2021/09/29

街と生活スタイルの共進化

休日の朝に目を覚まして自室を出ると、妻と上の子供の姿がない。おそらく中学受験に関係した模擬試験あるいは学校見学があるのだろう。私は平日を過ごすだけで疲れ果てている。

トイレを済ませた後で再び自室に引きこもって惰眠をむさぼろうとして寝転んだのだが、何だか嫌な予感がする。下の子供は学習塾の準備講座を受け始めた。夫婦共働きなので休日に受講し、親が送り迎えをしている。この講座が始まる時間が近づいてきたのだが、まだスヤスヤと眠っている。


しかし、昨夜に妻が学習塾への送りについて話していなかったし、朝になっても何も連絡がない。

うちの夫婦の会話の時間は平日に5分間、休日は食事時に10分間くらい。それぞれ連続した会話ではなくて、その日の合計時間。

急な連絡を携帯電話のショートメールでやり取りすることはあるが、私はLINEなどのSNSを全く使わないので、基本的にはネット上での夫婦のやり取りは全くない。

ということで、同じ家に住んでいるわけだが、あまり相互に立ち入らない同居人のような関係になっている。一時は離婚寸前だったわけだから仕方がないと思いはするし、そもそも言葉のキャッチボールが出来ない夫婦なので会話が続かない。

どちらかが会話のボールを投げて、それを受け取り、再び投げ返す。相手が受け取りやすいボールを投げ、相手から少し外れた場所にボールが飛んできても受け止める。それが会話のキャッチボールなわけだ。

しかし、残念ながら我が家ではキャッチボールが成立しない。私が投げた言葉のボールを、妻がバットで打ち返してどこかに飛ばしてしまうからだ。

それではキャッチボールにならない。以前は外野まで打ち返されたボールを拾いに走るかのように妻と会話を合わせていたけれど、今はもう疲れてしまった。全く関係のない発言が妻から飛んできた時点で、夫婦の会話は終了。

この状況において、もしも下の子供の準備講座があるのならば、子供を学習塾まで送るのは私の役目だ。しかし、妻から何の情報共有もなかったし、下の子供はまだ布団の上で眠っている。

そして、あと少しで講座の開始時間だ。大丈夫だと思ったけれど、念のため下の子供に声をかけて起こしたところ、やはり本日も準備講座があるらしい。

下の子供は、まるで部屋にネズミが出現した時のドラえもんのようになり、慌てて朝食を食べ始めた。寝ぼけた状態の私の頭も覚醒して高回転している。

子供を連れて学習塾にたどり着くまでの時間、子供が身支度をする時間、そして私が出発までに行う様々なことにかかる時間。

朝食を食べていたら絶対に間に合わない。

とにかく着替えろ、鉛筆と消しゴムだけは忘れるな、そしてトイレに行けと子供を急かし、私は寝起きの状態から1分間程度で着替え、寝癖が付いた髪の毛の上から帽子をかぶった。

子供の準備ができるまでの時間に、携帯のショートメールで妻にどうなっているのかと尋ねた。妻としては下の子供が目覚ましをかけて自分で起きる予定だったらしい。

そして、下の子供と私は、まさに今起きました的な状態のまま学習塾にたどり着いた。講座開始まで、残り30秒。

下の子供を学習塾に送った後、休日の新浦安の街中を歩く。

嫌なんだ。平日だけでなく休日まで新浦安の街を出歩くことが。この街の鬱陶しい雰囲気どころか物理的な鬱陶しさが苦手なので、休日は可能な限り家から出ないことにしている。

それが私にとってのせめてもの心の回復になっている。何らかの都合で休日の新浦安の街中に出なければならない時には、起床してから数時間をかけて気持ちを準備し、「仕方がない...行くか」という踏ん切りが付いたところでドアを開けている。

