2021/07/24

ロードバイクという趣味をやめる準備

カーボンフレームを含めて様々なロードバイクに乗ってきたが、最終的には千葉県内の自宅から東京都内の職場に通勤するために使っていたクロモリロードバイクだけが残った。エントリーグレードの廉価版のフレームだったが、軽量なカーボンフレームよりも安定していて、頑丈で気を遣わなくて済むところが気に入っていた。

そして、流行病の影響で可能な限り落車しないようにロードバイクをクロスバイク風にカスタムし、ふとしたきっかけで谷津道という新たなサイクリングの場に出会った。しかし、様々な理由で現時点の私のサイクルライフは限界に達しているようだ。


サイクリングという趣味自体は私の生き方の中で決して外すことができない存在なので、特にやめるつもりもない。心身の健康の維持どころか、生命維持にも関わる。

だが、少しずつ蓄積し続けた違和感が大きな塊のように心にこびりついていて、どこかのタイミングでそれを除去せねばと思うようになってきた。

機材面での違和感としては、自分が好んで走るサイクリングのスタイルに対して、現在使用しているロードバイクのスペックが間に合わなくなってきたこと。今年に入ってカスタムを繰り返してきたのだが、さすがに限界だな、これは。

ロードバイクに乗り始めた頃には、荒川や江戸川の河川敷の遊歩道を走り、できるだけ速く長距離を走ることが目標になっていた。他のロードバイク乗りの速さや機材が気になったのもこの頃だ。

その後、ソロで走ることに飽きてしまい、ネットで仲間を探してサークルを作ったり、レースに参加したり、ローラー台でトレーニングしたり、河川敷の遊歩道以外の一般道を走ってグルメスポットや絶景ポイントを訪れたこともあった。

機材について言えば、一度はデュラという気持ちで散財してコンポやホイールを買ったり、それなりのフレームを手に入れたり。それら全てが大切な思い出になった。

その後、非常にプライベートな背景ではあるのだが、長時間の電車通勤のストレスや夫婦間の衝突、義実家との軋轢、住環境への嫌悪などが重なって、私はバーンアウトを起こした。感情のほとんどを失うくらいの重症だった。

このままでは自ら命を絶ってしまうと思った私は、自宅から往復3時間以上、道路が混んでいる時には往復4時間もかけて都内の職場にロードバイクで通った。

その際、盗難が嫌だったので、手頃な価格でアルミフレーム+カーボンフォークのロードバイクを買ったのだが、突貫工事で埋めただけの都心の道路を夜に走っていると、起伏に乗り上げてバランスを崩すことが多かった。

そこで、できるだけ安定した重量級のロードバイクとしてブリヂストンのRNC3というクロモリロードバイクを購入した。

2年間、このフレームのロードバイクに乗り続けて通勤した。精神が疲れた時には運動が良く、大嫌いな電車通勤を回避することもできる。

すると、2万kmくらい走ったところでバーンアウトが緩和してきた。自分でも信じられない民間療法だな。

薬漬けになるのが嫌だったので、投薬は一切行わず、子供の頃に学んだ禅をヒントにして、マインドフルネスを続けた。これも個人的にはバーンアウトに対して効果があった。

そして、最近になってようやく調子を取り戻してきたわけだが、共働きの子育ては厳しく、電車通勤の地獄と苦痛を伴う住環境のストレスは何ら変わっていない。

我慢を続けていたら、自分から自己が離れてしまうような症状が出てきた。おそらく離人症という解離性障害になっているようだ。

自分がロボットになっているような感覚とか、自我が離れすぎた時に死への衝動がやってくる程度なのだが、薄氷を踏むような気持ちで生きている。

けれど、ペダルを漕いでいる時には、なぜか自我が自分に戻ってくる感覚があるので、今でも趣味と生命維持を兼ねて、このロードバイクに乗り続けている。何万kmを走ったのか、今ではカウントしていないので分からない。

以前は家庭内で怒鳴り続けたり物を投げつけて暴れて大変だった妻の状態が、最近になって落ち着いてきた。今でもすぐに着火して激高することがあるけれど、狂ったように暴れなくなった。

子供たちは相変わらず我が強くて大変だが、最近では心身ともに育ってきた。

現在、全ての子供たちを中学受験で私立に進ませるという妻の方針に従って、我が家は次のステージに進んでいる。

ここまで来る中で、一家の経済的な大黒柱である私が生きるか死ぬかという厳しい状況だったことなんて、妻も子供たちも真剣に受け取っているとは思えない。義実家については言うまでもない。

