決して後ろ向きにならない自問自答
そうだ、以前はたまに行っていたのだが、頭の中で浮かんでくるいかにも後ろ向きな自分への「問い」に対して、前向きだけれど明後日の方向の思考で自分に答えるというトレーニングをやってみたい。
そのようなトレーニングが学術的に意味があるのか分からないけれど、延々と後ろ向きな思秋期の思考のループから抜け出すためのひとつの手段だと私は勝手に考えている。
では、始めよう。
【問1】
子供の中学受験で金がかかるから節約しようと思っていたのに、ロードバイクをクロスバイク風にカスタムしようとして金を使ってしまった。自分は駄目な父親ではないか。
〔答1〕
節約しようとして趣味のために金を使ってしまったことは、素直に反省しよう。しかし、教育費に金をかけて、子供が怠けて失敗して泡のように消えることだってあるのさ。
父親が元気だからこそ、子供が学校に通える。妻の方針に従って、父親の心身のメンテナンスが自己責任ならば、その取り組みが自転車のカスタムだっただけの話だ。
別にパチンコや風俗、パパ活で金を使ったわけでもないし、自転車のカスタムが完了したら後はお日様の下でペダルを漕ぐだけさ。なんて平和的で健康的なんだ。これから節約しよう。
【問2】
子供たちが小学校に上がって子育てが一段落したけれど、これからも色々と大変で、何だかレールの上を歩き続けているような感じがする。この先に何か楽しいことがあるのだろうか。
〔答2〕
何も悩む必要はない。それは自分が立派なオッサンになった証だ。世の中のオッサンたちは大なり小なりその感情を持つものさ。男子中高生がところ構わず悶々として立ち上がってしまうようなものだよ。
楽しそうに生きている人たちは、何か楽しいことがないかいつも探しているから、楽しいことにめぐり合うんだ。だから、楽しいことを探さずに向こうからやってくることを望んでいても始まらない。
「だから、楽しさを自分で探すんだ!」なんて言わないけどね。だって、オッサンになったら色々としんどいから。そんな時はさ、楽しそうにしているオッサンを探すんだ。そして真似をするんだ。鍵はオッサンが持ってるんだよ。
【問3】
わが子の学力が思ったように伸びない。勉強を楽しく感じていない。このままでは受験がどうなるのか心配だ。私が間違っていたのだろうか。
〔答3〕
あー、それもよくあるオッサンの悩みだね。妻が「キーッ!」ってなって怒ったり、でも子供は馬耳東風。それで試験が無双なら最高なんだけれど、頑張らないから結果も出ないというループ。
父親として考えておくことは、子供がどのような山に登ろうとしているかを想像することじゃないかね。ほら、東大法学部から霞ヶ関とか、学費を出せそうな国立大の医学部とか、そういった山だったら必死に勉強しないと間に合わないよね。
でもさ、たくさんの人たちを蹴落としながら登る山って、自分だけ必死で楽しくないでしょ。景色見えないし。途中で挫折して滑ったらマジで死ねるという山じゃなくても、本人が登って見渡して楽しい山だってたくさんあるはずなんだよね。それを探すのも父親の役目なんだよ。
【問4】
無能なのに出世欲が強くて、イエスマンに徹して上に媚びて、出世した途端に偉そうになって挨拶もしなくなる同世代がいたりすると気分が悪い。自分は、このまま我慢して働き続けるのだろうか。
〔答4〕
同期とか後輩ならタメ口でいいのさ。たぶんね、その人は無能じゃなくて有能だな。限られた人間の力を出世に全振りしたんだから、出世についてだけは有能なんだよ。それらを含めて出世が決まる。子供の頃、裸の王様って本を読んだだろ? 裸でも王様は王様なんだ。
そういう人たちはね、自分がイエスマンだったから、他人もイエスマンになって当然だって考える人が多いのさ。実務能力で無能だってことは周りも知ってるけど、本人は認めない。周りがその人の能力に頭を下げてるんじゃなくて、肩書きに頭を下げていることさえ分からない。
このようなタイプは自己愛が強いから、相手にしても消耗するだけ。相手は部下を使ってくるから全部で勝とうとしても無理だ。けれど、たったひとつの能力だけでも磨けばいい。イエスマンがその能力に嫉妬してきたら、勝負としては勝ち。だって、その人が自分の無能を実感した証拠だからさ。
【問5】
新婚の頃と比べて、子育てに入ってから妻の性格が変わってしまった。昔の愛情は取り戻せないのだろうか。
〔答5〕
変わらない方が珍しいでしょ。森羅万象の中で変化し続けないものを探すことの方が難しいでしょ。月の形? 昔からあの姿じゃないし。空の色? いや、空の色なんて変わりっぱなしだし。
子育てに入ると子供たちが成長する。それだって変化のひとつさ。子供が変化しているのに、親が変化しないなんておかしいでしょ。自分だってそうさ。白髪頭で腹がたるんで、今では立派なオッサンでしょ。
それが生きるってことなんだ。子供がいなかったら夫婦の愛情は二人で分け合うけれど、子供ができたら夫婦の愛情を子供に与えるだけの話。それくらいの気持ちがないと、子育てなんて無理ゲーはクリアできないよね。
【問6】
浦安なんて街に住みたくなかった。どうしてこんな街に引っ越してきてしまったんだ。早く引っ越したい。
〔答6〕
子供たちが私立中学に入学したら引っ越すことは決定事項だ。 浦安から引っ越すことに家族が反対しているわけでもないのだから、これからどこに引っ越すかを考える時期なんじゃないか。
