ドラクエの頻度で自己愛モンスターに遭遇する街
コンビニのレジの目の前には小学校低学年くらいの女児と保育園の年長くらいの男児の姉弟。順番がまわってきて、その姉弟が小さなスナック菓子をレジ台に乗せ、小銭が入ったポーチを取り出して代金を払おうとしている。微笑ましい光景だ。
外国人の店員が気を利かせて「レジお願いしまーす!」と他の店員に声をかけ、「真ん中のレジへどうぞ!」と別の店員がやってきて、自分が誘導されてレジの前に立った。すると、玄関のドアが開いて60代くらいの小太りの翁が駆け込んできた。手に持った1万円札はヒラヒラと揺れていて、余程に焦っていたのだろう。
その小太りの翁は、先の子どもたちが支払っているレジに割り込んでいった。私は、彼がその姉弟の祖父だと思った。金が足りなくて急いで持ってきたのだと。
しかし、そこからが浦安風のエキセントリックな展開の始まりだ。
小太りの翁は白髪の短髪で、新町の元経営者や元管理職によくいる、あるいは元町の元漁師の資産家によくいる頑固で横柄な感じの男性だった。
真ん中のレジに誘導されて支払いを始めている私に向かって、「この子たちの方が先だ!」と大声を挙げ始めた。
先ほどの姉弟たちは白髪で小太りの翁に割り込まれて後方に下がってしまっている。
彼の説明が全く足りないので、私には意味が分からない。新浦安でおかしな人に遭遇することは珍しくないのだが、今回の翁も言動がおかしい。
このようなモンスターに対しては、距離を取って離れることが重要だ。戦うとHPとMPを吸い取られるだけ。何も得ることはない。
だが、今回のモンスターは子どもたちを巻き込んでしまっている。無視するわけにもいかない。この老人は周囲に迷惑をかけている。老害という指摘を受けても仕方がない。
子どもたちとしても、いきなり知らない老人がレジに割り込んできて、どけと言われたのだから困惑してしまう。
この点は、外国人の店員の仕切りが良くなかった。「後列にまわってください」と翁を注意すべきだった。
しかし、翁が訳の分からない優先権を主張するなんて、日本はおかしな国だと感じたことだろう。
おかしな国ではなくて、この街の状態がおかしいだけなんだ。
状況は理解しえないが、その白髪で小太りの翁は支払いを始めた。この図々しさは半端ない。
そして、私は、翁によって押し退けられた子どもたちを「こっちだよ」と優しく誘導して、自分はレジから離れた。
つまり、この翁はレジに並んで支払いを始めていた姉弟の祖父ではなく、全く関係のない老人のモンスター客だったということだ。
非常に紛らわしい状況だな。
おそらく、コンビニで支払いをしようとして、自分の手持ちの金が足りないことに気付き、レジをそのままにして新町の自宅に急いで戻ったのだろう。
そして、その金を手にしてコンビニに戻り、レジで支払いをしようと思ったら、レジに子どもたちが並んでいた。
普通の民度がある人ならば、とりあえず列の後方に並ぶだろう。60代の爺さんならば、それくらいの余裕があって当然だ。
しかし、彼は迷わずそのままレジに進んで、子どもたちにどきなさいと言い放ち、私に対して「この子たちが次だ」と主張しているわけだ。
なぜにその翁のプライオリティが先なのか。レジから離れて店を出たのだから順番は後回しだ。歳を重ねて、そんなことも分からないのか。頭がおかしいという表現は中傷になってしまうので言わないが、思考がおかしい。
この録を眺めている人たちならば、すぐにその翁の異常な行動に気がつくことだろう。
年齢を重ねた老人だからこそ備えている気持ちの余裕も、深い配慮も、この翁からは全く感じない。あるのはただ、このモンスター客を蹴飛ばしたくなる嫌悪だけだ。
高齢者福祉は大切だと私は考えているが、だからといって老人が全て偉いという考えは私にはない。
現に、多くの老人が運転する自動車によって、たくさんの子どもたちや若い人たちが亡くなっている。
老人を甘やかせてはいけないという意味ではなくて、社会として、成人としてのルールを守らせる必要がある。年齢なんて関係ない。間違っていたら叱ってやる必要がある。
老人に限らず、私が新浦安を嫌悪する最大の理由。それは、思考がおかしい住民に遭遇する確率が非常に高いこと。信じられない言動に出る民度の低い市民が多すぎる。
