図面を描いてアルミの削り出しパーツを注文
復刻版の鉄製のフレームは時代遅れの旧式仕様なので、カンチブレーキを取り付けて使用するように設計されている。ディスクブレーキ全盛のご時世にカンチブレーキ。若いサイクリストたちにとっては化石のような存在だ。「カンチ」という単語を耳にして、かつて流行った恋愛ドラマを思い出す世代に定年退職が近づいてきたのだから、時の流れは速い。あの時代は良かったが、そのカンチではない。
カンチブレーキは主にオフロード用の自転車において使用された過去があり、太いタイヤを使用することができて泥が詰まりにくいというメリットと、ブレーキの効きが悪いというデメリットがある。
そこで登場したのがVブレーキであり、ホイールのリムを挟むことでブレーキをかけるという仕組みのリムブレーキにおいては現在でも最強の制動力を有している。
しかしながら、ホイールが泥だらけになることもあるオフロード用の自転車においてVブレーキを使っていると、リムに砂や泥が挟まって制動力が落ち、さらにリム自体が削られて劣化するという欠点があった。
その後に登場したのがディスクブレーキだ。現在では本格的なマウンテンバイクやシクロクロスバイクにおいてディスクブレーキが標準仕様となり、その波がオンロード用の自転車に波及している。
また、Vブレーキが完全な「オワコン」になってしまったのかというと、確かにレースシーンでは使われなくなった。
しかしながら、このブレーキは構造が単純でパーツが少なく、ワイヤーの調整が容易であり、しかもそれなりの耐久性があるというメリットがあるので、今でも低価格なクロスバイク、あるいは折り畳み式のスポーツバイクにおいては標準仕様になっていたりもする。
そういえば、ディスクブレーキ仕様のスポーツ自転車で大陸縦断のようなツーリングに出かけて、途中でディスクブレーキが故障してしまい、修理工場で即席の台座を溶接してもらってVブレーキを取り付け、その場を乗り切ったという話を耳にしたことがある。Vブレーキが単純な構造だからこそ可能だったのだろう。
とはいえ、オフロードもオンロードもディスクブレーキ仕様のカーボンフレームが全盛のご時世において、どうして私がリムブレーキ仕様のクロモリフレームを好んでいるのかというと、古いからこその趣や味わいを感じるから。
また、普段から最先端のテクノロジーに囲まれていたりすると、その状況が息苦しく感じることがある。
プライベートな趣味の時間は昔ながらの道具を使ってのんびりと過ごしたい。
河川敷や市街地のサイクリングではなく、自然がある谷津道を好んで走るようになってから、自分が理想とする自転車のイメージが浮かぶようになった。
ロードバイクではなく、クロスバイクでもなく、グラベルロードでもなく、マウンテンバイクでもない。呼び方や販売時のカテゴリーなんてどうでもいい。
ほら...こう...クロモリ製のホリゾンタルフレームに太めのタイヤを履かせて、フラットバーで取り回しが便利で、舗装路でも未舗装路でも走ることができ、全体的にタフな作りで、コンビニや店舗に気楽に立てかけることができそうなスポーツ自転車。
グラベルロードバイクのような太めのスローピングフレームではなくて、使い続けることで味が出る骨董品のようなテイストも欲しい。
そのようなスポーツ自転車が日本のどこかにあるはずだと画像検索をかけてみた。
すると、1970年代から1980年代にかけての日本で使われていた「パスハンター」というスポーツ自転車がそのスタイルに近いことが分かった。いや、イメージに近いどころか、まさしくそれだった。
パスハンターという自転車は、メーカーが既製品として完成車を販売するというよりも、当時に主流だったホリゾンタルのクロモリフレームをベースとして、ユーザーが自分好みのカスタムを施して使うオンオフ両用のオールロードバイクだったらしい。
一般道を延々と走ることに飽きてしまったサイクリストたちが、パスハンターに乗って舗装路や未舗装路を走り、ルートを開拓し、時には自転車を担いで障害物や小川を越えていたそうだ。
40年近く前に使われていたパスハンターの仕様がどのようなものだったのかを詳しく知ることは難しい。今でも現存するパスハンターの画像を参考にしながら、ホリゾンタルのクロモリフレームを手に入れてバラ完で組んでいくことにした。
