2021/11/14

ヨットハーバーで海を眺めてから弁天橋経由の夜の谷津道で恐怖体験

いつもはストレス解消と運動のために、千葉県北西部に広がる谷津道を走るサイクリングを楽しんでいるのだが、この休日には自転車に乗って海を見に行きたくなった。

浦安市の海沿いの日の出地区に住んでいるので、海を見たければ歩いて見に行くことができる。しかし、埋立地に特有の岸壁の向こうに見える殺風景な海ではなくて、千葉市の幕張にあるヨットハーバーに行きたくなった。ということで、今回は街中の一般道を走ることにした。


私はどうして海を見たくなったのだろう。

育児ほどは厳しくないだろうと考えていた中学受験というステージは思ったよりも厳しく、中学受験をきっかけとした離婚まで生じうるという話はあながち誇張されたものではないと感じるようになった。

私のような五十路近くの子持ちのオッサンには、過去を振り返ったところでどうにもならず、しかし背負うものはたくさんあり、とにかく錆付いたレールの上を歩き続けるしかないような何かがある。

その何かとは自分だけが感じる心境だが、何だろう...この虚しくもあり儚くもあり、霧の中を歩いて進む感じは。中年親父の皆さんなら分かってくださるかもしれない。

かつては将来に向かって光り輝く目標や楽しみがあった。今はどうなのか。職業人生のリタイヤや老後の生活、さらには今際の時のイメージまでぼんやりと感じてしまう。

だが、色々と考えたところで気分が落ち込むだけだ。若い頃からスポーツバイクに乗ってペダルを回し、中年になってもペダルを回し、年老いてもペダルを回す。ただそれだけでいい。

ペダルを回す過程で季節の移り変わりを感じ、時の流れを感じ、浮かび上がる様々な感情を風とともに受け流し、ひたすらペダルを回す。

抗えない現実を受け止めて、時間が有限であることを実感し、毎日を地道に生きる。サイクリングは自分の考えを落ち着ける上で大切な存在になっている。

経済的に困窮することもなく、心身を壊して動けなくなっているわけでもない。決して誇れる生き方ではなくても、自分なりに懸命に生きてきた。

子供たちの中学受験は大切なステージではあるけれど、当然だが私自身の人生も同時に進んでいる。子供たちの受験に全振りして自らの人生が豊かになるのであればそうするが、子供たちに与えることに全てを費やして自分に何が残るのか。

父親として背負うべきものは背負うが、自分は自分だ。外れると戻ることが難しいレールの上をひたすら歩いていたとしても、途中で休んだり、周囲の風景を眺めるくらいの余裕を持ちたい。

ポエティックな思考はここまでにして、相変わらず中学受験の対応で荒れている家の中を片付け、洗濯物を干した後、シクロクロスベースのカスタム自転車に乗ってサイクリングに出かける。

すでに時間は正午を過ぎている。帰宅する頃には日が暮れていることを想定して、ライトや反射板などを確認した後で出発した。

サイクリングを始めたばかりの中年サイクリストの皆さんは、幕張のヨットハーバーや千葉港までの写真入りのルートの情報を欲しているかもしれない。

しかし、自分のブログで紹介した情報が何の感謝もなく他者に利用される虚しさが嫌になった私には、そのような気持ちがない。

いつも通り、浦安市内から市川市に入り、ランドマークとなっている原木ICの交差点から国道14号に入り、東に向かう。

千葉市の幕張にたどりつくためには、船橋市の南部をパスする必要がある。船橋市の北部や中部には走りやすい一般道があったりもするが、南部はどこも混み合っている。

自分なりに色々と走った結果、14号線の自動車の渋滞とともにゆっくりと東に向かうことが最もストレスがないと思うようになった。

路肩の汚さを無視するのであれば、357号線沿いの歩道を走り続けるというルート、あるいは危険を無視するのであれば357号線を突っ走るというルートもあるが、いずれにせよ357号線はサイクリストにとってあまり適切ではないと思う。

14号線でさえお世辞にも走りやすいとは言えないが。

花輪ICの付近の踏切を左折して一般道に入り、谷津干潟の横の8号線を走る。谷津干潟は船橋市にあると勘違いしていたが、どうやらこの付近は習志野市なのだそうだ。

千葉県民になった現在でさえ、習志野市の位置がよく分からない。

浦安市から東に向かって、市川市→習志野市→船橋市→千葉市の順なのか、市川市→船橋市→習志野市→千葉市の順なのかが分かりにくい。正解はおそらく後者なのだが、どうしても前者のように感じてしまう。

