ディズニーがある街に住んで良かったことなんて
そして、今、私は笑い話ではなくて本当にディズニーに苦しめられている。彼らも商売なので仕方がない話だが、コロナの第五波が収束して通勤中の電車や駅、および街の中にディズニー客が押し寄せてきた。今でも入場者数を制限しているようだが、それでも非常に鬱陶しい。
私の昨今の疲れの原因は、電車や駅構内にやってくる通勤客の数がコロナ禍以前の状態に戻ってきていること。
電車通勤が大の苦手で、長時間の電車通勤によって心身を壊したことさえあるので、電車や駅を利用する人が少なくなった状態はとても楽だった。しかし、以前と同様の通勤ラッシュによる地獄が戻ってきた。
それだけでも辛い生活なのに、ディズニーが以前のペースに戻ろうとしている。
社会が落ち着いてきたのだから当然のことだが、私個人としては地獄の第二ステージがやってきた。泣きっ面に蜂とも表現しうる。
これは浦安住まいだからこその苦しみでもあるわけだが、市内にディズニーがあることで電車や駅、街の中に観光客が波のように押し寄せてくる。
「ディズニーがあると、浦安市民に何か特典があるんですか?」と市外の人から尋ねられることがあるのだが、「特にない」と答えている。
ディズニーで成人式が開催されることはある。コロナ禍の頃には売れ残って処理に困ったわけではないと信じたいが、キャラクターの菓子が子供たちに配られた。
だが、市民限定で割安の入場券が配布されるといった特典はない。毎晩打ち上げられる花火を気に入っている市民がいたりもするが、うるさくて仕方がない。
そもそも私はディズニーが大嫌いなので、子供たちを連れて行ったことが一度もない。
それなのに、ディズニーにやってくる客が地域住民に迷惑をかけている。何だこれは。
私の場合にはディズニーに行ってシュールな雰囲気の中で金や時間を無駄に使うよりも、隣の葛西臨海公園のベンチや芝生の上でのんびりすることを好む。
人の好みは人それぞれだ。「何を言っているんだ。人が多くてもディズニーの華やかな雰囲気が素晴らしいではないか」と主張する人を否定しない。だが、肯定もしない。
浦安に引っ越してきてからの私の不満のひとつが、頼んでもいないのに義実家がディズニーに行って買ってくるカレンダーだ。
米国の色付きアイスクリームのように派手でベタ塗りのキャラクターが描かれた絵が大きくて、スケジュールを書き込むスペースが少ないカレンダーを義実家が当然のように買ってきて、妻が当然のように冷蔵庫に貼り付ける。
ドアを開けるたびに邪魔になるし、そもそも嫌いなディズニーグッズが堂々と家の中に飾られていることが不快でならない。
しかも、義実家が買ってきたカレンダーを使わないのはけしからんと、私が拒否しても妻がそれを貼り続ける。もはや、ディズニーが信仰の対象になっているような気色悪さを感じる。
だから、浦安に引っ越したくなかったんだ。という、いつものフレーズが心の中で何度も浮かぶ。
ネズミは昔から人類の敵だった。食糧を奪い、感染症を広げ、とりわけ人類を助けたことなんてなかった。
何を言ってるんだ、動物実験においてネズミは人類に対して計り知れない貢献を果たしていると反論されれば確かにその通りだが。
大昔の日本の場合、ネズミを食べてくれるヘビの方が神格化されることの方が多かった。
しかし、この街にはネズミを神格化させたような人たちが集まってくる。
考えは人それぞれだが、ネズミを見て大喜びする人たちの感覚を、私は理解することができない。
ネズミに対するドラえもんのリアクションの方が自然だと思う。
大戦後の日本では、国民が米国を好むような教育プログラムおよびメディアによる誘導がなされた。
我々の親の世代が子供の頃から、米国の文化は素晴らしい、英語を話すことができれば優秀だと刷り込まれ、我々の世代ではそれが日常になっている。
戦後の親米路線の背景には、共産圏に対する軍事的な立ち位置があった。当初、連合国は日本が二度と歯向かってこないよう徹底的に社会や経済を潰そうとしたのだが、共産圏に対する前線としての重要性に気づき、日本の再軍備を促した。
そのためには国民が米国のことを良く思ってもらわないと困る。
アメリカは素晴らしいという考えが多くの人たちの頭の中に自然と刷り込まれたわけではなくて、最初から計画されていたものだと私は理解している。
その良し悪しについてここでは問わないが、米国のバター臭い文化を大歓迎するような人たちがとても多いことには愕然とする。その典型がディズニーだと私は思う。
ディズニーのどこがバター臭いのだと指摘されそうだが、あのノッペリしたキャラクターデザインやピカピカのネオンなんて、まさしく米国文化そのものではないか。そして、ポップコーンを食べ続けながらコーラを飲むわけだ。
