谷津道ハンター仕様のカスタム自転車を組み上げる
休日の朝にベランダに出たら、真夏の暑さはすっかりなくなって、雨上がりの匂いとともに秋の訪れを感じた。今年の夏はまともにサイクリングを楽しむことができなかった。サイクリスト版のパリピたちは構わずに走り回っていたようだが、医療現場が崩壊している状態でよくもまあ気にせず走ることができるものだ。
とりわけ、ツイッターでロードレーサーを気取っているサイクリストたちは、順番に落車して大怪我を負っている。鎖骨を折ったとか、肋骨を折ったとか、頭蓋骨を折ったとか。
それでも自分は大丈夫だと意味不明な思い込みのもとに、医療機関の受け入れが難しいという報道がなされているにも関わらずロードバイクに乗って走りに出てしまうわけだ。
平時にはあまり気にしていなくて、むしろ楽しい人たちだと思っていたけれど、そのような人たちの欲求や考え方は理解しうるレベルを遙かに越えたところにあった。
音楽フェスで盛り上がってしまう人たちと、未だに開催されるロードレースイベントで盛り上がる人たち。おそらく、両者の精神構造は同じなのだろう。
しかし、法制度の下にコントロールされているわけでもない話なのだから、考え方は人それぞれだ。医療従事者が苦しんでいたとしても気にせず楽しもうとする人がいて、彼らに負荷をかけまいと自制する人がいて、それが現実の社会の姿なのだろう。
医療の負荷を考えずに走り回って落車して、救急車の中で延々と受け入れ先を探すようなサイクリストについては同情の余地はない。せいぜい苦しんで入院先を探せとは言わないが、今はまだライドを楽しんでいるような状況ではない。
とはいえ、サイクリングが心身の健康の維持や回復になっている私にとって、サイクリングに出かけることができないという状況はとても厳しい。
精神面で落ち込んでいることは自分自身で感じるし、録を眺めてもパリピたちに対する怒りに充ちている。
今はただ、社会の醜さと無様さを、自分の記憶の中に刻み込む時期なのだろう。
自分なりには社会を守ろうという志があって仕事に励んでいるつもりだが、守るだけの価値があるのかと疑問に感じることがある。
同僚たちの中には転職して、より楽な仕事に就く人たちが珍しくない。たった2年にも満たない期間で、一体、どれだけの人たちの背中を見送ったことだろう。
しかしながら、仕事という活動は生きるための手段だ。仕事が生きることの目的や主体になってしまうと、定年で退職した後には真っ白な灰のような余生が待っている。団塊世代の翁たちを眺めれば分かることだ。
仕事においては、生活に不自由ない程度の金を労働の対価として受け取り、小さな自己満足と大きな感謝があればいいと私は思う。
感謝については、ここまで引き上げてくださった人たちの有り難さを感じながら働くことが大切だな。リタイアする頃までに仕事を通じて間接的に恩返しができればいいなと思う。
現状としては、突発的な事故によって負傷した場合に十分な治療を受けることができないという懸念の中でサイクリングを自粛している。
状況は違うが、私は以前にもサイクリングを自粛していた時がある。
東日本大震災で浦安市内が液状化によって崩壊した際には、ライフラインが寸断され、サイクリングどころではない状態になった。ロードバイクという趣味を始めたばかりの時だった。
義父母や妻が住みよい街だと言うから引っ越したのに、その直後に液状化で街が砂に沈み、橋が落ち、マンホールが道路からそびえ立ち、戸建て住宅が一斉に傾いていた。
多くの人たちが排便する場所にさえ困るというシュールな光景には、悲しみや驚きを超越して、理由の分からない笑いさえ浮かぶくらいだった。
当時は、マウンテンバイクのルック車を所有していたので、しばらく街の中を走ってみたが、自分は一体何をやっているのだろうかと悲しくなった。
人は自然がつくった土地に住んで生活する。人が土地をつくって生活することは自然の摂理に反している。そのようなことをやっているから、自然から罰を受けたのだと思った。
しかし、私が望んで住んだわけではない。そこで育った女性と結婚して引っ張り込まれただけの話だ。
だが、当時の私は若かったので、サイクリングに出かけられないのであれば、スポーツバイクのカスタムを楽しもうと思った。
当時は上の子供が小さくて可愛かったし、妻も優しかったので、自宅にいることがとても楽しかった。
ダホンのようなミニベロのフォールディングバイクを手に入れて、クランクをダブルにしたり、ホイールをインチアップして、フレームも自分で塗装してみたりもした。
震災からしばらくして、傷跡が残っているけれど街の機能が回復してきた。カスタムが終わったミニベロに乗って新町を一周していて落車し、左手を酷く痛めた。
当時は路面の復旧には程遠い状況で、細かな砂が路面に残っていることは分かっていた。しかし、もう大丈夫だろうと過信していた。
しかも、ミニベロのタイヤを細身のスリックにしたことが間違っていた。なぜ細くしたのか、今となっては理解が難しい。
当時は親指の付け根が打撲によって動かなくなり、キーボードのショートカットキーを使うことができなくなって困った。
左手首は古傷になってしまい、10年近く経った今でも痛みが残って可動域が狭い。
