2021/06/15

ウラヤスではなくウラカスだと思えば

左耳だけが耳鳴りを起こして聴き取れなくなったのは、やはりストレスによる影響の蓋然性が高いそうだ。耳の次はどこがダメージを受けるのだろう。生きる中で芽生える少しの希望さえ削り取られる。

そのストレスの元凶が何かというと、間違いなく浦安市に住んでしまったことだ。最近、山本周五郎氏の青べか物語を読み流している。そして、状況は異なるが「なんだ、過去にも同じようにショックを受けた人がいたんだ」と思った。


青べか物語は小説という体で描かれているが、実際にはルポルタージュに該当すると思う。

どうしてルポではなく小説という体で構成する必要があったのかというと、事実のままに文章を書くとあまりに露骨で醜悪な部分があり、角が立たないように表現する必要があったからではないだろうか。彼自身の感情も含めて。

そして、作中では、彼が実際に住んでいた旧東葛飾郡の「浦安町」ではなく、「浦粕町」という架空の設定になっていた。

浦安ではなくて、浦粕というネーミングが非常に興味深い。

しかし、「これは小説の中の浦粕町の話であり、フィクションなんだ」と青べか物語を読んで、「ああ、小説だな、こんな街があるはずがない」と信じてもらえるくらいに、当時の浦安町はエキセントリックな状態だったわけだ。

あくまで私感だが、この町の異質さは方向性が違ったとしても現在まで続いているように思える。

青べか物語では「沖の百万坪」と表現され、実際には百万坪もないエリアを埋め立てて市域を広げ、そこに住宅開発のディベロッパーや様々な企業を呼び込み、割安な住宅があるぞ、便利なショッピング施設があるぞと、主に都内から人々が流れ込み、古い歴史なんてありもしないスペースコロニーだか箱庭だかのような街が生まれた。

そのように短期間で奇異な発展を遂げた街が、東京23区や千葉県内の周辺自治体と同じような成熟を遂げるはずもなく、行政も市民も独特の価値観で動いている。

妻や義実家を含めて、そのような街が素晴らしいと感じる市民のことを私は否定しない。しかし、この街に引っ越してきた私の生き方については否定する。楽しくもないし、素晴らしくもなく、生きていることが辛くなる街だ。

青べか物語の主人公は3年間くらい浦粕町で生活したという設定だが、実際の作者は1年と少しで町を去っている。

当時の浦安町は、都内から蒸気船でアクセスするしかないような陸の孤島で、現在とは比べものにならないくらいに貧しい漁師町で、社会通念から離れたような世界が広がっていたそうだ。

私にとっては浦安に住んだことを後悔しているし、この記憶をできる限り早く忘却の彼方に投げつけたい気持ちなので、漁師町だとか何だとかという話に興味がないが、作者はとても大きな衝撃を受けたそうだ。気持ちは分かる。

そして、浦安に引っ越した後の作者は、勤務態度が不良という理由で会社を解雇された。彼の人生において幸せとは思えないステージが、浦安に住んだ時期と一致する。

勤務態度が不良だったというよりも、当時は浦安からの都内の職場まで片道3時間もかかったそうだから、まともに働くことは困難だったのだろう。

当時は独身で二十代だった作者が、住みやすくも働きやすくもない浦安に住んだ本当の理由は分からない。

そして、引っ越してから1年程度で浦安を去り、都内の虎ノ門に引っ越したという記録が残っている。浦安から都内に戻って、「やはり東京は素晴らしい」と感じたことだろう。私も早く東京に戻りたい。

長時間の通勤は心身を蝕む。住みづらい街で生活している時は特に。油断も隙もない市民性を含めて、彼の気持ちは痛い程に分かる。

よくよく考えてみると、私の浦安住まいも1年が限界だったと思う。

現在の浦安は陸の孤島ではなくて、橋がかけられた島のような感じだな。

豪雨で水没する可能性があるし、高潮で水浸しになる可能性もあるし、大震災では液状化で崩壊して被災地になったし、街にかかる橋は崩れた。

浅瀬に土を被せて、そこに人が住んでいるのだから脆くて当然だろう。

浦安市は、小さな半島のように三方が海に囲まれているので、災害時の陸送による救援は難しい。

とりわけ、作中の浦安町に該当するエリアが大雨で水没するような状況では、隣の江戸川区や市川市の近隣地区も水没し、この街は孤立してしまう。

たまに自衛隊のヘリコプターが海沿いの公園に離着陸する訓練を行っている。補給物資を届けたり、ごく一部の市民を救出するためだろう。

16万人を超える市民をヘリコプターで輸送することは不可能だ。

海上自衛隊の輸送艦でさえ、一隻当たりの人員収容能力は1000名程度。そもそも輸送艦が浦安の岸壁に近づくことができるのか、あるいはどこに避難させるのかという課題もある。

