2021/09/11

自分の中の自分

うなされながら目を覚ました私は、枕元の時計で時間を確認した。まだ夜中だ。かなりリアルな悪夢を見たことは記憶に残っていて、今も動悸が続いている。

それにしても寝汗が酷い。隣で寝ていた妻が気を遣って静かに声をかけてくれた。


「どうしたの?すごく辛そうだったけれど」

「ああ、ごめんね。とても嫌な夢を見た。毎日、何時間もかけて満員電車の通勤で苦しみ続けるという夢さ」

「あなた、人混みが苦手でしょ?」

「そうなんだ。片道30分が限界だよ。往復3時間なんて、ありえない生活スタイルだよね。しかも、住んでいる街の人口密度が異様に高くてね。めまいがするくらいに混んで喧しい街を、倒れそうな顔でさまよっていた」

「あなた、疲れているのよ。昼くらいまで休んで、その後ものんびりしましょうよ」

「ありがとう。そうするよ」

五十路にもなって悪夢でうなされて起きて、妻から背中をさすってもらっている姿は情けなくもあるが、これが結婚生活の良さだな。

それにしても、隣で眠っている妻はとても美しい。年を重ねて深みを増した魅力がある。

いや、違う。

この女性は私が知っている妻ではない。誰なんだ?

そもそも我が家は夫婦が別の部屋で寝ている。この状況はありえない。

なんだ...そういうことか。

これは夢の中で夢を見るという「多重夢」と呼ばれている現象だな。

眠っている夢の中で何かを考えることは不可能なように思えるが、実際には夢の中でも半覚醒のような状態で思考が回ることがある。私の子供の頃は寝ぼけて家の中を歩き回ることがあったのだが、大人になってからは金縛りのようになって夢の中で考えごとをすることが増えた。

日本初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は夢の中で中間子理論を思いついたことで有名だが、彼の枕元には夢の中で考えた内容を書き留めるためのメモ帳が置いてあったそうだ。

湯川博士の事例はあまりに高等な話だが、目覚める前に「ああ、これは夢だな...」と自分で気づくことはよくある話なのだろう。

夢の中にいるのだが、すでに頭の一部は起きているので真面目にこの夢の分析が始まった。それにしてもシュールな夢だ。悪夢を見てうなされながら目を覚ましたというシーンで、その悪夢こそが現実での私の日常なんだ。

つまり、夢と現実の関係が反転してしまっている。私が体調を崩しても現実の妻は気を遣ってくれない。たまにお粥などを作ってくれることがあるが、背中をさすってくれるようなことはない。

自分で決めた結婚なのだから自分で責任を取らざるをえないわけだが、結婚後の生活がこのような形になるとは想像もしていなかった。まあそれも私の分析力の至らなさによるものだ。

それにしても、夢の中で隣にいる妻役の女性は、とても素晴らしい人だな。交際時や新婚時代において私が妻に対して有していたイメージに近いのだが、姿形は全く違う。現実世界の不義密通の関係ならば大問題だが、私の夢の中の話なのだからどのようなイメージが浮かんでも仕方のない話だ。

このまま夢が覚めずにずっと続いてくれたら、何だか幸せだなと思いながら、睡眠を続けているのに思考が回るという不思議な状態をしばらく楽しんでいた。

夢の中で枕元の時計の針を見てみると、やはり夜中の同じ時刻のまま止まっている。朝が来たところで鬱陶しい街でうんざりし、長時間の満員電車で苦しみ抜いて消耗するだけの話だ。このまま夜が続けばいいのにという私の潜在意識が反映されているのだろう。

すると、周りがやたらと騒がしくなってきた。ドカッドンッとドアや引き出しを叩き付ける音や、甲高い大声が響いてきた。どうやら妻が起き出してきたらしい。

夢の中では、アイボリーのような透き通った色の空間が広がり、その上に置かれたベッドの上で、私は妻役の女性に添い寝をしてもらっているわけだが、これは現実の状態ではない。そろそろ完全に目を覚まして、悪夢ではなく現実の世界に戻ろう。

私の場合、夢の中で考えごとをしている時には、金縛りのようになっていることが多い。今回も確かに身体が動かない。それでも、無理矢理にどこかを動かせば、それをきっかけとして脳と身体の伝達が繋がる。

ほら、やはり身体を捻ったら目が覚めた...のだが...ここはどこだ?自分が病院のベッドの上に寝ていることに気が付いた。

ドクターのような白衣を着た男性から、「意識が戻って良かった。安心しましたよ」と声をかけられて、自分が倒れていたことを察した。

「すみません。状況を把握していないのですが、何かありましたか?」

「あなたは、新しく開発されたブレイン・マシン・インターフェイスの被験者として参加していたのですが、仮想現実を体験しているうちに気を失って倒れました。数週間も眠り続けていたんですよ」

