五十路まで生きると経験がパターン化するらしい
同じような「答え」は、他にもある。五十路近くまで生きていると、「以前にも同じようなエピソードがあったな...」という経験が積み重なる。それらを区分してみると、実にシンプルなパターンが見えてくる。残りの人生はそのパターンに基づいて生きればいいというわけだ。
経験則に基づく私なりの答え。それらは、あまり威張って言うことでもなくて、列挙すると単純なことばかりだ。
【1】 ネットは人の生活を便利にしたが、人の生き方は豊かにならなかった
インターネットが普及する黎明期から生きてきて、ネットがあることで助かったことや便利だなと感じることは数え切れないくらいある。しかし、ネットが当たり前のインフラになった頃から、妙なストレスを感じるようになった。
ネット上に広がっていたのはユーザーたちの内面だった。リアルな場面で面識のある人たちとSNSによって繋がっても、そこで交わされるコミュニケーションはリアルな場面よりも遠慮がなく、見たくもない腹の中を知ってしまう時が多い。
ニュースを含めた様々なメディアについては、すでにそれらの情報量に対して人間の脳の処理が追いついていない。結局、どこかで分かりやすくまとめられたサイトが必要になり、情報の多くは切り取られてしまう。
もしくは、ネット上に存在している情報を取り入れて理解することが面倒になり、他者が理解した内容をSNSでかいつまんで眺め、それが事実だと分かったような状態になったりもする。
コロナによるパンデミックが生じた際には、デマやプロパガンダを含めたネット上の情報の氾濫が社会を混乱させ、「インフォデミック」という造語まで生まれた。インフォデミックという言葉を堂々と発した人の理解さえ正しくなかったわけだから、もはや何を信じていいのやらという話だったな。
それでも、人々がネットに依存してしまう大きな理由が何かというと、ひとりで生きることが寂しくて怖いからではないかと私は思う。
寂しくて怖いなんて弱いイメージがありはするが、人の脳は孤独を恐れ、集団の中で安心するというプログラムが刻み込まれているのではないか。
いや、むしろ、そのようなプログラムを得た個体が生き残ったという解釈になる。ネットで伝達されるのは現実的な集団の形成ではなくて、集団の「情報」のみではあるが、その情報を取り入れることで気持ちが安心するのだろう。
しかしながら、人々がネットを介して集団の中で安心しようとしても、必ずしもそこで安堵は得られず、ただひたすら孤独を紛らわすためにネット上を漂流しているように感じる。
「自分はここにいる、誰か見つけてくれ!」という感じだな。
結局のところ、ネットは道具でしかなくて、それがあることで幸せな生活が待っていたわけではないということだろう。
【2】 言葉に錨を付けて沈めると、他者には何も伝わらない
これは悪い意味ではなくて、良い意味での答え。以前の私は感情が顔の表情に出てしまうタイプだったのだが、バーンアウトを経て離人症の兆候が出てきてからは、顔に感情があまり映らなくなった。
何かに悩んで考え込んでいるという表情がデフォルトになってしまったという表現の方が適切かもしれない。
仕事や家庭、あるいは電車で通勤している時など、苛つくシチュエーションはたくさんある。今の私は他者から見ると何を考えているのかよく分からない表情になっているらしく、言葉を発するまで、あるいは何かのアクションを起こすまで内面が伝わっていないようだ。
感情的になっていても逆のニュアンスの言葉を発することで、人間関係のトラブルを回避しうる状況が増えてきた。とりわけ、他者の気持ちを察して、それに見合った短めのフレーズを発すると効果がある。
その際には、多弁ではなくて寡黙な方がいい。「なんだ、怒っているんじゃなかったんだ」という体で。
【3】 「ひらめいた!」と即実行して成功した実例がほとんどない、というか、ない
これも個々の経験によって様々だと思うのだが、私の場合には人生の岐路を的確なアイデアで切り抜けるタイプではない。思いつきで行動するとロクなことがなく、むしろ何も動かない方が良かったことばかりだ。
その最たる例が、若き日に結婚相手を探していた時のことだった。
「妻をめとらば才たけてみめ美わしく情けある」という理想にかなった女性に出会ったと思い、「よし、間違いない!」と交際を始めたのだが、結婚の話が出始めてからその女性が大の子供嫌いだということが分かった。
それは彼女の生き方なので否定しないが、性格に偏りがあることに違いはないので、そこから結婚に至ることはなかった。
必ずしも結婚が全てではないが、交際期間は4年くらいだったろうか。その時に費やした時間や金、労力は何だったんだと思う時がある。
結局のところ、情報が足りない段階で行動に移すと、思ったような結果に繋がらないということだな。けれど、当時の自分としては十分に考えたと判断していたのだろう。
【4】 どんなに威張っていても、定年退職すると存在がなくなる
働き始めた頃は、とても偉そうにしている偉い人たちがたくさんいた。不満に感じたが、確かに偉いのだから仕方がないと思った。
自分には経験や実績があると威張っているベテランたちもたくさんいた。何だかなと感じはしたが、確かにベテランだから仕方がないと思った。
