ベリー ベリー ストロング
その男女はおそらく私と同世代で五十路付近、どう見ても夫婦にしか見えないし、実際に夫婦なのだろう。夫は白髪頭で小太り、お世辞にもダンディとは言えない。妻はスレンダーな容姿で目鼻立ちが整っており、長い髪の毛をひとつにまとめていた。二人の格好は休日の外出によくあるラフな普段着だ。そして、ベンチ席で互いの肩を付けて座っている二人の姿を興味深く感じた。
20代や30代の頃の私がその夫婦の姿を眺めていたとしたら、たぶん何も感じなかったことだろう。五十路近くまで生きて老いたからこそ、その夫婦の姿がとても目立った。
二人は普通に仲良く座席に座り、周りに迷惑がかからない程度に会話をしているだけだ。しかし、その姿が...明確に表現しがたいのだが...素晴らしく感じた。
長年連れ添ってきた夫婦が、五十路近くになってもピタリと身体を寄せ合って電車で座るのだから、余程に仲が良い二人なのだろう。
さらに両太股を合わせることができない典型的なオッサン座りの夫の靴と、礼儀正しく両足を閉じて座っている妻の靴が、接点として1平方cmくらいの微妙な範囲で接している。
毎日一緒に生活しているはずなのだが、二人はとても楽しそうに会話を続けている。いいな、毎日が楽しいことだろう。
その二人の姿を、自宅に引きこもり部屋を用意して、用事がないと出てこない私が眺めている。専門用語で家庭内別居と呼ばれているようだが、私個人はヤドカリなどの野生生物が外敵から身を守る姿からヒントを得た。
我が家も目の前で仲良く連れ添っている夫婦のようになるはずだったのだが、どこで道が外れたのだろう。嫉妬や敗北感を覚えているわけではなくて、素敵な生き方であり老い方だと素直に思った。
子供たちと同伴する形になるが、私が妻と電車で外出する際には対面のベンチ席に離れて座る。互いに感覚や思考が全く合わない夫婦なので、本人が自由に席を選ぶと自然に席が離れる。気の合う夫婦ならば互いの位置を配慮するのだろうけれど、指定席でもない限り、我が夫婦にそのような気遣いはない。
車内が混み合っている状況において、あるいは確率論的な座席の選択によって夫婦が隣り合って座ったとしても互いの肩が触れたら離れるし、スマホが大好きな妻が真っ先にスマホを取り出して食い入るように画面を見つめ、夫である私は世の中の無常を再確認するかのように目を閉じて座禅を始める。会話なんてものはない。
このような夫婦像を目指して結婚したわけではないし、温和しくて静かだった妻が子育てに入って別人...いや、明らかに義母のような状態にトランスフォームするなんて想像したこともなかった。
しかしながら、上の子供が小学校に入学してから激しくなった妻の精神的な不安定さは、ようやく改善の兆しが見えてきた。
そして、妻の落ち着きのない言動や甲高い大声、容姿までが義母によく似てきた。
母子だから当然かもしれないが、妻が義母化するなんて。
新婚の頃、妻本人は八千草薫さんのような可愛らしいお婆ちゃんになりたいと言っていたが、現実は違った。私が最も苦手としている義母まっしぐらだ。
最終形態としては、ほとんど義母という状態になった妻と私は晩年を迎えることになる。抗えない現実が待っているということだ。
もちろんだが、時間の流れとともに私も老いてきて、免許証の更新の際に撮影した顔写真を自分で見つめて、「ああ、爺さんに近くなってきたな」と改めて感じる。
では、先述のように仲の良い夫婦が優れていて、我が家のように距離感がある夫婦が劣っているのかというと、私はそうは思わない。夫婦にはそれぞれの形がある。
かなり以前から「仮面夫婦」という言葉がある。最近では「ゾンビ夫婦」という言葉が世の中に流れ始めた。
その課題について自称夫婦問題の専門家が意見を述べているようだが、その本人が何度も離婚を経験しているそうだ。