つまり、陸の孤島になった時には、市内に留まって救援物資を分け合い、寒さや暑さ、空腹や不快感を耐えるしかないだろう。

実際、液状化を起こした時には新浦安民の多くがペットシートや猫砂で用を足したわけだ。元町の市民も試してみるといい。凄まじい惨めさだった。

浦安は便利だというけれど、それなりのリスクを抱えて市民が生活しているわけだ。目先の利便性や23区と比べて割安な住宅を優先して。

往復3時間の通勤なんて千葉都民なら普通だというけれど、同じフィールドで競う職業人たちが近場に住んでいたら、もはや勝負にならない。

浦安市は都内への通勤のアクセスを含めると便利ではないし、街が混み合っていて苛立つ。しかも、ディズニー客が全国から街に押し寄せて鬱陶しく感じる。

鉄鋼団地には全国から多くの大型車が集まってきて、今までに何人もの市民が交通事故で犠牲になっている。

日本随一の工業エリアだと提灯記事を書く市民がいたりもするが、鉄鋼団地があったことで市民の生活が豊かになったというロジックが成立するのだろうか。

浦安という街に誇りがある人なら話は別だが、毎日、毎日、街の中央を通る道路が大型トラックやトレーラーで大混雑し、速いスピードで横断歩道を通過したり、交差点を横切っていく。こんな状態が住み良い街だとは言えない。

市民としては、鉄鋼団地を行き交う大型車に迷惑している。鉄鋼団地があって良かったと思ったことなんて一度もない。

浦安市内に妻の実家があるということで引っ越してきたけれど、引っ越して約5年で私はバーンアウトを起こし感情を失った。

この街は住み良いと妻や義父母が言うので浦安に引っ越したら、その直後に大震災で液状化を起こし、私は被災者になった。

都内に住んでいる同僚たちから、「この距離で被災地?どうしてそんなところに住んだの?ディズニーが好きなの?」と尋ねられたが、まさにその通りだ。ディズニーは大嫌いだが。

都内の職場に電車で通勤していて、往復3時間。空いた電車に数時間乗るのはあまり辛くないが、満員電車に押し込められて、何度も乗り換えで駅の中を歩くわけだ。そのように不毛な毎日がストレスのベースラインを引き上げていたことは間違いない。

子育てに入って、妻の性格が豹変したことも大きかった。あんなに優しかった妻が、大声で怒鳴り続け、ドアを叩きつけ、物を投げつけ、家族に暴力を振るった。

加えて、市内に住む義父母は、暴れる妻を引き止めるどころか知らないふりをした。あの憤りだけは絶対に忘れない。

しかも、義父母と同居し続ける独身の義妹を含めて、義実家は私の家庭に頻繁に突撃と干渉を繰り返した。妻はそれを制止しなかった。

あの人たちは共依存という状態なのだろう。

妻や義実家は、我が強くて自己肯定が非常に強く、他者の気持ちを察することができないらしい。家庭内でもマウントを取ろうとする。

だから、仲の良い親戚がいないのだろう。親戚が集まる場所では、あの家族は周りとの間でテンションを張っている。それぞれの親戚たちと過去に色々とトラブルがあったことは容易に想像がつく。

妻と義実家との共依存に疲れ果てた私は、自分の家庭を持ったという幸せどころか、その実感さえなく、浦安住まいに起因する様々なストレスによって精神的に追い込まれ、生きる気力を失った。

そこからの人生は地獄だった。何度も死ぬことを考えた。

それでも子供たちのために何とかして生きようとした。あの状態の妻や考え方が偏った義実家に子供たちを任せるわけにはいかなかった。

バーンアウトを自分自身の努力で克服した。妻や義実家のためではないし、その人たちはバーンアウトの井戸に落ちた私を助けようともしなかった。

その後、妻は今でも家庭で激昂して暴れるけれど、以前よりは落ち着いてきた。義実家とは関係を凍結し、市内なのに顔を合わせることもなくなった。

だが、劣悪な通勤環境は変わらない。コロナでディズニー客が減ったくらいの話だ。

10年が過ぎて目眩が止まらなくなり、左耳の聴覚がおかしくなった。あまりのストレスで解離性障害まで患い、生きるだけで精一杯だ。こんなに劣悪なプライベートで、それでも職場で働き続けていること自体が奇跡だと言わざるをえない。

