2021/05/09

桑納川から神崎川経由の谷津道で小室に囲まれる

子供たちが乳児や保育園児だった頃の日曜日はとかく忙しくて大変だったが、今から振り返ると楽しい時期だったなと懐かしくなる時がある。上の子供は朝から学習塾へ。妻も学習塾の保護者会に出席するために同行した。

私は下の子供に朝食をとらせた後でウェアを身につけ、週末のサイクリングに出かける。役に立たない父親だと家族から思われているはずだが、父親の心身の健康維持は家族のためでもある。私が倒れたらこの家庭は傾く。


父親は当たり前のように仕事に出かけ、家庭に金を入れることが当たり前なのか。

違うだろ。

身を粉にして働き、父親の育児参加だなんだと言われる世の中でも耐えながら生きているだろ。

私は、タガメに絡み取られて血を吸われるカエルではない。

どうせ血を吸われ続けるのであれば可能な限り元気なカエルになろうと思い、自宅を出てサイクリングに繰り出し、最短時間で浦安市を脱出する。

本日のサイクリングルートは、最近になってその魅力を知った谷津道。

谷津道は千葉県内にたくさんあり、それらを連結させることで様々な組み合わせを楽しむことができる。現実から逃避する上でも素晴らしいルートだ。

いつも通りに浦安市から市川市に入り、そこから船橋市内に入る。

市川市の原木から船橋市の海神という二つの地区がランドマークになっていて、車道が混み合う両市をどうやってパスして谷津道に入るのかという点が重要だな。

今回は、海老川沿いの道を使って船橋市内を北上するというルートではなく、道沿いにピーターパンがある9号線から東葉高速線の電車が走る陸橋の下を進むことにした。

船橋市内の道路は、とかく自動車が多くて走りにくいのだが、カーナビが案内しなさそうな道を探すと、とても快適な抜け道があったりする。

そこから「ときめ木ロード」という、私的な感情としてはときめかない一般道を進む。

この一般道には、路肩に広めの自転車レーンが用意されているので、船橋市内の道路としては非常に走りやすい。船橋市としては。

八千代市が近づくにつれて道路脇の店舗が減り始め、大きめの駐車場があるコンビニにロードバイクを停め、アメリカンドッグを頬張る。

なぜか分からないのだが、自然が増えてくる地域のコンビニの店員さんたちは対応が丁寧で優しい。また、ロードバイクを地球ロックしつつ、店内からその姿を確認することができる配置が多い。

コンビニの店員さんたちとしても、幹線道路沿いのストレスフルな労働環境ではないのでリラックスしており、自転車を駐輪しても支障がないくらいにゆとりある駐車場のデザインになっているからだろう。

アメリカンドッグは私の好物のひとつで、口に含んだ時に幸せの香りがする。酸味が苦手なので、ケチャップやマスタードの類いは付けず、プレーンのまま。

子供の頃に出かけた地域の祭りや花火大会の出店で食べた時の記憶が残っているからだろうか、この変わらない味が落ち着く。

貧乏性というわけではないのだが、私は大きな借金を背負った家庭で育ち、20代前半まで金がなくて苦労したこともあって、食について関心がない。

妻はとかく食にこだわる。

さて、腹ごしらえが終わったところで桑納川の谷津道に入る。ようやくこのルートが身近な存在になってきた。

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マルチポジションハンドルの調整が完了し、今回はフラットバー用のクローズクランプを取り付けて試してみることにした。

クローズクランプとは、グリップの内側に設置して親指を引っかけるための小さなパーツのこと。

TOGSのクランプが有名だが最近では欠品が続いている。そのため、Amazonでイミテーションのような類似品を手に入れた。

その値段は800円程度だったのだが、価格以上の価値がある製品だな、これは。

フラットバーで走っていると、親指の付け根や手首が痛くなるのだが、クローズクランプがあると手元のポジションが安定して疲れが少ない。

あまり期待せずに買ったサイクル用品が想像以上に素晴らしい時には、サイクリングがさらに楽しくなる。

リアのシフターが欠品続きで、未だにWレバーで変速しているので面倒なのだが、平地のイーブンペースなので何とかなっている。

桑納川沿いの稲田には、植えられた苗が少しずつ根付いてきたようで、水面と緑とのコントラストが美しい。

今回は、桑納川沿いを経由して、神崎川沿いの谷津道を走ることにする。

桑納川と神崎川は、新川という大きめの川で繋がっているので、新川を北上すると神崎川にアクセスすることができる。

八千代市内には稲田が多いのだが、途中で池の水面のように広がる稲田を目にした。

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数年前のバーンアウトでは、不思議なことに色彩の感覚が薄くなってしまっていた。