だが、今回は目覚めてから気持ちの準備ができない状態のまま出発することになった。このように些細なことで心身に大きなダメージが蓄積する。

それにしても、休日の朝だというのに、どうしてこの街の住民たちは街中に出るのだろうか。妻もそうだが、疲れて休む時以外は、とにかく「おそと」が大好きな住民が非常に多い。そんなにこの街が好きで、外に出ないと精神を保つことができないのだろうか。

私は可能な限り自室に引きこもっていたい。街に出ることがとても嫌なんだ。

仕方がない話ではあるけれど、千葉県で最も高い浦安市の人口密度はダテではなく、歩道にも駅前にも人がたくさんいる。

平時はこの状態に加えて、キャリアバッグを引っ張るディズニー客が加わり、私なりには阿鼻叫喚の地獄絵図になる。

旅の恥は何とやらのディズニー客については絶望しかないが、その街の人たちが高く啓蒙されていて、モラルを保って上品に生活していれば軋轢は少ないはずだ。

ところが、街中を歩いていると、ディズニー客だけではなく地域住民たちからも大きなストレスを感じる。

歩行者が進んでいる方向と交差する形で、ママチャリに乗った住民が群れのように走ってきて、当然かのように自分の進行方向を主張している。

この場合には、歩行者が優先なのだが、この街の住民にはそこまでの不文律や民度は存在していない。「なんだと!?」と反論したいのであれば、実際に新浦安の路上で住民を観察すればいい。

人の内面は自転車の走り方に映る。

歩行者に対する危険な行為、スマホを見ながらの走行、信号無視、ヘッドホンの装着、二人乗り、夜間の飲酒運転、信号無視。

市外の人たちに説明する場合には、市民の多くが、都内のウーバーイーツの配達人のような感じで自転車で走っていると表現すると分かりやすい。

自分の都合ばかり考えて、他者のことなんて気を遣わない。この街の市民性がとてもよく顕れている。このような姿を見るたびに、「こんな街に住みたくない、早く引っ越したい」と自分自身に訴えかけている。

浦安市役所と浦安警察署がタイアップしてモラルがない住民を厳しく取り締まるべきなのだが、住民に対して及び腰になっているとしか思えない。

実際にその土地で生活していると、様々なシチュエーションで地域住民と接することになる。荒くて我が強いのは自転車運転だけではない。生活の多くに当てはまり、住民同士の口論もよくある。

都内の23区に住んでいたことがあるが、ここまでカオスになっている街で生活したことがない。23区といっても治安の良し悪しは様々だ。都内では同じ区においてもモザイク状に環境や雰囲気が異なっていて、ブロックをひとつ越えるだけでそれらの違いが分かる。

だが、新浦安の場合には、駅近くの中町エリアでも駅から遠い新町エリアでも、住民については似た雰囲気がある。短気で自己主張が強い。

さらに、住宅を作りまくり、ホテルを作りまくった結果として人口密度が異様な程に高くなり、人と人との物理的な距離が狭まっている。物理的な距離があれば、苦手な人たちと接触する機会も減るのだが、むしろ距離が近くなってしまう。

街中を歩いているだけで、強い目眩と動悸がやってきた。軽いパニックにも似た焦燥感と絶望感もある。どう考えても適応障害だな。この新浦安での生活において。

しかしながら、今更ながら気付いたことがある。

私はこの街が酷く苦手だ。一刻も早く引っ越したい。子供たちが市立小学校を卒業した時点で、私の世帯は速やかに市外に引っ越す予定だけれど、その時まで自分の精神を保つことができずに発狂するような強迫観念を感じる。

関係が良くない義実家が浦安市内にあるという背景もある。嫌なんだ、この街には住みたくない。街自体に嫌悪感と拒否感がある。

現在の妻との結婚を考えている時、妻が浦安出身だということをあまり深く考えていなかった。とんでもないことになったと思う。人生最大の失敗だ。

様々な場所に住んできたけれど、ストレスでフラフラになったり、顔をしかめながら街中を移動せざるをえない街は初めての経験だ。

一方で、新浦安において快適に生活している人たちも多いはずなんだ。彼ら彼女らは、どうしてこの街での生活が良いと感じているのだろうか。私はそれがとても不思議で仕方がなかった。

