過集中を使ってコツコツと地道に働くだけで
通勤や家庭で疲れているが、仕事についてはバーンアウト前の状態に戻ってきた。まだ本調子ではないけれど、過集中を仕事の道具として使うと楽しくて仕方がない。
現在、通勤地獄に中学受験の狂気が加わり、まさに死にたくなるくらいにストレスを受けている。
夜間の通勤電車の中で堂々とマスクを外しているオッサンを見かけると、あまりに低いモラルと恥を知らない独善性に吐き気がする。
このオッサンはサラリーマンの格好をしているのだが、もしも部下がいたら、部下が大変だな。常識や不文律が通用せず、こだわりと我が強すぎて話が進まないことだろう。
このように思考がおかしいオッサンと同じ手段でしか通勤することができない我が身の不甲斐なさを恥じ、不幸を嘆く。
私の人生のスペックなんて、所詮、このような品のないオッサンと同じ鉄の箱に押し込まれてレールで運ばれる程度だ。
千葉県から電車に乗って都内の職場に通うことは、首都圏の職業人であれば普通のことだろう。しかし、感覚過敏持ちの私自身が規格外なわけで、生活設計を見誤った。
浦安出身の妻と結婚したことが間違いだとは言わないが、浦安民のペースに引っ張り込まれたことは間違いだった。
長時間通勤の苦痛が職業人生に明らかな悪影響を及ぼし、人生全体の幸福度まで著しく低下させている。浦安は住みやすいなんて言った愚者を生涯にわたって呪う。
妻や子供たち、義実家は私を助けてくれているとは思えない。しかし、夫や父親として生きる責任はある。
ということで、色々と思案し試してみたところ、千葉県内に広がる谷津道という自然あふれるコースを走るサイクリングによって、疲れを減らしうることが分かった。
やはり、谷津道には不思議な力がある。
先のサイクリングにて、私はこれまでの生き方を振り返るかのように様々なことを思い出していた。その思考は楽観でも悲観でもなく、さらには諦観でもない。とても単純なこと。
今まで生きてきた中で経験した「良いエピソード」と「悪いエピソード」を並べ、それぞれに共通する要素は何だろうかと考えていた。全てを詳細に記憶しているわけではないが、五十路近くまで生きれば自分自身のデータは膨大だ。
最初に気が付くことは悪いエピソードに関係する要素。それらの多くは対人関係にあり、感情的になって他者と対立したり、自分の主張や意見を投げつけた結果としてストレスが蓄積し、状況についても何ら好転しないことばかりだった。
もちろんだが、言うべき時に言うことも大切だ。ただし、強く主張しなくても、感情的にならなくても同じ結果だったなと今更ながら思うエピソードが散見される。
悪いエピソードを招いたもう一つの要素は、対人関係ではなく自分自身の内面にあった。
自分の優秀性を知らしめたいといった自己愛性の欲求、および他者に対する過剰な競争心によって感情が波打ち、自分自身を疲弊と焦燥に向かって追い込んでいった。
しかしながら、自分のことを信じるという意味での自信、あるいは矜持といった考え方は、謙虚さを保つ限りは悪いことではないと思った。それに気づいたのは2015年頃のバーンアウトによって感情を失った時だった。
自己愛や承認欲求に充ち、自分をアピールし続けないと気が済まない人たちがネット上に溢れている。現実的な場面においても、たくさんの自己愛モンスターを見かける。
興味深いことに、そのように自分大好きな人たちが精神的な不調に陥ったという話を聞いたことがない。
何かに失敗して普通ならば心が折れるような苦境でも、それが過ぎると平然としている。むしろ、「ピンチを華麗にクリアした自分はカッコイイ!」と自惚れしていたりもする。自分のミスにも関わらず。
自己愛が強い人たちの精神構造は、まるでレース用の自動車の内部に組み込まれたロールケージのように自己愛が支えていて、様々なストレスがあっても潰れることがないのだろう。
何事も勉強だな。他者に向けて投射しない限り、適度な自己愛や自己肯定は、自らの精神を保つ上で必要なのではないかと思うようになった。
他方、精神の井戸に落ちて希死念慮にまで繋がる思考のループは、「自分はどうしてこんなに駄目なのか」「自分のことが嫌いだ」「自分は無価値な存在だ」といった自己否定によって形成されるように思える。