それと、昔のパスハンターは素敵だなと思うのだが、あまりに忠実に再現するとオッサン臭く感じる。
たまに、ツーリング用のクロモリフレームにメッキでピカピカの泥除けや雨に弱い本革製のサドルを取り付けた自転車を見かけたりする。そのスタイルも趣味としては素敵だと思うけれど、私自身はそこまで老け込む必要はないように思える。
本気を出せばそれなりの走破性がある現代風のパスハンターがほしい。気むずかしくも贅沢な要求だということは分かっているので、自分で組み上げることにした。
このカスタムためのベースがパナソニックの復刻版のシクロクロスフレームだったというわけだ。シクロクロス自体を楽しもうという考えは全くないけれど、実際のレースで使用されていたのだからそれなりに走るだろうと思った。
そういえば、現在においても米国のとあるサイクルメーカーがパスハンターという名前を付けたツーリング自転車の完成車をリリースしている。
日本のサイクルメディアたちはメーカーに忖度して提灯記事を書かざるをえないのだろうが、おそらく分かっているはずだ。その製品はパスハンターではなくてランドナーだと。
パスハンターの多くはドロップハンドルではなくてフラットハンドルだ。また、いくらディスクブレーキが全盛といっても、クロモリフレームにディスクブレーキは似合わない。
さすが米国人だ。日本の漫画を間違った形で理解して、自信満々で実写化してしまうハリウッド映画のようだ。
ということで、過去の資料を手に入れて、自分なりにパスハンターを組み上げていくことにしたわけだが、昔のパスハンターを再現する上でネックとなったのが、当時は主流だったカンチブレーキだった。
ドライな条件でさえ効きの悪いカンチブレーキは、雨が降るとさらに効かなくなる。しかもワイヤーの取り回しが面倒に感じるし、横方向に張ったデザインが障害物に引っかかりそうで気になる。ツーリングの最中で両サイドのワイヤーが切れるようなことがあると心配だ。
カンチブレーキの台座にはVブレーキを取り付けることができるので、やはりここはVブレーキだなと思ったけれど、ノーマルアームのVブレーキでは趣がなくなってしまうように感じた。
台湾メーカーのテクトロの上位機種としてショートVブレーキが販売されているが、どうやら耐久性に難があるらしい。
すると、シマノがコンパクトタイプのVブレーキを販売していた。このブレーキのシルエットはカンチブレーキに似ている。よし、これだと思った。
サイクルパーツの在庫が枯渇しているコロナ禍において、せっせとネットを検索しながらコンパクトVブレーキを手に入れた。まるでロールプレイングゲームのようだ。
Vブレーキはフロント用とリア用に区別されているが、パッドの向きを変えることで前後を入れ替えることができる。リア用は納期未定だったが、フロント用の在庫が余っていたので大人買いしておいた。転売ヤーだと勘違いされたかもしれない。
そして、意気揚々とフレームにVブレーキを取り付けたのだが、ここで愕然とする出来事が起こった。
さすがシマノがリリースした新しいタイプのVブレーキだ。アームが短いとはいえ、XTやディオーレのようなマウンテンバイク用のVブレーキくらいの制動力がある。
このブレーキを復刻版の旧式クロモリフレームに取り付けると、強力な制動に対してリアのシートステーが耐えられず、ブレーキレバーを引くたびにフレームが歪んでしまう。
パナソニックとしては、そのようなフレームの剛性についてまで復刻する必要があったのだろうか。せめて現在のクロスバイクくらいの補強を施してほしかったところだ。
フロントについてはそれなりに剛性のあるクロモリフォークなので、Vブレーキによって歪むことはない。問題はリアだ。ブレーキングのたびに5mmどころかそれ以上も左右に広がってしまう。これではいつかフレーム歪んだまま変形したり、亀裂が入ってしまうかもしれない。
となると、昔に流行ったVブレーキ用のブースターを使ってみるか。しかし、フレームを補強するためのVブレーキブースターはすでに販売が終わり、オークションでさえ手に入れることが難しい。