だが、苦しみを耐え続けて、最低限かもしれないが夫として父親としての責任や義務を果たしてきたことは、振り返ると大きな意味があったのだろうなと思ったりもする。耐えられずに倒れたり、家庭を去ってしまう父親がどれだけ多いことか。

「最近の日本社会は、子供を育てることが罰になっている!」と曰う教育学者だか社会学者だかがいたりもするが、社会制度の不備はともかく、確かに罰なのかと思う時がなくはない。

これ程までに辛く苦しい思いをして、人はどうして子を産み育てるのか。その命題を解くことができないからこそ、この国が少子化に陥ったとも言える。

これが罰ではなかったと思う時期は、おそらく孫に出会えた時なのかもしれないな。

それは、自分の遺伝子をより長く残すことができたことへの喜びなのか、もしくは自分が朽ちても生き続ける自分が産まれたことへの感動なのか、おそらく実際に経験しても理由が分からないことだろう。

もとい、休日の自身のサイクルスタイルも変わった。自転車通勤にて一般道を走ることに慣れてしまったので、市川市、船橋市、千葉市といった街の車道を走り、そのまま市原市や袖ケ浦市といった遠くの街まで一般道を100kmくらい走ることにした。

しかし、人生は上手く進まない。

落ち着いてきたところでコロナのパンデミックがやってきた。

このご時世でもロングライドに興じている人たちがたくさんいるが、医療現場の現状は厳しい。遠出で落車して入院になったら大変だ。職場にも迷惑がかかる。一般道は自動車との接触事故の危険性が大きい。

行政におけるこの感染症の取り扱いを2種相当から5種に下げない限り、医療の逼迫は続くことだろう。コロナが普通のインフルエンザのような扱いになれば、より多くの医療機関が患者の診療を行うことができる。

けれど、シニア世代を中心とした世論はそれを許すかどうか。現実的な話として、彼ら彼女らの世代は政治に対してとても大きな影響力がある。新聞やテレビがターゲットとしている人たちでもある。

ほとんどの国民のワクチン接種が完了しない限り、コロナを5種に引き下げることは難しいことだろう。

副反応についてマスコミが突きまくることは目に見えている。この業種の人たちは、何を矜持として仕事を続けているのだろう。社是もあるだろうし、なかなか大変だな。

ということで、あまり遠出することなくサイクリングを楽しむことができないかと考えていたところ、千葉県北部に谷津道という魅力的なルートが広がっていることに気付いた。

そして、自転車通勤で使用していたクロモリロードバイクをカスタムして、他のロードバイク乗りを気にせずにライディングを楽しむようになった。イマココという話だな。

バーンアウト時の自転車通勤や禅による回復も信じられない話だが、最近でも不思議な現象に出会った。

谷津道まで走りに行って帰ってくると、ストレス障害に苦しんでいる自分のコンディションがとても良くなる。

通常の日々が続いても、しばらくの間は自我が自分に張り付いていて、生きていることへの実感がある。

片側には水平に広がる稲田、もう片方には大きく茂った樹木の森。その間のワインディングロードを走っていると心身が楽になる。視覚的あるいは心理的な影響なのか、植物や土の匂い、あるいは空気の微細な組成の違いによる影響なのか、詳しいことは分からない。

コンクリートで囲まれ、人々が密集しているスペースコロニーのような街で生活し続けているが、この状態は人が人として自然に生きている姿ではない。古来の人々は、谷津道があるような状態で生活してきたわけで、これが自然に近い生活環境なのだろう。

そこまで考えると、脳に刻まれたプログラムという話にもなってくるので、完全に解釈することは難しく、考えるより感じた方が楽しくもある。

さて、課題はここからだ。

谷津道を走っていると、舗装されていない砂利道に入り込むことがある。いわゆるグラベル。それと、舗装されていても落ち葉や泥が乗っている旧道や林道を走ることもある。谷津道の場合には稲田の間の畦道もたくさんある。

谷津道を走っていてGPSを確認すると、すぐ近くに別の谷津道があることに気付くことがあるのだが、それらにアクセスしようとすると悪路が立ちはだかる。23Cや25Cのタイヤのロードバイクでは走行が難しい。

コロナ禍で落車しないという意図で28Cという太めのタイヤを取り付けたロードバイクで走ったところ、走り心地がとても楽で、悪路でも気にせず突っ込んでいくことができるようになった。