妻や義実家も、浦安の外の自治体については厳しく批判したりもするわけで、私が新婚時代に台東区に住んでいた時には、妻を含めた義実家オールスターズが私に無断で住居に立ち入って批判したことさえあった。

台東区なんてとんでもない。浦安の方がずっと住みやすいと。この人たちは千葉県民なので、東京都民の考え方が分からないのだろうと私は思った。

台東区は治安が悪いというイメージがあったりもするが、先述の通り、23区の場合には通りを隔てて雰囲気や治安が変わってくる。足立区や江戸川区、さらには新宿区であっても安全で住みやすい区域はある。

私が新居としてマンションを借りた台東区のエリアは通勤がとても楽だったし、自分なりには住みやすかった。

しかしながら、新浦安を嫌悪している私の思考の全てを初期化して、この街を好んでいる住民たちの視点で新浦安を眺めると、どのような感じになるのだろうか。

新浦安の場合、それぞれの地区で細かな違いがあるが、23区のようにブロックをひとつ越えただけで環境や住民の雰囲気が大きく変わるわけではない。

「千葉県」でナンバーワンの財政力があり、施設やサービスも整っている。職場にもよるが、東京にアクセスしようと思えば「千葉県」の中で他の街よりも便利な場所に位置している。

その場合、都内に住むよりも明らかに不便だが、あくまで「千葉県民」としては良好な条件だ。

つまり、浦安市が「千葉県」にあり、自分が「千葉県民」だという認識があれば、この街に住んでいることの優越感があるのだろうか。私は妻と義実家の主張によって浦安市に住んだだけの話で、「千葉県民」という実感が全くないし、「千葉県民」としての帰属意識もない。

家庭の都合で一時的に「千葉県」に住んでいるという認識だ。この考え方が自分を追い込んでしまっているわけだな。実際には「千葉県民」なのだから、自分は「千葉県民」なんだ。

子供の頃や若き日の自分は地方の田舎町で生まれ育ち、「いつかは東京に行くんだよ」と母から励まされた。実際に東京大学に通い、ずっと東京に住む予定だった。

しかし、なぜに千葉県に住んでいるんだ?

嫌だ。東京都民に戻りたい。千葉県民になりたくなかった。千葉県出身の女性と結婚することが、こんなにリスキーだとは思いもしなかった。義実家を含めて寄ってたかってプレッシャーを受けて千葉県に引きずり込まれるなんて思いもしなかった。

さて、落ち着きを取り戻して、ここからは浦安が23区を凌駕していると思う要素に考えを広げてみる。

最も大きな点としては、街全体の清潔感。深く述べる必要もないが、街中に吐瀉物が広がっていることもないし、道端で寝転がったり倒れている人を見かけることもない。

危険な目に遭いそうになって110番をかければ、すぐに警察がやってきてくれる。

かなりピーキーな市民に出くわして心を痛めることは多いが、警察を呼べば何とかなる。つまり、衛生や治安の点ではかなりレベルが高いと思う。

次に、利便性。

中町エリアや新町エリアのショッピング施設は充実しており、生活に必要なものは金さえあればほぼ全てが手に入る。

自分が住んでいたから知っているが、23区内の手頃な価格の住宅地の場合には、近くに小さなスーパーがあるだけとか、大きなショッピング施設に行くにはバスや電車に乗る必要があった。

マイカーを買って移動しようにもマンションに駐車場が付属していない場合が多く、近隣の月極駐車場は数が限られている上に高額でコストがかかる。

新浦安の場合には、駅から自宅に帰るまでの動線上で買物ができる。この特徴は、郊外のベッドタウンでもある話だが、市域が狭いのでさらに利便性が高まる。

また、住宅についてはどうなのかというと、23区の中で一戸建てや広めのマンションを手に入れる、あるいは借りることは金額的に難しい。親が資産家だとか自身の稼ぎがずば抜けて高いといった話ならば別だが。