まさかのサイバーパンク的な展開。とにかく私は疲れているらしい。

夢から覚めたと思っていたのだが、まだ多重夢が続いている。それを察して、私は面白くなった。今までの経験から何か面白いことがあって笑ってしまうと、その夢が覚めてしまう。しばらく夢の中の世界に付き合うことにした。

「BMI (ブレイン・マシン・インターフェイス)...ですか。私は何のために被験者になっていたのでしょうか」

「あなたの離人症の原因になっているのは、子供の頃に受けた虐待による心的外傷だと私たちは考えました。そこで、脳の外から情報を送ることでトラウマを取り除こうとしたのですが...深層心理を司る領域にアクセスした瞬間に情報がオーバーフローを起こして、時間軸が逆方向に進んでしまいました。自我が部分的に外れた状態でのアクセスについては想定していたのですが、その状況はとても複雑だったようです。結果として、大変なご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」

「いえ、ちょうど生きることに飽きていたので楽しかったです。倒れてすぐにBMIを外したら自我が飛んで眠ったままになったかもしれないので助かりました。なるほど、子供の頃の私の記憶に外部からアクセスして脳のデータを部分的に消去、もしくは修正するということですか。しかし、時間軸が進んだということは、子供の頃の記憶に戻るのではなくて、そこから先の人生、つまりオッサンの人生を疑似体験し続けたということでしょうか?」

「その通りです。コンピューター上で再現されている仮想空間は、あなたの思考や記憶のレプリカに基づいて構成されます。その空間でのあなたの判断が、その後の展開を生みます。運や偶然といった要素の再現は困難ですが、ほぼ論理的に物事が進むように設定されていたわけです。これはこれで人生のシミュレーションという形になりますね」

なるほど、自分が五十路近いオッサンだと認識していたけれど、それは仮想空間を現実世界だと勘違いしたまま老いていたというわけか。目を覚ました私の容姿を鏡で眺めてみると、実際には30代前半といったところか。

後ろでドクターが安心したような表情を浮かべている。私の思考が混乱して発狂するのではないかと心配していたのかもしれない。

「15年近い人生を数週間で経験するなんて、タイムスリップみたいですね」

「人間の脳の記憶容量は1ペタバイト程度と言われています。大型コンピューターに匹敵すると思ってしまいますが、そこに音や映像だけでなく様々な情報を記憶するわけですから、どうしても容量が足りなくなります。それと、苦痛や悩みまで鮮明に記憶していたら精神に負荷がかかりますよね。ですので、人は眠っている間に情報を整理したり、ある程度は封印して閉じることがあります。忘れるとも言いますけどね」

「同じようなパターンの記憶を重ねたり、あまり必要がないと感じる時間の経過を省いたりして、記憶を圧縮するということでしょうか。確かに電車通勤の記憶なんていつも同じですから、10年以上の記憶だって1回きりの記憶で間に合いそうですが」

「まあ、圧縮と言えば圧縮ですね。子供の頃の夏休みが長く感じたのは、新しく入力される記憶がパターン化されていないからでしょう。オッサン...失礼...中年男性になると同じパターンの繰り返しになることが多くなるでしょうから、記憶が圧縮されてスキップした結果として、子供たちよりも時間の流れが速く感じると考えて矛盾しませんね。それで...どうでした?ご自身の人生を早回しで経験した感想は?」

「BMIを経由してコンピューター上でモニターしていないのですか?」

「現時点では技術的な制約がありまして、仮想空間の中であなたが発した言葉や見た映像を高解像度で記録することができていません。ある程度は把握することができていますが、首都圏の郊外に住んで、そこから長い時間をかけて電車で通勤するという典型的なオッサン...失礼...普通のお父さんのように思えました」

「そうなんですよ。電車が大嫌いなのに、妻の実家が千葉県ということで千葉都民になってしまったという」

「実に論理的な生き方です。家庭を持った男性の多くが奥さんの実家の近くに引っ張り込まれる現象は、かつての嫁入りのような不文律を超えて、もはや定理や法則と呼んで差し支えないかもしれません」

「子供の頃のトラウマは治らない感じですが、これから先の人生をシミュレートすることができて良かったです。なんだ、私はオッサンではなくて、まだ30代なんですね。これから結婚があって、新しい人生が始まるということか」

