子供たちからの心遣い
ジェネラリストとしては年内に仕事を片付けたいのだろうが、前線のスペシャリストとしては対応しうる範囲に限りがある。
そういった時、一般的には若い人や真面目な人は自ら身を削って要求されたタスクをこなそうとすることが多いかもしれない。
また、出世欲の強い人ならば、自分の力をセーブして他者の力を利用する、さらに踏み込めば立場的に断りきれない部下に無理を押しつけることだってあることだろう。
つまり自分より弱い立場にある人に指示を出して力を奪い取るわけだ。そのようなことがまかり通ってきたから、昭和の男たちは職場でのマウンティングにも似た出世競争で、より高見を目指したとも言えるのではないだろうか。
しかし、今ではスペシャリストに徹して職場の政治や力学に関わらず、託された役目を果たす職業人が珍しくない世の中になってきた。例えるなら刻印のない存在、マーヴェリックだな。
そういった人たちが安定して働くステージはキャリア20年以上、歳なら40代以降だと思う。経験値が高いので他の組織に引き抜かれると職場が困るし、どの派閥にも属さずに役目を果たすので上としても扱いやすい。
また、マーヴェリックには出世欲がなく他者の力を利用してまで出世や立場を優先しないので同僚からの干渉も少ない。
力を貸してくれと言われれば快く応じて貸しを作る。そうすることで自らの仕事での環境を良くすることができる。もちろんだが自分の仕事もこなす。
そしてリミットを超えたのが、今の私がいる状況だな。ある程度は断っているのだが次々に頼まれる。さすがに厳しい。
昔なら個人的かつ中二的にオーバードライブと呼んでいる過集中で切り抜けたものだが。数年前に長時間の通勤と共働きの子育てでバーンアウトしかけてオーバードライブを自由に発動できなくなった。
浦安に住んでいる限りはオーバードライブを完全に回復させることは無理だろう。感覚過敏を持つ人を満員電車で長時間通勤させたら、ストレスで疲れて集中力が削れてしまう。
結局、職場で回復して、夕方からやってくる集中の波に乗って残業しながら仕事をこなす。そして帰りの通勤で再び疲れる。
終電近くの電車に乗って浦安から帰宅すればもうすぐ日付が変わる。この仕事で通勤が往復3時間なんて無理だろ。
バーンアウトの恐怖が脳裏を過ぎる。妻に対しては我慢せずに言いたいことを言うことにした。義父母に対する不満も伝えてある。
夫婦喧嘩を重ねるよりも、何とか調整して子供たちを育てよう、あと5年すれば状況が変わるはずだと妻にも自分にも言い聞かせて。
妻が早朝に出勤して早めに帰宅し、私は遅めに出勤して深夜に帰宅。これで朝と夜の家庭をカバーすることになった。
今年の4月からロードバイク通勤を止めて電車通勤に戻したが、私が定時で仕事を切り上げられないことと、朝夕のラッシュで疲れ切ることを回避するという妻からの配慮だ。
しかし、遅く出勤する分、帰宅は深夜になる。平日の子供たちとの会話や触れ合いの時間は大きく減った。この数日、妻との会話は5分間もない。お互いにどちらかが寝ていることが多い。
ここまでして浦安という街で共働きの子育てを続ける意味があるのか。家族との会話の時間さえないのに。
子育てや家事の負担が少ないと言われても、これでも限界を超えている。倒れた時に世帯年収が1本減ったらどうするつもりだという言葉が喉まで上がって、それを飲み込む。
繁忙期、深夜1時頃に帰宅して夕食を食べて2時に寝ると、子供たちの登校時間に合わせるには睡眠時間が5時間を切る時がある。妻は早朝出勤なので、私が目を覚ました時点ですでに家にいない。
そして、妻は早く帰ってきて子供たちの塾や習い事の迎えに行ってくれる。有り難いことだが、義父母が迎えに行ってくれればいいのに。これでは通勤が大変な街で核家族だ。
目を覚ますとさすがに疲れすぎていた。身体が思うように動かない。とにかく這うように起きて、子供たちに「ごめんな、お父さん、疲れたみたいだ」と伝えてそのまま布団に戻る。
すると、子供たちだけできちんと身支度をして登校してくれたようだ。薄れゆく意識の中で、上の子供が寝室のドアを静かに閉めてくれたことが分かった。
少しだけ睡眠を追加して目を覚ましたら、布団の傍におもちゃが置かれていた。小さな皿の上におもちゃの食材が並べられていて、私が好む料理が選ばれていた。おそらく下の子供が気遣ってくれたのだろう。
子供たちと接する時間が少なくて通勤さえ満足にできない父親だけれど、子供たちなりに気遣ってくれているのだろうと思った。子供たちを育てていて本当に良かったと思った。
力を振り絞って起き上がって、洗濯物を干し、食器を洗い、職場に向かう。今日も深夜残業だろう。しかし、いつもより肩が軽く感じた。