夢と魔法というよりも、人工的に作られた米国の一部を楽しんでいる気がしてならない。
このテーマパークでは、現場の労働者に対する雇用条件があまりに厳しいという批判がなされたりもする。米国の雇用のシステムを日本に持ち込んでいるのだから当然の結果だろう。
しかし、ディズニーで何が行われようと私は関心がない。だが、大勢の客には辟易する。膨大な数の人たちが、奇妙な笑顔を浮かべながら派手なプラスチック袋を手にして電車や駅の人混みに突撃してくることが憂鬱なんだ。街中も同様。
彼ら彼女らは楽しんできたのだから問題ないだろう。しかし、私の方は仕事で働いて帰っている。腹も空いたし、通勤地獄に耐えかねている。
これからディズニーが本格的に再起動すると、私の精神は極限まで削り取られることだろう。ああ、しんどい。
浦安出身の女性と結婚したことが私の人生の失敗だったのかもしれないが、今さらそれを悔やんだところで仕方がない。
夜の新浦安駅にたどり着いた私は、大勢の地元住民とディズニー客の人混みに飲み込まれたまま改札に押し込まれ、そこから駅の構外に吐き出された。
ここまで人々が密集する街のデザインは間違っていると思う。23区内に長らく住んでいたのだが、ここまで不快な街に住んだことがない。
そして、駅構内でしばらく立ち止まり、私は思った。
「浦安に戻ってくる必要なんて、あるのだろうか?」
そうか、今までの私は、この通勤地獄を何とかしようとして、通勤のための手段について試行錯誤を繰り返していた。自転車ならどうか、電車のルートの選択はどうかと。
しかし、浦安と都内の間の通勤を放棄するという選択肢があった。
通勤に苦しむ多くの千葉都民の父親たちが感じていることかもしれないが、何のために何時間もかけて都内と千葉を往復しているのだろう。
朝起きて何時間もかけて電車に乗って職場に通い、働いた後で自宅に戻る。帰った時には家族が眠っているか寝る準備をする時間だ。
その後、ひとりで夕食をとり、風呂に入って眠り、すぐに朝が来る。休日はどうなのかと言えば、家事や買物といった家族のための活動がメインになる。夫婦の夜の営みどころか会話もない。
平日に夫が何時間もかけて通勤地獄を耐えたところで、妻や子供たちはそれを当然だと考えている。
夫としてもそれが当然だと自分に信じ込ませている。「父親なんだから仕方がない」と。
私は思った。この生活スタイルは当然でもないし、仕方がなくもない。
平日に何時間もかけて職場から浦安に戻ってきたところで、やることは飯を食って寝るだけ。家族との語らいもない。
そのためだけに、私は毎日3時間もかけて電車や駅で苦痛に耐えている。私にとっては苦痛の方がはるかに大きく、家族にとってはわずかな自己満足でしかない。
私が電車通勤で疲れ果てて帰宅しても、妻や子供たちは、「お疲れ様でした。いつもありがとう」と感謝もせず、労いもせず、励ましもない。
このような家族が待つ自宅に毎日苦しみながら帰る必要があるのか。
やはり、人生は前向きに考えた方がいいな。
職場の近くではなくても、駅から遠い場所であっても、都内に安いアパートを借りて職場に通えばいい。私はサイクリストなのでアパートから自転車に乗って職場を往復することができる。
妻が家事を要求するのであれば、休日に家族が住んでいる場所に戻り、そこで家事をやって都内のアパートに戻ればいい。当然だが移動は自転車だ。雨の日は仕方がないので電車かタクシーだが。
23区内でも書斎代わりの賃貸ならば5万円程度の物件が珍しくない。別に寝るだけのスペースなのだから、布団と着替えと自転車が入れば構わない。
本格的に住民票を都内に移してしまうと行政上も別居という扱いになり、職場から支給される住宅費などの補助についても検討する必要があるな。
あとは、義実家がここぞとばかりに浦安の自宅に干渉を繰り返す危険性もある。ああ、鬱陶しい。
どうにかして縁を切りたいのだが、妻と義実家は共依存になってしまっている。妻の実家依存は洗脳や思想のレベルに近いので、もはや修正は不可能。
下の子供が市外の私立中学に入学した時点で、家族全員で浦安から引っ越すことが決まっている。引っ越した後、私は浦安という街には近寄らない。仕方がなく立ち寄ることがあるとすれば、義父母の葬儀の時くらいの話だ。
今のところは、引っ越しまでの我慢だと自分に言い聞かせながら生活しているが、この状況はあまりに厳しい。もはやこれまでと察した時には、都内にアパートを借りてひとりで生活しようと思う。
私にとって、この街には夢も魔法もない。あるのは嫌悪だけだ。