その精神構造には自己愛が足りない、もしくは自己愛そのものがない。結果、自分で自分を消そうとする。
しかしながら、自己愛を減らし、自分を客観的かつ厳しく捉えることも間違っていないように思える。
そのような思考は、自分に足りないのは何か、自分はどこが悪かったのかといった自省や自戒を導く上で大切な思考だ。
ただし、あまりに自分自身の存在を否定し過ぎると、自己の精神を支える柱が折れてしまうのだろう。
結局のところ、自己愛や承認欲求についても、自戒や自省についても、限度を超えると心身共に良くないという話だ。簡単なことだが、身をもって経験してこそ分かるものだ。
それでは、悪いエピソードではなく、良いエピソードにおいて共通することが多かった要素は何かというと、私の場合には「コツコツと何かを積み上げながら地道に取り組むこと」だった。
残念なことに、一発逆転や奇跡的な幸運なんてものは人生の軌跡に残っていない。学歴や職歴においても、結局のところは地道に続けてきたことが成果に繋がっている。
自己愛によって思い上がること、あるいは自己否定によって精神が沈むこと、そういった要素は地道な取り組みを阻害し、ペースを乱した。
さらに考えを深めてみると、地道に取り組む中では自分自身の性質である過集中を頻繁に使っていたことに気づいた。
子供の発達障害、特にASDで悩んでいる保護者はたくさんいると思う。しかし、過集中について言えば、状況次第ではデメリットどころか大きな武器になる。
過集中という性質は、ASDだけでなく海外でギフテッドと呼ばれる人たちも有していることがある。私がどちらに該当するのかは診断を受けていないので分からない。
そもそも後者の場合には公的なガイドラインが日本に存在しないので、判別すること自体が不可能だ。感覚過敏やこだわりの強さという点も含めると、ASDなのだろう。
子育てや発達障害の専門家の中には、過集中を起こすと社会性がなくなるとか、心身が疲労するとか、まるで人としての欠陥のように矯正しようとする人がいる。
だが、何をもって社会性なのだろうな。学校の先生とか、企業のサラリーマンとか、市役所の職員とか、そういった職種での集団労働や対人関係ということか。
その職場のミッションにおいて必要とされるタスクを実行することができれば、人付き合いが苦手でも働くことは可能だ。その場所にたどり着くことは容易ではないかもしれないが、労働の対価として得られる金が少ないわけでもない。
よくよく考えてみると、様々なステージでの入学試験を全て合格し、就職先にも困らず、かなり前から何とか万円プレーヤーになっている自分だが、受験においても仕事においても、わざと過集中を起こして普通の人では入らない量の情報を脳に入力したり、脳から出力してきた。
それも人の個性であり、感覚過敏とトレードオフのような関係で備わったものかもしれない。
いや、大昔であれば感覚過敏があることで外敵や災害から身を守ることができたのかもしれないし、鋭い感覚を仕事に使っているという側面もあるので、その性質だって必ずしもデメリットではないのかもしれないな。
細分化された状況としては、私と同じ専門分野の職業人は日本で数人しかいない。おそらく日本国内で飼育されているパンダの数よりも少ないので、全国から助けを求める声が届く。
このような生き方は最初から自分が望んでたどり着いたわけでもなく、地道に取り組んでいたら、気が付くとニッチなところで根を張っていた。
当然だが、職業人としてのポジションなんて機械の歯車のようなものだ。企業人のリストラや転職なんてよくあることで、総理大臣でさえ短い期間で交代する世の中だ。
しかしながら、育成に10年あるいは20年もかかる専門分野であれば、その仕事に取り組む中で蓄積された知識や経験の意味は大きい。
また、それらの知識や経験を蓄積するためには、本人の努力だけでなく、数え切れないくらいに多くの人たちの支えが必要になる。
私が過集中を勉強や仕事で使うことを否定せず、それは個性だと言ってくれた恩師や友人、同僚に対しての感謝の気持ちを忘れてはならない。
