2021/08/27

医療を潰したら自分たちが困ることになるんだよ

いつもお世話になっている日本国内の格安通販のショップからメールが届いた。カラーオーダーをかけていたパナソニックのクロモリフレームが納品されたので、これから私宛に発送するという内容だった。

新しい自転車のフレームが届く時には心躍らせて配達を待つところだが、今回だけはあまり気持ちが高まらない。このフレームをベースにオールロードバイクをバラ完で組み上げたとして、いつになったら外で走ることができるのかという暗雲が頭の中に立ちこめる。


コロナの感染爆発や医療崩壊が起きているというニュースが流れても、気にせずロードバイクのライドに出かけている自転車乗りが珍しくない。彼らは現状を理解する気がないのだろう。

しかも、この時期にツイッターやブログでライドを楽しんだと投稿する輩までいる。これが人類の多様性だと納得しようとも、やはり納得することができない。

以前、ロードバイクサークルを運営していた頃、ネット上でメンバーを募集すると思考がおかしな人たちばかりが入会を希望してきて辟易したことがある。

河川敷で歩行者がいるのに疾走したり、ライドに来ないのにサークルの運営についてゴチャゴチャと喧しくクレームを投げこんできたり、グループライドなのにDHバーを付けたままトレインに加わってきたり。

思考の一部が停止してしまっているような輩が多く、その割に自己愛や自己肯定が強いところが彼らの特徴だった。

もちろんだが、このような輩がサイクリストの全てではない。実走を自粛して室内トレーニングに切り替えている常識あるサイクリストたちは多いと思うが、全く気にせずに走りまくる輩がいることは確かだ。

とくに、ロードレーサー気取りの人たち。このままの状態が続けば、ホビーレースの開催は来年以降になるわけで、今から頑張って車道を疾走しなくても構わないだろう。

どうにも緊急事態宣言に効果が認められないわけだ。サイクリストに限らず、様々な状況において分かりやすい形で行政からの要請を無視し続けているのだから。

都内や千葉県北西部の医療機関は、すでに大規模災害が発生した時のようなシフトに移行しつつある。いや、すでにそのステージに移行していると判断した方がいい。

「落車は確率論じゃないの?」と戯けたことを言っているオッサンがネット上にいるが、単独の落車だけではなくて、苛つきながら運転している自動車に巻き込まれた場合においても、救急車による搬送先が見つからないという状況が容易に考えられる。

鎖骨骨折くらいならば我慢せよという話になるかもしれないが、自動車と接触してヒジが逆方向に曲がっても、スネの骨が折れて皮膚を突き破っても、救急車の中で何時間どころか半日近く待たされたり、いくら待っても受け入れてくれる病院が見つからない可能性もある。

アスファルトの上は想像以上に不潔だったりもするわけで、解放骨折を起こした部位から細菌が入ったりすると、切断のリスクさえある。

頭部外傷によって脳内出血を起こしていたりすると、もはや時間との戦いだ。平時でさえ命が助かっても重度の後遺症が残るかもしれないのに、救急の受け入れが難しいという状況ではどうなるかなんて、深く考えなくても分かることだ。

状況を無視してサイクリスト本人が苦しむだけならば自業自得だと思うけれど、大きな怪我をすれば救急車を呼ぶわけだから、自己完結しない。確実に医療関係者を巻き込むだろう。

さらに、「河川敷のサイクリングロードなら大丈夫でしょ?」と、これまた戯けた考えでライドに出かけている人たちもたくさんいる。もしもランナーや歩行者を引っかけて怪我をさせてしまったらどうなるのか。その場合には、救急車を呼んでも以下略。

「そんなに病院のことが心配なら、スポーツ自転車なんかに乗るんじゃないよ!」と批判されそうだが、言われなくても乗るつもりはない。

自分は子供たちを養う責任があるし、職業人としての責任もある。趣味のサイクリングで生活が傾くようなことは避けねばならない。

救急搬送における病院の受け入れ拒否については病院側にも相応の都合があり、「医は仁術なり」というフレーズとはほど遠い世界がそこにはある。

救急搬送の受け入れを拒否する側の気持ちも辛いが、当然だけれど拒否された側の絶望感は凄まじい。私にはその経験があるので、平時の医療が崩壊している中でサイクリングに出かける気になれない。