しかし、浦安市内の場合、ほぼ東京という場所でそれが実現するわけだな。しかも、住宅に駐車場がセットで付いてくることが多いことを鑑みると、さらに割安感がある。

では、私が嫌悪している新浦安の人口密度の高さや鬱陶しい街並みについてはどうなのか。おそらく、彼ら彼女らには、そのような感覚自体が存在していない可能性がある。

少なくとも、うちの妻は人が多くても全く気にしていない。それが街の発展というものだと誇ったりもする。

新浦安には、老若男女を問わず多動性と衝動性が高くて、承認欲求と自己愛が強い住民が多いという実感がある。

だが、それらの性質は、職業人として活躍する上で必ずしもデメリットになるわけではない。むしろ、積極的に業務を進める上で大きな馬力に繋がったりもする。

そのような人たちは、短気で突っ込みが激しい人が多いと私になりに考えているのだが、だからこそ非効率的なシステムを嫌い、効率的なシステムを好む。

住まいとして利便性が高く、様々な場面で千葉県ナンバーワンであり、しかもディズニーという日本最強のアトラクションがある街。

地方に出張した際に、どこに住んでいるのかと尋ねられて、「ああ、浦安市です。ディズニーがあります」と答えると、「そうなんですか!? 凄いですね!」と言われることがある。浦安市だって千葉県なので地方の一部なのだが、街中がディズニーのようになっていると勘違いする人がいたりもする。

なるほど、承認欲求や自己愛を充たす上でも十分な環境だな。

そのような環境を好む人たちが集まってきたから、このような街になっているというわけか。奥さんが浦安出身あるいは千葉県出身という家庭がとても多いことも納得しうる。

新浦安を気に入った人々が集まり、人々が気に入る形に街が変わっていく。

その変化の原動力は移り住んだ人々が街に納める市民税や個人消費。それと浦安という舞台でビジネスを展開する大手企業や地元の中小企業。

ヒトが集まるところにはカネが集まる。行政が旗を振った地方創生では「まち・ひと・しごと」というフレーズが使われていた。

しかし、この街の場合には「マチ・ヒト・カネ」というスキームで地方創生を達成したわけだ。住民たちの仕事は隣の東京に大きく依存し、そこで稼いだ後で街に金を落とす。

街の変化が先に始まり、人が集まって変化を加速させ、街の変化によってさらに人が集まるというプロセスを繰り返してきたことが、新浦安を中心とした浦安市の発展の機序ということか。

つまり、生物学的には「共進化」と呼ばれるようなスキームによって、街と人々の生活が変化し続けている。

そのようなスタイルは浦安に限った話ではないが、その変化がドラスティックに進んだ。

行政がお花畑風に「まちづくり」と表現する取り組みは容易なことではない。その土地にはその土地の背景や経緯が存在する。また、長年をかけて構築された地域のシステムを変化させることは難しい。

ところが、新浦安の場合には、埋め立てに伴って市域が拡大しただけでなく、その土地の使途について自由度が高かった。

埋め立て前は海の底に沈んでいるスペースが地上になり、人々が移り住んだ。その土地の地域文化も社会的風習もなく、真っ新な状態からのスタートだったわけだ。

それによって、街と人々の生活という両者において、凄まじい勢いで共進化が進んだというわけだ。

したがって、この街の状態について私が嘆いたところで全く意味がない。この街に住みたいと思って住んでいるわけではないし、この街に住んで良かったと感じていないし、この街が住み良くなるにはどうすればいいかなんてことも全く考えていない。

市民として何たることだと批判されようと、この街に住みたくない。

人類の歴史を振り返ると、私のような個体はその場所で淘汰されて早死にするか、別の場所を求めて移動していた。そして、自分は実際に別の場所を求めて移動しようとしている。

いくら文明や技術が発達しても、やっていることは人類が登場した頃から変わっていない。

なんだ、そういうことか。