なぜに都内に引っ越さなかったのかというと、浦安市内で生まれ育った子供たちの生活環境を急に変えたくないと思ったから。

妻の故郷だとか、義実家のことが心配だとか、そういった感情は全くないし、浦安という街への愛着も全くない。この街は私にとって苦しみの対象でしかない。

しかし、妻や義父母にとってこの街は普通どころか住み良いらしい。私にとっては信じられない。

青べか物語の舞台となった浦安町と現在の浦安市は状況が全く異なる。しかし、両者はもちろんだが時系列として繋がりがある。エキセントリックな街から急激な発展を遂げたからだろうか、依然として成熟せずに取り残された部分が多い。住む人によって好き嫌いが分かれる街だ。

この街での生活に適しているのは、多動性と衝動性が高く、自己肯定と自己顕示が強く、唯我独尊で他者のストレスなんて気にしない人たちだ。実際にそのような市民が多い。

他方、繊細な人や神経質な人には全く合わない。メンタルクリニックが大繁盛している背景もそれだろう。

感覚過敏持ちの私の場合、人も住宅も自動車も混み合って鬱陶しい街に住むだけで激しく疲れる。

街並みは仕方がないが、我欲を追求するピーキーな市民性とタイミングのずれた行政にはうんざりする。

間抜けとか愚鈍といった乱暴な表現は使わないが、この街の行政は市民によって支えられた豊かな財政力によって下駄を履いている。

金があるから施設を作り、業務をアウトソースし、市民向けのサービスを増やすことができるだけで、他の自治体と比べて彼らの能力が高いわけでも、システムが優れているわけでもない。リーダーの手腕についても同様。

市民受けしそうな市の施設を作り続けたことで維持費が積み重なり、その一方でゴミ処理場や排水機場といった市民の生活に直結するような施設については延命措置に留まり、水害対策のための新しい水門は未施工だ。それどころか、予算が足りなくて小中学校の大規模修繕さえできない状態だ。

近い将来、浦安市の財政は赤字に転落するというのに、その打開策を見つけることもできない。高い財政力を背景に行政が胡座をかいて、自分たちの現状や方向性を見極めることができなかったからだろう。

海を埋め立てて、働き盛りの若い世代を呼び込むという戦略には限界がある。今の新町は住居やホテルが密集して軍艦島のようになってしまったではないか。

空き地を見つけると、すぐにディベロッパーが何かを作ってしまう。行政が明確なビジョンとルールを用意してこなかったからではないのか。

人々が穏やかに生活しうる町だと言えるのか、この状態が。

東京まで20分なんて詭弁に騙されてはいけない。それは新浦安駅から東京駅までの快速電車の乗車時間だ。そんな職場なんてありはしないだろ。

そのようなアピールをする人たちは、何らかの理由があって詭弁を撒き散らす。そのモチベーションが金儲けであることくらい、よく考えればすぐに分かる。

それどころか、自宅から新浦安駅にたどり着くだけで20分以上かかる場所がある。これで東京まで20分であるはずがない。

都内の鉄道を乗り継いでいたら、往復で3時間以上もかかることだって少なくない。23区と比べて鉄道のアクセスがあまりに悪すぎる。

浦安から何度も電車を乗り換え、駅構内を人混みとともに歩き続け、そして都内の職場に到着しても、その時点で疲労困憊だ。職業人としてのポテンシャルを発揮することは難しい。

浦安に住めば義実家が子育てをサポートしてくれるのかと期待していたが、その期待は裏切られ、一方で義実家が我が家への突撃や干渉を繰り返し、さらには親離れができない妻との関係も悪化した。

理想通りに進まないのが人生だが、あまりに演歌風味の浦安ライフになった。

あまりに街のことが気に入らない人たちは転出していなくなるので、街中がアンチな市民に埋め尽くされはしない。しかし、相当数の市民が苛々しながら生活していると思う。

都内に比べて住宅が広くて安い理由なんて考えなくても分かるだろ。通勤までを考えれば、住みにくい街だからだよ。

他方、「浦安は素晴らしい!」とネットで発信している人たちもいるが、セールストークも含まれているので注意したい。彼らの大まかな分類としては以下になる。

①地元の不動産屋と関連会社
②市の補助を受ける団体の人
③行政と距離が近い業者の人
④市議会議員もしくは候補者
⑤不動産投資で稼ぐ一般の人
⑥本業外で張り切る市の職員

