2021/12/03

社会が変化しても変わらないブロンプトンの魅力

すでにフレームに組み込んだパーツを含めて、フラットバー用のブレーキレバー2セット、スプロケット5セット、チェーン4セット、手組ホイール2セットと鉄下駄完組ホイール1セット、フラットバーシフター2セット、チェーンリング2セット、ブレーキシュー3セット。

2021年、つまり今年の夏頃にロードバイクを処分して、フラットバー仕様のシクロクロスバイクを自分で組み上げた。すでにフラットバー仕様にカスタムしていたロードバイクから多くのパーツを流用することができたが、スペアパーツの確保において金がかかった。


2020年に入ってコロナの影響でサイクル用品の在庫が品薄になり始めた時、嫌な予感がした。

コロナ禍の前はパーツが消耗するまで使い、そろそろ交換が必要だなと感じればそれらをネットで注文し、すぐに配達されるという日々だった。

しかし、神経質で心配性の私は、これからもパーツの多くが品薄になり、欠品したまま供給がなされない状況がやってくるのではないかと思った。

様々なストレスを蓄積させる性質がある私の場合、自転車は心身の健康の維持のために必要だ。それは趣味が大切だと言っているレベルではなくて、生きるために自転車が必要と言っても大袈裟ではない。

ということで、妻からは「すぐに反応して買い込むんだから」と呆れられながらも、これから3年間くらいは主要なサイクルパーツの供給が滞ってもサイクリングを続けることができるように、コツコツとロードバイクのためのスペアパーツをネットで探して手に入れてきた。

その過程でどんよりと感じたことがある。私個人というレベルでは、純粋にロードバイクという趣味を楽しむ日々は終わったのではないかと。

医療が逼迫した状態で落車して入院すると大変なことになると思ったし、ロードバイクに金をかけるだけの価値があるのだろうかとも思った。そもそもロードバイクで疾走することに何の意義があるのだろうかと。

結局のところ、趣味というものは楽しいから続けているわけで、それが楽しくなくなれば続ける必要はない。

しばらくすると、ピチピチのタイトなウェアを着て、ドロップハンドルの自転車に乗って疾走するオッサンを見かけるだけで不快に感じるようになった。

本人たちは自分たちの走り方が格好良いと思っているのかもしれないが、車道を走っている自動車のドライバーや河川敷の遊歩道を散策している歩行者から見れば迷惑な人たちでしかない。自己愛が強くて乱暴なロードバイク乗りはとても多い。

さらに、デュラだとかアルテだとか、ディスクブレーキだとかカーボンだとか、もはやそのようなテーマに何の価値観も見出せなくなった。

例えば、千葉市の幕張の海辺に行くとウインドサーフィンを楽しんでいる多くの人たちを見かける。どの人のテクニックが上手で、どの人の機材がハイスペックなのかなんて、私を含めた知らない人たちからすれば何の関心もない。

しかし、ウインドサーファーたちが楽しそうに海の上を滑っている姿を見ると素敵だなと感じる。趣味というのは本人が楽しければそれで良くて、自分の思考の中に方眼紙のようなものを広げる必要はないわけだ。

ということで、2021年に入ってからロードバイクを廃棄し、自分なりに楽しめるスポーツ自転車を自分で組み上げて乗ることにした。

悪い予感は現実のものとなり、ペダルやシフター、クランク、ブレーキ本体でさえ長期欠品という事態になっている。シマノを始めとしたサイクルメーカーが提示した納期は大幅に遅延し、数ヶ月後として再提示された納期でさえ遅延し、さらには納期は1年後もしくは未定という提示も多くなった。

タイヤについてはコンチネンタルの四季タイヤの28Cが2セットあるが、32Cは現在使っているセットのみ。

気がつくと23C以外は欠品になり納期未定。コンチの四季タイヤの日本への輸入は2020年頃にはすでに停止しており、供給がないまま国内在庫だけで対応していたということか。

現時点で車体に取り付けているコンチの32Cのタイヤが摩耗して使えなくなったら、IRCやパナソニックのタイヤを使うしかないわけだが、それでもタイヤが手に入るだけでもありがたいことだ。