目の前の色を意識して判別はできるのだが、気を抜くとセピア色になった。また、記憶された映像に色彩が残らない感じだった。

現在でもバーンアウトの後遺症なのだろうか、直近の記憶であったとしても、記憶をたどった時に色彩を思い浮かべることができない。

HYPSENTでアップロードする写真はモノクロやセピア色ばかりだが、この状況を記録するという目的があったりもする。

ブログの中で、「緑が美しかった」とか、「雲が黒くなっていた」といった表現があったとしても、実際の私が記憶から呼び覚ましている映像には色彩がない。

その当時に緑が美しかったとか、雲が黒くなったというテキストとして記憶している。

スマホで撮影して画像を確認すればいいのだが、自分の記憶の中では色彩が残っていないので、そのギャップが酷く気持ちを押し下げてしまう。

他人事なら興味深くもあるが、自分自身のことになると辛いわけで、いつになったら治癒するのかと絶望したくなる時さえある。

いつの日か、色彩がある写真をアップロードすることができればいいなと思う。

新川についてはどう考えても間違えようのない存在感があり、その支流である神崎川ルートの入り口も分かる。

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この写真では分かりにくくなってしまったのだが、右側が新川で、左側が神崎川。

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写真手前の木を軸にして左側を見ると、稲田が広がっている。

この遊歩道に並んでいる木々にはそれぞれプレートが付けられており、結婚記念とか学校の創立記念とか、たくさんの人たちの気持ちがこもっている気がした。

谷津道の良さについては、実際に走ってみないと分からないと思う。

マッチョ系もしくは中二系のロードバイク乗りにとって、谷津道はあまり楽しくないはずだ。

路面が荒れていたりもするし、ヒルクライムを楽しむことができるわけでもない。

豊かな自然の中で眺める緑や川、自動車や歩行者が少ない状態での静けさ、そして自分を包み込むような孤独感。

孤独であることは寂しさもあるけれど、地に足を付けて考え事をするには適している。実際の足はペダルを回しているけれど。

修験道の山伏になった気持ちで走ると、谷津道がひとつの修行のように感じたりもする。

いや、実際にはリラックスして走っているだけだな。とても気持ちがいい。

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そして、神崎川沿いの谷津道ルートの舞台となるのは、千葉県の白井市。

浦安市民の多くは、白井市という自治体の存在自体を知らないことが多いことだろう。私も知らなかった。

船橋市や柏市、鎌ケ谷市、印西市、八千代市と隣接しているにも関わらず、白井市の存在感の薄さは特筆すべきものがある。

過去の調査では、白井市のことを知っているという船橋市民の割合は4割程度で、半数以上が白井市という街のことを知らなかったという結果になった。

市川市民や千葉市民の場合には8割が白井市のことを知らなかったそうだ。

近隣の自治体の市民から存在さえ認知されていないことが多いことに驚いた白井市の行政は、以前よりも街のプロモーションに力を入れるようになったらしい。

私も以前、白井市を訪れたことがあるのだけれど、何とも言えない違和感があった。

ホワイトな街をソロライドで訪れて頭の中がホワイトになる

白井市民の皆様にはとても失礼で申し訳ないのだが、鎌ケ谷市や柏市、船橋市といった近隣自治体とは明らかに違うテイストを放っている。

強烈な個性があるわけでもないし、街中は綺麗で整っているし、住んでみると快適なのかもしれないし、サイクリングで走る分には車が少なくて楽なのだが...なんだろう...あまり長居せずに別の場所に行きたいという気持ちになる。

私はSF作品が好きなので、そのベクトルで表現すると、道路やビルがきちんと存在していて、たくさんの人たちが生活していた街が、突然、パラレルワールドに引っ張り込まれて、街だけが残されたという感じのインパクトを受ける。