「そうです。BMIによる仮想現実で体験した人生と同じ展開を希望しますか?」

この夢は自分の頭で考えた世界なのだが、何気に鋭いところを指摘してくるな。人生をやり直すことができたらどうしようかと、実現不能なことを空想あるいは妄想することはおかしなことではない。

実際にそのような機会があれば、ここが違ったと方向を変えるのか、それまでの思い出を取り戻すかのように同じ生き方をトレースするのか。

これでは眠っているのに疲れてしまう。さっさと目を覚まそうとしたら、視界が眩しいくらいに明るくなり、先程と同じ病院のベッドの上にいた。

しかし、自分の手の皮膚は張りや輝きを失っていて、間違いなく老いていることが分かった。おそらく70代くらいだろう。眩しく感じるのは瞳孔が開いてきているからなのか。

腕には多数のチューブが繋げられていて、胸から伸びたケーブルに繋がったモニターが異常値を知らせるアラートを発している。

ナースが病室に駆け込んできて、すぐにドクターを呼び、しばらく待っていると妻や子供たちがやってきた。妻はずいぶんと老け込んでいるし、たぶん私の子供たちであろう大人は必死に私に語りかけている。うるさいな。私は騒がしい環境が嫌いなんだ。

「なんだ...人生が終わる時には、全てが夢のように感じるという話を見聞きしたことがあるが、本当にその通りだな。どこまでが現実で、どこまでが夢なのか。ひとつだけ言えることは、時間は絶対的で大切な存在だということだな」

人生の終焉で、いかにも悟ったようなことを感じ、私は再び目を閉じた。おそらく、この夢はここで終わるのだろう。

...というシーンで、私は布団から飛び起きた。あまりの衝撃で心臓が高鳴っている。

すぐに自室を出ると、相変わらず子供たちが貴族のごときペースで朝食を食べている。妻は慣性の法則に基づいて冷蔵庫のドアを勢いよく投げ閉めている。

そう、間違いない、これは明らかに現実だ。ここまで複雑で延々とループする多重夢は初めての経験だ。

おそらく、浦粕住まいや長時間の電車通勤が嫌で嫌で仕方なくなって自暴自棄になり、何本ものハイボールを飲みながら「インターステラー」という映画を鑑賞していて、酔っ払ったまま寝落ちしたことが原因だと思われる。

そうか、4次元空間をさまよいながら、時間の概念が異なる世界を行き来するという感覚はこのような感じなのかもしれないな。勉強になった。

洗面所に行って、自分の姿を鏡で見る。

間違いない。慣れ親しんだオッサンの姿だ。

安心したのか失望したのか分からないが、何も変わらない一日がスタートした。

京葉線から見えるディズニーじゃない方の舞浜の駅前には、電子回路のように戸建てが並び、そこには多くの市民がひしめき合って生活している。蜂の巣のようなマンション群に比べれば電子回路だって十分に贅沢だ。

電子回路にしても蜂の巣にしても、人が人として穏やかに生きるための環境だとは思えないが。

乗り換えの駅で降車すると、たくさんの千葉都民が我先にと階段や改札に向かって進んでいく。

同じ世代のオッサンたちは、頭が薄くなったり白髪になり、毎日頑張って長時間の電車通勤に耐えている。

若い頃、彼らは家族により良い住環境を用意しようと思って千葉県に住み、最初の頃は感謝していた妻はそれが当然だと思うようになり、可愛らしかった子供たちは育って生意気になり。

それでもオッサンたちの生活スタイルは変わらない。老いてリタイアするまで地道に電車に乗って職場に通い、長時間の通勤によって一日の時間が削られ、家族との語らいどころか、趣味やスポーツの時間さえままならない。

酒や暴食でストレスを解消している人だって多いことだろう。

結果、太って出てきた腹をスラックスとベルトで隠し、横から見れば不自然なくらいに身体が厚みを増している。

そのステージをやり過ごすと、腹の肉をベルトの上に乗せるようになる。若い頃、そのようなオッサンの姿が醜く無様に感じたが、今は違う。地道に生き続けた証だと思う。

それにしても...30代に戻って人生をやり直すことができたとしたら、自分はどのような岐路を進むのだろう。

パラレルワールドなんて存在しないわけで、考えたところで仕方のない話だ。しかし、オッサンになった今であっても、数秒先の選択で人生が変わることがあることだろう。

つまり、自分を始発にした無数のパラレルワールドが広がっていて、そのうちのどれかを自分が選択した時点で他の世界が消える。ただ、それだけのことなんだな。

後を振り返りながら生きるよりも、前を見続けながら生きる方が、正直なところしんどい。それでも時間は進み続ける。全てが夢のように感じる時まで、前を見て生きねばなるまい。

しんどいけどな。