まあこんな感じだな。実際に住んでいる市民から見ると。

以前、詳しく調べたことがあるのだが、多くの場合、それぞれの人たちに背景と思惑があって情報を発信している。

私見としては、②と④がネットではない状況で繋がっていたり、③は政治とも関係していたり、最近では④と⑤がネットで繋がっていたりもする。

特に⑤はツイッターユーザーが多く、確かに市民ではあるのだが、いわゆる声が大きな市民だな。

⑥については身分を隠すことがある。浦安のためにプライベートも捧げたいという人たちではなくて、役所の仕事に飽きてしまって他の場所で刺激を欲したり、役人という枠から飛び出して「自分自身が」目立ちたいという人たちもいるようだ。

もちろんだが、この街のことが本当に好きで、生活でのエピソードをツイッターやブログで発信している市民もいる。そのような人たちは過剰なアピールをしない。

もとい、青べか物語で描かれていたが、この街が過去に貧しい漁師町だったとか、そんなことは私には全く関係がないし、関心もない。

妻の実家があったので、子育てをサポートしてくれるかと期待して引っ越してきただけ。当時は都内の保育施設に空きが全くなくて、浦安だと4月まで待てば入園できるという理由も大きかった。

結婚前に妻の両親に挨拶に行った時、こんなところに住んで東京の職場に通うなんて無理だなと思った。往復3時間なんて、小旅行のレベルだろ。それが現実となったのだから削れて当然だな。

青べか物語で登場する「浦粕町」というネーミングを見かけて、「そうだ、そうなんだ、ウラヤスじゃなくて、ウラカスだよ!」と、私はとても納得した。確かに粕なんだ。

作者の感性に共感するというよりも、自分の思考を拘束していた鎖が砕けたような感覚がある。

なるほど、これは新たな気づきだ。この街で積み重なるストレスの原因のひとつが分かった。潜在意識の中で疲れを生じていたということか。

「ウラヤス」ではなくて「ウラカス」という言葉の響きもインパクトがあるのだが、「安」ではなく「粕」という漢字の使い方が上手い。

そうなんだ。私としても、この街は浦安よりも浦粕の方がしっくりくる。まさに浦粕なんだ。

どこかで聞いた話だが、浦安の「浦」という文字は「海」とか「心」という意味があるらしい。

浦安の「浦」を「海」と解釈すると、そのままの意味だな。浦とは、海や湖が湾曲して陸地に入り込んだ地形のことだから。

現在の堀江地区、猫実地区、当代島地区に該当する三つの村が合併する際に、浦が穏やかであるようにと願って、初代村長が浦安という名前を付けたそうだ。その流れは想像に難くないし、浦安市の公式サイトにもそのことが記載されている。

しかし、浦安市の公式サイトには「一説として」という但し書きの後で、浦安という名前が日本書紀の中のイザナギノミコトの言葉に由来するとも言われていると記載されている。

誰が言ってるんだ?

浦安市のネーミングのオリジナルが日本書紀だと。その論拠があるのなら、きちんと明記せよ。

このページを担当する広聴広報課は、以前、市の公式ツイッターで女子のパンツについて市民に尋ねてしまうという失態をおかしたこともあると記憶しているが、噂話ではなくてきちんと出典を明記する必要がある。

しかも、浦安市役所の1階には、このフレーズが中心にクローズアップされたような大きな毛筆の書が貼られている。

この書は、現在の市長の前の市長が書道家からもらったと、本人から聞いたことがある。

しかし、日本書紀にも浦安というフレーズがあるという話だった。日本書紀の中の浦安という言葉が浦安市の由来になっているなんて、前市長は言っていなかった。いつから尾ひれがついたのだろう。