浦安市という人口密度高めの鬱陶しい街で生活を続けていると、街に人があふれているのが日常だ。

その環境で人がいなくなったら、強烈な恐怖を感じるのかもしれない。

しかも、農村が広がる街の一部を近代化としてカスタムしたような雰囲気があり、私が白井市を訪れると方向感覚が薄くなってしまう。

間違いなく北西に進んでいるはずなのだが、サイクルナビのGPSは反対側を示していたり、もしかしてGPSが上手く機能していないのかと錯覚することもある。

それらが続くと、妙に気持ちが焦って強迫観念がやってくるような感覚もある。どうしてなのだろう。

しかしながら、前回のサイクリングは市街地だったからだろうと思い、今回は神崎川沿いの谷津道を走ってみた。

この付近の谷津道も趣があって素敵なのだが、柏市や八千代市といった街の谷津道に比べると道が入り組んでいて走りづらい。

また、やはり、方向感覚がおかしくなってきた。

なぜだ。船橋市や八千代市では何も問題がなかったのに、心拍数が高くなって焦りを感じる。

ハンドルに取り付けたコンパスが北の方角を指していても、体感する方角が北だと感じられないような感覚がある。

民家に合わせた形で谷津道が複雑に分岐していて、逆方向にUターンするような袋小路に入ってしまったりすると、そこからのリカバーが難しくなり、GPSが方向を掴むまでの距離を走れなかったりもする。

最終的にはハンドルに取り付けたコンパスが頼りになる。

そして、やっとのことで神崎川が二重川と分岐しているエリアを過ぎると、小室という地区にたどり着いた。

3万年以上前の旧石器時代から現代までの歴史を持つ由緒ある場所だ。

しかし、小室駅や小室公園など、標識や看板を見渡すと小室、小室、小室。

このエリアは、小室という文字が街中にあふれている。

看板をよく見ると、小室町というエリアは白井市ではなく船橋市に位置しているようだ。

ただでさえ方向感覚が薄くなる白井市で、気がつくと船橋市に迷い込み、小室という文字に取り巻かれている。

その時の私の脳内は、谷津道でリラックスした状態ではなくて、とても世俗的で重い状態になった。

毎日のようにネットニュースに登場する写真が思考をよぎり、もう早くこの場所から立ち去りたいという気持ちになった。

それにしても、鋼のようなメンタルタフネスという言葉があるが、メンタルタフネスと自他境界はどのような関係があるのだろう。

自他境界が曖昧になっている人を見かけることがよくあるが、自他境界そのものが存在せず、思考の全てが自己という状態になっていたとすれば、すなわち自己肯定や自己愛の塊になるということか。

また、他者から見て自他境界が明確だと感じる人においても、実際には自他境界がスペクトラムのようになってしまっている場合もあるのだろうか。

せっかく新しい谷津道を見つけて喜んでいたのだが、豊かな自然を前に浮かれていてはいけないという教訓でもあるのだろう。

谷津道とは道路の呼び名ではあるけれど、私の中では「谷津道」という修行になってきた。

修験道の世界では、修行中にメンタルの淵に落ち込むことがあって、それらを耐えることも修行なのだろう。

修験道のように谷津道を究めてみたいものだ。

しかし、そろそろ日が傾いてきたので、さっさと自宅に帰ることにする。これでは修験者になれそうにないな。

ロードバイクを路肩に止めて、自宅までの最短ルートを設定。

前回に白井市にやってきた時にも同じようにサイクルナビで最短ルートを選択して、速やかに離脱した。

私の頭の中での問題であって、白井市に罪はない。

ここから浦安市内までをナビで設定すると、アンデルセン公園の横を通る一般道が表示される。

これはこれでストレスフルだが、短時間で浦安に帰ってくることができるので便利だな。

最近のナビタイムは機能が追加されて、自動車が少なくてサイクリングに適したルートを自動で判別してくれるらしい。

船橋市内の農道を走っていたら、分厚い雲の隙間から日光が差し込むという光景を目にして、気分が楽になった。

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太陽の光のように、たまには明るいエピソードが差し込んでほしいものだ。

この社会や私の人生に。