これだから苦手なんだよ、ヒップホップ系は
これは家庭に限ったことではなくて、職場の玄関前の警備員に「おはようございます」と挨拶して、深夜に「お疲れ様です」と挨拶するまで、建物から一切出ず、外で雨が降ったことさえ気付いていない時がある。
短い夏休みの期間も趣味のサイクリングに出かけることができないので、もっぱら自室に引きこもって過ごしているのだが、特に外出したいという気持ちにならない。
住んでいるだけで毎日が嫌になる街の人混みに入ったり、モラルが崩壊した苦痛だけの電車に乗ることに比べたら、自室の中でじっとしていた方がずっと気分が楽だ。
むしろ、医療が崩壊している状態なのに、なぜに多くの人たちがわざわざ集まったり、飯を食ったり、酒を飲んでいるのだろうかと不思議に感じる。そのようなことをしないと時間を過ごすことができないのだろうか。
ネットニュースを眺めてみると、この大変な時期に野外音楽イベントが開催されて問題になっているらしい。
フジロックは嫌いではないが、少なくともあと1年はタイミングを遅らせる必要があったと思う。
英国では、ワクチンの接種を参加条件として多数の人たちがマスクなしで集まり、数千人どころか1万人近いレベルで感染したようなイベントがあったりもする。
これらを社会的な実験として実施するあたりが、英国の凄さだな。
しかし、日本の場合にはワクチンが行き渡っていない。音楽フェスに集まる観客たちはコロナに対する準備ができていない状態で人混みに加わったということなので、感染が広がるとダメージも広がる。
さらにタイミングが良くなかったのは、フジロックに対して経産省から1億円を超える補助金が出ていることが世に知れたことだ。
これはなんたることだと、ネット上で炎上が広がっている。
フジロックの場合には感染症対策を講じた上でのフェスの開催ということで、経産省があらかじめ定めた要項には違反していないだろうから、補助金は支出されることだろう。
とはいえ、国民感情としては反論が出るだろうし、必死に頑張っている厚労省には気の毒だが、霞ヶ関に対する批判も治まらないだろうな。
このようなフェスのトラブルはフジロックで終わりかと思っていたら、愛知県でヒップホップ系の野外音楽イベントが開催されて、目下、大炎上中だ。
これはアウトだな。
多くの人たちが密集してマスクを外して大騒ぎしていて、ステージに立った人たちも観客を煽っている。
徳島の阿波踊り歌の出だしに「踊る阿呆に見る阿呆」というフレーズがあって、阿呆という単語はあまり適切ではないが、総じて盛り上がってよいところで盛り上がることは何ら問題ないと思う。
だが、このヒップホップ系のイベントは常軌を逸しており、まさに異様としか表現しえない。主催者やパフォーマー、観客を含めて、この人たちは一体、何を考えているのだろうか。理解に苦しむ。
このイベントに対しても、経産省から3千万円近い補助金が交付される予定だが、感染症対策が講じられていないイベントに対して税金を支出することについては、さすがの経産省も問題視しているようだ。
この交付金が支出されないと、主催者としては利益が大幅に減ってしまうだろうから、問題を指摘されてからすぐに謝罪コメントを公開しているが、開催した後で謝っても遅い。
それ以前の話として、私は日本のヒップホップシーンがあまり好きではなくて、むしろ嫌っている。
米国のアフリカ系あるいはラテンアメリカ系の若者たちが生み出したとされるヒップホップについては、とても素晴らしい文化だと思っている。米国、さらには英国に波及したヒップホップにおいては、ミュージシャンのパフォーマンスを見ても、音楽を聴いても、やはり素晴らしいと思う。
リズムに深みがあるし、言葉にも社会性があって、なるほどそのような世界観があるのだなと勉強になる。
ところが、彼らの姿を真似している日本人を見かけると、何だかこれは違うなと思ってしまう。
昔で表現するところのヤンキーがオッサンになったような印象があり、素行が悪そうな若者あるいは中年が多いように思える。
外国のヒップホッパーやラッパーの真似をして、キャップやパーカーをかぶり、頭を刈り上げて金色のネックレスを首にかけ、腕や首にタトゥーを入れ、他の人たちを威圧するような格好をしてマウントを取っているようにしか見えない。
