大柏川と大津川経由の谷津道サイクリングで手賀沼へ
「これは素晴らしい...この位置にカメラを設置して、動画と音声だけを延々と流してくれるYouTubeのチャンネルがあったら、きっと眠れなくて困っている人たちが助かるだろうな...」と素直に思った。
かなり前から、波や焚き火、小鳥のさえずりといった音声を数時間にわたって流している動画がアップロードされていて、再生数が100万回を超えることが珍しくない。
夜になっても眠れないという状態はとても深刻で、精神が不調になる過程のひとつでもある。
私も以前は仕事や家庭の悩みを抱えたまま布団に入って、なかなか寝付けないことが多かった。
最近では、「年老いれば、この時間だって夢なのか現実なのか分からないくらいに遠い記憶になるのさ」と、気にせずに眠りにつくことにしている。
サイクリングの途中で出会った素敵な自然音とは、用水路から稲田に流れる水の音。
川の両サイドに稲田が広がり、稲を植えている人たちの姿が散見される。とても長閑な光景の中で、ソロソロともタプタプともコトコトとも表現しがたい穏やかな水の音が聞こえてくる。
地方に在住の人たちからすれば、気にすることもない身近な姿かもしれないが、まともな田んぼが全くない浦安で生活していると、子供の頃に耳にした音が聞こえてくると気持ちが安らぐ。
私が子育てに入った頃から、千葉県内の柏市という自治体で人口爆発と表現されるくらいの転入者の増加があった。
その傾向が今でも続いているのか分からないが、柏市が今でも首都圏の子育て世代を魅了していることは間違いないことだろう。
柏市内には鉄道の駅やショッピング施設等が充実している。しかし、市街地を離れると豊かな自然があふれていて、とても落ち着く。
都心に比べると住宅も安く、子供たちを育てるには最高の環境だと思う。
長時間の電車通勤で消耗して、その後で人口密度が高く鬱陶しい街に帰ってくるから、私は酷く消耗するのだが、浦安市がこのような環境であったなら疲れも少ないのだろうな。
浦安市の方が都心に近いはずなのだが、乗車時間や乗り換えの時間を含めると、柏市や流山市、鎌ケ谷市といった自治体から都心に通っても大して時間は変わらないようだ。
最近、谷津道の魅力を再確認して、これは素晴らしいとサイクリングに出かけている。
谷津道とは柔道とか剣道といったスポーツではなく、もちろんだが宗教でもない。
千葉県内には、丘陵地が浸食されて生まれたと考えられている谷のような地形が幅広く分布している。
この谷のことを谷津と呼んでいて、田畑として活用されていることが多い。その谷津を通る道路が谷津道と呼ばれている。以前も同じような解説を記した。
しばらくの間は「谷津道」の探索を楽しみに生きよう
派手なラチェット音やカウベルを響かせながら、ピチパンと自己愛を隠さずに疾走するロードバイク乗り...といっても以前まで私も同じだったのだが...は谷津道に寄りつかない。
路面に継ぎ目があったり砂や泥が浮いていることがあるワインディングロードをひとりで走り続けても楽しくないだろうし、ガチのロードバイク乗りは他のサイクリストを意識しながら、一般道や河川敷などの定番コースを走った方が楽しいことだろう。
そもそも谷津道では人とすれ違うことさえ少ないので、フレームやホイールを新調しても誰が見てくれるわけでもない。
疾走していて落車しても救急車を呼ぶことが難しいはずだし、タイヤがバーストしたりディレイラーがもげて走行不能になったら、ビンディングシューズをカラカラと鳴らして歩いて帰るしかない。
グラベルのような砂利の浮いた路面をスリックタイヤで走ると、巻き上げた小さな石がフレームに当たって塗装が剥がれることもよくある。
数十万円を軽く超えるカーボンフレームで谷津道に入る時には、ダウンチューブやチェーンステーに保護フィルムを貼った方がいいかもしれないし、そこまでやる人は珍しいことだろう。
さて、浦安から見て東に位置する桑納川沿いの谷津道を走り、八千代市の方面に向かうルートについては把握した。
今度は、北に位置する谷津道を探して、一般道をできるだけ走らずに手賀沼までたどり着くルートを探そう。
市街地に埋もれてしまっていることもある谷津道を探す場合には、サイクルナビはあまり役に立たないと思ったので、今回は別の方法で谷津道のルートを見つけることにした。
