2021/08/03

歯科衛生士さんの痛くも優しいクリーニングにて

「痛かったら、左手を挙げてくださいね☆」と、句読点の代わりに星マークが付きそうなくらいに明るく優しい声掛けの後で、歯科衛生士のお姉さんによる歯のクリーニングが始まった。当然だが私は浦安市内ではなく都内のクリニックに通っている。

チェアに座る前に一瞬で目に焼き付けた衛生士さんの姿は、若い頃の内田有紀さんのような感じだった。栗色のショートの髪が美しく、スレンダーで手足が長い。しかも、透き通るような小声がいい。堂々と言うことではないが、私はスレンダーでウィスパーボイスの女性に滅法弱い。


赤ん坊の前かけのようなエプロンを後ろから付けてもらい、目を閉じてチェアで仰向けになり、さっさと口を開ける。

「水が出ますね☆」という囁き声が聞こえた後、歯や歯茎に激痛が走った。

確かに水が出るが、実際には超音波スケーラーによる歯石取りだ。超音波による振動と熱も出る。

そんなことは理解しているのだが、歯石取りにも腕の良し悪しがある。

今回の衛生士さんは真面目かつ強気なタイプだな。さすがに、この超音波スケーラーの使い方は痛い。

虫歯の治療痕はたくさんあるが、歯周病を患っているわけではない。今回の衛生士さんのスケーリングが強過ぎる。

うわっ、やはり痛い。超音波スケーラーの先端のチップを歯間や歯肉に近づけ過ぎているんだ。

まるで歯間ブラシのようにチップを奥歯の間に突っ込んでくる。これで痛くないはずがない。

超音波なのだから、チップが歯や歯肉に触れるか触れないかの感触でも十分なのだが...ッグァッ...痛いじゃないか!

と思ったのだが、まあ何事も経験だ。こんなにくたびれた気持ち悪いオッサンの口の中をクリーニングしてくれているのだから、文句は言えない。

手を挙げて痛いと伝えたら衛生士さんの気を悪くするかもしれないので、痛みを我慢することにした。

そうか、ここで離人感をフルで発動してみようと思った。いつもは通勤地獄や浦粕住まいのストレスによって、目眩の度に自分から自我が削り落とされる。

この感覚はなんとも言えない不快感があって、自我が離れたと感じた時には生きることに絶望したくなる。

しかし、たぶんだが、自我が離れるきっかけは何でもいいのかもしれない。いつもは自分から自我が離れないようにしがみつこうとするのだが、アレと逆のことを試せばいい。

自分の身体については呼吸だけに集中する。これは私という意識を生み出す電気信号を入れた容器に過ぎないと思い込む。

そして、自分の脳の頭頂葉から頭蓋骨を通り抜けて自我が離れていくような感覚をイメージすると...

ほら、やはり自我が抜けていく。目を閉じていることもあって、自分がどこにいるのかとフワフワしている。まさに幽体離脱のようだ。

それと共に歯石取りの超音波の痛みが減っていく。痛み自体は感じるが、痛みのシグナルが本体に響いてこない。なるほど、これは興味深い。

もはやオカルトやスピリチュアルの世界だ。脳の性質って凄いな。

そういえば、大人になってストレスから離人症を患う人たちは、子供の頃に虐待を受けた経験が多いそうだ。

私も子供の頃に父親から身体的な暴力を受け、母親から情緒的な暴力を受けながら育った。

発達障害のガイドラインなんてなかった時代に、感覚過敏があって自閉傾向がある子供に療育なんてなかった。

全て我慢せよ、普通のことをやれと。そして、矯正のような形で親から虐待に該当する暴力を受け続けた。

当時の生活があまりに辛かったからだろう。心的外傷のような形で、自己から自我を切り離すような脳の回路が作られたのかもしれないな。自分で死を選ばないために。

そして、下の歯の歯石取りが終わり、「ゆすいでくださいね☆」という衛生士さんの声を聞いて水を口に含んで吐き出すと、チェアの横のスピットンボウルが血で赤くなった。

あしたのジョーで、このようなシーンを見たことがある気がした。

あれだけ激しく超音波をかけたら、誰だって出血すると思う。普通なら痛いと感じて手を挙げて止めるのだろうけれど。

さて、今度は上の歯のクリーニングだ。チェアの角度が深くなり、水平よりも頭が下がっている。

やはり痛いので、再び自我を自分から離したところ、個人的にはとても印象深い事象が生じた。

自分の頭が何かに固定されているようだ。柔らかくもあり、固くもある。何だろうか、良い香りが漂ってきた。

衛生士さんが身を乗り出してきて、彼女のみぞおちや腹部が私の頭頂部に接触している。

接触というか、確実に頭部が固定されている。

なるほど、外見からスレンダーな人だと思ったが、実際にスレンダーで贅肉がない。

男の妄想としては、さらに上から挟んでもらうという展開があったりもするが、それはなかった。

衛生士さんからすれば、老人の介護のような感覚かもしれないな。

だが、いい歳をこいた白髪頭の中年親父である私が、この程度のことで喜ぶはずが...