あれは妻が上の子供を身ごもって腹がかなり大きくなった頃だった。

妻が前庭神経炎を起こして、非常に強い回転性のめまいを訴えて立っていられなくなり、眼球がグルグルと回り続け、夜中に救急車を呼ぶことになった。

当時はまだ千葉県に引っ越す前で、都内の大きな病院の産婦人科に通っていた。

しかし、その病院の夜間の外来に電話をかけたところ、看護師が応対して「日中に来てください」と冷たく断られた。めまいくらいで夜中に受診するなよという態度だった。

これでは話にならないと、当直の産婦人科医に電話を替わってもらったのだが、その男性医師も同様の態度だった。この人は主治医なのだが、患者に対する熱い気持ちなんてないのだろうか。

「もう、いいですか?」と電話を切った男性医師の声とその時の怒りは、今でも私の心に刻まれている。

産婦人科はただでさえ人手不足だということは分かっているが、炎症による病態であれば抗炎症剤の投与で何とかなるはずだ。それでも、妊婦の診療はリスクが高いと判断したのだろう。

この病院は全く頼りにならないと、とにかく救急車を呼んだ。

ストレッチャーに乗せられた妻は、眼球が激しく回って酔ってしまい、その上で嘔吐を続けていた。腹圧も上がっているだろうし、これは厳しいと思った。

救急救命士も同様に判断し、様々な病院に電話をかけてくれたのだが、倒れた妊婦を夜間に受け入れてくれる病院は見つからなかった。

当時の救急隊の隊長は、現在の私と同じくらいの年齢だったろうか。彼は、覚悟を決めたかのようにボタンを押して、都内のかかりつけの大きな病院に電話をかけた。その電話を取ったのは、私に対して冷たく対応した看護師なのだろう。

最初は電話越しで話が揉めていたようだ。やはり、日中まで待ってから受診せよと。しかし、彼は、「あのね、私は何度も同じようなことを経験している!朝まで待っていたら大変なことになるんだ! おたくは、かかりつけの病院でしょ!?」と、一喝した。

ようやく受け入れてくれることになったのだが、救急車の中から病院までの記憶があまり残っていない。とにかくストレッチャーの上で吐き続ける妻の手を握っていたことしか覚えていない。

病院に到着した後、救急の当直だった若手医師がとても速やかに投薬治療を行ってくれて、激しい嘔吐が治まって、妻は気絶するかのように静かになった。

その後、腹の中の子供が大丈夫かどうかを夜中に調べることになり、夜間の受け入れを拒否した主治医の男性医師が目の前に現れた。

電話をかけた時には、めまいなんかで夜中に受診するなよという態度だったが、実際に重度の前庭神経炎で酷い状態になった妻の姿に驚いたのだろう。きちんと診察してくれた。腹の中の子供は無事だった。

だが、私の怒りがおさまるはずもない。ドラマや映画であれば、怒った夫が医師の胸ぐらを掴んで壁に叩き付けるようなシーンだが、確かにその気持ちがよく分かった。

しかし、その男性医師の様子を観察して、すぐに分かったことがあった。彼はすでにバーンアウトを起こしていて、働くことさえ難しいような状態になっていたようだ。話し方がおかしくて、顔に表情が全くなかった。

私と廊下で会話をしている時点でラテックスグローブを外し忘れていたし、その後で病棟の方に向かって薄暗い廊下をフラフラと歩きながら、まるで手の皮をむくかのようにグローブを外す姿に悲壮感が漂っていた。

心身の疲労が限界に達していても、人手不足で夜中まで働かなくてはならない。しかも、わずかな仮眠の後で、朝が来ればそのまま働き続けることもある。

そこまで苛烈な業務であるにも関わらず、診療ミスによって母子のQOLや命に関わることがあれば、担当医たちは責任を問われ、職業人生にまで影響が出る。

その後、私たち夫婦は現在の街に引っ越した。かかりつけの産婦人科は市内のクリニックになり、とても安心して出産に臨むことができた。

小さな街ではあるけれど、市内には大学附属病院があり、クリニックで対応することが難しい場合には高度医療が受けられるという話だった。

その後、下の子供が産まれ、子供たちが大きくなり、しばらくしてから妻が再び倒れて入院することになった。コロナがやってくる前の話だ。

今度はめまいではなくて激しい腹痛を訴えたのだが、虫垂炎だったらしい。

市内の大学附属病院に入院して、少し安心した子供たちにからかわれている妻の姿を眺めた後、子供たちを連れて病院の中を歩いて外に出たのだが、その時に妙な感覚があった。

その当時はコロナがやってくるずっと前。今から思えば平時に該当する時期だったのだが、その時点ですでに医療現場がかなり疲弊しているという印象があった。

ナースステーションは人が少なく、看護師が病床に出払っているような感じがあったし、医師も苛立っている感じがあった。

そして、非常に広い受付のスペースには患者がひしめき合っていて、大丈夫なのかと心配になった。

私はこの街に数名の友人がいて、そのひとりがこの大学を卒業した医師だ。彼は優れたドクターであり、人格も素晴らしく、とても尊敬している。

私は心配になって、その大学附属病院の内情を彼に尋ねることにした。「うちの妻が入院することになって、実際にお世話になっているのだが、臨床がかなり疲弊しているように感じた。何が起きているのか」と。

