2021/08/07

紀陽除虫菊の「オキシウォッシュ」という夫婦共働きの父親の味方

夫婦共働きの子育てが始まった頃は、ブログの中で料理を作ったとか家事をやっているとか、そういったことを書いたこともあった。うちの妻は食事にこだわりがあって、私が作る飯を旨いと言って食べたことがない。常に嫌な顔をするので、私としても作る気がなくなった。確かに旨くはない。

他方、実家住まいで一人暮らしを経験したことがない妻は掃除が苦手で、とりわけキッチンの排水部分や洗面台、トイレ、風呂といった水回りについてはカビやヌメリを嫌って手を付けない。おそらく義母がやっていたのだろう。私が覚えている限り、結婚生活が始まって妻が水回りを掃除したのはトイレ掃除が1回くらい。それ以外は10年以上も私の担当。


主婦の母親たちから見ると「水回りを全て旦那が掃除してくれるなんて素敵!」と感じるかもしれないし、共働きの母親たちから見ると「そんなの当然だろ、他はやってないだろ、この○○野郎!」と感じるかもしれない。

夫婦共働きで子供を育てる際でも子供がひとりなら何とかなるだろうと思う人がいるかもしれないが、核家族でワンオペ状態になると厳しい。

それは、夫が仕事、妻が主婦という組み合わせでも同じだと思う。

子供が二人になると、夫婦で相手をしても親と子供が1対1、片方に負荷がかかると1対2という状態になる。それでワンオペになるとさらに厳しい。

かつての日本では家族から支えられて働いた父親という存在は、自分のことは自分で、かつ家族のことも自分でという生活スタイルになり、これで消耗しないはずがないと感じる。

この街では子供が4人もいるという世帯を見かけたりするが、一体、どこまで子育て力が高いのか、子供たちが育てやすいのか、夫婦仲が良くて父親に男気があるのか、全く想像ができない。

まあとにかく、子供が産まれた以上は育てる必要があるわけで、夫と妻の得手不得手についてどうこう言っている場合でもなくて、とにかくダブルスを組んで試合を耐える感じだ。

幸いなことに、私にとっての掃除という家事は禅と同じようなものだ。

保育園への送迎とか、PTAでのアレとか、学習塾関連のアレとか、そういったアレなことよりは精神的な負荷が少ない。伏せ字が多すぎて意味不明になっている。

今まさに夫婦共働きで未就学児を育てている若い父親たちに対して、これから中学校に上がる子供たちを育てている私が上から偉そうに言えることはないし、言うべきではない。

むしろ、自身の記憶を思い出して、若い父親たちの辛くて苦しい気持ちを察する。

片働きよりも共働きの方が経済的には安定するけれど、とにかく余裕がなくて厳しい毎日が続いた。

国や社会のために子供たちを育てているわけではないが、子供たちが次世代を担うことは間違いない。それなのに、どうしてここまで人的にも金銭的にもサポートが少ないのか。

子供を産み育てることが罰になっているではないかと指摘する有識者もいる。子育てを大切にしない社会は傾くだろうし、実際に傾いてきた。

この10年くらいになってようやく行政が本腰を入れて子育てを積極的に支援する流れが生まれているが、もはや手遅れかもしれない。

子育ての楽しさや喜びよりも、その大変さや辛さの方がネット上で拡散するわけで、しかも経済水準が上がらないのに税的な負荷は増えている。適齢期の男性や女性が子供を育てようという気になるかどうか。

私ひとりが憂いても仕方がないことだ。職業人としてベテランになった今は、これから子育てに入る人たちに配慮し、理解し、労うことくらいしかできない。私が子育てを始めた頃はそれすら十分ではなかった。

もとい、掃除という活動は禅宗での作務に該当し、私にとってあまり苦にならない。むしろ、掃除が終わった後の達成感が心地良い。

夫婦の家庭での貢献度は圧倒的に妻の方が高く、妻としては現状に不満を持ちながら生活している。せめて掃除くらいはと思って始めてみたのだが、一週間のリズムを作る上でも役に立つ。

遠い昔、とある高僧が「あたりまえのことを大切にしなさい」という言葉を残した。

その言葉をそのまま解釈すると、ルーティンを軽んじずに丁寧にこなすという意味になるだろう。ルーティンの活動について外面だけを整えて本気にならない弟子に喝を入れることがあったという話だから、おそらくそのままの意味なのだろう。

しかし、角度を変えて考えてみると、「あたりまえのことを大切にする」という言葉は生きる上での知恵になるかもしれないと感じた。

同じ活動量であったとしても、目の前のタスクをあたりまえだと感じながらこなす場合と、それが面倒で苦しいものだと感じながらこなす場合において、精神的な負荷も効率も変わる。

共働きで子育てを続けていると、「ああ、面倒くさい...」という感情が浮き上がってきて、疲労がさらに強くなることはある。

一人目の子供では大変だったことでも、二人目の子供を育てている時にはルーティンになってしまうこともあるし、家事においても同じように感じることがある。

ルーティンとして、あたりまえにこなすレベルになった時、自分にとってはあまり苦にならないこともあり、私にとってはそれが水回りの掃除なのだろう。

最近のバストイレの洗剤には抗菌機能が追加されているようで、1週間に1度くらいでこまめに掃除していると、カビなどの増殖も抑えられるらしい。なるほど、菌の増殖が指数関数的な増加に転じる前に次回の掃除を行うというわけだな。よく考えられている。