この街の市民は、それが職業として従事している人たちへの当たりが強すぎる。店舗の店員とか、市役所の職員とか、そういった反論することができない人たちに対して、上から目線で偉そうに振る舞う。
「こっちは、客だ」という威圧的な態度で。
しかも、そのベクトルが職業人だけではなくて一般市民にも向かい、互いにささくれだった人間関係が繰り広げられる。
私は、そのような態度がとても気に入らない。いくらアッパーミドルで収入があるからといって、それが人として偉い訳でもない。
私の心情としては、この年甲斐もなく我を張って自らの順番を優先する爺を蹴り飛ばしてやりたい気分になったが、法治国家の日本でそれをやると、私は逮捕される。
この翁は、法律とモラルの狭間を巧みに見極めて自分の我を通そうとしている。このような老人にはなりたくない。
まあ、私のような昭和の世代にも、「頑固爺」という存在はどこにでもいて、より若い人たちから嫌われ続けても気にせずに、いや、嫌われていることさえ感じずに孤立し、枯れて世を去ることがよくあった。そのような人たちの性格は世を去るまで直らないし、すでに成人したその爺の子供たちだけが叱ることができた。
しかし、新浦安は世代間の繋がりが切れている。モンスター老人を叱る存在がいないだけでなく、さらに行動がエスカレートする。
絶望的なことに、新浦安には、このような団塊世代の老人たちがとても多い。田舎で遭遇する頑固爺の場合には無視してもやり過ごせる程度だが、浦安の場合には数が多く、しかも生活圏が重なっているので向こうから絡んでくる。
ここまで人口密度が高いと、確率論的に頻度が高くなるという話なのか、そもそもおかしな人が多いからなのか。おそらく両方だろう。
挨拶しても返さない翁、マンションの玄関先でゴルフクラブを振り回す翁、ペット不可のマンションで当然のように愛犬を散歩させている翁。やりたい放題だな。
新浦安に引っ越してきてから、「この人は素晴らしい、勉強になる」と感じる翁に出会ったことがない。
アッパーミドルが生活しているので、それなりに収入がある人たちなのだろうけれど、人として学ぶところが少ない年長者たちがたくさん住んでいる。
それが何を意味するか?
災害時において、そのような人たちを助けようという気持ちが失せてしまう。彼らとしても私たちの世代を頼りにしていないだろうけれど。
別に親でも子でもない関係だ。ただ単に同じエリアで住んでいるというだけのこと。恩があるわけでもなく、法的に助け合うことを制約されているわけでもないし、挨拶もしないような翁を助けてやる筋合いもない。
この街が再び液状化を起こしても、私はそのような翁を助けるつもりはない。
米国ではコロナ禍に乗じてブーマーリムーバーという運動が生じて、若者たちが積極的に感染を広げて、ブーマー、つまり団塊世代を死亡させて数を減らそうという恐るべき行動に出たこともあった。
日本の高度成長期を支えてきた団塊世代たちの多くは、それなりの収入を得た上でリタイアし、それなりの社会的な保障を得て、今でも安心して生活している。逃げ切り世代と言われることもある。
もちろんだが、日本の発展における彼ら彼女らの貢献は間違いなく大きい。
だからといって、若い人たちから老害と揶揄される行動に出ても構わないというロジックは成り立たない。どうして彼らはあのように居丈高な態度を取るのだろうか。
コロナ禍で社会は高齢者を守ろうとした。感染するとダメージが大きな世代だからだ。しかし、それが当然だと受け取っている翁が珍しくない。
他方、高齢者に気を遣う必要はないと羽目を外す若者も珍しくない。
それが世代間の相違だと考えると仕方がなくもないが、我が強い爺さんを目にすると、確かに私も気分が良くない。
それにしても信じられない。
コンビニのレジの順番なんて些細なことだ。
それを待つ心の余裕さえないというピーキーさ。高齢者に限らず、まさにそれが私が嫌悪している浦安の民度の低さだ。
どこまで自分本位なのか、どこまで自己愛に溢れているのか。
おそらく、彼の頭の中では明確で歪なロジックが成立しているのだろう。
自分が先にレジに並んだのだから、不備があって離れても、自分は「予約」のような形で優先されるのだと。