シマノがかつて販売していたカーボン製のブレーキブースターはマウンテンバイク用だ。細身のクロモリフレームには似合わない。しかも、オークションで出回っている使い古しの中古品が、いつまで使い続けられるのかも分からない。
その他のブレーキブースターは、Vブレーキが汎用されていた時代においてもフレームと一緒に仲良く歪むアクセサリーと揶揄され、あまり使い物にならなかった。
現時点で使えそうだと思ったVブレーキブースターはトライアル自転車用のパーツだった。だが、メーカーに問い合わせてみると、シクロクロスフレームの場合にはシートステーの間隔が狭いのでトライアル用のブースターが使えないとのこと。
仕方がない。
既製品が手に入らないのであれば自分で作ろう。そこで、自分でブレーキブースターを設計して図面を描いてみた。最近ではフリーの製図ソフトが手に入るので便利だ。
その図面を職人に送り、A5052のアルミ素材を削り出してVブレーキブースターを製作してもらうことにした。
個人でオーダーする製作物は大量生産品と比べて何倍もの値が張るのだが、自分が設計したパーツは世界に流通していない。趣味の品としてはとても素晴らしい。スペアを含めて合計2つをオーダーしておいた。
出来上がったブレーキブースターをクロモリフレームに取り付けてみると、期待通りの効果が得られた。Vブレーキを引き込むと歪んでいた左右のシートステーが、ブースターによって補強されて全く歪まなくなった。
ブースターの重量としては100g程度。自分の腹回りの脂肪に比べたら微々たるものだ。
リアブレーキの制動についても体感するくらいの変化が認められた。
シマノのコンパクトVブレーキの場合、ブースターを装着しなくても効きが良かったのだが、その際にはレバーを引いてからタイヤがロックするまでの感覚が不安定だった。シートステーが撓りながら変形するので、ブレーキングのポイントを掴むことが難しかった。
他方、ブースターを取り付けるとブレーキ全体の剛性が高まるので、制動がとても安定するようになった。レバーを引いてどの程度でタイヤにロックがかかるのかを明確に把握することができる。
とはいえ、クロモリ製のフレームの場合、ロードバイクもシクロクロスバイクもジオメトリー以外は同じような感じなので、キャリパーブレーキに慣れている私にはVブレーキが効きすぎる感じがある。
タイヤのロックが気になったので、昔懐かしのパワーモジュレーターを装着してみたところ、全体としてR8000系のキャリパーブレーキのようなマイルドなフィーリングに仕上がった。これはいい。ブレーキングの度に心地良さが広がるなんておかしな話だが。
試走において問題ないことが分かったので、最終工程として削り出しのアルミパーツにアルマイト加工を施すことにした。
アルミの素地が丸出しだとパーツが目立ってしまうし、走る際に泥や砂、塩分などを浴びることになるので表面の保護が必要だ。
アルミ用の塗装スプレーでパーツを塗ってしまった方が安上がりなのだが、ここまで来たらアルマイトまでやってしまおうと思った。おそらく、このパーツはパナソニックのフレームを使い続ける限りは一生物になると思う。スプレー塗装だと塗り直しが面倒だ。
都合良く1個からでもアルマイト加工を行ってくれる業者が見つかった。しかし、驚く程に料金が高い。アルマイト加工だけでVブレーキがいくつも買えてしまう。
しばらく思案したのだが、ここまで来たら引き返したくないと思ったのでアルマイトで好みの色に変えてもらうことにした。
自転車という趣味は金がかかるのだが、コンポーネントやホイール、ウェアに金をかけるのではなくて、カスタムパーツに金をかけている。しかも、既製品ではなくて設計からのフルオーダー。
私は何をやってるんだと感じはするが、自分好みに組み上げたパスハンター風の自転車を眺めると、生きていることの辛さや疲れが緩和され、気分が前向きになる。
カスタムが終わった後に乗り続けることで、使い込んだ道具としての味わいが生まれるはずだ。
そこからは消耗品の交換くらいの話になるので、あまり金もかからないことだろう。
たぶん、Vブレーキ沼から出た途端に別の沼に落ちて泳ぐことになりそうだが。