その専門家が自験例に基づいて他の夫婦にアドバイスを送ることは参考になるとも言えるし、問題を解決するための手段として離婚を何度も切り出してきたとすれば、必ずしも参考にはならない。離婚以外の手段を思いつかなかった人が本当に知恵を持っているのかという話だ。
私なりの理解として、「夫婦」という男女の関係は行政上の制度でしかない。婚姻届に必要事項を記入して役所に提出し、それが受理されれば男女が夫婦となる。
若い頃には、互いの愛情を形にするとか、どんな時でも支え合うとか、まあとにかく様々な勢いがあって結婚するが、実際には自分たちを行政システムに登録し、法に基づいて管理されるというわけだ。
そのロジックで考えると、仮面夫婦だろうがゾンビ夫婦だろうが、婚姻関係を続けている限り、社会制度上は立派な夫婦という解釈になる。
男女の関係において恋愛や愛情がなくなって、仮面もしくはゾンビと表現しうる状態になっているという意味かもしれないが、他者からとやかく言われる筋合いはない。何度も離婚するよりも、たとえ仮面やゾンビと揶揄されようと夫婦が連れ添うことに意味がある。
少し鬱屈を含めた思考を展開しながら、私は少し前に鑑賞した「アイネクライネナハトムジーク」という日本の映画のことを思い出した。
この映画の原作は伊坂幸太郎氏で、主演は三浦春馬氏。この映画の存在を知ったのは、20代の頃から気に入って聴いている斉藤和義氏の曲がきっかけだった。
「ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~」という曲は、斉藤さんのいつもの歌詞と雰囲気が異なっていて、アップテンポの小説のような世界観が感じられた。その歌詞を用意したのは伊坂先生なのだそうだ。
二人の関係はアーティストとファンという点から始まっており、会社勤めを続けながら小説を書いていた伊坂さんが「幸福な朝食 退屈な夕食」という斉藤さんの曲を聴いて、会社を退職し小説家として活動することを決心した。
この曲のことは私もよく覚えている。「ジレンマ」というアルバムの中で最後に並んでいた曲だな。
当時は気付かなかったが、この頃の斉藤さんは音楽活動において大きな岐路を迎えていて、その苦しみと将来への道筋がジレンマというアルバムに収録された曲全体に広がっていた。
どのような職種においても、職業人としての30代前半という時期は、過去と現在と未来という時間軸が一点に集まっているように感じるはずだ。
大まかな方向を見定める上で最後のチャンスになるかもしれないが、自分の可能性を全て把握しているわけでもなく、しかし自分よりも年上の人たちの姿は見える。
「これからをどうやって生きるのか」ということを考える大切な時期だな。
作詞や作曲だけでなく、ギターやベース、ドラムまで自分で演奏し、それらをオーバーダビングすることで曲をつくるという斉藤さんのスタイルは、ジレンマというアルバムの中の曲から始まったらしい。
その曲のひとつが有名な作家の生き方にまで影響を及ぼしたと考えると、とても不思議なことだ。
斉藤さんと伊坂先生の交流が深まり、「ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~」という曲、「アイネクライネナハトムジーク」という小説といった作品が生み出された経緯は、ネット上に多くの記事が掲載されている。
後者の映画を鑑賞したきっかけは、斉藤さんのベリー ベリー ストロングという曲の中で登場した「会社の先輩」の生き方が、その後でどうなったのかを知りたかったからだ。
曲の中では、主人公の若い男性が出社したところ、10歳くらい年上の先輩がデスクを蹴飛ばしてコンピューターのデータを飛ばしてしまった。奥さんが家を出て行ってしまったらしい。
その後、主人公がとある女性と出会って恋愛の芽が生まれ、そのイベントと併行する形で会社の先輩の生活が流れる。