コンビニの店員が外国人で、あまり強く言えなかったという経緯があるのかもしれないが、子どもたちがレジに並んでいるところに割って入る成人なんて、恥を知れと言いたい。
私としては、年甲斐もなく我田引水な言動に出ている翁に遭遇したのだから、すぐに反論すべきだった。
「何を言ってるんだ。あなたの都合でレジを待たせているのであれば、先客を優先し、あなたは後列で待つべきだ。そんなことも分からないのか?」と。
その翁が逆ギレしてきたら、ひるまずに非を問い、「間違っているのはお前だ」と、一歩も引かずに警察を呼ぶ必要があった。
このような翁については、一度、痛い目に遭わないと反省しない。昭和の日本であれば、このような翁は手酷い扱いを受けていたはずだ。この男たちを叱ってくれる存在がおらず、今の空気はとて緩い。緩いからこそ図に乗るのだろう。
この人はそれが当然だと思って行動しているし、同じように不快な気持ちになる人たちが生まれ続ける。
その我田引水な翁が、可愛らしくレジに並んでいる子どもたちの祖父だと勘違いしたことが私の失敗だ。
まさか小さな子どもたちを押し退けて、全く関係のない老人男性が割り込むなんて、常識で考えるとありえない話だ。
恥を知れ、恥を。
そのように常識で考えるとありえないことばかりが生じるのが、この千葉県で随一の人口密度がある浦安のリスクだ。
この街は人口密度に反比例して、民度が低すぎる。人口密度が高くなればなるほど、同じ市民が匿名化した他者になってしまうんだ。
人は匿名化した他者に対して気を遣わなくなる。その行き着く先が新浦安のような状態なんだと私は思う。
感覚過敏を有する私が、このような街に住み続けていたら精神を汚染されると思っているし、実際に汚染されて解離性障害を生じている。
子どもたちのためだけに浦安に留まって我慢し続けているが、こんなに民度の低い街で生活し続けることは生死に関わる。いつ発狂して自死するのかというレベルだ。
私にとっては、それくらいに住んでいるだけで苦痛を受ける街だ。心拍数が上がるので休日も外出したくない。そんな街が住み良い街と言えるのか。最悪の街だ。
「この街に住みたい!」というフレーズを見て、何を言っているのだと私は疑問に思う。
首都圏の様々な街に住んできたが、ここまでストレスを浴び続けるような環境で生活したことがない。
子どもたちが市外の私立中学に合格すれば、私は速やかに引っ越しの準備を始める。
その日が来るまでの我慢だと私は考えているが、先は長い。妻の実家が浦安市にあることが私の悲劇だった。
結婚あるいは、子育てを機に東京都内から近郊のベッドタウンへの引っ越しを考えている夫婦がいて、あまりストレス耐性が高くない人であれば、絶対に新浦安には住むべきではない。
都内と比べると、住居費が安いかもしれないが、安いということには理由がある。
浦安に住むのであれば、少し我慢してでも隣の市川市に住むことを勧める。
しかし、市川市にも色々とあるので、何とかして23区の中に住むことを検討してほしい。
子どもたちが学校に通い始めると、すぐには引っ越しすることが難しくなる。私は10年以上も我慢し続けている。
面倒な保護者関係に巻き込まれるのは浦安に限った話ではないが、この街には、どうしてこんなに狭いエリアで小山の上に立ちたいのかという父親や母親がたくさんいる。
マウンティングや陰口で精神を消耗し、苦い思い出だけを残すような時期を過ごしたくないのであれば、この街に住まないことだ。
ネット上で「この街に住みたい!」とか、「この街のまちづくり!」と言っている人たちは、市内の業者か市役所の職員、市議会議員、あるいは市から補助金をもらっている団体の人たちばかりだ。中には市民だけれど不動産投資で儲けている市民までいる。
そのような人たちは、きちんと利益相反を明示せよと言いたいのだが、彼ら彼女らはそれらの背景を隠したまま街のアピールをしている。
「私は、市内の不動産会社の社員です!」とか、「私は、浦安市役所の職員です!」と明確に示してくれれば分かりやすいのだが、彼ら彼女らは身分を隠したままだ。知らない人は背景や意図を知らずに、そのアピールを信じてしまうことがあるだろう。