もうひとつ不思議なことがあって、谷津干潟がある地区はその名の通りに「谷津」という名前が付けられている。近くに京成本線の谷津という名前の駅もある。

しかしながら、このような海に面したエリアにおいて、過去に谷津が存在していたのかどうかは分からないし、市街地が広がる現在では谷津らしき痕跡も認められない。

谷津干潟の付近はかなり大きな干潟だったそうで、それを埋め立てて土地をつくったらしい。その名残りとして谷津干潟が保全されているようだ。このような場所が下総台地に広がる谷津の一部だったのだろうか。

昔の地形図では、確かに津田沼の辺りが台地に該当しており、そこから南のエリアに谷津があり、谷津と呼ばれたのかもしれない。

ということは、かなり海に近い場所にまで谷津があったということか。これは興味深い。

8号線をしばらく走ると途中から15号線に入り、道路が近代的な感じになる。千葉船橋海浜線という名前の道路なのだそうだ。習志野市から千葉市に向かうルートで、357号線よりは走りやすいけれど、せっかちな千葉県民が自動車を飛ばすのであまり油断はできない。

そのまま道なりに走ると海浜大通りに入る。マリンスタジアムの前を走り、道路標識にヨットハーバーと表示された交差点を右折すると、「稲毛ヨットハーバー」に到着する。

この付近には自販機やトイレが数多く設置されており、サイクリングでの休憩ポイントとして適している。

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浦安市の財政状況について深く考えず、とにかく街を華やかにしたいという浦安の大ファンの中には、新町エリアの護岸を再開発して海と触れ合う環境を要望する人たちが珍しくない。

彼ら彼女らのイメージを形にすると、おそらく稲毛ヨットハーバーのような環境なのだろう。

確かに素敵な眺めだが、千葉市の場合には砂浜が広がっていた場所を開発したからこそ実現可能だったわけで、浦安市のように浅瀬を埋め立てた護岸には砂浜がなかったはずだ。

護岸を取り去って砂浜をつくるなんて、いくら金があっても実現は難しい。たとえ技術的に可能であったとしても千葉県の予算で浦安市の海沿いを再開発することができるとは思えない。また、国の予算が投じられるとも思えない。

やはり、実現は不可能だろう。ディズニーシーだけでは不満なのだろうか。

ヨットハーバーでしばらく休憩した後、私は急に谷津道に行きたくなった。千葉市の美浜区には、私が嫌悪している雰囲気がある。

それは何かというと、浦安市の新町エリアのような新興住宅地によくある無機質な街並み。そして、せっかちでプライドと我が強そうな住民の雰囲気。

実際のところ、千葉県内のアッパーミドル層は浦安市の新町エリアや千葉市の美浜区に集まっているらしい。どこかの不動会社が世帯年収のビッグデータを解析してランキングを発表していたな。

千葉市の幕張から谷津道に向かう場合、近場としては桑納川沿いの谷津道に入り、そこから西に向かって走って浦安市に戻ってくるというルートがある。

問題は幕張から桑納川までどうやってアクセスするのかという点。

最も安直なのは、花見川沿いの遊歩道などを北上して新川沿いに入るというルート。通称、花見川サイクリングロードというルートだな。

しかし、花見川CRはロードバイク乗りたちにとって有名なルートなので、ピチパンを履いたローディたちが走ってくる。

荒川沿いも江戸川沿いも同じだが、ロードバイク乗りの中には狭い道を疾走する民度の低い人たちが多いので、私は河川沿いのサイクリングロードを走りたくない。

ということで、スマホのサイクルナビで現在地を確認しながら、花見川から少し離れた一般道を走って新川沿いにアクセスすることにした。

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おそらくかつては谷津だったと思われる一般道は、幹線道路と比べると自動車が少なくて走りやすい。

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この付近は間違いなく谷津道が再開発された一般道だな。それにしても千葉市は広大だ。狭い土地に建物がひしめき合っている浦安市での生活が鬱陶しい理由を実感する。

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しばらく走っていると、弧を描きながら川岸を渡す赤色の橋にたどりついた。「弁天橋」という名前の橋だ。

造形が美しい橋ではあるのだが、何か違和感がある。

その橋の上から川を眺めると、かなり下方に水面が見えた。

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何だろう。趣がある光景ではあるのだが寂しくも感じる。

それ以上に違和感を覚えるのは、この場所の独特の雰囲気だ。

この付近にお住まいの人たちには大変申し訳ないのだが、この環境には、人の生活との融和を拒みつつ、しかし人を飲み込むような不思議な感覚がある。

ASDのような発達障害を有する人たちは、普通の人たちが感じないような違和感を覚えることがある。

そのような性質は、社会性が高度化した現代では重荷になることが多いわけだが、大昔には天敵や災害といった脅威を察知し、集団を守る上で必要だったらしい。

彼ら彼女らは、集団の中でシャーマンのような働きをしていたこともあったそうだ。

その性質はオカルトや超能力といった類いではなくて、現在では発達障害の特徴のひとつとして分類されている感覚過敏によるものと解釈すれば分かりやすい。

普通の人が感じ取れない微細な情報から危険や脅威を察する存在が集団の生存のために必要だということを、大昔の人たちは経験論として気付き、その性質を大切にしたということか。

