2021/07/27

パナモリのシクロクロス用フレームを注文

ということで、32Cや35Cといった太いタイヤを取り付けることができ、しかもディスクブレーキではないロードバイク「らしきもの」をネットで探す旅が終わり、カンチブレーキ仕様のシクロクロスバイクにたどり着き、きっかけがあれば購入する心構えができた。

しかし、これから私立中学に進む子供たちの教育に金がかかる状況だ。父親としては節約を重んじなければならない。大きなストレスがかかって自分から自我が離れ、もはや生き続ける力が足りなくなってきた時に注文しようと思った。心の安全装置のようなものだ。


そう考えてから数日しか経っていないのに、シクロクロス用のフレームを注文した。

安全装置を解除するタイミングが早すぎる気がするが、それくらいに追い詰まっていることも確かだな。

あと少しで50歳、それから10年経つと還暦。人生の残りを計算する男の姿は情けなくもあるが、残りの時間が短くなったからこそ、時間の大切さを実感するようになってきた。

この前、自宅で座禅を組んでいて、ふと心の中に浮かんで消えた思考があった。それは何かと思い返してみると、苦しむことが多い「生きる」という活動において、何が自分にとって「大切」で、何が自分を「安堵」させるのかということ。

私が子供の頃に習った禅では、身体を動かさずに呼吸に集中し、しかも心を動かさないようにと住職から教わったと記憶している。

なので、このような考えが頭に浮かんできても、それを論理的に考察し続けることは禅ではないという解釈になる。浮かんできた考えを理詰めで追求していく思考の活動は哲学に該当するのだろうな。禅が終わってからの哲学は楽しい。

今までの私は、生きるためのモチベーションにおいて、「自分にとって大切な存在」と「自分を安堵させる存在」を同じ軸の上に置いていた。

それらは同じ平面に展開されることもあるけれど、分けて考える必要があったんだな。

当然だが、生活したり子供を育てるためには金が大切で、その金を得るためには仕事が大切だ。

仕事の遣り甲斐とか、家庭における生き甲斐とか、そのような信念も大切だろう。

では、自分にとって大切な存在を守り続けるだけで心の安寧がやってくるのかというと、そうでもない。

まるで張り続けた弓の弦のように思考が緊張して疲れることもあるし、ついには弦が切れて自分が何のために生きているのかと疑問に感じることもある。

自分を安堵させる存在を探し求めるのは人の性質かもしれない。友人や家族との語らいであったり、趣味の時間であったり、ネットを介した他者とのコミュニケーションであったり、その存在は人それぞれだろう。

そして、私の場合、自分を安堵させる存在は他者ではなくて自分の中にあり、その存在に出会うための方法論がサイクリングだったという理解になる。

淡々とペダルを回し、日の光を感じ、風を感じ、自らの鼓動や汗を感じ、美しい緑や空を眺め、心身ともに回復して眠りにつく。ただそれだけのシンプルなことで、何か気持ちが楽になる。

子供たちが大きくなったり、劣化した家電の買い替えなどで色々と金がかかるのだが、今回のシクロクロスバイクのフレームは必要経費だと思った。

何のための必要経費だと言えば、私自身の心身の状態を維持するための経費。

夫婦共働きで子供たちを育てるだけでも大変なことだが、さらには私立中学の受験というステージがやってくる。さらには、互いの実家からの人的あるいは経済的な支援は期待できず、核家族の状態。

妻はスケジュールに余裕があると子供たちの予定を詰め込んで一杯にしてしまう。それなのに、余裕がなくなると忙しい忙しいと不満を溜めて不機嫌になる。

そのようにピーキーな毎日で消耗しても、ただひたすら夫や父親としての責任を果たし続けることが、私に課せられた役割なのだろう。

酷く疲れて深夜に帰宅したら、妻が癇癪を起こして下の子供を激しく叱っていた。以前のように狂ったような激高ではないし、下の子供にも妻から叱られる理由があった。

長時間にわたって妻の甲高い怒声が響き渡る中、ひとりで夕食をとり、消耗を癒やすかのように酒を飲む中年親父。それが私の姿なのだなと思うと、無様な生き方だなと思った。

しかし、私が何かを言ったところで状況は変わらないし、とにかく地道に生き続けることで精一杯だ。それが正解なのかどうか分からないけれど、たぶん悪い方向には進まないと信じる。

