近所のコンビニの前で道端飲みに興じる若者たち
利益を追求して住宅やホテルを作りまくったディベロッパーや、街の将来像を必ずしも考えていたとは思えない地方行政に苛立ちながら、これも我が運命と諦めて不便な駐輪場からミニベロに乗り、新町エリアの日の出地区に向かって走り出す。
歩道の赤信号に何度も捕まりながらホテルエミオンの前を過ぎて、数少ないストレス解消のためのハイボールを買って帰ろうとコンビニに近づいたところ、そこには異様な光景が広がっていた。
このコンビニは付近の道路よりも1メートルくらい高い場所に作られていて、エントランスまで5~6段くらいの階段を上って入店する形になっている。階段の幅は10メートルくらいだろうか、ひな壇のように店の前面に広がっている。
その階段において、15人くらいの若い男女が集まって飲み会を繰り広げていた。
コンビニで酒とつまみを買い、マスクを外し、間隔なんて全くない状態で酔っ払って大声を上げている。
周囲は閑静な住宅街であり飲み屋も少ないので、品のない酔っ払いが街中で座っているという光景を見ることはほとんどなかった。
しかし、最近、深夜に帰宅すると、このコンビニの前に食物のゴミや酒の缶が転がって汚れていたので、何だろうかと思っていた。なんだ、分かりやすいな。
このような若者たちが、道端で飲み会を行っていたということか。実に品がなくて愚かな行為だ。
コンビニの前の階段なので、コンビニの店主には彼らを排除する権利があるが、我関せずという態度だ。
街の景観が酷く損なわれているのだが、人手不足のコンビニ業界において、酔っ払いを相手にする余裕もなく、コロナに感染するリスクさえあるので無視しているのだろう。
ミニベロにロックをかけている間、私はその若者たちを眺めた。彼らが千葉県における「まん延防止等重点措置」を理解しているとは思えないし、感染拡大の防止に協力しているとも思えない。
髪の毛を部分的に金色に染め、全体的に袋ラーメンのようなパーマをかけた若い女性。
ラッパー気取りだろうか、サイズが合わないシャツとズボンを履き、ヒゲを生やし、帽子を斜めに被った若い男性。
その他にも、スケートボードを持っている人や、私物のビールジョッキまで手に持っている人。
全体的な彼ら彼女らの印象としては、勉強があまり得意ではなくて、格好が派手で勢いがあり、とりあえずその時点で盛り上がって楽しみたいという若者たちの姿だな。
「っていうかさぁ~」とか「いや、ほんとだってぇ~」という感じの軽いしゃべり方が気になる。
正しい日本語では、語尾を上げるのは疑問系の時だけだ。
大嫌いなんだ、私は。
そうやって真正面から現実と向き合わずに時間を過ごし、周囲に住んでいる人たちに配慮せず、はしゃいでいる若者たちが。
その人がどう生きようと、その人の自由だ。だが、周りに迷惑をかけるな。飲むなら海辺にでも行け。ただし、ゴミを残すな。
このように閑静な住宅街において、どうしてコンビニの前にたくさんの若者たちが集まって飲み会を開いているのか、この街のことを知らない人には理解不能だろう。
このコンビニのすぐ前には、とある私立大学がある。最近まで入試の偏差値がFランク、現在はFに近いEランクだが、世間の評価は変わったのだろうか。
コンビニの壁に大学当局からの掲示が貼られていることもあるし、実際に確認すれば分かることなのだが、この大学の学生の中にはモラルやマナーがない人がいる。
地域住民も迷惑に感じていて、大学当局も停学を含めた厳しい指導を行っているわけだから、お互いに困っているということだ。
夜の住宅街において路上飲みで盛り上がっている品位のかけらも感じない若者たちの姿を眺めた私は、その若者たちがどこから来たのかについて察することが難くなかった。
例えば、この街で育った子供たちが大きくなって大学生になり、同窓会も兼ねてコンビニの前で頻繁に路上飲みを行うことは考えにくい。
この地区では半数近い子供たちが公立小学校から中高一貫の私立中学に進む。中学に進んだとしても、高校まで同じという組み合わせは少ない。
そのような人たちが、大学生になっても時間を合わせて夜のコンビニの前に男女で集まり、座り込んで酒を飲むなんてことがあるのだろうか。
むしろ、この道端飲みにおいては出身の地域に関わらず、若い男女が集まる接点が他にあるということだ。だとすればその接点は何か。考えるまでもない。
某大学の学生なのだろう。
もしかして、新浦安駅の北口で煙草を吸いながら缶の酒を飲んでいる若者たちも、この大学の学生なのか?