その反面、最大でも25Cのサイズを想定して設計されたRNC3ではフレームとリアタイヤのクリアランスが厳しい。

フロントには28Cに対応しているSOMAのクロモリフォークを取り付けているので問題ないが、リアは半ば無理やりに28Cのタイヤを取り付けたので、タイヤとフレームのクリアランスが2mmくらいしかない。

クロモリフレームに28Cのタイヤを取り付けて走っている人の多くは、タイヤが小石を拾ってブレーキやフレームに当たっても気にしない感じで走っていて、今の私もそのまま走っている。

だが、仕事や家庭ならともかく、趣味の場で何かを我慢したり開き直っていることが虚しくなってきた。

心配性な私の場合には、サイクリング中の機材のトラブルを極端に嫌っている。フレームとタイヤのクリアランスの狭さがトラブルの原因になることなんて分かりきっているわけで、何とも気がかりだ。

手組ホイールの良さは色々あるけれど、スポークが1本くらい折れても走り続けることができるタフさが素敵だと思う。

しかし、この状態では少しでもタテ振れが起きたらタイヤとフレームが接触する。スポークが折れたら間違いなく走行不能になることだろう。

最近、上位モデルのRNC7では28Cのタイヤにも適応するようにマイナーチェンジが行われたそうだ。ロードバイクのレースシーンでも、コンディションによっては28Cが使用されるようになってきて、ロード+28Cが珍しい組み合わせではなくなってきたからだろう。

だが、私にはRNC7のフレームの形状をどうしても気に入ることができず、むしろ大きな違和感を受ける。接合部がラッパのように広がっていて、ホリゾンタルフレームの美しさを感じないというか。

しかも、谷津道を走っていて、「ああ、ここを走ってみたいな...」と感じる悪路では、28Cでも細く感じることがある。できれば32Cのタイヤがあればと思う時があるし、パナソニックのグラベルキングを履いてみたいと思う時もある。

ロードバイクに乗り始めた頃、まさかこのように楽しいサイクリングコースが自宅から少し離れたところにあるなんて想像したことがなかった。

房総半島の千葉県民の皆さんには申し訳ないのだが、グラベルを走りたいなら房総半島に行くしかないというイメージがあった。

現状として、私が実走に使用することができるロードバイクはRNC3だけだ。潔く諦めて25Cのタイヤに戻して谷津道に通うという選択肢もあるのだが、それでいいのか。

悪路に平気で突っ込んでいくことができるスペックのロードバイクでないと、谷津道の楽しみが大きく失われてしまう気がしてならない。

谷津道に他のロードバイク乗りがやってくることが少ないのは、荒れた路面を走っても楽しくないという理由があるのだと思う。

現在の私のサイクルライフにおけるもうひとつの限界。それも極めて個人的な話なのだが、愛車として乗り続けてきたクロモリロードバイクが、逆に私の精神的な負荷になってしまっているということ。

それが愛車と呼べるのかという話だが、この心境の変化は最近になってやってきた。

それまで自信家で気性が激しく、競争心も旺盛でプライドが高かった私がバーンアウトを起こして立ち止まった。

この生き方は間違っていないと信じ、結婚して子供をつくり、妻の郷里で生活を続けてきたが、結果としてこの方向は私にとって間違っていたのではないかと実感した時が危険だった。そこから一気に暗い井戸の中に落ちた感覚があった。

モチベーションを出そうとしても出せず、様々なストレスが襲いかかってくる状況は変わらず、非常に厳しい毎日が続いた。

そのような生活の中で必死に耐えた時に乗っていたロードバイクがRNC3だったので、大切な相棒という存在でもあるし、眺めればいつでも当時の苦しみを思い出すことができるという地獄の扉でもある。

過去の記憶を忘れるべきか、忘れざるべきか、それは状況にもよるのだろう。その記憶がずっと自分を苦しませているのであれば忘れた方がいいだろうし、教訓として決して忘れてはならない記憶であれば、辛くても覚えておいた方がいい。

バーンアウトが改善されてからも未だに酷い目眩や離人感に苦しんでいるのは、ストレスが続いているという理由が大きいはずだが、バーンアウトを引き起こした際のストレスが心的外傷のように刻まれているのかもしれないな。

妻や義実家に対する怒りや不信感を忘れることができずにいるし、街での生活や通勤で気が狂いそうになったことは数え切れない。それらの怒りや苦しみがフラッシュバックのように脳裏によぎることは確かにある。