その時の経験があって、平時ではない時にサイクリングに出かける場合には、タイヤを太くすべしという不思議な教訓が自分の中に残ってしまった。
そして、今に至る。
まだか、まだかと気持ちが急いてしまうのは仕方がないのだが、医療機関の負荷が減るのはずっと先のことだろう。ウイルスも人間もナマモノだ。すぐに状況が変わるはずがない。
さて、今回のカスタムのベースになったのは、パナソニックのFCXCC01というシクロクロス用のクロモリフレーム。
カンチブレーキ仕様の復刻版だが、太いタイヤを取り付けて舗装路もグラベルも走るというオールロードの素材として人気があるらしい。
シマノ製品の欠品が続く中で少しずつ手に入れておいたVブレーキを取り付け、マルチポジションハンドルやクランク、サドル等は前回のバイクからそのまま移植した。
フロントシングルなので、ディレイラーはリアのみ。せっかくなので、ストックしておいた新品のR8000系を取り付けることにした。
あらかじめ旧車のジオメトリーとほぼ同じサイズのフレームサイズを指定したので、バラ完であっても苦労することはなかったが、Vブレーキは久しぶりだ。
キャリパーブレーキよりも調整が難しいかなと思っていたが、むしろVブレーキの方が取り回しが楽だな。廉価なクロスバイクでは未だにVブレーキが標準仕様になっている理由が分かる。
キャリパーブレーキを使うことをやめた理由は、より太いサイズのタイヤを使いたいからだ。
谷津道を走っていると荒れた路面が多く、28Cのサイズでも細く感じることがあった。ということで、35Cまでのタイヤが入るフレームを手に入れたわけだが、そのサイズで良さげなモデルが見当たらなかった。
すると、今まで通りのコンチネンタルの四季タイヤで32Cのサイズがあったので、とりあえず32Cを試してみようかと思った。
32Cのサイズになってくると、もはやママチャリと同じくらいの太さだな。街乗りで走る分には十分過ぎるくらいの安定性があることだろう。この状態で30km/hを維持する自信はないが。
ところで、世の中では9200系の新型デュラエースが発表され、ロードバイクでも12速化が始まった。しかし、ホビーライダーが「いつかはデュラを」という時代はもう終わったのかもしれないな。
コンポのフルセットで40万円とか、それはもはや趣味の領域を逸脱してしまっていると思う。
カスタム系のオールロードというベクトルに志向が変化したことは、金銭感覚を正気に戻す上でも良かったなと思う。
この調子で脱シマノに向かって進み、コンポをスラムやポールにしてみようかと感じたり、今後は9速のSORAで十分かもしれないかと感じたり。
そういえば、パナソニックのクロモリシクロバイクにはディスクブレーキ仕様のモデルもあるのだが、リムブレーキ仕様のモデルの方がよく走るらしい。
ディスクブレーキ仕様のモデルではフロントフォークがカーボン製で、リムブレーキ仕様のモデルはフロントフォークがクロモリ製だ。
その違いによって「よく走る」という違いが生まれるのだろうかと私は不思議に感じていた。フロントフォークがカーボン製の方が軽くて衝撃吸収性も高いはずだ。
納品されたフロントフォークを確認して、その理由が分かった気がした。
とてもクラシックなクロモリ製のフロントフォークだが、スポーツバイクのフロントフォークにあるべき部分がない。
それは、クイックリリースが緩んでホイールが外れてしまわないように溶接される爪の部分。
この爪の部分がなくて、ナカガワのエンドワッシャーのような別パーツを取り付ける仕様になっている。
このパーツをフロントフォークの外側に挟むことで、おそらく、クイックリリースを取り付けた際に生じるたわみをなくし、フロントフォークとホイールを極限まで一体化させるという考えなのだろう。
その効果がどれくらいあるのか分からないが、ナカガワのエンドワッシャーを取り付けて喜んでいるサイクリストが珍しくないので、何かがあるのかもしれないな。
いつになったらサイクリングに出かけることができるか分からないので、バラ完からの組み立て作業はプラモデルをつくっている時かのように遅々としながら進んだ。
急いでカスタムの作業を完成させても、さあ行くぞと出かけるわけにもいかない。
谷津道を気ままに走り、青々と育った稲を眺めて見たかったな。次に走る時には豊かに稲穂が実っているか、もしくは刈り取られて寂しくなっているか。できれば前者を期待したい。
人によって状況は違うと思うのだが、今の時点で心掛けるのは、完全に気持ちを沈めないことだと思う。
これだけ派手に社会が混乱したら、まともにいられる人の方が少ない。何も気にせずに振る舞っている人がいたとすれば、その人はパリピだと判断しても差し支えない。
今までの歴史を振り返っても、人類は何とかして感染症を乗り越えてきた。
今は夜明け前の段階だ。
朝は近い。
さて、時間をかけて作業を楽しみながら、ようやくほぼ全ての組み立てが終わった。あとはフレームプロテクターを貼付したり、ポジションの微調整だな。
一通りのカスタムが終わったら、近所のサイクルベースあさひに行って防犯登録を済ませようかと思う。
カリカリのフルチューンの状態で来店して、あさひの店員さんたちがドン引きする姿が思い浮かぶ。何だか恥ずかしい気がするな。