某大学の入試の偏差値ランクでは、浦安キャンパスの学部の多くが偏差値30台のFランクという評価が続いてきた。
今でもFランクだと思っている人たちがいるかもしれないが、正確にはFランクではなくて、Fランクに近いEランクだ。
「あの大学って、名前を書けば合格するって本当なの?」と小学生の我が子が真顔で尋ねてきたことがある。友達から聞いたそうだ。
試験の答案に名前だけを書けば合格するかどうかは分からないが、偏差値30台という入試の難易度は、小学生から見てもその程度の評価になるという話なのだろう。
しかし、最近ではこの大学の入試の偏差値が辛うじて40台に乗ってきたそうで、正確にはFランクに該当しない。
この大学の学生の質が高まったようにも感じる。10年くらい前は、もっと酷い有様だった。
子供が遊ぶ火気厳禁の公園でバーベキュー大会を行ったり、信じられないことが多かった。市民にアンケートを取れば分かることだろう。
おそらく、Fランクからの脱却は、大学側の方針と努力によるものだな。
大学は最高学府であり、そこでは真理の探究や高度な学識を養うことが目的だという古くさい習わしに従っていると、激しい生き残りをかけた私立大学の競争を耐えることができないと判断したのだろうか、この大学は実学に重視を置いたカリキュラムに舵を切った。
なるほど、それも一理ある。
この大学は、学生たちが卒業した後で企業に就職することを想定し、社会人になった時に何が必要とされるのかという点を考えたのだろう。ピンポイントの実学であったり、資格であったり、英会話能力であったり、接遇であったり、「将来、ビジネスシーンで役に立つこと」を重視していると思う。
とりわけ、実際の業務を行っているプロを大学に呼ぶという点は非常に重要だと思う。
今までの大学教育は、常に昭和の呪縛がつきまとっていた。大学は一般では学ばない高度な学問を学ぶべきだ、実学を学びたいのなら専門学校にでも行けという見下した考えがあったように思える。
しかし、そのような考えは、大学に進む人の割合が非常に限られていた昭和初期の頃の話であって、大学が増え続けた現在に適応することができる話でもない。
そして、入試の難易度に関わらず、大学と名の付く機関は高等教育という形で様々なプログラムを用意してきたわけだけれど、学んだことが実際の職場で役に立たないという批判は昔からあった。
大学入試というハードルで人間が選抜され、そこからは適当に課題をクリアすれば卒業することができ、その大学を卒業したという、目に見えない、しかし明確に分かるレッテルを人間に貼って社会に出し、そのレッテルがずっと貼られたまま生きるというわけだ。
理事長が三代目になったからなのか、もしくは前身がプロを養成する単科大学だったからなのか、最近の某大学は、社会で必要とされる人物像の分析や職業人として必要とされる能力の取得についてシビアになっている印象がある。
その取り組みは職場での評価、さらには卒業生たちの就職実績にも反映されるわけだ。
その実績を見た高校生たち、あるいは保護者たちの行動にも影響が及ぶ。
結果として、某大学の競争率や難易度が上がり、Fランクよりも上のEランクになったという構図なのだろうか。
それでも、未だにFランクとして扱われていることが少し気の毒に感じる。
また、地域に対する大学側の運営は決して間違っているとは思えず、地域の住民のために図書館やスポーツ施設を開放して生活環境の向上に貢献している。構内の芝生は常に美しく整備されて、小さな子供を連れた地域の親子が散策していたりもする。
加えて、この大学は私立大学としては珍しく、学生たちの生活について厳しく指導することもある。
それは大学ではなくて高校でやることではないかと思われることがあるかもしれないが、そもそも大学生を自立した人として扱うことに私は疑問を有している。
まだ社会の厳しさを学んだわけでもなく、親から金を出してもらっていたりもするのに、一端に大人の扱いを主張するなと私は思うわけだ。
大学に入り成人した後でも、モラルやマナーが整っていない若者に対して大学側が指導してくれれば、親としても職場としても助かる。
そして、この大学の学生たちは真面目な学生も多くて、大学生というよりも高校生という感じの純朴な若者が多かったりもする。
だが、中にはモラルやマナーがない学生もいて、地域に迷惑をかけることがある。入試の偏差値が高くない大学に限ったことではなくて、成人しているけれど社会人になっていない半人前の若者が集まる街でよくある話だ。
某大学の学生たちが、このコンビニにやってきて喫煙したり、コンビニの前の通路に座り込んで弁当を食べていたり、駅から大学に向かって歩道を自転車で疾走したり、登校時に集団を形成して歩道を塞いで市民の通行を妨げたり。
