2021/06/20

金山落とし沿いの谷津道サイクリングで元気に育つ稲を眺める

このままでは浦粕住まいのストレスで本当に死にそうなので、日曜日は雨が降ってもライドに行くと決めた。浦粕という名前は青べか物語をリスペクトして使うことにした架空の町の名前。

お天道様もさすがに哀れに思ってくれたのか、朝方に降っていた雨が上がった。本日は、白井市の北部にある金山落とし沿いの谷津道から下手賀沼を経由して印西市に抜けるルートを探す。


浦粕を最短時間で脱出して市川市の南行徳に入り、いつも通りに真間川沿いの裏道を抜け、原木インター前から裏道に入り、海神と行田の順に船橋市を北上する。

ここまでの距離は15km程度だろうか。ロードバイクや自分の調子を把握するためのウォーミングアップ区間になっている。

そういえば、市川市と船橋市の境目付近にはカオティックで興味深いエリアがある。

このエリアは、歩行者や自動車が少なくて裏道としては適しているのだが...まるでコミック版の攻殻機動隊や銃夢、その他、サイバーパンク系のアニメや映画に登場する町のような感じだな。

塔のようなビルが密集する都市の中心エリアから少し離れた場所に形成された町らしきもの。寂れて荒れた感じだけれど、人々の生活が根付いているというか。

年季の入ったプレハブのようなアパートが並び、路地を少し曲がった団地の前では独特の雰囲気と微妙な静けさがある。

ジャンク部品を売る店らしき建物は、看板だけでドアが閉まったままだ。

近くを流れる小川は両側をコンクリートで固められ、酷く汚れている。水面には泡が浮いていて、魚の気配はない。

陸橋を通過していたら、中国語を話す若者たちの大集団が歩いてきたりもする。

道端のベンチやその周りにスウェット姿の中年男性たちが座り込んで、コンビニの弁当をつつきながら真っ昼間から酒盛りをしている。不思議なことに、彼らは毎週同じ顔ぶれだ。

本日のエピソードとしては、髪の毛を金色に染めた30代くらいの男性が運転するヤンキー風のミニバンが住宅地の路地裏を疾走してきて、昼間から泥酔しているかのようにフラフラと自転車に乗ってきた男性をはねそうになった。

ミニバンに乗っている金髪頭の男性が「バカヤロー!」と怒鳴っている。

そして、はねられかけた男性が無視すると、ミニバンが追いかけて金髪頭が喧嘩を売っている。

その騒動なんて気にすることなく、行きも帰りも常に見かける老人男性が、椅子に座って目の前の汚れた小川を穏やかな表情で眺めている。あまりにシュールだ。

独身時代にこのような町に住んだことがあるのだが、住人たちが小説の登場人物のようで楽しかった。

このようなエリアで子供たちを育てる自信はないが。

行田を抜け、木下街道という渋滞が標準仕様の混み合った道路を横切ると、そこからは快適なサイクリングコースが広がっている。

この付近は市川市の北部なのだが、市川市から船橋市を抜けて再び市川市に入るという感覚が面白い。

私にとっての市川市とは南行徳のイメージがあるのだが、実際にはとても広くて多彩な街並みがある。市川大野の辺りは街並みも市民も鎌ケ谷市と雰囲気が似ている。

市川市内から大柏川沿いの谷津道を走るルートは今まで通り。この付近の場合、谷津道といっても開発が進んでいて、その痕跡がある程度。

大柏川沿いの緑豊かな丘を越えると鎌ケ谷市に入る。鎌ケ谷市は道が迷路のように入り組んでいるのだが、なぜか方向感覚をつかみやすい。

また、森や農地に囲まれて人通りが少ない場所でも所々に自販機が設置されているので、飲料には困らない。

私なりの勝手な鎌ケ谷市のイメージとしては、柏市をコンパクトにして垂直方向の奥行きを増した感じだろうか。自然はあるが街もあり、そして人々が穏やかに生活している。

おそらく、「自分が家庭を持った時に、このような街で住みたい」というイメージを現実にマージすると、鎌ケ谷市に合致するのかもしれないな。

さらに深く考えてみると、そのベースにあるのは私自身の郷里の姿だ。決して住みやすくもなく衰退する一方の街ではあるが、「故郷がこうあってほしかった」という姿を具現化すると、鎌ケ谷市になるのだろう。

妻が鎌ケ谷市の出身で、結婚を機にこの街に引っ張り込まれて千葉都民になっていたとする。それならば、都内への通勤が辛くとも...いや、違うな。街が変わっても通勤地獄の苦しみは変わらない。

もとい、毎回のサイクリングで鎌ケ谷市を訪れることが楽しみで、この街を起点にして柏市や白井市の本格的な谷津道に入っていくパターンが気に入っている。

何だかんだ言っても、四十路や五十路になると人生は一本道だ。余程の覚悟がないとルートを変えることは難しい。変わり映えのしない日常が延々と続く。無理にコースを変えようとすれば転落するだけ。