そのためには、少しくらい安堵したり楽しみにする存在があってもいいだろうと思って、ネットでシクロクロスのフーレムを注文してみた。

フレームの条件としては、クロモリ製のホリゾンタルなデザイン、なおかつカンチブレーキ/Vブレーキに対応しているもの。

私がディスクブレーキを嫌う背景には、鋭い円盤がホイールと一緒に高速で回転しているという姿が危うく見えるとか、ディスクのローターが歪んだだけで走行不能になるとか、自転車業界のゴリ押しに乗りたいくないといった様々な理由がある。

また、職人が自分の手で組んでくれたホイールを愛用しているのだが、古風な手組ホイールにはディスクローターが似合わないと思う。

パナソニックのクロモリ製のスポーツ自転車の中で、FCXCC01という開発コードのような名前が付いた復刻版のシクロクロスバイクは、フレームの価格が税込で15万円程度。

時代遅れになって販売が終了したカンチブレーキモデルが、現在になってどうして復刻したのかというと、それだけの需要があるからだろう。

クロモリのホリゾンタルでカンチブレーキ対応、しかもコラムがオーバーサイズでダボ穴があり、自分が希望するカラーで塗装してもらえるフレームなんて、スポーツバイクのカスタムが好きな人たちから見れば最高の素材だ。

値引率で海外通販やAmazonに太刀打ちしうる数少ない日本国内のショップであるアスキーサイクルにおいては、その価格が12万3千円。

小遣いで買うには高いが、これから半年くらい節約しよう。

私が完全に体調を崩して休職すれば12万円どころの経済的損失では済まされないし、退職や貧困、一家離散といったカタストロフィーを防ぐ上でも意味のある買物だ。

シクロクロスバイクはロードバイクから派生したこともあって、現在使っているロードバイクの部品を使用することができる。

キャリパーブレーキからVブレーキへの変更になるので、とりあえずシマノのディオーレのVブレーキを手に入れてみた。

このブレーキについては、以前、折り畳み小径車に乗っていた時に使っていたが、アルテグラグレードのキャリパーブレーキよりも効きが良い。その分、パニックブレーキではガツンと効き過ぎるのだが、重量級のクロモリバイクならば問題ないだろう。

ヘッドパーツはフレームに付属しているし、パナモリはBBのフェイシングが必要ないくらいに精度が高い。

イタリア製のクロモリフレームではBBの加工が必要になることが多いらしい。この辺は日本人とイタリア人の性格の違いによるものなのだろうか。

そして、現有しているRNC3のジオメトリーを確認し、FCXCC01のサイズを決めた。

シクロクロスバイクはBBの位置がロードバイクよりも上にあって、BBからリアエンドまでの距離も長い。

シクロクロスという競技の性質上、最高速度ではなく加速を重視したジオメトリーになっていて、バイクを担ぎ上げて坂道や障害を越えるためにリアブレーキのワイヤーがトップチューブの上に位置していたりもする。

また、ロードバイクでは25Cのタイヤが限界になることが多いのだが、シクロクロスバイクでは32Cや35Cまでのタイヤが入る。

私の場合、シクロクロスのトレーニングを行ってレースに出ようなんて考えは全くなくて、谷津道を走ったりパスハンティングを行う上で適したスポーツバイクを探していたらシクロクロスバイクにたどり着いた。

しかし、同じようなことを考えているサイクリストやショップは日本国内に多いそうで、シクロクロスのフレームをベースにツーリングや街乗り用の自転車をカスタムすることが流行っているらしい。

一体、どのような乗り味なのか、とても興味がある。

その他には、コラムがイタリアンからオーバーサイズになるのでスペーサー、それと32C用のタイヤも必要になる。

しばらくの間は現在の28Cのタイヤを使い切り、少しずつ32Cに変更するか、我慢せずに32Cを試してみるか。

長期的な展望としては、子供たちが私立中学の受験に合格し、浦粕を脱出して都内に引っ越すまでの間、このシクロクロスバイクに乗って谷津道のサイクリングに出かけて苦しみを耐える。

その後、都内に引っ越したら自宅から職場までこの自転車に乗って通勤する。

マンションの面積が狭くなるのでスピンバイクは廃棄処分せざるをえないかもしれない。しかし、自宅から職場まで自転車に乗って通勤するという生活においては、あえて室内でトレーニングを重ねる必要がなくなる。

妻の実家の近くで生活することになり、どこまで続くのか果てが見えないくらいに辛い毎日だが、ようやくトンネルの先に光が見えた気がする。