主人公が先輩に夫婦のなれそめを尋ねたところ、先輩は照れながら「横断歩道で妻が財布を落としたので、拾ってあげたのが最初だよ。陳腐だろ」と答えた。
その後、別居状態になった妻と電話で会話することができた先輩が、会社で少しだけ安心した姿を見せたという段階で、ベリー ベリー ストロングという曲の歌詞は終わっている。きっとハッピーエンドが待っているのだろうと思っていた。
「アイネクライネナハトムジーク」という映画を視聴すると、ベリー ベリー ストロングの曲の中のストーリーや世界観と非常によく似ていると思った。同じ人がストーリーを考えたのだから当然だが、よくまあ短い曲の中で物語を描くことができるものだと驚いた。
しかしながら、曲の中の延長線上でハッピーエンドを迎えたと私が想像した「会社の先輩」は、映画の中では離婚し退社していた。
また、落とした財布を拾ったことが男女の出会いだったというエピソードは、妻が意図的に目の前で財布を落としたらしい。偶然の出会いではなかったということを離婚後に元妻から聞き、遠くを眺める会社の先輩の表情がとても切なく感じた。
全体として、この映画は邦画によくあるしっとりとした流れが進んでいく。その中で、とある登場人物がつぶやいたセリフがとても心に残った。
品がなくて、いい加減で、父親としてどうなんだという夫と連れ添っている美しい妻が、恋愛を経験する年頃の自分の娘から尋ねられた。床の上でだらしなく眠っているこの男と出会って結婚して、それで良かったのかと。
そして、母親である彼女は、子供たちとの出会いを含めて家庭全体を俯瞰した後で答える。
「当たりか外れかで言えば、間違いなく当たってる方だよ」
このセリフは深淵だ。深すぎる。
夫婦とは社会的な制度でしかないが、そこで繰り広げられるエピソードは人と人のリアルな人間関係だ。元々は他人だった二人が年老いるまで連れ添うなんて、社会的な仕組みがなければすぐに破綻することだろう。
その制度があったとしても、離婚する男女は多い。浦安市内で生活していても、我が子たちの同級生の家庭において何組もの両親が離婚し、この街からいなくなった。
「当たりか外れかで言えば」という判断基準は、すなわち長い期間にわたって良かった点と悪かった点を踏まえ、総合的に考えることで成り立つ。
結婚する前に気がつかなかった互いの良し悪しなんて、長年連れ添っていればたくさん出てきて当然なんだ。
その二人の間を繋ぎ止めるのが往々にして子供という存在であって、当たりか外れかという判断おいても大きな要素になる。
「ベリー ベリー ストロング」というフレーズは映画の中でも登場するが、ストロングになったのは男女の繋がりであり、それをもたらしたのは身ごもった子供だった。
仮面だろうがゾンビだろうが、離婚せずに子供を育て続け、年老いるまで連れ添う夫婦は立派だと思う。まさにストロングだ。
では、私が妻と出会って結婚したことは、当たりなのか外れなのか。
長時間の通勤地獄を伴い、人口密度が高くて鬱陶しく、義実家とディズニーが近くにあり、外に出るだけで心拍数が上がってめまいがする街での生活は苛烈を極め、心身共に壊れている。
家庭に戻れば、妻が甲高い大声を上げ、子供たちが父親を敬っているとも思えない状態。妻の実家依存は時を経ても強固で、義実家からの有形無形の干渉は今も続いている。もはや自分の家庭なのか義実家の延長なのか分からない。
これらを鑑みて当たりか外れかで言えば、外れになってしまうわけだが、結婚を申し込んだのは私の方なので、自分でクジを引いて何を言うかという話だ。夫婦となった妻に対する責任、生まれた子供たちに対する責任を全うすべきだ。
しかしながら、この結婚やその後の生き方が本当に外れなのかと、もう一歩踏み込んで考えてみると、外れではないことに気付いた。
共働きの子育てにおける妻の罵声や暴力、長時間の通勤地獄、そして苦痛を伴う新浦安の住環境によって、2015年頃に私は重度のバーンアウトを起こして感情を失った。この録で何度も記しているが、うつ病も起こしかけていたのだろう。当時の記憶があまり残っていないが、死という存在がとても近くにあった。