この調子で長時間の電車通勤があたりまえになってくれればいいと努力を続けてはいるが、それがあたりまえになる前に潰れそうだ。潰れる前に引っ越さねば。

だが、かつてはルーティンだったにも関わらず、今になってあたりまえとして受け入れることができなくなったこともある。

細かい話だが、子供たちの上履きを洗うことだけは面倒で嫌になる。

子供たちが保育園児だった頃は上履きが小さくて可愛らしかったのだが、上の子供に至っては、妻と同じくらいの足のサイズになっている。

しかも、小学生の上履きは鉛筆の粉なのか何なのか分からないが、真っ黒に汚れる。

週末になると、妻や子供たちが上履きを風呂の床の上に放置するので、早々と処理しないと風呂場にカビが広がる気がして不快になる。

仕事で金を稼いで家庭を支えている父親が、どうしてこんなに汚れた上履きを洗わねばならんのだと、毎回、苛つきながらゴシゴシとブラシで洗うようになった。

とある日のこと、洗って乾いた上履きを子供たちに手渡したところ、それが当然かのように放置して感謝もしなかったので、私は憤慨した。

私が子供の頃は、上履きくらい自分で洗ったものだ。その主張を無視する妻にも怒ったが、おそらく妻が子供の頃には主婦だった義母が上履きを洗い続けていたのだろう。

しばらくすると、妻が100均ショップで漬け置き用の洗剤を買ってきた。

紀陽除虫菊というメーカーが販売している「オキシウォッシュ」という名前の酸素系漂白剤だ。

粉末を湯に溶かして使うらしい。

妻いわく、酸素系のクリーナーは、かなり前から「オキシ漬け」という言葉が使われるようになるくらいに有名で、コストコのオキシクリーン (OxiClean)という製品の方が有名なのだそうだ。

妻が買ってきたオキシウォッシュは、1袋で100g程度。上履きを漬け置くのであれば数回で使い切ってしまう。

主成分は過炭酸塩と界面活性剤。こんなもので本当に綺麗になるのだろうかと思いながらバケツにオキシウォッシュを入れて湯で溶かし、そこに上履きを突っ込んでおいた。

翌日、バケツの中を見ると水が真っ黒になっている。そこからブラッシングすると、まるで夢でも見ているかのように上履きが白くなった。

これは凄まじい。今まで面倒で精神的な負荷もあった上履き洗いが全く苦ではなくなった。

流行病が広がってからは、サージカルマスクを付けっぱなしにしていると肌が荒れるようになってきたので布マスクをインナーとして使っていたのだが、さすがに使い込んでいると鼻の部分が黄ばんできた。

もしかしてコレにも効果があるのかと、今度は洗面器にオキシウォッシュを溶いて布マスクを漬けてみた。

翌日にはオッサンの皮脂が水に溶け出していた。布マスクの方は真っ白に戻っていた。

ちなみに、コストコのオキシクリーンについては他の業者が仲介販売しているということで妻が買ってきたのだが、界面活性剤が入っていないタイプだったからなのか、上履きの汚れを落とす効果はあまり良くなかった。

「ああ、子育てを始めた頃にオキシ漬けに出会っていれば...」と、少し遠い目をしながら昔を振り返った。

夜遅く、泣きそうになりながら子供たちの身の回りの品を洗ったことは何度もあった。保育園や幼稚園の用品なんて、これがあったら漬け置きだけで全て何とかなったはずなんだ。

布オムツから紙オムツへの進化ほどではないが、日用品のスペックが上がることで生活がより楽になる。

洗剤が膨大な数の人たちの生活を変えることがあるなんて、若い頃には想像したこともなかった。しかく、少なくとも我が家ではストレスが減った。彼ら彼女らの仕事はとても大切なんだな。

それと、四十路に入ると加齢臭が漂い始めて、おそらく皮脂の臭いだと思うのだが、洗濯をしてもサイクル用品や普段着のインナーの臭いが取れない時がある。

なるほどそうかと思ってオキシ漬けしてみると、驚くほどに臭いがなくなった。

その時点で通販サイトにアクセスし、キログラム単位でオキシウォッシュを注文した。

ロールプレイングゲームで強力な武器を手に入れた気持ちになったのだが、もしかして、私がオキシ漬けを知らなかったのは、かなりマイナーな集団だったからなのだろうかと、ふと思った。

余程に他の父親と仲が良くないと、家事についてのチップなんて耳に入ってこない。毎日、妻と十分な会話を重ねている夫であれば、オキシ漬けについても情報の共有があるのだろうか。

うちの夫婦の会話はほとんど全てが業務連絡なので、オキシ漬けが話題に挙がらなかっただけなのだろう。

五十路前の新たな発見ということで素直に喜んだ方がいいな。これから様々なものをオキシ漬けにしてみようと思う。