地域の住民たちは、この大学の学生たちの行動を冷静に見つめているし、必ずしも歓迎しているわけでもない。昔で言えばヤンキー風、今で言えばボーダー風の学生も見かけるし、就活では染め直すのだろうけれど、何だそれはという髪型の学生も見かける。
Fランクを辛うじて抜けたといっても、世の中がどう見ているのか。長くても4年後には社会に出るにも関わらず、見た目で個をアピールしている余裕はあるのだろうかという冷ややかな視線を感じているか。
そのような背景もあって、Google等でのクチコミは良いか悪いかのCの字になっているのだろう。大学側の地域貢献に満足している市民としては五つ星を付けるだろうし、モラルやマナーが破綻している学生に対して不満を感じた市民としては星ひとつも付けたくないわけで、結果として評価が分かれる。
さて、その路上飲みを行っている若者たちが某大学の学生なのかどうかは分からない。しかし、地域住民が彼らの身元を確認するのは容易だ。
まず、酔っ払っている若者たちの前に立ち、「君たち、とても迷惑だな。このような場所で集まって酒を飲むのは止めなさい」と注意する。
そして、酔っ払った若者たちが反論してきたら、すぐに酒気帯びの集団と地域住民とのトラブルという事件として、110番に通報し、警察を呼ぶ。
注意した方の地域住民としては、彼ら彼女らが騒ぐ声で迷惑しているとか、これでは生活に支障が出るとか、言いたいことを警察官に言えばいい。間違ったことをしているのは若者たちだ。
そして、警察官としては、その若者たちが、どのような人たちなのかを確認する必要が生じる。身分証明証の提示を求められた場合、その若者たちは学生証を提示する必要があるだろう。
その場に地域住民が立ち会った場合、若者たちがどこの大学の学生なのかを知ることができる。
若者たちが、「もう、いいだろ!?」とその場を立ち去ることはできない。地域のトラブルにおける110番通報の場合、両者が納得するまで警察官は立ち去ることができなかったりもする。
110番通報の後で、担当官がどのように対応したのかを記録して、署長が確認するという手続きがある。まだ揉めている状態で警察官が立ち去ると、後で問題になるからだ。
もしもこの学生たちが某大学の学生であれば、当然ながら大学当局にも相談する。地域に対する明らかな迷惑行為だ。
コンビニの前で飲み会に興じている若者たちを観察していると、その中のひとりがとんでもない行動に出た。
ラッパーだかボーダーだかのような格好をして、社会に対して斜に構えたような男性が立ち上がり、ひな壇のような階段を下り、歩道を横切った後、道路と歩道の間にある植え込みに向かって立った。
そして、ズボンを下げて性器を出して放尿し始めた。
すぐ近くには市民が利用する路線バスのバス停がある。彼が立っているのは歩道の上。
某大学の理事長や学長がこの光景を見たら頭を抱えることだろう。
「ビビってるだろー!」と、後方に座り込んでいる集団の女性が囃し立てている。
軽犯罪法違反。
公然わいせつ罪。
明確な犯罪行為だ。
この集団は法律さえ理解していないらしい。友人が法を犯していても制止しない時点で、この若者たちの人間関係は狂ってしまっている。
また、この若者たちがこの街で生まれ育った人たちなら、街に対する尊敬の念があってしかるべきだ。
その気持ちが全くないという時点で、この若者たちは市民としての帰属意識がないことが分かる。街の治安が荒れる理由のひとつでもある。
酒気帯びかつ感染者である危険性がある集団と近づきたくない。
私人逮捕が難しいと判断した私は、ズボンのポケットに入っている携帯電話を確認し、すぐさま千葉県警浦安署に110番通報しようとした。
このコンビニには、広域に撮影が可能な防犯カメラが設置されている。その前で放尿したのだから言い逃れはできない。
当然だが、私は目撃者としてその場に立ち会い、この愚者が二度と立ちションをしないように問い詰める必要がある。
コロナ対策でトイレの使用を禁じているコンビニの無策も嘆かわしいものだが、尿意を催して道端に放つなんて、まるで動物のような行動ではないのか。
色々とストレスがかかる社会状況だ。友達と集まって酒を飲みたいという気持ちは分かる。だからといって、地域社会に迷惑をかけて構わないという道理は通用しない。
マスコミが色々と煽り、政治や行政が混乱していても、必死に人々の命を守っている大人たちもいる。その若者たちだって、たくさんの大人たちから守られて生きている。
かつての日本では、大学に通う学生たちは「学生さん」と呼ばれていた。一般の人たちよりも高い学識を身につけ、将来はエリートとして社会に貢献してくれると敬われたからだ。
しかし、今の大学生はどうだ。
大学が増えすぎた結果かもしれないが、エリート層はごくわずかだ。親の経済力に甘やかされて大学に通っている若者が多い。学びたいから大学に通うのではなくて、大学に行っておけと親に言われたから大学に通うという体か。
