな状態で種と金を提供しながら生き続けていることを実感する。
これが幸せな生活なのだろうか。