IRCやパナソニックは日本と中国に生産拠点があったと記憶している。中国の立ち直りの早さは凄まじいものがある。

自転車需要が高まった上に電子部品の調達が難しいという理由で、キャットアイの定番のフロントライトが手に入らなくなった。そのような未来がやってくるとは予想もしていなかった。

他方、キャットアイが電子部品の不足でVOLTを生産することができないという話だが、中華製のフロントライトは豊富に在庫があるようだ。品質はともかく世界の工場と呼ばれる中国の馬力はダテではないし、品質が良くなれば日本は全く太刀打ちできないと思う。

自転車用品に限らず、工業製品の供給においては、①原材料を調達し、②部品を準備し、③製品を製造し、④輸送し、⑤販売し、⑥最終的に消費者に製品が届くという流れがある。

この一連の流れは「サプライチェーン」あるいは「供給連鎖」と呼ばれている。2020年頃のサイクル用品の品薄は、コロナの感染拡大による③が滞り、⑤が増えたということが主な原因だったと思う。

しかしながら、現在では①から⑥までが全体的に滞っている。とりわけ、①と②は2021年に入ってからさらに深刻化したように思える。当然ながら平時よりも生産コストが増え、製品の長期欠品だけでなく値上げという形で消費者に影響が及ぶ。

また、日本国内の場合、サイクル用品に限らず様々な製品もしくはサービスにおいて値上げが始まっている。

それらと連動して消費者の収入が増えれば問題ないわけだが、収入が増えるどころか減るという悪循環に陥っており、国家レベルの財政出動で切り抜けられるような課題でもないように感じる。これから先も経済が停滞するのかと思うと気が重い。

せめて趣味の世界くらいは暗いことを忘れたいと思っていたのだが。

現在、スポーツ自転車のフレームを販売しているメーカーはたくさんあるが、自転車パーツの供給についてはシマノに大きく依存している。

製品のレパートリーが多様化するとサプライチェーンも複雑になる。しかも、シマノの場合には新製品の開発と旧製品のフォローを併行して進めているので、対応する必要のある内容が多いことだろう。

このような状況でシマノ製品が足りなくなると、自転車の完成車が手に入らなくなる。コロナ禍でそのリスクが現実のものとなった。

それにしても、安全に直結するディスクブレーキのパッドが長期にわたって欠品しているにも関わらず、新型のコンポーネントを販売し始めたシマノの方針には、そんな場合ではないだろ的な印象がある。

全てのサイクリストがレース志向ではないし、最新鋭のパーツが欲しいと考えているわけでもない。シマノには、ファンライドを楽しむ人たちに対して寄り添う気持ちがあるのだろうか。

シマノだけでなく、カンパニョーロやスラム、日本のヨシガイなど、いくつかのメーカーが切磋琢磨している、あるいはニッチを分けて生産しているという状態が、サイクルパーツの供給という点では健全だと思った。

工業製品の供給の遅延については、来年の2022年どころか2023年まで続くことが予想される。その間にスポーツ自転車という趣味をやめてしまう人が多くなるかもしれないし、規模の小さな自転車店の閉店が相次ぐかもしれない。

加えて、自転車用品を含めた様々な製品の供給が回復してきたとしても、上昇した価格が元に戻ることはないのだろう。日本国内の個人消費はさらに冷え込むはずだ。

色々と暗くも腹立たしい思考を展開しながら、「まあ、こんなものだろう」と一通りのスペアパーツを確認し、縦型のラックに収納している愛車を眺めていて気が付いた。

私の頭の中に「サドルのスペア」という概念がない。

丈夫で乗り味が良いという話を信じてブルックスのカンビウム・オールウェザーという名前のサドルを取り付けたのだが、実際に丈夫で乗り味が良い。

ブルックスの革製のサドルはメンテナンスが必要だが、オールウェザーは革ではなくて硬質樹脂なのでメンテナンスフリーだ。

クッションなんて何もないカチカチのサドル、しかもレールはクロモリ製でとても重い。レースとは無縁なくらいにクラシックな形状とスペック。しかし、乗った人だけが分かるブルックスのサドルの良さというものがある。