そもそも、人が人として快適に生活するためには、集団の密度が適切である必要がある。こんな狭い面積にディベロッパーが住宅を作りまくり、たくさんの住民を詰め込んだら、確率論としておかしな人に遭遇して当然なんだ。
私の経験則としては、たった数時間、新浦安の街中に出ただけでおかしな住民に遭遇し、外出したことを後悔することになる。
今回は仕方がなく外出したわけだが、平日は駅と自宅の往復のみ、休日は絶対に家から出ないように引きこもっている。市内に出れば不快な出来事に遭うことが分かりきっているからだ。
どれくらいにおかしな人に出会う確率があるのかというと、ドラゴンクエストをプレイしていてモンスターに遭遇する頻度に近い。
とりわけ新浦安では、老若男女を問わず、自己愛モンスターがたくさんいる。その割合は10%といったレベルではなく、もっと多い。
自己肯定が強く、短気で、自分のことばかり優先する人たち。他者のことを慮る心の余裕なんて何もない。
常識的に考えて、その状況では口に出すべきではないのにも関わらず、「自分こそ正義」という形で堂々と口に出すモンスターが多い。
モンスターペアレントという言葉が広がっているが、この街にはずっと前から様々なモンスターが跋扈していた。
しかも、彼らのような自己愛モンスターは、予期せぬタイミングで自己愛を発揮して意味不明な主張を展開してくるので、自分としては反論したり切れるポイントを逸する。
彼ら彼女らの主張は実に単純なんだ。「自分の方が優位だ」とか、「自分の方が先だ」とか、そういった実にくだらないマウントを取ろうとしたり、「決まりじゃないから、構わないだろ!」とルールを無視したり。
歩道を含めた公共の場での喫煙は頻繁に見かける。歩きタバコなんて日常茶飯事。
自転車に乗る時には、「キープレフト」が当然だが、この街ではキープレフトどころか、自分が走りたい側を自転車で駆け抜けていく。
様々な街に住んできたが、こんなに自転車の運転が荒い街に住んだことがない。目の前の自転車を左側から抜いていくなんて、自転車乗りから考えると信じられない話だ。
深夜の歩道では、明らかに酒帯びの市民が自転車に乗って自宅に帰っている。都内の職場から帰る途中で一杯ひっかけて、そこから新浦安駅に到着するのだから、酒を飲んだまま自転車に乗るという形になるのだろう。
浦安警察署は知らないふりだ。
それでは、歩行者がきちんとしているのかというと、自分たちが歩きたい場所を歩く。
とりわけ、新浦安駅前の入船何とかエステートという団地の住民たちは、歩道を自転車が走ってきても周りを確認せずに横切ることが多い。どのような精神構造なのだろう。
歩行者優先だから当然だと考えているのだろうか。
さらに、地区を問わず、学習塾や保育園の前では保護者がマイカーで迎えにやってきて駐車して列をなし、その中でスマホを眺めながら通行を妨げている。
特に父親たちの癖の悪さには閉口する。そのような人たちは地域住民が注意しても色々とゴネるか、逆ギレしてくるか、無視してくるか。話にならないので警察を呼ぶしかない。
母親たちにおいては、気に入らない保護者がいたら睨みつけたり、その集まりで他の保護者に対して怒鳴る母親までいる。井戸端会議で他の世帯のプライバシーを広げたり、デマを流したり。
私が頭の中で想像するマリナーゼとは、そのような人たちだ。
気に入らない教師がいれば、保護者がクレームを入れて異動させることもある。その際、保護者同士で署名を集めた学校さえある。そういった親がいるのも新浦安だ。
浦安市内の公立小学校から異動する教師は、その行き先が市外の場合が多い。やっと厳しい土地から逃げることができたと安堵していることだろう。
モラルやマナーの程度のことを民度と定義するならば、この街の民度が高いはずがない。
彼ら彼女らは自分の行動について全く疑問を感じていないので、それが当然かのように他者に対して自分の行動を示す。
こちらとしては、その不可解な言動が何を意味するのかを理解し、そこから反論するのでリアクションが遅れてしまう。
先の話に戻ると、私としては白髪の小太りの翁の言動から全てを察する必要があった。しかし、短時間ではモンスターのパターンを理解することができなかった。
常識ある成人は、レジに並んでいる小さな子どもたちを押し退けて自分が割り込むなんてことはしない。そんなことをするのは思考がおかしい人で、自分がそのような異常な人に遭遇しないと思い込んでいた。