谷津道が陸地の浸食によって削られた谷状の地形であるのなら、そこには川があるはずなんだ。
しかし、通常のマップで小さな河川だけを眺めても谷津道の位置が分かりにくい。
ということで、国土地理院の情報がベースになっているであろう地形図や標高図のデータを分析して、千葉県北西部に存在しているはずの谷津道を推測することにした。
その際、日本全体の標高図を眺めてみたのだが、そこには非常に恐ろしく感じるデータが広がっていた。
どうしてだろう、今まで意識したことがなかったな。埼玉県や東京都の東部、千葉県の西部、茨城県の南部など、いわゆる首都圏の標高があまりに低い。
日本全体を眺めても、このエリアだけが何かに囓り取られたかのようにマップされている。
徳川家康に対して関東に移るよう勧めた...というか移封のような形で圧力を加えたのは豊臣秀吉だが、当時の首都圏は湿地帯が多く、あまり栄えた状態ではなかった。
家康としては、江戸に移ろうか小田原に移ろうか思案したそうだ。
おそらく、湿地帯になる前、これらのエリアは...というか私は実際に住んでいるわけだが...海の底に沈んでいたことだろう。
その際に堆積した土砂が水面上に上がってきたとすれば、農耕に適した肥沃な土壌が存在していたということか。
多くの民が集まって生活するには、それらを下支えする食糧の確保が必要になる。その点でも関東は幕府を開く上で適していたということだな。
面白いことに、日本全体の標高図を眺めていると、同じように虫食いのように低地が広がっているエリアがある。
それは、愛知県から岐阜県にわたるエリア。
もしかすると、家康にとっての江戸の辺りは見慣れた光景だったのだろうか。あるいは、これから発展した後のイメージが浮かんでいたのかもしれないな。
さて、千葉県北西部の標高図を眺めてみると、私が住んでいる浦安市には谷津が存在していないことが分かる。市域の3分の2が埋め立て地なのだから、当然といえば当然だな。
同様に、市川市や船橋市の海沿いのエリアもかなり標高がゼロに近い。
これらの地域の道路は混み合った車道が多くてサイクリングには全く適していない。
しかし、市川市の北部には標高が高い箇所があり、その付近から鎌ケ谷市に向かうエリアから谷津と思われる部分が認められる。
よくあるサイクリストのブログとしては、「浦安市から谷津道を通る楽しいサイクリング!」とか、「サイクリング中のグルメスポット!」とか、「絶対に訪れたい絶景ポイント!」といった体のエントリーを書いてしまうことがあると思うのだが、私にはそのつもりが全くない。
アクセス数が高くなるコンテンツというのは、裏を返せば他者が労せずに情報を得ることができる内容、あるいは他者の暇つぶしになるような内容だと思う。
それらのコンテンツにアクセスした人たちは、コンテンツを用意した人たちに何ら感謝しないし、当然のように情報を受け取る。
自分が苦労して見つけたルートを、どうしてわざわざ無料で詳しく教えてやる必要があるのか。
困ったところで助けてくれるわけでもない他者の暇つぶしになる気持ちもない。自分のための備忘録として記録を残しているだけだ。
ということで、船橋市の行田の付近から北上して、市川市と鎌ケ谷市を流れる大柏川にアクセスする。
サイクルナビを起動させ、谷津道探索では全く役に立たない「ナビモード」を閉じ、標高図と道路図を交互に切り替えることができる「マップモード」に変更し、ルートを記録しながら進む。
大柏川の付近は市街地化が進んでしまって谷津道を見つけることが難しいのだが、標高図を見つめると、おそらくこの付近だろうという予想がつく。
ランドマークとしては、市川市内の墓地が多いエリア。
墓地や霊園は人通りが少なく、丘や山といった高台に位置していることが多い。
丘や山があるということは、その付近に谷や小川があるということだ。
不思議なことに、市川市内の墓地が多いエリアと梨園が多いエリアがオーバーラップしていたりもする。
墓と梨にどのような共通項があるのか分からないのだが、とにかく市川市の梨は旨い。
大柏川沿いを走り続けていたら、谷津道らしき道に入った。
所々にコンビニエンスストアがあり、補給やトイレにも不自由がない。