だが、感情を失った後の回復期に再構築されていく自分の感覚や価値観は、バーンアウトを起こす前よりもずっと素晴らしいものだった。
誰かと張り合い、自らの優位性を誇示し、常に他者が頭の中にあった以前の自分と比べて、自分自身がどう生きるのかを地に足を付けて考えながら生きているような実感がある。
バーンアウトを起こす前の私は活動性が高かったし、その結果として今の社会的地位や経済状況があることは認める。しかし、私は自分自身のことがあまり好きではなかった。自己肯定を強めたのは、自己否定の裏返しだったのだろう。
今はどうなのかというと、自己肯定そのものがバーンアウトで焼き切れて消失した。「まあ、自分なんてこんなものだ」と、自己否定についても過度な負担にならなくなった。
結局のところ、今際の時には人生そのものが夢のようなものだったと感じるという話をよく聞くし、たとえ夢であっても地道に生きようと思った。
性格も穏やかになり、人間関係も楽になった。人はひとりで生まれてひとりで死ぬという絶対的な基準をベースとして、他者にあまり頼らずに生きていくことにした。
他者に期待するからこそ失望が生まれるわけで、最初から他者に期待しないことで心の平静が保たれる。高度に社会化した世の中においては、自分が望む望まざるに関わらず人間関係に巻き込まれるし、生きていくことの苦しみのほとんどが人間関係だ。
加えて、バーンアウトから回復してきた頃から生じた離人症のような状態も、自分や社会を客観的に見つめる際にはとても便利だ。
自分自身がアバターになっているような状態でリアルな社会を眺めるなんて、本人が頑張ったところで成し遂げられるはずがない。過剰なストレスによって脳にダメージを受けたことは不幸なことだが、それによって情報伝達が変わったという話なのだろう。
もっと若い頃、できれば苦痛を伴わない生来の性質として、現在の性格や思考を有していれば、もっと楽に生きることができたのかなと思う。
だが、今さら願ったところで始まらない。いつも思うことだが、平安時代や鎌倉時代の修験者が目指した別の世界とは、程度こそあれ、このような世界なのだろう。
妻と結婚することで別の世界にたどりつき、生き方そのものが変わったと考えると、当たりか外れかで言えば大当たりという結論に至る。
そのようなことを妻に話すと、「何よ! 私自身が修験者の苦行って意味なの !?」と、いつもの甲高い大声で怒るはずだから、決して口に出さない。
けれど、もしもこのような問いがやってくれば、「君自身は苦行ではないよ、不動明王の化身だよ」と答える。
不動明王は大日如来の化身なので、不動明王の化身という表現はややこしい。
まあとにかく、おかげで新たな境地に至ることができた。妻本人は好き勝手に自己主張しただけの結果だが。
しかも、新浦安には妻よりもはるかにマッシブな母親がたくさんいる。公の場において不動明王のような顔で怒鳴り散らす母親までがいて、そのような妻と連れ添う夫は大変だろうなと思う。
すなわち、新浦安は共働き世帯の父親たちにとって厳しい修行の場になっているということか。この街の修験場のような環境をリアルなシティプロモーションで使ってみてはどうだろう。
その場合、街と共働き家庭のストレスで解脱した体験者として、私もインタビューに応じたい。
そういえば、先の夫婦は五十路になっても仲がとても良く見えたが、このまま六十路、七十路になっても仲が良いのだろう。とても素敵な老い方だ。
しかし、当然だが人には寿命があるので、いつかは離別の時がやってくる。夫婦仲が良ければ良いほど、幸せな日々が続けば続くほど、その苦しみが大きくなるのだろうな。
逆もまた真であれば、老い先が穏やかなのかもしれないな。特に深い意味はない。