しかし、私は忘れていた。ここは新浦安なんだ。
忘れ物をしてレジから離れたのなら、列の後方に並ぶことが常識だと私は思い込んでいたので、その翁の行動を理解することができなかった。
後方に並んだくらいならば、数分から5分程度の時間のロスだ。自分に過失があるのだから、その責任を自分で負うのが常識だろう。
だが、新浦安では、他者の時間のロスについては全く気を遣わないにも関わらず、自分の時間がロスすることを極端に嫌う自己愛モンスターがとても多い。
なんだその意味不明な自己肯定は。そこまでお前たちが偉くて、時間が尊いものなのか。そうやって、自分の都合を追求し続けて、目的一直線で富を得て、アッパーミドルになっているのか。
その白髪の小太りの翁は、気が済んだかのようにコンビニを去った。何も悪びれていない。それが当然だと思っている。
私が事の経緯を全て察していれば、「おい、待て」と引き留めて口論に至っていたはずだが、口論に至る余裕さえないくらいに彼の言動は自己愛に充ちていた。
そして、私もレジの支払いを済ませて外に出たら、彼はまだ自転車の前でモタモタとハーフパンツのズボンをあさっていた。
おそらく、自転車の鍵をロックした後、その鍵をどこに入れたのか忘れてしまったのだろう。もはや、認知症の傾向があるのではないだろうか。
くだらない。子どもたちを含めて、あれだけ他者の時間を浪費しておきながら、その翁は自転車の鍵を開けられずに時間を浪費している。
その後、我田引水な翁は、新浦安でよくある潮風の中で手入れを怠ったボロボロのママチャリに乗って、横断歩道で人混みに入り、すぐさまマスクを取り外した。
自分に甘く、他者に厳しい自己愛者の特徴だな。
すでに十分な歳を重ねて、たった一枚の紙切れを顔に乗せていることが、そんなに苦痛なのか。
自分を守るためだと思えば、我慢する必要があると思うが。
なぜなら、すでに接種が完了したと安心しているワクチンは、発症や重篤化を防御するだけで、感染自体は防御しないことが多い。
感染すれば、周りに広める危険性がある。だが、このような翁は、周りのことなんて何も考えず、自分の我欲に従って生きるのだろう。
コンビニの中で自分勝手に振る舞い、店を出ても自分勝手な態度。追いかけて背中を蹴飛ばしたくなる気持ちになったが、それをやると逮捕されるので堪えることにした。
自分たちの勤労世代は、コロナ禍で高齢者を守ろうとした。
彼らがマスクを買い占めても仕方がないと思い、彼らにワクチンが優先されても仕方がないと思った。
しかし、高齢者のわずかな割合であっても、このような態度はあまりに思慮が足りなくはないか。
高齢者のことを気にせずに、若い人たちが「関係ねぇよ」と羽目を外して盛り上がることがある。マスコミはそれが悪だと指摘している。
だが、高齢者が「関係ねぇよ」と羽目を外すことについては指摘しない。自分たちの主たる購買層や視聴者層だからなのか。
若い人たちは、高齢者たちの姿を冷たい眼差しで眺めていることだろう。
今回の私の反省点としては、目の前の翁が意味不明な行動に出た時に、もっと頭の回転を速くさせる必要があった。
そう、ここは自己愛モンスターが多い新浦安なんだ。一般常識が通用しない住民に遭遇する頻度が非常に高いにも関わらず、常識的な展開を推測していたからレスポンスが遅れた。
そのような我田引水な翁がやってきたら、「すみませんが、あなたはレジから離れていたのだから、後列にまわってもらえませんか?」と毅然と対応し、その男が逆ギレしたら切れ返す必要があった。
だが、自己愛モンスターに対して反論したり、切れ返すと疲れる。老若男女を問わず、自己愛モンスターは絶対的な審判がいないと自分の非を決して認めない。
口論になれば子ども同士の喧嘩のようになり、それを仲裁する「先生」が必要になる。大人同士になると、それが警察に該当する。住民トラブルで警察が出動することなんて、この街では全く珍しくない。
それで解決するはずもなく、何を言っているのだという的外れな主張にうんざりしながら不毛な口論で時間を浪費され、不快な気分が残るだけの話だ。
ああ、さっさとこの街から引っ越したい。
浦安に住みたくない!