併せて、余人をもって代えがたいプロであるかどうかは他者が感じることで、自分がそれを感じることは思い上がりに繋がる。
しかしながら、先のバーンアウトにおいて、過集中を発動することができない状態になった時は悪夢のような状態だった。
アニメや漫画では、必殺技を封じられたヒーローが苦悩の淵から這い上がって活躍するシーンがあるが、現実はそのように甘くはない。もはや職業人として再起不能だと思った。
あえて団塊ジュニア世代的なアニメで表現するのなら、ラーメンマンがウォーズマンとの戦いでベアークローを頭部に受けて戦えなくなり、終点山に向かう時のような状態だった。
しかしながら、サイクリングによる荒療治によってバーンアウトの井戸から辛うじて這い出し、以前まで自由に使うことができた過集中が戻ってきた。
ラーメンマンは終点山にて霊命木で作ったマスクを得て、モンゴルマンとして復活した。私にとっての霊命木のマスクはスポーツ自転車だった。
また、大切な存在は失った後で実感するという言葉の通り、過集中が私の職業人生において限りなく重要な性質だということを実感した。
子育てや発達障害の専門家たちは知らない、あるいは勘違いしているようだが、過集中を起こしている間は疲れない。時間の流れも感じない。腹も空かない。
私の場合には喜びや興奮もない。ただひたすら目の前の対象に集中して、一通りの活動が終わると心地よい達成感がやってくる。
過集中によって心身が疲労するかといえば、確かに無理な姿勢のまま過集中に入ると関節に負荷がかかる。まばたきを忘れると目が乾く。
しかし、それによって精神的な負荷は感じない。むしろ、過集中を他者に邪魔された時の方が疲れる。
膨大な情報を前にして、そこで「何か」を見つける。その何かは微細な違和感とともに予想がつかないタイミングで出現する。
その場面で必要になってくるのは、長時間にわたって対象を分析し続ける集中力と論理的思考。想定外のアクシデントでロジックが途切れた時には、慌てずにロジックを組み直す。
脳の活動としては、将棋やチェス、あるいはビデオゲームに似た感覚かもしれないな。
ただし、このゲームのミッションは成功して当然で、失敗すると仕事を託してくれた人が死ぬことがある。その人の家族や友人たちのことまで考えると、ゲームとしてはあまりに重い。
所詮は他人事だと割り切って仕事をする人もいるが、私の場合にはそのプレッシャーを真正面から受けることが仕事の矜持のひとつになっている。かなり地味ではあるけれど、子供の頃に憧れたアニメのヒーローのような姿をイメージして。
だが、バーンアウトによって過集中が消えた時期は、仕事を続けることが怖くて仕方がなかった。そこにいた自分は、苦悩するだけの無様で無能なオッサンだった。
自分は失敗する、そして人が死ぬ、自分には無理だ、託された役目を果たせないと、負の思考のループに飲み込まれていた。
過集中が戻ってきた頃から、自分に対する自信も戻ってきた。自然な流れではあるけれど、仕事のペースも戻ってきた。
ここから先、私は職業人としてどのように生きるのか。
競争相手だと思っていた同世代はずっと先に進んでしまっている。華麗な一発逆転や奇跡的な幸運に出会うような歳でもない。
そもそも他者と競争する気持ちも、自分の優位性を誇りたいという気持ちもバーンアウトで焼け切れてしまった。
職業人としての劣等感は、あくまで同業者の中での話だ。例えば浦安市内には大企業に勤めている父親たちがたくさんいるが、色々な意味であまり大したことがなく、職業人として負けているとも思えない。
しかし、これまでの人生の軌跡を振り返ると、良かったエピソードの多くは、過集中を使いながらコツコツと地道に取り組むというスタイルによる成果だった。他者のことなんて関係なく、設定した目標に向かってひたすら努力することに意味があった。
ならば、迷うことなくそれを使って地道に働こう。
自己愛と承認欲求は控えめに。口数は少なめに。過集中を起こすと口から言葉が出ないが、それ以外の場所でも寡黙に過ごそう。
10年の経験を積んだ時には、プロとして他者から認められた。20年の経験を積んだ時には、ベテランとして他者から認められた。
30年の経験を積んだ時には、それまでの地道な軌跡を自分自身で認めたい。