それは、江戸川や荒川の河川敷をロードバイクで走っているような感覚にも似ている。

しかし、鎌ケ谷市から柏市や白井市に広がるサイクリングコースはたくさんあって、その日の気分によってルートを選択することができる。この自由さがたまらなく好きだ。

そういえば、かなり地味な話だが、前回のサイクリングでは、市川市内の大柏川沿いの谷津道から鎌ケ谷市内に入り、可能な限り短距離で大津川沿いの谷津道に乗り換えるためのルートを見つけた。

そのため、鎌ケ谷市内の混み合った一般道を通る時間を減らすことができる。こうやって少しずつ自分なりのルートを開拓することがとても楽しい。

その昔、日本では「パスハンティング」というジャンルのサイクリングがあった。現在でもパスハンティングに興じている人がいるかどうかは分からないが、そのための自転車というものがあったそうだ。

パスハンティングのための自転車のフレームはランドナーのようなシルエットで、素材はクロモリ。

ホイールは昔のマウンテンバイクのような小さめのサイズで太めのタイヤ。悪路での安定性のためにドロップハンドルではなくてフラットバーハンドル。

峠の小道を探しているうちに道がなくなったり、倒木あるいは小川で遮られた場合には自転車を担いで先に進む必要があるため、車体には軽量化が施されていたそうだ。

パスハンティングを目的とした自転車、あるいはこの種のサイクリングを行う人たちはパスハンターと呼ばれていたそうで、カテゴリーとしては登山に近いようなものだったらしい。

昨今のグラベルロードバイクがパスハンターの流れを汲んでいるのかと思いきや、それぞれの歴史的背景は異なる。コウモリの翼と鳥の翼のように、目的を追求していたら同じようなスタイルになったということか。

パスハンティングを過酷なサイクリングルートの開拓と解釈すると考え方が変わってしまうが、パスという単語を直訳すると「小道」ということになる。

自転車に乗って、「ああ、このような道があったんだ」と楽しみながら走るスタイルは、昔のパスハンティングに限らず、これからのサイクリストの楽しみになると思う。実際、私はそのような楽しさを味わっている。

前回のサイクリングにて思ったことがあり、愛車のクロモリロードバイクにカスタムを加えた点がある。鎌ケ谷市は細かなアップダウンがあって楽しいのだが、リアの12-25Tのスプロケットではローギアが足りないくらいの坂道があったりもする。

距離が短いのでスタンディングで漕げば問題ないのだが、25Tの外側に28Tが欲しい。ということで、11-28Tのスプロケットに換装してみた。

その感想としては、「11T、全然使わねぇ」ということと、「16T、どこ行った?」ということ。しかしながら、局所的に激坂になる状況で25Tの外側に28Tがあるという安心感は素晴らしい。

だが、17Tの両側の16Tと18Tが両方ともないのは何だか腑に落ちないので、このライドが終わったらR8000の12-25Tと11-28Tのスプロケットを分解して、ニコイチで12-28Tのスプロケットを作ろうと思う。デュラにはこのスプロケのラインナップがあるのだが、アルテにはないので、自分で作ろう。

鎌ケ谷市内を走っていたら、梅雨時期の雲が肉眼で分かるくらいのスピードで動いている光景が見えた。

photo65.jpg

どんな人にでも、心中に雲のようにかぶさっていることのひとつやふたつはあるはずだ。この雲のようにそれらが勢いよく流れてしまえばどれだけ楽なことだろう。

途中で墓地を見かけて、そのすぐ後で鉄道の踏切に差し掛かった。勢いよく通過する電車を眺めても死への衝動は生じない。まだ大丈夫そうだ。

photo66.jpg

気が付くと初夏真っ盛りの日光が両手に降り注ぎ、ジリジリと肌が焼ける感覚がある。浦粕でのストレスに耐え続けているうちに、自我が自分から離れたように感じる離人症という解離性障害を患ったようで、状況は良くない。

しかし、この瞬間の自分にはきちんと自我が戻ってきていることが分かる。認知行動療法のようなものだ。

photo67.jpg

浦粕方面から千葉県北西部の谷津道へのランドマークになっている海上自衛隊の下総航空基地に到着し、ここから白井市の金山落としに向かってペダルを漕ぐ。

下総航空基地の西側をトレースすると大津川沿いの谷津道にアクセスすることができて、東側をトレースすると金山落とし沿いの谷津道にアクセスすることができる。

photo69.jpg

最初は2車線だが、途中から1車線になり、歩行者も自動車もあまり見かけない農道が続くようになる。

私にとって白井市はなぜか相性が悪いようで、この街に入ると方向感覚がなくなってしまう。今までに何度も白井市を自転車で訪れているのだが、やはり苦手意識を持ってしまう。