浦安に住みたくない!
浦安に住みたくない!
この10年以上の間、私はそればかりをつぶやきながら生きている。1日に何回も声に出して自分の境遇を呪っている。個人的には、住む場所としては最悪な街だ。
心を休めるべき休日に、どうして不快になる浦安の街を出歩いたのかというと、ようやく完成したクロモリ製のシクロクロスバイクの防犯登録を済ませるため。
通販でフレームだけを購入したので、近くにあるサイクルベースあさひで防犯登録の手続きをとっておこうかと思ったわけだ。
一瞬、市川市の行徳にあるサイクルベースあさひに行こうかと思ったのだが、近場で済ませようと思った時点で、私の失敗が始まっていたのだろう。
やはり、最短時間で浦安を脱出して市川市に入り、そこで精神を回復した後で買い物を済ませ、最短時間で自宅に引きこもった方が得策だった。
市川市内を数え切れないくらいに自転車で走ったが、新浦安のように「ほぼ確実」に不快な気分になるようなことはない。この街はモンスターが多すぎる。
この街に自己愛モンスターが集まってくるのか、この街に住むと自己愛モンスターになってしまうのか、その詳しい機序は私には分からない。
東京都内の文京区や台東区、都外のベッドタウンなど、様々なところに住んできたが、ここまで多くの自己愛モンスターが住んでいる街に住んだことがない。
妻も義実家も自己肯定が非常に強いモンスターのような性格だが、その性質がある人たちにとっては、この街が住み良いらしい。
私には、その魅力を全く感じない。街に出るだけで不快な気持ちになって帰ってくる街のどこに、そんな魅力があるのだろうか。
自分の我欲を押し通し、他者の不快感を全く感じないような人たちであれば、とても住み良い街なのだろうか。
モンスターが現れた時点で、とにかく応戦すれば自分の自己愛を保つことはできそうだが、それではとても疲れてしまう。
かといって、「ああ、また変な住民に遭遇した...」と落ち込んでいると、自分のHPがさらに減ってしまう。
信じられるだろうか。休日なのに自分の精神力が減ってしまう街なんて。自分にとっては、街全体に毒が広がっているかのようだ。
モンスターに遭遇して戦っても逃げてもダメージを受けるのであれば、その場所に近寄らないことが先決だ。
妻の実家があるというだけで引っ張りこまれたが、凄まじい修羅の地で生活しているのだな。
そして、新浦安で生活する上で矢のように浴びるストレスを、浴びるように酒を飲んで紛らわす日々。
「酒でも飲まなきゃ、やってられねぇ」というフレーズがぴったりの街だ。アルコールで苦しさに耐えている父親は私だけではない。
くどいようだが、若い夫婦が新居を探していても、この街だけは選んではいけない。夫が私のように苦しんで死にかけることになる危険性がある。
この街は、もはや心穏やかに生活しうるような人口密度を超えてしまっている。23区でマウントに勝つような人たちではなく、その周辺でそれなりにマウントが出来る街を探した人たちが集まってしまうのだろう。
その場所はすでに東京から外れてしまって、千葉なのだが。
海を埋め立てて土地を作り、東京よりも安い住宅で市民がマウント合戦を繰り広げるとか、そういったことに自分が巻き込まれたくない。
私は狭くても古くてもいいから、このような街で生活したくない。休日になっても自室から出られないなんて環境は、とてもじゃないが住み良い街とは言えない。
妻や義父母が言った「この街は住み良い」という言葉は、大嘘だった。現に私はストレスを浴びて苦しみ続けている。
都内への通勤が面倒だとか、街並みや行政サービスが何だとか、そういった話ではなくて、この街の人たちが苦手なんだ。
とにかく、早く引っ越したい。この街で住み続けていると、ストレスで本当に死んでしまう。