これだけタフなサドルが壊れて使えないという状況は予想することができないし、落車で壊れたとすれば、おそらく私自身が大変なことになっているはずだ。

そういえば、このコロナ禍においてもブルックスのサドルが欠品しているという話を聞いたことがない。

丈夫なので交換の頻度が少ないということもあるだろうし、クラシックなスタイルなので需要が大きく変動することもないことだろう。

また、ヨーロッパのサイクルレースで使用されるシマノ製品のように極限までの性能を要求されることも、頻繁にモデルチェンジを行う必要もないはずだ。

ブルックスのサドルは昔ながらの伝統を守っているわけだが、古さの中にダサさを感じない。いかにも英国風というか、変わらないことの良さがある。

さらに、国産かつ製品のレパートリーが限られているだけにサプライチェーンはシンプルだ。コロナ禍のような世界規模の社会の混乱においても小回りが利く。

「もしかして...」と思い、同じイギリスのメーカーであるブロンプトンの日本での在庫を確認してみた。案の定、これだけスポーツ自転車の完成車が欠品している現在であっても、ブロンプトンの在庫があるサイクルショップが認められる。

ブロンプトンの折り畳み自転車のパーツはシマノに依存しておらず、大部分のパーツを自社で設計して生産していると私は理解している。つまり、他の自転車メーカーのようにシマノ製品の多くが長期に欠品していても、ブロンプトンにほ影響がないということか。

このメーカーの自転車にはいくつかの種類はあるけれど、基本的な設計は1980年代から40年近く変わっていない。シマノのように頻繁にモデルチェンジを繰り返すことで、ユーザーが自転車の部品を買い替える必要もない。

また、ブロンプトンはシティサイクルとスポーツ自転車の中間のような存在なので、ガチ乗りする必要はなく、思った時に気軽にサイクリングを楽しむことができる。

スポーツ自転車の場合には、「よし、乗るぞ」という気持ちになるまでハードルがあるのだが、ブロンプトンの場合にはママチャリに乗るくらいの気持ちのトランジションで済むのかもしれない。

このように緩い感じのスタイルは、コロナ禍でピリピリとした霧のようなストレスが降り注いでいる現在において、明るく輝いて見える。

そうか、最近、ブロンプトンに乗っている人を見かけることが多くなったのは、それなりの理由があるということか。

浦安の場合、元町にブロンプトンの専門店があるので、その気になれば明日にでも見に行って、ブロンプトンを購入して帰ってくることができたりもする。

しかし、残念ながらブロンプトンで谷津道を走る気になれない。現在乗っているシクロクロスバイクは悪路を走るための自転車なので、谷津道の路面が荒れていても気楽に突っ込むことができる。ミニベロで同じことをやると前転宙返りになるかもしれない。

また、谷津道にアプローチするためには自動車が行き交う一般道を走る必要がある。あの小さな車体の自転車で車道を走っていたら、ワンボックスやミニバン、トラックなどから幅寄せを食らうかもしれない。

だが、ブロンプトンの場合には輪行によって混み合った一般道をショートカットすることができる。また、車道を走ることにこだわる必要はなくて、自転車通行が許可されている歩道を通行しても恥ずかしくない。

夜間のライドについてはどうなのか。以前、ダホンのミニベロで夜の道を走ったことがあるのだが、昼間と比べて路面の起伏を見分けることが難しく、そのままタイヤを乗り上げてバランスを崩したことがある。

そういえば、当時のダホンはスピードを上げるために細いタイヤを取り付けていたように記憶している。ブロンプトンのタイヤはもっと太い。フレームの形状によっても乗り味が違うだろうし、乗ってみないと分からないな。