仕方がないと思いはしたが、やはり働いていると嫌な気持ちになることはある。自分の立場が低いこと、あるいは自分の能力や実績が足りないことへのコンプレックスもある。
しかしながら、自分よりも年上の人たちが順番にリタイアしていく姿を眺めると、どれだけ偉い人でも、威張っていた人でも、職業人としての人生が終わると、ただの人になってしまう。偉い人や威張っている人に限って、その立場や力がなくなることを恐れ、逆に惨めに見えることが多い。
職場において見かけなくなると、自分の頭の中では彼らの存在が消えてしまい、その後で病気などで亡くなったと聞いても、何も感じなくなる。時間に解決してもらうことを待つのは厳しい時があるが、振り返ると短い時間だったりもする。
そして、今では年上の人たちと自分との年齢が徐々に近づいてきて、自分がリタイアする時が来ることを実感する。仕事以外の場所で生きる意義を持っていれば、若い人たちから見て惨めに思うことがなく、清々と職場を出る日が来ると信じたい。
【5】 ピンチがチャンスだったと気付くのは、3~5年くらい経ってから
仕事でもプライベートでも、トラブルが起きて苦しむことは多い。けれど、その苦しみを何とかして乗り越えた後、あるいはやり過ごした後になって、大きなマイルストーンになったと感じることがある。
例えば、2016年から2018年頃にバーンアウトを起こした時、私は生きること自体に絶望していた。どうしてこんな目に遭っているのか、どうすれば何とかなるのか、全く先が見えなかった。
その後の後遺症は今でも続いているけれど、バーンアウトによって感情を失い、結果として自分の性格や価値観がリセットされたことは、今の生き方を考える上で大きな意義があると思う。
平安時代や鎌倉時代に修験者が厳しい修行によって新たな境地に入ろうとしたことがあった。具体的には、脳に大きな負荷をかけて感情や思考を矯正するという方法論だったのかもしれない。よく似たことが仏教の禅宗でも行われていたそうだ。
私の場合には、それを望んでいたわけではないけれど、人生の折り返しで予想外の展開と世界が広がっていた。それに気付いたのはバーンアウトが寛解してから数年経った後のことだ。
今までの人生を思い返してみると、「どうすればいいんだ!?」と酷く苦しんだエピソードはたくさんあって、ただ単に辛かったというエピソードもたくさんある。
しかし、苦しんだ後で勉強になったり、その後の生き方で役に立ったというエピソードもある。それらの意味に気付いたのはいつだったかと思い返すと、やはり数年後だった。もっと早くに意味が分かれば楽なのだが、それが分からないから大変なんだな。
【6】 他者に期待するから失望するので、ひとりで生きる
完全に世の中との接触を断つべきという話ではなくて、気持ちの話。これもバーンアウトによって感情を失った時に感じた知恵のようなものだな。
人は、自分が処理しうる範囲を超えた活動について、それらを他者にアウトソースする性質がある。よく似た行動をとる生き物は他にもあるので、おそらく進化の過程で生じた性質なのだろう。
自分が処理しえない活動を他者が果たしてくれることで、社会全体としてはひとつのバランスが生まれることは容易に考えられる。
けれど、他者に何かを期待して頼ったところで、自分が思ったような結果が得られないことは多々ある。むしろ、「どうして自分のことを分かってくれないのだ」と苛立ったりもするはずだ。
バーンアウトを起こして感情を失うと、自分が生きるだけで精一杯なので、他者に頼ろうというモチベーションさえも枯渇した。
他者に頼らないといっても様々な場面で助けてもらったことは否めないし、それらの心遣いに感謝することも大切だ。
しかし、自らの意思で他者に頼らない生き方を続けていると、自分のことは自分に返ってくるので生きている実感が大きくなった。また、他者から期待通りのレスポンスがなくても苛立ったり失望することが減った。
なぜなら、そもそも他者に期待していないのだから、良くないレスポンスがやってきて当然、良いレスポンスがあれば幸せという受け取り方になるからだろうな。
そう考えると、昨今の流行病で社会に迷惑をかけている老若男女のパリピたちにモラルが壊れないことを期待しても仕方がないことだということに気付く。
そもそも彼ら彼女らは精神的にひとりで生きることが困難な人たちなんだ。孤独を恐れて多人数で集まり、異様なテンションで騒ぐ。
なぜ騒ぐのかというと、自分がひとりでないということを、より強く感じたいからだろう。孤独を恐れなければ、そのように無駄なリソースを使う必要もないのに。
【7】 結婚とは恋愛の発展型ではなくて、ガチャから始まる社会的な制度
子育てが一段落した中年親父の達観に近いものがあり、若い人たちから見るとぼやきにしか感じられないかもしれない。
昨今では人々の多様性が重視されてきたので、男と女を明確に定義することは適切ではない時代になってきた。ここで言及しているのは、男が夫、女が妻という昔ながらの組み合わせ。
夫として幸せな生き方は何だろうかと考えてみると、そこで大きな比率を占めているのは妻の存在だと思う。外見なのか中身なのかは夫婦次第だが。私は男性なので、その逆が成り立つのかは分からない。
