書き残したログが自分の役に立つのは3年後
ログを残しておかないと、自分が1年前に何をやっていたのか、もしくは何を考えていたのかという記憶さえ曖昧になる。五十路になってくると時間の流れが速く感じるのは、それらの記憶がスキップされているからなのだろう。
1年前に残した録を眺めてみるとどうなのかというと、大して変化のある生活を迎えているとは思えない日常が記録されている。
浦安という街での生活に不満を感じ、現在の夫婦関係に不和を感じ、子どもたちの将来に不安を感じ、諦観というか失望というか、まあそういった黒い霧のようなものが頭の上に被さり続けているのだなと。
一方で、バーンアウトから回復する過程で、それまで失われていた心と体の連動に少しの希望を見出していたり、回復しきれずに後遺症として残った離人感に苦しんでいたりと、極めて地味ではあるがひとつのドラマのように感じることもある。
最も大きな変化があったのは、仕事、家庭、趣味という自らの三本柱のうち、趣味という柱だった。
10年以上も趣味として続けてきたロードバイクについて、この2年くらいの間に違和感を覚え始めた。コロナ禍による様々な制約が趣味にも反映されたわけだが、全てが不幸だとも思えない。自分自身の趣味という活動を考える上で大きな岐路になった。
その後、色々と思案しながらシクロクロスバイクに乗り換えた経緯が録に記されている。もちろんだが自分の頭の中でもそれらの経緯を大まかに記憶しているけれど、当時の自分はどうでもいいことに悩み、試行錯誤を経ていたことが分かる。
答えが分かれば大したことがない。生きるとはそのようなものだな。
SNSとブログが異なる点はたくさんあるが、前者の場合には一連のログが消耗品のように感じる。コミュニケーションの道具としての位置付けなのだから当然だな。
ネット上で他者と繋がること、自分を他者に表現すること、あるいは他者の表現を受け取ること、そのような活動においてSNSは便利なツールであり続けている。
一方、ブログの場合はどうなのかというと、ネット上でスペースを借りて、そこで自分なりの農園であったり、遊び場であったり、書斎をつくるという感じに似ている。しかし、昨今では他者が自分のスペースにたどり着くことができなかったりもするので、コミュニケーション機能が改善されたブログサービスもたくさん生まれている。
そういえば、もう少しでHYPSENTは開始から2年目を迎える。ブログというツールを使い始めたのは2015年くらいだったが、それまでに立ち上げたいくつかのサイトは閉じてしまって残っていない。
それらのサイトをどうして閉じてしまったのかというと、「他者に見せること」を前提に更新を重ねていたからだと思う。そのような活動に疲れてしまった。
往々にして自分のプライドであったり、自己愛を表現するコンテンツになってしまっていたりもするし、より多くの人たちに自分を承認してほしいという欲求もあった。
HYPSENTの場合は違う。バーンアウトで苦しみ続けて、そこからどうやって生き続けていたのかというライフログを幽々と記している。他者から見て面白く映るはずもなく、自分で読んでも楽しいとは感じない。楽しい生き方を重ねていれば、ログも楽しくなる。それだけのこと。
しかしながら、このサイトを始めた頃、つまり2年前の自分と今の自分を比較してみると、少しだけ何かが変わっていることが分かる。
コロナがやってきてから、私の社会に対する見方は大きく変わった。夫婦関係も変わってきた。趣味についての考え方も変わった。
3年前の自分と現在の自分を比べると、生き方や環境、考え方がもっと変わってくるはずだ。そのことに気付いてみると、過去に閉じてしまったブログをどこかに残しておけば良かったのかなと思ったりもする。育児を続けていた頃の自分は、どのような気持ちだったのだろうか。
さて、HYPSENTを始めた頃の自分は、現在の自分に対して大切なメッセージを残していた。「毎回のログが長文になりすぎるので、これからは短くしよう」という方針。
それから1ヶ月くらいで再び長文の録になり、1年も経つと延々と自分の思考を描き写すようなHYPSENTのスタイルが出来上がってしまった。いくつかのテーマを混ぜてしまうから、長文になってしまうのだな。
この辺で過去の自分の考えを認めて、ブログのスタイルを仕切り直そうと思う。10分間くらいで打ち込み、パソコン画面で1スクロールで各々の録が完結する程度に。すぐに忘れるかもしれないが。