何より、人がほとんどいなくて、片側に平地が広がり、片側に木々が茂っているワインディングロードはとても気分が良い。
浦安市内から、例えば木下街道を直進して手賀沼に向かうルートは精神修行に近い。
延々と自動車の渋滞が続き、ドライバーから幅寄せを食らうこともあるし、ガチ系のロードバイク乗りが無言で真横を追い抜いていくこともある。
自動車の排気ガスを胸一杯に吸い込み、疲れ果てて手賀沼にたどり着き、またかよと感じながら車道を走って帰ったりもする。
しかし、鎌ケ谷市や柏市の谷津道を抜けて手賀沼に抜けるルートは、実に快適だ。同じルートを走って戻っても全く飽きない。
大柏川沿いの谷津道が終わり、ここから大津川沿いの谷津道を探す。
こうやって谷津道を連結させることで手賀沼にまでたどり着くなんて、ロードバイクに乗り始めた頃は想像も付かなかったな。
大津川沿いの谷津道のランドマークは海上自衛隊の下総航空基地。
有刺鉄線や金網のバリケードが、いかにも軍用地という雰囲気で趣がある。
その昔、この付近には東洋一のゴルフコースがあったそうで、先の大戦で本土防空のため帝国陸軍が接収し、飛行場化したらしい。
終戦後はGHQによって接収され、日米共用の飛行場になり、米国空軍が撤退し、様々な経緯を経て現在に至る。
海沿いの浦安市に住んでいると、鎌ケ谷市といえば海から遠いイメージがある。そこに海上自衛隊の基地があるというのは面白く感じもする。
これだけの距離で航空機を離着陸させるのは大変だろうなと思いながら、滑走路に沿った一本道を通り、大津川沿いの谷津道に入る。
大津川沿いの谷津道はとても分かりやすくて、川から離れないように北上するだけ。
道を間違ったかなと思えば、大津川の位置を確かめて、ルートを確認する。
サイクリングに限らず、人生とはかくの如く進みたいものだな。
曹洞宗の立派な寺の脇を抜けて農道を走っていると、田舎の雰囲気なのに小さな子供たちや中高生をたくさん見かけた。
多くの子育て世代が流入し、活気がある柏市の特徴なのだろう。
青春モノのアニメや映画でよくある舞台設定、つまり自然豊かな場所だけれど生徒が多いという場所は、日本の現状を考えると少ないかもしれないな。
自然豊かな自治体では少子高齢化が進み、子供や若者たちの姿よりも高齢者の姿が目立つことだろう。
そう考えると、これまで「普通」だと思えていた光景が、すでに普通ではなくなっているということだ。
柏市の場合には、田舎があって子供たちが多いという、まるでフィクションの世界にいるかのような面白さがある。
しかし、そこから移動すると近代化された街や施設、鉄道などがあるわけだから、確かに市民が増える理由も分かる。
そして、冒頭の光景にたどり着いた。
用水路から稲田に水が広がり、まだ青々とした稲が風に揺れていた。
ロードバイクをクロスバイク化して、河川敷や一般道ではなくて谷津道を探し、自分が何を求めていたのか。
走り出す前は大まかなイメージでしかなかったけれど、今はそのイメージがここにある。
十分にリラックスし、思いっきり深呼吸して再び走り出した。
ヘルメットの顎紐から汗が伝わって落ち、ニッカーパンツから外に出た足には汗の塩が浮いている。
アームカバーを取り外した両腕は日焼けで赤くなり始めた。
自分はまだ生きている。我ながら当たり前の気持ちになった。
手賀沼の近くまでやってきたのだが、この沼の周囲の遊歩道は、ガチ系やニワカ系、マッチョ系、中二系など、様々なロードバイク乗りたちが歩行者のことなど気にせずに疾走していたりもする。
荒川河川敷や江戸川河川敷も同じ感じだと思うのだが、彼らにとってはこれらの場所がライドのメインコースなのだろう。
他方、ロードバイク乗りだけがアレなのかというと、シティサイクルに乗った人や歩行者が周りを気にせずに振る舞ったりもする。
江戸川や荒川の河川敷ではグランドで球技を行っている少年や中年たちが道路を塞ぐことも珍しくないし、シティサイクルに乗って左側通行さえ守らない老若男女がいたりもする。
今から考えると、これらの遊歩道を自転車で走っていて苛立っても、暇になっても、それがロードバイクという趣味だと私自身が信じ込んでいたのかもしれないな。
そして、サイクリングロードを走ることに辟易して一般道を走っていたものの、コロナ禍で医療が逼迫しているのに自動車やトラックと一緒に自転車で走るのもいかがなものかと思った。