私の街乗り用の自転車としてブロンプトンが適しているのかというと、すでに折り畳み式ではないミニベロのシティサイクルを気に入って使っている。

買物に出かけてブロンプトンを屋外の駐輪場に放置することは盗難が心配だ。現在使っているミニベロのシティサイクルは気兼ねがない。

なるほど、ブロンプトンを手に入れたいという気持ちはあるのだが、現在の私のサイクルライフにおいてあまりマッチしていない。

しかしながら、近い将来に念願が叶って浦安を脱出し、東京の23区に引っ越した場合にはどうだろう。

住宅が狭いので現在のシクロクロスバイクを室内で保管することや、スペアのホイールを並べることさえ難しくなるかもしれない。ブロンプトンならば全く問題がないはずだ。

では、ブロンプトンで谷津道を走ることができるかどうか。私にとっての谷津道のサイクリングは、体力増進だけでなく精神的なストレスを軽減させるという意義がある。

よくよく考えてみると私が苦しんでいるストレスは、地獄のような長時間の電車通勤、および人口密度が高くてせっかちな人が多くディズニーと義実家がある埋め立て地での生活だ。つまり、都内に引っ越せばそれらのストレス自体が大きく減る。

それでも、私は谷津道に行きたくなるはずだ。谷津道のサイクリングに親しんでしまうと、一般道や河川敷を積極的に走る気になれない。

ブロンプトンで谷津道を走ることができれば、サイクリングに輪行を組み合わせることができる。夜間のライドと同様に、実際に谷津道を走ってみないと分からないな。

残るテーマとしては、繰り返しの思考になるが自転車通勤の際に夜間の一般道をブロンプトンでどうやって走るのかという話だな。

都内に引っ越せば職場が近い。かつて浦安と都内を往復し、葛西橋通りを突っ走って荒川を越えていた頃のようなタフな状況ではないだろうし、危ないと思えば通行が可能な歩道に乗り上げることで車道を走る必要がなくなるかもしれない。

だが、かつてミニベロで都内まで通勤したことがある私自身の経験論だが、夜の車道をブロンプトンで走っていたら、タクシーやミニバンから幅寄せや煽りを食らうことがあると思う。

夜間に自動車から煽られないためのコツとしては、交通法規を守り、ハンドサインによってドライバーに挨拶したり、交差点での直進や左折といった自分の進行方向を伝えること。

ただし、相手が自転車乗りであっても、挑発したら逆に追いかけてきて、警察を呼んだりサイドミラーをへし折りにくるような雰囲気を醸し出すことも大切だったりする。礼儀正しいけれど、切れると怖いぞ的な。

このような雰囲気を出すためには、700Cで太いタイヤを履いたシクロクロスはとても便利だ。車体自体に迫力がある。走行時の安定感もあるので、自動車からあまりに酷い幅寄せを受けた時には、片手でドアや窓ガラスをノックして、そこから丁寧に挨拶するとドライバーが温和しくなる。

ところが、ブロンプトンに乗って車道を走っている場合、ハンドルがクイックなので頻繁にハンドサインを出している余裕はないだろうし、乗っている際の見た目には迫力がない。

ドライバーから見れば、「チッ、歩道を走れよ、邪魔なんだよ!」という気持ちになるかもしれないし、いざ幅寄せを食らって私が怒っても、16インチのブロンプトンでは全く迫力がない。

自動車のドライバーたちとしては、「ブロンプトン乗りを怒らせると、10秒くらいで車体を折り畳み、それをフロントガラスに投げ込むことで攻撃してくるかもしれない」というようなイメージを持つことはないだろう。

まあとにかく、東京への引っ越しまでには時間がある。現時点で急いで行動する必要はない。

自分好みのカスタムを施してようやく完成したフラットバーシクロクロスは最高に乗りやすい。谷津道サイクリングも最高に楽しい。

今はただ、それらを楽しもう。趣味とは楽しむためのものだ。

都内に引っ越した後のサイクルライフについては、引っ越す時に考えればいい。

どう考えてもブロンプトンが世の中からなくなるとは思えないし、シマノ製品や他のサイクルメーカーのように大幅な仕様の変更や販売の終了があるとも思えない。

子供たちが巣立って年老いた後にブロンプトンを手に入れたとしても、基本設計はあまり変わっていないはずだ。

その時にはスポーツバイクに乗っているような体力が残っていなくて、少し離れた公園に行ったり、パン屋に通うくらいの状態になっているかもしれないが。

自分自身が抗うこともできずに社会も生き方も変化し続け、焦ったり疲れることが多い毎日だ。

そのような移り変わりの中においても変化しない存在があると安心する。ブロンプトンという自転車もそのひとつだな。