辛い過去については、可能な限り記憶から遠ざけた方が良さそうだ。

下の子供が私立中学に合格すれば、我が家はこの街を脱出して都内に移住する。精神を削り取っていく千葉都民としての電車通勤の地獄からも解放される。義実家がアポ無しで玄関前に立っているかもしれないという恐怖も減る。

都内に引っ越せば、自宅から自転車に乗って通勤するというスタイルになることだろう。その時点でスポーツバイクを新調しようと思っていたのだが、そもそも引っ越す時まで精神が耐えられるのかという話にもなる。

深夜の新浦安駅に到着して、目眩でふらついてベンチに座り込み、「よし、今日も発狂せずに耐えることができた」とため息をつく状況だ。しかも、これから子供の数の分だけ私立中学の入試が続く。

さらに、今の私は五十路が近くなり、思秋期の真っ最中でもある。オッサンならば誰でも感じることかもしれないが、生きることに飽きてしまい、何か自己満足することができる存在を求めている。

その存在が谷津道のサイクリングであって、途中で飽きて別のスタイルになるかもしれないが、それでも構わない。今、この苦しい状況を耐えるための何かが欲しい。

苦しんでいても、楽しんでいても、人生の時計は着実に進んでいく。五十路になれば、還暦まであと10年。いつサイクリングに出かけることができなくなるのかも分からない。

20代や30代の頃のように「いつかは○○○を手に入れたい!」とか「いつかは○○○を経験してみたい!」といった夢を持つことも現実的ではない。「いつかは!」なんて言っていたら定年退職がやってくる。

中学受験を控えているのに遊びたくなり、妻をキレさせている我が子に対して、まあ父親だから仕方ないなと思った私は「今、この時間はとても大切なんだ。君の人生はとても短い時間で方向が決まってしまうのだから」と説教することがある。

しかし、よくよく考えてみると、それは子供だけに言える話ではなかった。若い頃の延長で人生を楽しむことができる私の時間は、とても短い。

ということで、谷津道を走るためのスペックの自転車については、ロードバイクでは限界がある。舗装路を走るだけなら何とかなるが、途中で見かけた悪路を走ったりパスハンティングを楽しむのであれば、純粋なロードバイクは快適ではない。

舗装路が中心なのでマウンテンバイクを除外し、32Cのタイヤまで装着可能なスポーツバイクになると、グラベルロードバイクという話になるのだが、私はディスクブレーキを好まない。

まるで2歳児のイヤイヤ期のようだ。この時点で、次に乗るスポーツバイクはロードバイクではなくなる蓋然性が高くなった。

ディスクブレーキが嫌ならば、カンチブレーキか。いや、カンチブレーキは効きが悪いので、将来的な自転車通勤ではスペックが足りなくなるな。

となると、昔ながらのVブレーキか。量販店にて吊しで売っているクロスバイクにしようか。しかし、現在、複数所有している手組ホイールのハブは130mmだ。

クロスバイクのリアエンドは135mmが多い。クロスバイクで130mmのリアエンドというと、ジャイアントのエスケープ...は避けたいな。ホリゾンタルのクロモリフレームという条件は外せない。

色々とネットで検索していたら、サーリーのクロスチェックが大人気で欠品が続いているらしい。その用途としては街乗りがメインで、段差や小石を気にしない太いタイヤに丈夫なクロモリフレーム、フロントシングル、Vブレーキ、そしてピチパンではなくてラフなウェア。

完成車としてのスペックを追い求めるのではなくて、素材として丈夫なフレームを買い、自分が好むコンポやホイールでカスタムし、自分だけの一台に跨がって気軽に走るというスタイルにおいて、クロスチェックがとても適しているらしい。23Cから40Cまでのタイヤが入るというのだから驚く。

このようなサイクルスタイルについては、東京のBLUE LUG、名古屋のCircles、広島のgrumpyといったサイクルショップが得意だ。それぞれの頭文字を並べるとBCG。ワクチンの名前のようで面白い。

これらのショップは、ブレーキについてディスクやリムにこだわっておらず、シングルギアのバイクも数多く販売しているが、太いタイヤとフラットペダルを取り付けたカスタムバイクをラフな服装で乗りこなすというスタイルがメインになっているようだ。

BCGのうちBとCについてはショップの通販を利用したことがあるが、それぞれ個性的で温かみがあり、やり取りがとても楽しい。とにかく自転車が好きな人たちなので、パーツひとつについても丁寧に説明してくれる。スポーツバイクのショップによくあるストイックさや、内向きで湿気のある雰囲気がない。カラッと晴れている。