あのような格好は、アフリカ系やラテンアメリカ系の人たちがやるから様になっているわけで、日本人が真似をしても格好が付くとは思えない。
外国人が日本の着物を身につけて歩いていたら違和感を覚えるのと同じようなものだ。
格好ではなくて音楽的にはどうなのかというと、ダシの利いていない味噌汁を飲んでいる感じ。大きな音で頑張ってはいるが、外国の人たちの真似という範囲を出ていない感覚がある。
音楽の内容については人それぞれの好みがあるので肯定もしないし否定もしないが、そのジャンルを好む人たちの言動が気に入らない。もちろん、全てではないのだが。
夜中に大きなスピーカーを取り付けた自動車で海沿いにやってきて、ドンスカドンスカと大音量で音楽をかけて住民に迷惑をかける輩がいる。
その音楽のジャンルはヒップホップだったりもする。
夜中でなくても、スモークをはった黒っぽいミニバンや軽自動車から大音量でヒップホップをかけて荒い運転をする輩がいる。サイクリングの最中にそのような自動車を見かけたら、必ず距離を取るようにしている。
日本では荒っぽい人たちがヒップホッパーやラッパーの格好をして周りを威圧することがあって、精神構造としては昔のツッパリのようなものだと私なりに理解している。
浦安市内においても、市民からあまり歓迎されているとは思えない近所の私立大学の学生たちが、頭にバンダナのような布を巻き、大きなヘッドホンやネックレスを首に巻き、スケボーを片手にダブダブの服装で登校していたりする。
せめて池袋や新宿の裏通りならば趣があるが、ここは千葉県だ。住宅地でヒップホップとかラップはないだろと、たまに声を出して笑ってしまう。
格好を付ける前にもっと勉強して、資格を取得しておいた方がずっと将来のためになると思う。
都内の有名私立大学の近くでは、未だにバンカラ風の学生服を着た応援団の学生が歩いていたりもするが、大して違和感がない。
しかし、何度も言うが新興住宅地のヒップホッパーやラッパーは痛い。「俺って、ワルなんだぜ」的な背伸びをしているように感じてしまう。
もとい、先のイベントに集まった多くの人たちの写真を見ると、私個人の違和感なんて関係なくて、この社会の状況を全く理解せずに、崩壊に向かって暴れている人たちがいることを実感し、軽い吐き気を覚えた。
「ああ、やはり、このジャンルを好む人たちは、このような人たちだったのだな」と、彼ら彼女らが招いた大迷惑な姿を見て実感した。
この人たちは我慢することが得意ではなくて、何かのきっかけがあると我欲に向かって突き進むということか。すでに思考が停止してしまっている。
反発の原動力が社会に対する不満であるのなら、彼ら彼女らが行っていることはベクトルが違う。ただの憂さ晴らしで周りを巻き込んでいるだけだ。
このようなことまで人の多様性だと受け入れる必要があるのだろうか。到底受け入れられるはずがないからネット上で大炎上しているのだろう。
愛知県知事や常滑市長といった自治体のリーダーが、イベントの主催者に対して非常に厳しい批判と抗議を投げかけている。それも当然だな。
感染爆発が生じている状態で、さらに感染を広げることが明らかな集団行動については、もはや静かな暴動と表現しえなくもない。
だが、現在の日本の法制度の下では、このようなイレギュラーなイベントが開催されても、それを中断させ、主催者や参加者を処罰するようなルールがない。
あくまで、感染症対策を要請することしか手段がないという状況だと私は認識している。それなのに、役所がイベントに税金を投入するわけだ。役所仕事だと批判されても仕方がない。
音楽業界としても収入がないと活動を続けることが難しくなるだろうし、可能な限りの制限を自らに課して取り組んでいる人たちが多いと思う。そのような人たちに対しても、今回のヒップホップ系イベントの衝撃は大きかった。
命に関わる病が広がって多くの人々が我慢を続けているのに、社会のダメージなんて考えずに自分たちだけ羽目を外して楽しもうという根性が気に入らないな。
ヒップホップが好きで真面目な人たちもいるはずだが、このトラブルによって社会のことを気にしない荒くれというイメージが固定化されることだろう。
先入観は良くないのだが、私もそのような目で見てしまう。