すると、案の定、彼からの答えはとても深刻な内容だった。苛烈な診療によって心身ともに疲れ切ってしまっているスタッフが多いらしい。

この街の大学病院に限った話ではなくて、規模の大きな医療機関ではよくある話だ。

そういえば、最近の医学生たちの間では、医師免許を取得した後に進む専門として、一般の内科と小児科に続いて総合診療科が人気なのだそうだ。

なるほど、大きな病院で修行を積んだ後、開業してクリニックを経営するという将来のことまできちんと考えているということだな。

それにしても、新興住宅地に設置された大規模な医療機関が、ここまで厳しい現状になっているなんて、実際に住んでみないと分からないものだ。

都心に近いベッドタウンということで、ディベロッパーたちが浦安市内に多くの住宅を用意し、そこに多くの人たちが住むようになった。この街は千葉県で最も高い人口密度になり、さらにこれでもかと住宅を増やしている。

不動産業者や投資家たちはそれを街の誉れかのようにアピールしているが、ここまで人口密度が高くなると、住環境が悪化することが分かりきっている。この街の政治や行政はそのリスクに気付いているはずなのに、住宅の増加をコントロールするつもりがないようだ。

人口が倍になれば、単純計算で患者が倍になる。しかし、病院の規模を倍にすることは難しい。

この大学病院としても病床を増やして対応しているようだが、人口の伸びに追いついていない。病床の利用率は90%を超え、しかも、せっかちで短気な市民が押し寄せてくるのだから、さらに大変だと思う。

中小規模の医療機関があまり増えていないということも、この街の医療のリスクだと思う。

本来、大学病院という施設は最後の砦になるはずなのだが、すでに最前線になってしまっている。

この街の行政は、市民サービスだとか、公共の施設だとか、市民ウケすることに注力することも結構だが、本来ならば医療の確保に注力する必要があった。

平時であっても医療に余裕がないのに、ホテルや住宅ばかりが市域に建設され、もはや病院を建てる土地も残っていない。都市計画について条例で何らかのコントロールを施すことはできなかったのか。

この街の行政は、産婦人科医院でトラブルがあっても助けようとせずに追い詰め、結局、他の街に移転させることになった。医療があって当たり前だと勘違いしていたわけではないと思うが、街のビジョンについてあまりに大雑把なんだ。

中規模の医療機関を誘致してくるなんてことも考えていなかったと思う。

そして、この街にコロナがやってきた。

平時でさえ医療スタッフに余裕がなくて疲れていて、病床占有率が9割を超えているにも関わらず、そこに重度の呼吸器症状を呈した患者が次々に運び込まれてきたらどうなるか。

一般の病床を縮小して対応するか、重症に至っていない患者の受け入れを断るくらいしか手立てがないはずだ。

患者の重症度によって治療する対象すること、つまりトリアージもやむを得ないことだろう。

命を選別するのかと批判する人がいたりもするが、いつまで平和な思考のままなのか。災害レベルの医療ならば当然の流れだろう。

もう少しの我慢だったのだが、タイミングが間に合わなかったようだ。

感染の拡大を可能な限り抑えながら、成人へのワクチンの接種を完了させ、発症や重篤化を抑えることができれば、感染者数が増えたとしても医療へのダメージを最低限にとどめることができたはずだ。

しかし、ワクチンの接種が滞っているにも関わらず、多くの人たちが開き直って感染防止に協力しなくなった。その原因は何かと考えればすぐに思い当たる。

結果、ワクチンが行き渡っていないにも関わらず、感染者が増加するという深刻な状態になっている。

だが、現状をもって「日本はダメな国だ」と思いたくはない。世界的に見れば、これでも十分に善戦していると思う。

先進国においても、人々が我慢できなくなって大規模デモに発展している国や、ワクチンが十分に供給されているのに人々があまり接種しない国、さらにはマスクの装着さえ拒む人々が多い国さえある。