ロードバイクブームが全盛期だった頃は、BCGのようなショップはスポーツバイクの領域において際どいラインにいた気がする。シングルギアのバイクのように一部のコアなマニアが好む感じというか。

日本では、海外のロードレースや青春漫画の影響で、ピチパンを履いてガチ乗りするのがロードバイク乗りの姿だという不文律が広がっていたし、今でもそのスタイルにこだわるサイクリストは多い。

ガチ乗り専門のロードバイクのプロショップで、「すいません、サーリーのフレームを探しているのですが...」と入店すれば、店員や取り巻きの常連たちから失笑がやってくることだろう。

しかしながら、コロナ禍がやってきてサイクルシーンが大きく変わったこともあって、ロードバイクにガチ乗りしてマッチョに漕ぐことの意味というか、その行為そのものについて疑問を感じるサイクリストが増えたのかもしれないな。

風が吹いて横倒しになるだけで壊れるような自転車に50万円とか100万円とか、疾走している最中に落車して仕事も家庭も傾くとか。プロレーサーや漫画に影響を受けて、前傾姿勢で必死にペダルを回すことに何の意味があるのか。

そして、BCGが提案するようなスタイルでサイクリングに出かけると、想像以上に楽しいことに多くの人たちが気付いてしまったというわけか。

なんだ、同じことを考えている日本のサイクリストが多かったということだな。

善は急げだ。早速、クロスチェックを手に入れようと思ってネットを眺めてみたのだが、自分が希望するサイズは、リアルな店舗を含めて全て欠品している。

世界的な自転車需要の高まりに加えて、サーリーは耐久性に全振りしたようなメーカーなのでファンも多い。世界一周旅行で使われるスポーツバイクの多くがサーリー製の自転車だ。

その他の選択肢としては、パナソニックのシクロクロスの復刻モデルがあるようだ。パナモリは国内の自社工場で鉄パイプを切ってフレームを溶接するので、1年待ちといったこともないだろう。しかし、サーリーのクロスチェックの2倍近い価格だ。

流行病によって私の収入は減っていないが、オッサンの財布の中身は寂しいものがある。シマノのパーツが品薄になったということで、様々なパーツを買い置きしたので出費が増えた。

さらに、父親だから仕方がないのだが、家庭での出費も大きい。

子供たちの部屋に取り付けるためのエアコンを2基も新調したので、20万円以上かかった。コロナ禍でタブレットを購入したり、上の子供のスマホを購入したり、下の子供が電子レンジを壊した上に妻が食洗機を壊して新調したり、リビングと子供部屋のためにホットカーペットを3枚も購入したりと、この一年くらいは出費が続いている。

新婚時代に購入した家電も次から次に老朽化で故障し始めていて、次は冷蔵庫だろうか。

今から節約を始めて年末くらいまで貯金して、その時点でシクロクロスのフレームをオーダーしようか。

いや、電車通勤地獄で疲れ切っているにも関わらず、子供たちが親の言うことを聞かず、しかも妻が大声で怒鳴り散らしているタイミングがやってくると、私は躊躇することなく注文のボタンを押してしまうことだろう。

ストレスで私が倒れたら家族の人生も変わる。内向きに倒れるのではなくて、例えば電車通勤でモラルが崩壊している千葉都民と口論になって感情の箍が外れて殴り合いの喧嘩になったり、心身を喪失して街中で下半身を露出してしまっても、当然だが職を失う。

妻の稼ぎで今の生活水準を維持することは不可能だし、あの薄情な義実家のことだ。さっさと私を切り捨てて妻や子供たちを引っ張り込むことだろう。小説でも描かれた油断も隙もない浦粕町民の姿だな。

うちの家族は、私が仕事で働いて金を家庭に持ち帰ることが当然だと思っているが、今のように経済的に不自由のない生活は、私の忍耐の上に成り立っており、しかも簡単に壊れうる。

それらのクライシスに比べたら、私の心身を維持する上での自転車のフレームなんて、必要経費だと思ったりもする。

まあとにかく、10年以上続いたロードバイク乗りとしての生活が近いうちに終わるわけだ。

シクロクロスバイクはロードバイクの一種という考え方もあるが、正確にはロードバイクに該当しないことだろう。「趣味はロードバイク」と言っている人がシクロクロスに乗っていたら、それは違うからな。

様々な乗り方を試しているうちに結果としてたどり着いたのだから、それが自分に適したスタイルなのだろう。

他者にとやかく言われる筋合いはないし、他者を意識する必要もない。