千葉北西部の谷津道を廻りながら希死念慮を消す
土曜日の夜、自室で佇んでいた私は、非常に強い絶望感と虚無感に襲われた。その感覚は物憂げといった単純なものではなくて、希死念慮そのものだった。
非常に物騒な状態で悠長に分析している場合ではないが、この真っ暗闇の精神の井戸は、以前から苦しんでいる感覚過敏や離人症と関係があるのだろうか。
感覚過敏でストレスを自分に集めてしまい、離人症で自我が離れるのだから関係がないはずがない。
この希死念慮は、意識が死に向かってダイレクトに繋がるので、耳鳴りや目眩といった不調よりも露骨過ぎる。
辛いことばかりが続く毎日なのに、それでも生き続けなくてはならないのか。
共働きの子育てと浦安住まいのストレスを受け続けて体調を崩し、通勤地獄で物理的な時間も減らされ、職業人生さえ傾いた。若い頃にライバルだと思っていた人たちは先に進み、もはや背中さえ見えない。
老獪なスペシャリストと言えば聞こえは良いが、同世代や年下の上司に顎で使われることを嫌がる無様な職業人生だ。
仕事が無様でもプライベートが充実していれば納得しうるが、家庭はこの状況。
私は穏やかに生きたかった。どうしてだろうな。自分なりに頑張ってきたはずなのだが、違ったらしい。
こんなに不本意で無様な毎日が続くのであれば、この世から去ろうかという気持ちがやってくる。
そういえば、膨大な数の人たちが連続して自ら命を絶つというサイコサスペンス的な映像作品を観たことがあるのだが、着眼点が非常に興味深かった。
その作中では希死念慮から自死に至る過程と、性的刺激からオーガズムに至る過程の奇妙な類似点が大量死を引き起こすトリガーになっていた。
それら二つの組み合わせは、それぞれ死と快楽に至るので方向性が異なる。
しかしながら、両者について分かりやすく砕いた表現をすれば、イきたくないがイきたくもあり、強い衝動に抗えずにイってしまうと全てが終わるという点では類似しているというロジックが展開されていた。
性的刺激とオーガズムについては、生殖本能のプログラムとしてヒトの脳に組み込まれていることが明らかだ。
では、希死念慮や自死についてもヒトの脳にプログラムとして組み込まれているのだろうか。だとすれば、それにはどのような意味があるのか。
このロジックは、あながち笑い話でも馬鹿げた話でもない。現に、この国では毎日のように人間が電車に飛び込んでいる。そのように派手な散り方をする必要はなく、そもそも自ら命を絶つ必要もない。
死への衝動に誘われたと解釈することは可能だが、そんな物騒な衝動がどうして人間の脳で生じるのか。
しかし、そのようなエピソードが日常になってしまい、多くの人たちが無関心になってしまっている。
先の作品は、自死に繋がる脳のプログラムを操る能力を持った人物が出現し、まるで甘美な本能行動かのように人々の大量死が引き起こされるというストーリーだった。ああ怖い。
そう言われてみると、希死念慮が押し寄せてくる勢いは性的刺激に似ているかもしれないな。
それによって気持ちよくなりはしないが、そこに留まって生きようと耐えつつ、早く楽になりたいという解放への気持ちもある。違うのは苦痛と快楽の感覚だけかもしれないな。
とにかく子供たちが自立するまで生きなければと思いはするが、何とも幸福感のない毎日だ。
朝に目が覚めても、希望がなくて絶望しかない。浦安に引っ越したことは、我が人生で最大の失敗だった。
妻としては私がいなくなったとしても、私の保険金や貯金があると思っているかもしれないが、あまり当てにしない方がいい。
妻や子供たちは自身が経済的に恵まれた状況にあることを当然だと勘違いしている。それは私が身を削っているからこそ成り立っているだけだ。
私自身の人生に諦めがやってくるのならば、その大切さを家族に知らしめる。
実家が大きな借金を抱えていた私のように金で苦しんだ経験がないから、現実味がないのだろう。ならば現実を知ればいい。
このような思考は、夫として父親として正しくない。仏教用語では魔が差すという現象だな。
その魔という脳の情報伝達をどうやって取り除くか。
五十路近くまで生きていると、積み上げた経験が自分を助けてくれる。
自死によるカタストロフィーを引き起こしても、それは自己満足に過ぎないし、苦しみから逃げようとするとさらに苦しみが襲ってくる。なぜなら自分が逃げているからだ。
子供の頃から何度も同じ感覚に襲われたことがあるから分かる。
自己愛や自己肯定が強い人たちは、いくら叩かれても心が折れない。彼ら彼女らは自分こそが正義だと信じ込んでいるので、精神的に逃げない。
その自己愛や自己肯定こそが、妻を含めた多数の新浦安民におけるカーボン繊維のように高剛性なメンタルを生み出しているはずだ。だが、私にはそれがない。