日本の場合には、多くの人たちがワクチンを接種するだろうし、反ワクチン的な思想を展開している人たちのことまでフォローしている余裕はないことだろう。

ワクチンの接種を拒否した人たちの中には、重篤化して後悔しながら亡くなるケースが出てくると思うが、任意接種なので仕方がない。

ワクチンの接種を拒否しても、治療については拒否しないはずだから、そのような人たちによって医療に負荷がかかることは気がかりだ。

現状としては、感染爆発を可能な限り早期にピークアウトさせ、ワクチン接種のペースを上げて、医療を崩壊から取り戻すことが目標になるのだろう。

だが、これから子供たちの新学期が始まる。公立小学校ではリモート授業の準備が整っていない。教員たちの2回目のワクチン接種も間に合っていないようだ。

これだけの要素が重なっているのだから、この先の展開はさらに厳しくなるかもしれないな。

子供同士でウイルスの感染を広げて、家庭において子供から親に感染を広げるというパターンは、実際に子育てを続けているとよくあることだ。

わが家においても、子供がインフルにかかると確実に親も感染して発症する。しかも、コロナはインフルよりも感染力が強い。

自宅で子供を隔離するなんて不可能だ。わが子たちが小学校でコロナにかかると、間違いなく私や妻も感染する。

すると、一家全員が自宅療養している間、食事はどうするのだろう。通販やデリバリーで食材を取り寄せるという手段もあるが、感染した状態で近所のスーパーに出かけるような人たちがいるかもしれない。

私は2回目の接種が終わっているが、妻は1回目の接種が終わった段階だ。妻が感染して重篤化すると、食事は私ひとりが用意することになる。頻繁にインスタントが出てくると、子供たちからの不満が蓄積することだろう。そもそも飯のことなんて考えている場合ではない。

妻の2回目の接種が終わって、数週間が経過するまで、わが子たちが感染しないことを祈るしかないな。

ところで、「市内に大型のテーマパークがあるのに大丈夫なのか?クラスターが発生しないのか?」という懸念を持つ市民がたくさんいる。

新浦安駅から、とても混み合う朝の武蔵野線や京葉線に乗って東京方面に向かうと、ディズニーがある舞浜駅で多数の若者たちが降りていく。

しかし、ディズニーでクラスターが発生したという話を聞いたことがない。これだけの数の人たちが集まってくるのだから、ひとりくらい無症状のスプレッダーがいてもおかしくないのだが。

どうしてだろうかと考えていて、やっと気付いた。

クラスターが発生しないのではなくて、クラスターが発生しても把握することが困難なんだ。客について言えば。

不特定多数の人たちが縦横無尽に動いて、どこで誰と接触したのかなんて追跡することができるはずがない。

それは、首都圏を走る満員電車においてクラスターが発生したという話を聞かないこととよく似ていると思う。

コロナに感染した人たちが武蔵野線や京葉線に乗って舞浜駅に集まってきても、もしくは市内のホテルに宿泊していたとしても、遊んだ後の客たちが様々な場所に去ってしまう。

遊びに行ってコロナにかかりましたと報告せずに、経路不明になってしまうかもしれないな。

さらに気付くことがある。

ディズニーの客においてはクラスターの把握が難しいけれど、テーマパークやホテルのスタッフの中でクラスターが発生すれば保健所が調査するはずだ。

それなのに、現時点ではこれらの職場においてクラスターが生じていないようだ。

これだけ多くの人たちが浦安に押し寄せているので、我が強かったりモラルがなくて指示に従わない客だってたくさんいることだろう。そういった人たちの気分を害することなく、感染症対策に協力させるわけだから、さすがだな。

ディズニーや関連産業に従事している人たちの練度の高さはコロナでさえ防ぐというレベルということか。その凄さは敬服に値する。

まあとにかく、現時点ではワクチンを打って自己防衛に入り、入院が必要なくらいの怪我を避けるというステージに入ってきた。大きな病気にかかることも避けたいところだが、それができれば苦労はない。

感染しないように注意することは大切だが、もはや感染することを前提に今後を考えておかないといけない。

新学期が始まって子供たちがコロナを持ち帰ってくると思いきや、テレワークを嫌がって毎日職場に通う妻が感染するかもしれないし、当然だが私にもそのリスクはある。

多くの人たちにワクチンが行き渡るまで、とにかく我慢が続くのだろう。嘆いたところで始まらない。

さて、忙しい毎日が続くけれど、ようやく数日の夏休みを取得することができた。タイミングよくシクロクロス用のクロモリフレームも届いた。

自分が注文したのだからいつかは届くだろうけれど、「まあ、こんな時は自転車の組み立てやカスタムでも楽しみながら、少し休め」という自分自身へのメッセージなのかもしれないな。