親が大きな借金を抱えて生活に苦しんだ私から見ると、そうやって羽目を外している若者を見ると腹が立つ。
その若者たちは成人しているはずだが、経済的に完全に自立しているとは思えず、親の金で学校に通い、酒を飲んでいるのだろう。考え方は大人ではなくて子供だな。
若者たちが路上飲みをしているだけでも腹が立つのに、私たちが生活している街で放尿だと。許せない。
この人たちが某大学の学生であれば、きちんと大学側に連絡して善処を願わざるを得ない。この大学は学生たちに対して厳しい指導をするので、何らかの処置が執られることだろう。
心の中でイキっている私が110番通報しようと携帯電話のボタンを押そうとしたら、その若者たちが帰り支度を始めた。
おそらく、その集団の中には私の存在に気付いた人がいたのだろう。怒りを込めた眼差しで睨み付け、携帯電話を取り出してどこかに連絡しようとしているのだから、何かあると思ったのかもしれない。
彼ら彼女らにとっては、コンビニの前から他の場所に会場を移すだけの話だ。どこでもドアならぬ、どこでも飲み会というスタイルだな。予約を取る必要もないし、酒がなくなればコンビニで買えばいいというわけか。
飲食店に協力を求めたところで、このような人たちが出現したら感染症対策の意味がなくなる。
政府の対応が悪い、自治体の対応が悪いとメディアや人々が指摘するが、本当にそれだけなのか。ルールの抜け穴を探して、自分たちの快楽を求める人たちを止めることは難しい。本当に悪いのは誰なんだ。
何だか虚しい気分を抱えたまま帰宅して、ひとりの夕飯を食べながらハイボールの缶を開けた。
2本目の缶を開けて眺めていたのは、YouTubeの動画。「中学受験のrestart」というチャンネルを見かけて、その動画で紹介される深い考察に見入った。
辛うじてFランクを脱出した某大学とは関係のない話かもしれないが、Fランク大学を卒業して社会人になった場合と、高校を卒業してから社会人になった場合において、生涯年収がどの程度違うのかという話には驚いた。
日東駒専以上の大学を卒業して社会人になった場合の生涯年収は2億5千万円程度。トップエリートの層はその倍以上になるかもしれないし、それ相応の激務によって身体を壊して働けなくなったら収入はゼロになるが、この動画では言及されていない。
高校卒業後に働いている人たちの生涯年収は2億1千万円程度。
それらに対して、Fランク大学を卒業してから社会人になった場合の生涯年収は1億8千万円台なのだそうだ。
つまり、高校を卒業してすぐに働いた方が、トータルの年収が高くなるという計算になるそうだ。
どうしてこのような現象が生じるのかというと、その動画では、Fランク大学を卒業した場合と高校卒の場合で収入自体があまり変わらないこと、さらには4年間を学生として過ごした人とすぐに働いた人の差という解釈だった。
なるほど、大学の学費、あるいは貸与された奨学金を考えるとさらに差が広がることだろう。
しかしながら、現在の社会状況を鑑みてみると、高校を卒業して就職する場合には、学校側の紹介による正規雇用が多いという面もあるのかなと私は思った。
とりわけ、工業高校の場合には3年間で即戦力に近い人材を育成するそうだ。企業としても余人を持って代えがたいプロの職人として、大切に雇用するのだろう。
その場合、机上の受験勉強の偏差値なんてあまり意味がない。職人の腕の良し悪しは仕事の結果で評価される。
他方、Fランク大学、とりわけ文系学部はどうなのか。卒業後の就職に困り、非正規雇用になるというトラックは十分に考えられる。
高校卒で学校の紹介があれば、その職場がブラックなのかどうかも分かりやすい。
一方、大卒でブラック企業に就職し、そこからの転職が上手く行かずに非正規雇用になる若者の話をよく耳にする。
もちろんだが、Fランク大学を卒業した後、懸命に努力して成功している人たちだってたくさんいる。多数の人たちを一絡げにして考察することが適切なのかという疑問は生じる。
しかし、統計学的な動向調査とはそのようなものだ。受験産業において、目の前の受験だけでなく、子供たちの将来を考えることは間違っていない。
結局のところ、人の生き方は人の数だけ存在するし、収入だけで幸せかどうかが決まるわけでもない。
いくら所得が高くても、夫婦仲が険悪で魂を削られながら生きている人たちだってたくさんいるわけだ。
だが、何事も勉強だな。今回は道端飲みに興じている若者たちの醜態が大きな学びの契機になった。
私は子供たちを育てている父親なので、子供たちの将来について考えておく必要がある。
Fランクの大学を卒業した人たちの生涯年収が、高校を卒業してすぐに働いた人たちよりも少ないという現実を知らなかった。
その現実を知っただけでも、子供たちの将来の職業人生を考える上で、このエピソードには大きな価値があった。
本当に知るべき人たちは他にもいると思うが。