浦安市の浦安という名前が、本当にイザナギノミコトの言葉に由来するのだろうか。

確かに、日本書紀の神武紀には伊弉諾尊が「日本者浦安國」と言ったと書かれている。ここでの「浦」は「心」を意味している。

つまり、心安の国ということだ。​日本は心安らかに暮らせる国という表現なのだろう。

しかし、三村が合併して浦安村が生まれたのは1889年(明治22年)のことだ。東葛飾郡浦安町が成立したのは、その20年後。

青べか物語で描かれているように、この地域は浦安町の段階で、東京から船以外の交通手段がない陸の孤島だったわけだ。

それより昔に、日本書紀を読み込んで記憶している学識者が住んでいた、あるいは助言することができたのだろうか?陸の孤島の貧しい漁村で。

しかし、あえて浦安市の公式サイトの説明に基づいて考えると、浦安という名前がイザナギノミコトの言葉に由来する可能性がなくはない。

この地に浦安という名前を付けた人物が、日本書紀を読んで浦安というフレーズを覚えていたという可能性はないだろう。しかし、この地に住む一般の人たちが浦安というフレーズを知っていた可能性はある。

名前を提案した行政側の人たちとしては、「海が穏やかであるように」という理由で浦安という名前を付けたと人々に説明した方が楽だ。漁村なのだからとても分かりやすく、心穏やかに生きると説明しても理解が難しかったことだろう。

なので、公的な記録に残っている理由としては、浦安の「浦」は文字通りの海という話なのだろう。

しかし、村の名前の候補を選定する時点で、村長たちはすでに浦安という言葉を知っていたのかもしれないな。

だとすれば、彼らはどうやって浦安という言葉を知ったのか。陸の孤島になっている貧しい漁村の人たちが。

可能性として挙げられるのは、宗教的な信仰を介した情報の伝達。この場合は神道だな。

自然環境の影響を強く受ける地域では、自然を神として畏れ崇める傾向が強い。

現在の元町に3ヶ所も神社があるのは、海の怖さと有り難さを含めた信仰心によるものだろう。

神道をイメージして安直に考えると、全国の神社で行われている「浦安の舞」という神楽のフレーズが思い浮かぶ。あの浦安という名前に由来するのだろうかと。

浦安の舞が作られたのは1940年(昭和15年)。つまり、浦安村というネーミングが生まれた時期の方が先だ。

だが、全国の神社で行われる神楽に浦安という名前を付けるくらいだから、神道において浦安という言葉が広く浸透していたのだろう。

神道を信仰していた人たちが浦安という言葉を知っていて、漁村という背景と相まって村の名前にしたと考えてもおかしくはない。

なるほど、確かに立派な名前だ。

そして、自分でも信じられないことだが、この名前が私の心の疲れに繋がっていたということに気付いた。自分でも意識していなかったが、青べか物語の「浦粕町」という名前を見てやっと分かった。

浦安という名前の「浦」という漢字に「心」という意味があると私に教えてくれたのは、浦安市の前の市長だ。浦安と心安は同義なのだと。

前市長は豪放磊落で好き嫌いが激しかったが、他者の気持ちを掴むことに長けていて、敵も多いが味方も多いという人だと理解している。

「日本者浦安國」という言葉でコンサバ系の気持ちを高めつつ、その言葉を発したのがイザナギノミコトだと言われたら、浦安は何と素晴らしい名前なんだと心に焼き付く。

ところが、私の場合には、その記憶が逆に自分を苦しめている。

浦安市内で生活すると、当然だが街全体で「浦安」という文字を見かける。この街がかつて漁師町だったことなんて、私の生活には関係ないし、私自身の家系には何の縁も所縁もない。

私にとっての浦安は、只ひたすらストレスを受け続け、自らの心身が削られ続ける街だ。

それなのに、町の名前が浦安。

この名前に「心穏やかに生きることができる街」というダブルミーニングを少しでも感じると、「そんなはずがないだろ」という憤りと否定感が思考の中で生まれる。

すると、この状況に関与したのは誰なんだと不満が再燃し、この街への転入を許した自分自身の判断を悔やみ、もう全てが嫌になってネガティブな思考がループする。

私にとっては、浦安という二文字の漢字だけでなく、平仮名や片仮名でさえ陰鬱な感情を覚える。

「うらやす」とか「ウラヤス」といった文字を見かけるだけで気持ちが沈んでしまうのだ。それはなぜなのか。

浦安の「浦」を「心」と解釈すると、街の名前と私の現状との間で明らかな齟齬がある。

顕在意識として気にしていなくても、そのギャップを感じ取ってしまうのだろう。

例えば、周りに店がないので仕方なく通っていてる社員食堂があって、出てくる料理が不味いにも関わらず、その食堂の名前が「キッチン美味」だったとする。

すると、不味い料理を食べるたびに、「そんなはずがないだろ」と苛立つことだろう。その街バージョンとでも言おうか。

この街は住み良いと主張する市民がいたりもするが、私はそう感じない。

地名に文句を言っても始まらないし、あくまで個人的な考えだが、「心安」という意味のイザナギノミコトの言葉は、この街での生活に適さない。心穏やかに過ごすなんて、私には不可能だ。