サイクリングで走っていて楽しい道とはどのような道なのだろうかと様々なことを考えて、様々なことを試して、結果としてたどり着いたのが谷津道という道の存在だった。
同じルートを走り続けるというスタイルも好きなのだが、歩行者を気にしたり、自動車を気にしたり、そういった様々なことを気にしながら走ることに疲れて、飽きてしまったのだろう。
望むことと生きることは違うとか、思った通りに進まないのが人生だとか、経験論を加味して悲観的になることは多い。
だが、せめて趣味の時間だけは望んだことが実現してくれないかという淡くもあり切実な願いがあった。
そして、谷津道を走り始めてからは、走っていて楽しく感じる道が実際に存在していることが分かった。
頭の中のイメージではなくて、実在していたんだな。
もっと田舎に住まないと、このようなサイクリングのスタイルは困難だと思っていた。
まさか、輪行もせずに人が少ない緑豊かなワインディングロードを走ることができたとは。
せっかく谷津という面白い地形が存在している千葉県に住んでいるのだから、その地域の特性を堪能した方が趣味に幅が生まれる。
手賀沼に到着して狭い遊歩道を眺めていたら、揃いのチームジャージや海外のプロチームのレプリカジャージを着たオッサンたちのトレインが、ハブのラチェット音を響かせながら疾走してきた。
本人たちは、手足の長いヨーロッパのロードレーサーたちのイメージで走っているのかもしれないが。
昭和の頃の男の子たちが戦隊モノのストーリーに憧れて、おもちゃを手にして遊んでいるかのように見える。その当時の男の子たちは、今のオッサンの世代に相当する。
過去の私は、どうしてあのような姿でロードバイクに乗って、必死にペダルを回していたのだろう。
もしかして、ロードバイクという趣味を止めてしまう人が珍しくないのは、自分自身の姿に気づいて正気に戻ってしまうからなのか。
ということで、せっかく手賀沼にやってきたにも関わらず、一度もサイクリングロードに立ち入らずに数分間で帰路についた。
途中の谷津道では、TTバイクに乗ったマッチョな人と、最近ロードバイクを始めてみました的な中年男性に遭遇した。
谷津道を走ることが目的ではなくて、手賀沼への裏道として通行しているのだろう。
「たぶんこの道を通ったはずなのだが....」と思い出しながら、「いや待て、ここを曲がるともっと面白い道があるはずだ」と様々な小道を通ってみる。
ありえない激坂に遭遇したり、まるで人生の岐路かのようなY字路に出会うこともあって面白い。
白髪交じりのオッサンがピチパン姿で田舎の町をウロウロしていたら明らかに不審者だが、いかにもクロスバイクでサイクリングに来ましたという体であれば、現地の人たちからも警戒されない。
それと、サイクリングに来る人が少ない場所に住んでいる地元民たちの方が、サイクリストに対して優しいと私は理解していて、通りがかった人たちから声をかけられることが楽しかったりもする。
ドロップハンドルではなくて、なにやら珍しいハンドルを取り付けていたりもするので、それが会話のきっかけになることがあって面白い。
そして、「やあ、どこから来たんだい?」と高齢のオジサンから挨拶されたりすると、何だか旅気分で温かな気持ちになることができる。
「そうか、私は自転車に乗ってサイクリングに出かけて、このようなスタイルを楽しみたかったんだ」と実感する。
優雅とまでは言えないが、自分なりには素敵な週末だと思う。ここまでの軌跡にたどり着いた偶然に感謝したい。
どうやら、大柏川から大津川を経由する谷津道は、手賀沼を越えると茨城県の取手市の方まで続いているらしい。
また、手賀沼から白井市の方にも谷津道が広がっていて、そこから南西の方角に向かうと千葉県北西部を周回するルートが浮き上がるらしい。
加えて、手賀沼から東の方角に進んで谷津道をたどっていくと、なんと九十九里浜の方まで行き着くらしい。
これは凄い。まるで壮大なアドベンチャーゲームのようだ。
私の人生の残り時間でクリアすることは不可能かもしれないが、クリアした後の虚無感がやってくることもない。
ずっと楽しいままで趣味が終わるということも、それはそれで幸せなことだ。