結婚とは恋愛が契機になることもあるけれど、実際には社会的な制度でしかない。若い頃の自分は信じたくもなかったが、オッサンになってくるとよく分かる。確かに制度だ。
しかも、交際時あるいは新婚時代の妻と、子育てに入ってからの妻、子育てが一段落してからの妻において、この人が同一人物なのかと悩むくらいに性格や言動が変化する。
妻から見た夫についても同じことだろう。
昔の日本では、①見合いによって相手を探すこと、ならびに、②当事者だけではなくて両家の親についても結婚の条件に入ることがよくあった。
①については、男女の自然な出会いよりも、第三者が能動的に調査した上でカップリングを行った方がより適した組み合わせになると考えられたからだろうか。
②については、義父母との関係や自身の子育てがあるのでよく分かる。その時点でフィリーリングが合ったとしても、夫婦という関係が恋愛の対象から同居人になった時にはどうなるか分からない。
しかし、当事者である若い男女が歳をとれば、やがて両家の親に似てくる。つまり、親を観察することで前方視的に夫婦関係を推測することができるという解釈なのだろう。
当然だが、結婚の条件に②が入ってくると縁談が流れることはよくあっただろうし、それによる男女の出会いを補うためにも、①があったというわけか。
当時の人たちが、どうしてそこまで結婚を重視したのかと言えば、男女が一緒に住んで子供を育てるといったレベルの話ではなくて、男女が生き残るための制度だと考えていたからだろうか。
第三者が男女の出会いに介入するということを拒み始めたのは、現在の団塊世代くらいからだと私は理解している。彼らが適齢期だった頃は見合い結婚は格好悪いと思われていたそうだ。
世の中が見合い結婚を否定した結果として、男女の出会いは確率論的な組み合わせに頼ることになった。
しかも、互いの本性が見えておらず、将来的にどのように変化するかも分からない。つまり、男女ともに人生をかけたガチャを引くスタイルになったというわけだな。なるほど、やっと理解することができた。
結婚どころか、人生そのものがガチャのようなものだが。
【8】 地道に続けてきたことは、時間が経ってから大きな意味をもつ
あまり深く考えずに、ひらめきに頼って進んだケースでは失敗ばかりだが、昔から地道に続けてきたことが大きな意味をもつことは多い。
とりわけ、仕事について言えばよく当てはまる。その当時は地味で成果が得られなくても、時間をかけて取り組んできたことは、他者から評価されることが多い。
どれくらいの時間をかけるのかというと、1年とか数年ではなくて、短くても10年というタイムスパンだと思う。それでようやく意味を感じられるくらい。
最近では、20年かけて続けてきた仕事がようやく形になろうとしている。それ自体は難しいことではなくてルーティンと試行錯誤の繰り返しだったが、継続することは難しかった。
これから20年間もかかる仕事を引き受けることは難しく、20年前に戻って仕事を振り返ることは難しい。他者がそのような仕事に取り組んでいる姿を見かけたら、何を考えているのかと呆れることの方が多いことだろう。
しかし、呆れられても、馬鹿にされても、コツコツと地道に取り組むことが大切なんだな。
プライベートにおいてはどうなのだろうか。子育てとは、まさに時間をかけて地道に取り組むパターンに該当すると思う。
人はなぜ子供を育てるのかという問いに答える余裕もなく、懸命に働きながら養い、子供たちが少しずつ大きくなりながら、自分たちは老いていく。
こんな時代に子供を育てることが間違っていると言い放つ中二病をこじらせたような独身の中年男性が珍しくないが、そのような人たちから子育てについてとやかく言われる筋合いはない。
子供たちが自立するまで育て上げたとして、そこに何かのゴールがあるのだろうかと思う時はあるわけだが、成人するまでがちょうど20年か。なるほど、それくらいの時間をかけて子育てに取り組めば、達成感はあるだろうな。
趣味についても、このパターンは成り立つような気がする。この街に引っ越してきてからロードバイクに乗り始めて、今年で12年目だろうか。
今はロードバイクからオールロードへの変化が生まれているが、サイクリングという趣味を10年以上も続けてきたことになる。
定年退職が見え始めてから慌てて趣味を始めたり、実際にリタイアしてから趣味を探す男性がたくさんいるが、往々にして長続きしないそうだ。
時間と金があったとしても、若さが足りない。その趣味が自分に適しているかどうかを確かめ、それを楽しむためには、若い頃からの蓄積や経験が必要になるのかもしれないな。
趣味は仕事や家庭の隙間を埋めるというイメージがあるが、私にとっては仕事と家庭と趣味という三本の柱が生き方を支えている。
10年近く自転車という趣味を続けてきて、そのスタイルは最初の頃から大きく変わった。30年くらい乗り続けると、どのようなスタイルになっているのか。
還暦を迎えて腰を痛めて、シクロクロスバイクからリカンベントに乗り換えて、仰向けでロードレーサーを抜き去るような爺さんになってみたい気もする。そうか、リカンベントが残っていた。まだまだ世を去るのは早かったな。
その時は仕事も子育ても終わっているだろうから背負うものがない。今よりもアグレッシブにペダルを回すかもしれないな。