その遺伝的なプログラムが受け継がれ、今でも感覚過敏を持つ人が生まれているのだから、やはり人類にとって必要な特性なのだろう。

感覚過敏を持っていて、本気になって診断を受けると間違いなくASDに該当してしまうけれど、シャーマンのような能力はない私は、その違和感の正体が分からないまま弁天橋を通過し、北東の方角に向かった。

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谷津道が近くにあるような雰囲気があるのだが、周りを見渡しても谷津道がない。弁天橋の上で感じ取った違和感が、この付近を走っていても自分の頭の中にまとわりつく。

マップを確認すると、「鷹之台カンツリー倶楽部」という場所が新川沿いの谷津道へのランドマークになりそうだ。

さすがに腹が減ってきたので、近くのコンビニに自転車を停めてアメリカンドッグを頬張る。コンビニの補給といえばこれだな。

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他のサイクリストのお目にかける価値もないので写真は小さめに。

一見するとクロスバイクとしか思えないシクロクロスバイク。ディスクブレーキが全盛の現在において、安いクロスバイクに標準装備されているVブレーキがよく目立つ。

正確には、クロモリ製の復刻版のシクロクロスフレームにカンチブレーキではなくVブレーキを取り付け、ドロップハンドルではなくフラットバーを取り付けているわけで、フラットバーシクロクロスバイクという意味不明な分類になるのだろう。

私本人は、かつての日本で使用されていたクロモリ製のパスハンターというスポーツ自転車をイメージしてフレームから組み上げた。実際には、パスハンターではなくて、谷津ハンターになってしまっているが。

加えて、フラットバーの中でもレアなマルチポジションバーを取り付けているので、向かい風が強い時や高速走行時には前傾姿勢になったり、疲れたら別の位置を握ってアップライトな姿勢をとることもできる。

マルチポジションバーの下には空間があるので、ここにフロントバッグを取り付けることで雨具もしくは一泊旅行程度の着替えなどを携行することもできる。

スポークに取り付けているのは夜間走行のための反射板。浦安と都内をロートバイク通勤で往復していた時、タクシーやママチャリミサイルが真横から飛び込んでくることが多かったので、ホイールを光らせることにした。

タイヤは32C。グラベルロードバイクではさらに太いタイヤが用いられることもあるが、舗装路を走る場合にはこれくらいの太さがちょうど良いらしい。走りは重いが、路面が荒れていても安定して走ることができる。

未舗装路の場合にはコンチネンタルの四季タイヤでは滑ってしまうことがあるので、そろそろグラベルキングに履き替えようと思っていたりする。

ソロで谷津道のサイクリングに出かけると、タイヤがサイドカットしても、落車して傷だらけになったとしても、とにかく自分で何とかするしかない。

最寄り駅は遠く、河川敷のように土手を降りればタクシーが走っているわけでもない。スペアタイヤや補修パーツをフレームに取り付けたら、全体として雑多な感じになったが、まあソロなので誰が見るわけでもなかろう。

落車してもリアディレイラーが壊れないようにチタン合金製のレアなプロテクターを取り付けたところ、さらに安いクロスバイクの雰囲気が醸し出されるようになった。

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自動車が少ない一般道を走っていると、近くに公園を見かけた。樹木には落葉が始まっていて、冬が来ていることを実感した。時間はすでに夕方だ。案の定、帰路はナイトライドになる。

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新川沿いの道路を走っていたら、ようやく桑納川が見えてきた。辺りはすでに薄暗くなってきた。

もう少し走ると舗装路があるのだが、せっかくのオールロードなので、桑納川沿いのグラベルを走って谷津道にアクセスすることにした。

32Cのタイヤでも振動を感じるくらいの農道だが、この楽しさを知ってしまうと荒川や江戸川の河川敷を走る意欲がなくなってしまう。それくらいに楽しい。

そして、桑納川沿いの谷津道を走る。キャットアイのVOLTを2基装備しているので路面の暗さは気にならない。

たまに荒れた路面に乗り上げるのだが、ドロップハンドルではなくアップライトなフラットバーなので、バランスを崩すこともない。

しかし、真っ暗な農道がここまで怖いとは想像していなかった。片側に迫っている森が押し寄せてくるように感じ、昼間は見晴らしのよい稲田が何もない暗闇の空間を広げている。

近くには民家があって窓から光が見えたりもするが、住民が外に出ているわけでもない。

さらに、自分はソロで走っているはずなのに、背後に人の気配を感じた。

背後から自動車や自転車が迫ってくれば、ハンドルの右側に取り付けているバックミラーが光るのですぐに分かる。しかし、ミラーは真っ暗なままだ。

だが、明らかに何かが後ろにいる気がする。気分が重くなったので、背後が見えない状態までミラーの角度を変え、とにかく落車しないように、しかし早く街中に戻ることができるようにペダルを回した。