日が沈んでから希死念慮がやってきた時には、とりあえず騒音が聞こえないようにハイスペックな耳栓を自分に取り付け、何かを食べてから深く考えずに眠ることが一番だ。鼓動が聞こえて辛くなっても気にしない。あまり考え込んでいると眠れなくなる。
そして、翌日には太陽の光と季節の風を感じながら、自転車に乗って体力が尽きるくらいにペダルを回す。これだけで精神の井戸から這い上がってくることができる。
そのヒーリングの詳しい機序はよく分からないが、2015年頃に生じたバーンアウトにおいては、今回のような希死念慮よりもずっと厳しい状況から這い上がってきた。
今はまだ余裕がある。ここから一気に落ちる前に自分の内面を整える。
そして、日曜日の朝がやってきた。身体は重く、なかなか布団から起き出すことができないが、とりあえず朝食を取り、旧式のシクロクロスフレームをベースに自分で組み上げたオールロードバイクに跨がって浦安市を脱出する。
本日は、これまでに少しずつ見つけてきた個別の谷津道を連結しながら、市川市、船橋市、鎌ケ谷市、白井市、柏市、八千代市といった千葉県北西部をグルッと一周してから自宅に戻ることにする。
昼過ぎに出発して悪路を含む道を100km程度走ることを想定すると、帰ってくる頃には日が暮れているだろう。久しぶりのナイトライドだ。
キャットアイのライトをオールロードの前後に取り付け、手首や足首に取り付けるための反射板をバックパックの中に入れておく。
浦安市を出発して市川市内の大柏川沿いの谷津道の痕跡を走り、鎌ケ谷市を抜け、海上自衛隊の下総基地から大津川沿いの谷津道を走り、手賀沼で折り返すというコースを好んでいるのだが、今回は大津川沿いの谷津道には入らずに白井市に入る。
白井市の街のデザインはシンプルながらも独特で、初めて訪れた時にはとても困惑した。
しかし、何度も自転車で走っているうちに白井市の街並みにも慣れてきた。
古くからの街のデザインに対して新興住宅地のカスタムを加えた結果なのかもしれないが、慣れてくると面白い。何より、白井市内には谷津道がたくさんある。
白井市においては街の中心付近まで護岸整備されていない小川が伸びている。これが何を意味するのかというと、近くに谷津道が存在しうるということだ。
そもそも、白井市は下総台地を地盤としており、下総台地に形成されたのが谷津という地形だ。
谷津は農業用地として栄養がある土壌や河川を有しており、そこに人々が住み着いたという理由も分かる。
つまり、白井市の中に谷津があるというよりも、谷津に人が住んだ結果として白井市の前身となる町が生まれたと解釈した方が分かりやすい。
オールロードバイクに取り付けたスマートフォンのマップ機能を立ち上げて、現在地を確認しながら走って行くと、非常に分かりやすいところに小川が見えた。
おそらく、この付近には谷津道に繋がる小道があるはず。やはり小道があった。
32Cまでサイズアップしたタイヤは、多少の砂利道でも気にせずに突っ込んでいくことができる。そのためにロードバイクからシクロクロスバイクに乗り換えた。
とはいえ、現在使っているコンチネンタルの四季タイヤは、あくまで舗装路を走るためのタイヤだな。砂利道に入ると小石をはね除けてしまって、グリップ感があまり良くない。
いくつか所有している別のホイールには、パナソニックのグラベルキングのブロックタイヤを履かせてみようかと思った。
そろそろ谷津道に入るようだと張り切ってペダルを回していたら、そこにあったのは白井市役所だった。
おかしい。私は谷津道に向かっていたのだが、県立高校のような建物にたどり着いた。しかし、方向は間違っていないはずだと先に進むと、やはり谷津道らしき光景が見えてきた。
市役所からすぐ近くの風景が牧歌的で、周りに人が見当たらない。市役所の事務職員としてはどのような気持ちなのだろうか。
そして、視界の片側を森や林が覆い、反対側に平地や田畑が広がるワインディングロードに入った。典型的な谷津道だな。
現在地としては、大柏川から二重川沿いの谷津道に入ったところだと思う。二重川を遡ると神崎川に繋がっており、それらの谷津道を繋ぐことができたりもする。
しかも、白井市の場合には、谷津道のサイクリングだけが快適なのかというとそうでもない。歩行者や自転車、自動車を避けながら広い道を走りたいのであれば、一般道でもサイクリングに適した道路があったりもする。
驚くほどに走りやすい一般道。ディベロッパーたちが住宅やホテルを作りまくってしまって面影がなくなったが、浦安市の新町エリアも10年くらい前はこのように走りやすい車道があった。
先ほどの二重川沿いの谷津道を途中でショートカットして車道を走り、神崎川の谷津道に入る。
マップで表示された場所には確かに道があったのだが、さすがにオールロードバイクでは走行が無理そうだ。

神崎川の対岸に入り、谷津道を探すと、それらしき道が見えてきた。白井市という街は谷津道がたくさんあって楽しい。