心穏やかに生活することができず、心身ともに削られる毎日を送っているのに、街の中には心穏やかという文字が至る所にある。違和感どころではない、歪んだ世界の感覚を受け続けていたのだな。

「浦安」という現実と解離した文字を見ると、それがトリガーとなって様々なストレスが押し寄せて自分の自我を飲み込んでいく。

混み合った街の鬱陶しさ、鉄道のアクセスの悪さ、長時間の通勤地獄、義実家との関係、我が強くて短気な市民性。もう全てが嫌なんだ。生きることが嫌になるくらいに。

文字が人の思考や感情に与える影響は想像以上に大きい。文字に意味がないのなら、人の名前は番号で構わないはずだ。

名前で人の印象や生き方が変わることだってありうる。街についても同じなのだな。

しかし、青べか物語で表現されているように、「ここは浦安市ではなくて浦粕市なんだ」と認識すると、ネガティブな思考のループが回らないことに気づいた。

「心が安らぐ?そんなはずないだろ」という怒りのトリガーを引くことがなく、「そうだな、確かに粕だな」と、現実を受け止めることができるからなのだろう。

「粕」とは何かというと、それは罵倒語ではなくて酒造において使われてきた言葉だ。

日本酒を作る工程で、もろみを圧搾した後に生じる白色の固形物のことを粕と呼ぶ。

そこから意味が広がって、原料となるものから目的となる成分を取り除いた後に生じる残渣のことが粕と呼ばれるようになり、さらに転じて、良い物を取った後に残る不要物がカスと呼ばれるようになった。

それらにポジティブな意味合いはない。

したがって、どのように解釈したとしても浦安町を浦粕町と表現した青べか物語において、作者がこの町を気に入っていたとは到底思えない。ウラヤスではなくてウラカスだと。

もちろんだが、全てにおいて秀でて完璧な町なんてありはしない。良いところもあれば悪いところもある。それが町というものだろう。

けれど、個人レベルの相性を考えると、絶対に合わない、生きているだけで苦痛、早く逃げ出したいと感じる町があってもおかしくはない。

私の場合には、その町が浦安市だった。結婚が引き金だったとはいえ、何とも不遇な気持ちになる。

様々なストレスを浴びて辛くて仕方がない街に、「心安らぐ」なんて名前が付いていたら、何か悪い冗談ではないかと感じてしまうのだろう。

しかしながら、「この街は浦粕市だ」と心の中で認識すると、ストレスの指数関数的な増大は生じない。自分の現状と認識が釣り合うからだな。

あくまで自分の印象でしかないが、心が安らぐのではなくて、心が絞られて粕になってしまう街という意味。

子供が出来た時には、「この街で頑張ろう!」という気持ちになった。

義実家だって、きちんと私を家族として受け入れてくれると思った。

妻が夫ではなくて義実家を優先するなんて、考えたこともなかった。

都内から浦安に引っ越すことで、私の人生はより豊かになると思った。

しかし、それらは淡い期待でしかなかった。

浦安に住んで様々なストレスに飲み込まれ、将来への夢や希望どころか、ポジティブな感情全てが圧搾されて取り除かれ、最後は粕のような感情だけが残った。

後悔、恨み、憤り、苛立ち、懸念、心配、不快、痛み、苦しみといった心の粕だけ。

これで幸せなはずがないし、私にとっては間違いなく、「心が粕になってしまう街」だな。

これからは青べか物語をリスペクトして、録の中では浦安市と記載せずに「浦粕市」という架空の街という体でエピソードを記そう。

下の子供が浦粕市の外の私立中学校に入学すれば、この街に留まる理由なんてどこにもない。

さっさと浦粕市から転出するだけだ。すでに十分過ぎるほどに耐え続けてきたが、寿命が尽きるまで地獄が続くわけでもない。義実家との関係も時間が経てばそのうち終わる。

心身共に完全に朽ちないようにケアしながら、ウラカスでの生活を耐えようと思う。