オカルトな話ではなくて、この気配自体は私の脳内でつくり出された恐怖のイメージでしかない。博士号を持っている自分が「霊が取り憑いた」と表現するのはおかしな話だ。

だが、脳内のイメージであっても、市街地のナイトライドでは感じられない恐怖を感じる。

これがサイクル仲間とのタンデムライドやグループライドであれば、「怖いよー!」と笑い飛ばすことができるのだが、ソロライドでは自分だけだ。

私は昼間のライドと同じくらいに夜間のライドが好きなタイプだ。しかし、私は勘違いしていた。

ナイトライドを楽しいと感じるのは、走っている場所が市街地で灯りがあるからだ。また、道路の近くにはたくさんの人たちがいる。寂しさも恐怖もない。

ところが、自分が走っているのは谷津道という自然に近い環境だ。かつての人々は陽の光が周囲を照らしている時に活動し、日が暮れると動かないことが鉄則だった。

大昔は、夜間に外に出ると人や動物に襲われることがあったり、真っ暗な場所で事故に遭っても周りに助けを求めることも難しいという理由があったはずだ。

現代でも治安の悪い国や地域では同様の注意を要する。

だが、安全な都市部での生活に慣れすぎて、闇の恐怖を忘れてしまっていた。

今、自分が背後に感じているのは人の脳に本能として刻まれている漆黒の闇に対する恐怖ということか。

このような時に限って、弁天橋の上で感じた違和感が浮かび上がった。

そうか、あの違和感の正体は寂しさではなくて、何らかの恐怖だったのか。

五十路のオッサンになると大して刺激のない毎日が続くと嘆いていたのだが、この時間の刺激は十分だ。

すると、突然、桑納川沿いの谷津道の右側に迫っている森の中で「ドスン!」という物が落ちる音がして、オッサンなのに「ウワァ!」と声を出してしまった。

たぶん枝か何かが落ちただけなのだが、この状況をリアルに体験すると声が出る。

しかも、背後に何かがいるような感覚が抜けない。

ようやく桑納川沿いから市街地に入り、一般道が見えてきた。街灯の光が自分を包み込む。

普段は自動車が鬱陶しい一般道だが、船橋市内の道路の混雑の中で、ひたすら安心感を味わう自分がそこにいた。

市川市から浦安市内に入ると、そこには暗闇を否定するかのように至る所に電灯が設置され、辺りを照らし続けていた。

普段から鬱陶しい街だと思っていたのだが、状況が状況なだけにありがたい気持ちになった。

自宅に戻り、弁天橋の上で覚えた違和感の正体が気になった。

ネットで検索したところ、「検索しなければよかった」と後悔した。

40年前の1982年。

新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件という痛ましい事件があり、その殺害現場が弁天橋の付近だった。

おそらく、橋の上から見える範囲に犯行現場があったのだろう。

被害者は当時中学生だった2名の女性。1名が亡くなり、1名は命が助かった。

犯人は推定25歳前後の男。

被害者の女性は、犯人の男の自動車に乗せられて都内から千葉県内に向かった後、この付近で犯人に首を切られて死亡。しかも、両足のアキレス腱を切られていたらしい。どう考えても猟奇的な意思を感じる。

そして、乗っていた自動車等から裕福な家庭環境にあったことが推察される犯人は捕まっておらず、未解決事件として時効を迎えた。

当時に25歳と仮定すると、現在は65歳前後ということか。生き残った方の女性は犯人の顔を見ただけでなく、ディスコでは目撃者も多数いたはずだ。犯人が捕まらなかった背景に何があったのか。ここにも深い社会の闇があるのだろうか。

感覚過敏を持っている私は、弁天橋の付近の景色を眺めた犯人が感じたであろう何かを感じ取ったのではないか。この独特の違和感は説明が難しい。

この場所には、他の多くの場所にあるはずの何かがない。

それは、人の営みや社会との接点ではないか。その接点とともに人が理性を失い、蛮行に向う過程を想像すると背筋が冷たくなる。

しかも、その当時だけでなく、事件が時効になる前、時効後、さらには直近において犯人がこの場所を訪れて同じ光景を眺めていたかもしれないと考えると、妙な気持ち悪さがこみ上げてきた。

弁天橋は千葉市の方面から小竹川沿いの谷津道を経由して印旛沼に向かう際のルートのランドマークになっているらしい。

印旛沼の近くには佐倉ふるさと広場があり、確かにサイクリングルートとしては適しているはずだが、再び弁天橋を渡ることはないだろう。

被害者の計り知れない痛みと苦しみを思うと、現場に花を供えて経のひとつでも唱えたい気持ちだが。