それなのに、どうして大津川沿いの快適な谷津道がある柏市ではなくて、白井市にやってくるのかというと、もはや精神修行に近いのかもしれない。

数年前に苦しんだバーンアウトでは、思った通りに頭や体が動かない日々が続いた。今までの自分なら問題なくこなせたはずのことが処理できなくなり、モチベーションが極端に落ちた状態だった。

あと少しだけ手が動けば、あと少しだけ気持ちが動けば何とかなるようなもどかしい状況を、なぜか白井市に来ると鮮明に思い出すことができる。

迷路のような道が広がっている街ならば、船橋市や松戸市、流山市の方がずっと入り組んでいることだろう。しかし、街に入っただけで方向感覚を失うような街は、私が知る限り白井市しかない。

そのように苦手としている場所にあえて飛び込み、バーンアウトの苦しみを思い出すことで、未だに後遺症として残っている気持ちのトリガーを解除したいというか。

photo70.jpg

しかし、金山落とし沿いの谷津道を走っているうちに、そのような苦手意識もなくなり、目の前に広がる稲田の美しさに魅了された。

金山落としとは、下手賀沼の氾濫に備えて作られた用水路なのだそうだ。河川として行政から認められたわけではなくて、単なる名もなき用水路だと私は理解している。

しかし、私にとっての金山落としは、どう考えても谷津を流れている小さな川にしか見えない。この付近はマニア受けする淡水魚が釣れるポイントになっていて、橋の近くには釣り師たちが竿を構えて楽しんでいる光景をよく目にする。

photo71.jpg

金山落としを河川に例えると、左岸よりも右岸の方が快適に走ることができる。

金山落としの左岸もかつては谷津道だったと思われるが、現在では二車線の車道になっている。この道路には、千葉市や船橋市のローディたちが下手賀沼の周回ルートでトレーニングするために北上してくるようだ。

下手賀沼を周回する道路は一般道だが、感覚としては荒川沿いの彩湖の遊歩道に似ている。

下手賀沼も彩湖も、ふくらはぎがムキムキのマッチョなローディたちが、ストイックに走っている。

ただし、下手賀沼の場合には歩行者がほとんどいないが、自動車が走ってくる。近隣住民のドライバーたちは迷惑しているようで、ローディを見かけるとクラクションを鳴らしたり、自動車で煽ったりもする。

実際に手賀沼ローディたちの走り方を眺めてみたが、これではドライバーたちが怒って当然だと思った。

彼らと同類だと思われないように、私はゆっくりと礼儀正しく走る。

photo72.jpg

ゴールデンウィークの頃は頼りなく感じた稲が、6月の半ばになると随分とたくましくなってきた。このような姿を眺めると、子育て中の父親としては我が子たちの成長に重ね合わせてしまう。

以前から白井市内のサイクリングが苦手だったのだが、ようやくこの街を走る際のコツが分かってきた。「サイクリングルートとはこうあるべきだ」と考えていたわけではないが、先入観を捨てて、街に溶けるような感じで走っていれば、そのうち慣れるということだな。

白井市はとても不思議な街で、柏市の延長だと思い込むと確かにそのような感じがするし、船橋市の外れだなと思えばそのような感じもするし、しかし少しでも戸惑うと方向感覚を失う。

昔ながらの状態を維持していれば問題ないのかもしれないが、千葉ニュータウン構想で開発してしまったことが原因なのだろうか、よく分からないのだがなぜか混乱してしまう。

谷津道を走っているうちに、私が大好きな音が聞こえてきた。用水路から稲田に流れる水の音だ。

photo73.jpg

そして、金山落としの向こうに広がる森と空を眺めていたら、夏の訪れを強く感じた。

photo74.jpg

過酷な道を走破するわけではないが、マイルドなパスハンティングはとても楽しい。東京からでも自走でアクセスすることができる範囲にこのような光景があることを、都内のサイクリストは知っているのだろうか。

まあこれが千葉県民の良さかもしれないな。

photo75.jpg

目的地として設定した印西市内の松山下公園に到着。下手賀沼でピチパンマッチョなオッサンローディを見すぎて気分が悪くなったためか、写真が暗い。

この施設は、夏場には大切な補給とトイレのポイントになるだろう。

ここから利根川までは大した距離ではない。利根川を越えると茨城県だ。今度、行ってみようか。

帰りは柏市側の谷津道を走って帰ったのだが、農道の道端で70代くらいの男性に金山落としについて尋ねてみた。おそらく農家だろう。真っ黒に日焼けしていて、マスクも付けていない。確かに密とは程遠く、感染の危険がなさそうな環境だ。

彼は、この用水路の名前を知らなかったが、柏市と白井市の関係やその違いについて楽しそうに語ってくださった。私も楽しくて勉強になった。旅先での会話がこんなに楽しくて心豊かになるとは思ってもみなかった。

都市部で見かける翁たちは、どこか疲れて寂しげだけれど、柏市の谷津道で出会う翁たちはとても元気で明るい。

彼らのような晩年を過ごすことができたら、とても幸せだと思う。