ないこともない。何だろうな、気分がとても楽になる。

邪なことを考えていると、口の中が痛くて左手を挙げる前に、別の合図を送ってしまう危険性があるので、そのような思考はタブーだ。

そのようにエロ親父的な感覚ではなくて、単純に安心している自分がいる。何だろうか、この心地良さは。

確かに口の中には激痛が走っているのだが、痛みを切り離した後の頭の中には何も浮かんでこない。

頭の上に温かな感触があって、良い香りがして、天井の照明の光がまぶたを通って視界を覆う。

妻との触れ合いがなくなって久しい。このような感覚自体がなくなっていたな。

男とは弱い生き物だ。ひとりで生きることを恐れ、女性のパートナーを探す性質がある。

その対象こそが妻であるはずなのだが、子育てを機に関係が変わる夫婦はたくさんいることだろう。

性的な刺激を求める人もいるし、連れ添ってもらうことで精神の安定を求める人もいる。

既婚男性の不貞は民法でも禁じられているわけだが、家庭の不和を承知で境目を踏み越える人は多い。

この国の風俗やネットを含む性産業は盛んだと思うし、不倫や離婚については専門の探偵や弁護士までたくさんいて、もはや離婚産業と呼べるかもしれない。

それらの標的というか、狙いやすいカモが、小金というネギを背負っている私のような中年親父というわけだな。

だがしかし、社会的に成功しているオッサンたちの中には、まさに英雄色を好むという感じの人が珍しくない。

私の大学院時代の恩師は、風俗通いが趣味だったな。

100人空手のように厳しい博士号の審査に合格した院生たちへのご褒美として、教授のおごりで彼らを阿波国に連れて行くというイベントもあった。

私もそのイベントを期待していたのだが、当時に交際していた女性がその話を聞き付けて目を光らせていたので、教授から私への褒美は、料亭のフグ鍋という真面目な内容に変更された。

教授の奥さんはマッシブな感じで、夫婦仲が冷めたらしく別居を続けていた。

当時に五十路だった教授は家族から離れて単身赴任で独り暮らしだったが、彼には上品で美しい四十路後半の女性の友人がいた。

彼女はバツイチの女医さんで、確か教授と15年近い付き合いだったと記憶している。出張の際に同じ部屋に泊まっていたりもしたので、私はこの人が教授の奥さんだと思いこんでいた。

彼のように性的にアクティブで、かつ仕事もアクティブというオッサンは、昭和の時代にはたくさんいたな。

令和になると、オッサンは擦り減って消耗し、一度でも誘惑に負けるとカモネギにされる時代がやってきた。

しかし、倫理的には現在のオッサン像の方が正しい。昔のオッサン像が間違っていただけだ。

昔と今のオッサンの煩悩について考えをめぐらし、途中から考えることもやめて、不思議な安堵感に包まれながら眠りかけていた。

職場では様々な駆け引きやマウンティングがあり、気の置けない仲という関係はない。それぞれがそれぞれの立場や思惑で動いているだけで、定年退職すれば一瞬で消え去る人間関係だ。

では、プライベートな場においてはどうだろうか。

結婚を考えた頃、家庭を持てば孤独感がなくなり、楽しく生きることができると信じた。しかし、実際にはどうなのか。

夫として父親としての責任というか、義務というか、不条理に感じたとしても耐えなくてはならないという辛さは増えたが、孤独感がなくなったような気がしない。

自分が体調を崩して苦しんだ時に、自分の妻や子供たちがどのような態度だったのか、それらは記憶の中に刻まれている。今までの生き様を否定しても後悔しても仕方のないことだが。

「人はひとりで生きて、ひとりで死ぬ。どこまで生きても人はひとりだ」という言葉を残した高僧がいた。

それを受け入れることは大切ではあるが、ひとりで生きることを楽しむレベルに至ることは容易ではない。

こうして女性にくっついてもらっていると、解釈が難しいのだが...とても安心する。理屈ではないところにある本能なのだろうか。

男女の間の愛情が冷めて、子供たちを育てる同居人のような生活になったとしても、人生の伴侶として連れ添うことが夫婦の形でもある。

したがって、夫であり父親である自分としては、今回の不思議な感覚をヒントにして、露骨に安堵しうる場所を探してはいけない。

そうか、メンズエステが流行る背景には、そのような男の煩悩があったのか。確かに予算支出の項目としてはマッサージに該当し、妻にバレても言い訳が成立し、婚姻の法的解釈についても...という考えはよろしくない。

地道に仕事で働き、家庭に金を入れ、健康的な趣味を楽しみ、老いて去る。それでいい。

歯石取りのスケーリングが終わった後は、丁寧に歯を研磨してもらった。痛みは残っているが、おそらく綺麗に仕上がっているはずだ。

今回の衛生士さんは、とても真面目で手を抜かない職業人なのだろう。

しかし、いつまで私の頭の上に腹をくっつけているのか。まあ、この方がリラックスできるので私としては良いのだが、彼女としてもこのポジションに何らかのメリットがあるのだろうか。

もしかすると、彼女としては長時間同じ姿勢を続けていると腰や肩が疲れるので、私の頭を腹当てのようにして負荷を分散しているのかもしれないな。

五十路近くの私の頭は、禿げ上がったり脂ぎっておらず、最近ではロマンスグレーに向かっていて、さらに毎朝シャンプーをかけてサラサラにしている。

私感としてはシベリアンハスキーの毛に触れている感じに近い。

今後も歯科衛生士さんに腹をくっつけてもらえるように、ヘアケアを心がけよう。