途中から農道が立派な舗装路になってくるが、たまに自動車が走ってくる程度。実に快適なサイクリングだ。
途中で秀明大学という私立大学の近くにやってきた。
この大学は素晴らしい。
カリキュラムや施設については全く知らないが、キャンパスのすぐ近くに谷津道がある。谷津ハンターにとっては最高の立地条件だ。
しばらく谷津道のワインディングロードを流していると視界が広がり、休耕地の稲田の上に浮かぶ雲に日の光が差し込んでいた。

オールロードバイクを道の脇に停めて、その光景を眺める。
地味な里山の風景かもしれないが、疲れてしまった私には神々しく見える。
ポーランドの音楽グループ「Laboratorium Pieśni」の歌がよく似合いそうだ。シャーマンドラムとポリフォニーの歌声が思い浮かぶ。
この自然の姿と比べると、人間の一生なんて短い。ありきたりな表現ではあるが、それを体感すると気持ちが変わる。
生きることと望むことは違う。しかし、望まずに生きることは可能なのだろうか。
たくさんのことに希望を持って生き、その多くが思ったようには進まず、生きることを諦めかけた時には、場所を変えて考えを落ち着けることが大切だ。科学が発展しても、やることは昔と同じだな。
それにしても不思議だ。自死によって寿命を縮めるプログラムが人間の脳に組み込まれているとは思えない。しかし、事象としては生じている。なぜだ。
その仕組みが実在しているとするならば、人類の脳が高度に進化する中で、原始脳と新皮質の間に生じた情報伝達のバグのようなものなのだろうか。
そのバグを自分で修正することは難しい。自分自身の脳がバグなんてことはありえず、むしろ真面目に辛抱強く生きた結果として疲れ果て、死への衝動がやってくるパターンの方が多いはずだ。
だが、希死念慮という思考のバグを修正して、生に向かわせるプログラムは間違いなく脳に存在しているはずだ。それがなければ人類はこの世に存在していない。
しかし、バグを修正するためにはソースコードにアクセスするためのツールが必要になるという私なりの解釈になる。
しかも、デバッグのためのツールは人によって異なり、見つからない、あるいはその存在に気が付かない場合には延々と苦しむことになる。薬漬けになったり、その先の終焉に落ち込むことも少なくない。
そのバグを修正するためのツールが、私にとっては自然環境におけるサイクリングだったという解釈になる。河川敷や一般道から谷津道にコースを変えたことは、とても理に適っている。
なるほど、簡単にロードバイクからシクロクロスバイクに乗り換える気持ちになった心理も理解することができた。
この活動にはロードバイクが必須ではなくて、ロードバイクはきっかけに過ぎなかった。走りたいコースを走るために自転車の種類を変えただけ。カスタムも楽しいが、走ること自体に意味がある。
この世を去ってしまうと、サイクリングの楽しさを味わうことができなくなる。やはり生き続けよう。前向きな気持ちになってきた。
神崎川の谷津道を遡ると、途中から新川という大きめの河川に合流する。
新川沿いの谷津道を走り続けると、途中から桑納川沿いの谷津道に入ることができる。このルートはどこかの録で逆向きに走ったことがあったと思う。
桑納川沿いの谷津道から高根台方面に進み、谷津道サイクリングは終了。
そこからは一般道を走って船橋市内から市川市に戻る。
途中で見かけたピーターパンという名前のパン屋に立ち寄って、妻や子供たちのために旨いパンを買って帰ろうかと思ったが、それが家族にとって当然になると疲れるのでやめた。
浦安市内に戻ると相変わらずの街並みに気が滅入る。明らかに人と車と自転車が多すぎて鬱陶しい。
実際に自転車で走ってみると分かるのだが、千葉県北西部の自治体の中で、浦安のように混み合っている街は見当たらない。新浦安に住む人たちは神経質で短気なタイプが多いと感じるが、ストレスフルな街の環境が人々の苛立ちを高めているのではないだろうか。
自宅に戻ると、相変わらず妻が怒り声を上げて子供たちを叱っている。
しかし、出発前の自分の中に生じていた希死念慮は和らいでいた。
腹が空いたので何かを食べたい。爽やかな汗をたくさん流したので冷たい何かを飲みたい。疲れたので眠りたい。
それらは生きることへの欲求に他ならない。そう、自分は生きている。
途中のコンビニで買ってきたアメリカンドッグを頬張り、冷たいハイボールを喉に流し込んで、自室の床に寝転がる。
全身に心地よい疲労がやってきて、意識を失いそうになりつつも立ち上がり、さっさと風呂場に向かう。
汗を流すついでに風呂全体を掃除しよう。
昨日は家庭で妻が大騒ぎして私が疲れてしまい、週一回の風呂掃除をやるだけの気力がなかった。
地味で無様な生き方ではあるが、所詮はこの程度の人間だ。悲観しても仕方がない。
来週のサイクリングを楽しみにして、しばらく生きる。その繰り返しだな。