今までの悩みや後悔は、新居を探す時の教訓にすればいいだけの話さ。苦しみながら生きた方が、楽しんで生きるよりも時間の流れが遅くなる。人生をより深く味わっていると思えばいいのさ。
これから住む街は、子供たちが決める形になる。偏差値じゃなくて、自分がロードバイクで通勤できるかどうかを主張する父親って、見方によっては素敵だと思うよ。普通、偏差値にこだわるでしょ。
ただし、引っ越しが完了して浦安を去る時、いくらこの街での生活が地獄だったからといって、市役所や義実家の方角に向かって中指を立てて叫ぶなよ。いいか、絶対にだ。
【問7】
もうすぐ50歳が近づいてきて、人生もピークを過ぎて、虚無感がやってきたり、諦観がやってきたり。今まで何をやってきたのだろう。
〔答7〕
今まで何をやってきたかって? 思い出さなくても分かるだろう。ペダルを回していたじゃないか。30代、40代、常に自転車に乗ってペダルを回していた。これからもペダルを回すだろう。
仕事や家庭も大切さ。けれど、それらの意味を突き詰めて考えれば、結局は生き続けることと遺伝子を残すことだ。色々と意味を探したり、難しく考えるから悩む。生き物としては普通のことだ。それらが一段落すると虚しくなる理由も分かるだろ。生き物として当然のことをやっただけだからさ。
だったら、趣味はどうだ? 他の生き物がペダルを回すか? ハムスターが滑車を回すくらいだろ? それが楽しいと感じるのなら、悩むことなくペダルを回し続ければいい。ペダルばかり回していたって開き直ることができる人生は、振り返って何も残っていない人生よりもずっと価値があるよ。
【問8】
電車通勤が辛い。どうしてこんなに変な人たちばかりを見かけるんだ。在来線でマスクを外して缶の酒を飲むオッサンなんて、見ているだけで気が狂いそうになる。何を考えているんだ。
〔答8〕
酒を飲むことを考えているに決まっているだろう。何をもって変なのか普通なのかを判断するのは、それぞれの人の判断だ。電車の中で底辺飲みを晒すオッサンたちは、それが普通だと思っているから飲む。
それでもまだ、電車に乗ることができるだけでも幸せなことなんだ。ニューヨークの地下鉄なんて、乗るだけで危険だから乗らないという人が多いんだよ。電車に乗っても千葉都民が襲ってきたりしないだろ。
だったらどうするか。答えは決まっている。電車が嫌なら電車に乗らないことだ。電車に乗らなくても職場に通える場所に住むか、電車に乗らずに通勤する方法を考える。引っ越す時には通勤を最優先。変えることができない環境で抗うよりも、そこから離れた方がいい。それは逃げることとは違う。
【問9】
ツイッターやヤフコメを見ているとすごく疲れる。だから見ない。ネットニュースも疲れる。ブログも見なくなった。YouTubeも面白くなくなった。ネットって、こんなに面白くないものだったろうか。
〔答9〕
ネットが疲れる存在になった理由が分かるかい? それはね、人間の内面をより忠実に映し出すことができるくらいに発達したからだと思うよ。ツイッターはクレーム、ヤフコメは正論、ネットニュースは批判の嵐が吹いている。それも人々の内面なんだ。世の中には完全に知らない方が気楽なこともあって、それは人の内面だな。
人間の内面は、基本的にネガティブなことの方が多い。そして、匿名の場合にはネガティブなことを発信する方が多い。そして、自分の中に不満や怒りが溜まり続けて、周りに放出して楽になりたい。ただそれだけのことだ。
ポジティブなことをネットで発信する場合には、完全に匿名じゃなくて自分だと分かる場合が多い。楽しさや喜びを誰かと共有したいという清々しい話ではなくて、自分をアピールして誰かに認めてもらいたいとか、自己愛を充たしたいからだろ。ネットが疲れるのなら見なければいいんだ。
【問10】
子育てを続けていると、どうして自分が望む方向に育ってくれないのかと苛立つことがある。それがストレスになることもある。自分は真面目に働いているのに、どうして真面目に勉強してくれないのだろう。
〔答10〕
どうして子供が勉強しないのかって? 簡単なことさ。モチベーションが湧いてこないからだ。どうすればモチベーションが湧くのかって? それも簡単なことさ。勉強を楽しいと感じるか、勉強の先に目標があると感じることだ。
職場で働き始めてから参考書を見たら、学生の頃よりも楽しく感じるだろ。それぞれの問題にはきちんと答えがあって、きちんと点数が出て、評価も公平だ。職場で働きに出たら、点数が良くても評価されないどころか、自分のために他者を蹴落としたり、弱い立場の人を追い込んで成果を奪う輩までいる。
けれど、子供の姿を見て自分が学ぶこともあるはずだ。それは、今、この時間、自分は精一杯生きているかってことさ。学生時代の勉強のように、老いた時には見方も変わってくる。その時に、「ああもっと真剣に考えればよかった」と感じることだろう。子供の姿を見て親も学ぶ。子育ては苦労ばかりではない気がするね。
◇
うん、自分の思考をポジティブな思考に引っ張ると、恨み辛みの理由についてネガティブに突き詰めて考えるよりも気持ちが楽になる。当然といえば当然だな。
HYPSENTは私の遺書なので、明るくハッピーな体裁で記していないわけだが、遺書だからといって後悔や反省にまみれた内容である必要はなかった。
もっと素直に、自分がどうやって生きていたのかを記録しておくだけでいいということか。
頭の中に漂う靄がかった思考のループというものは、実際には大して意味のないことばかりだ。
考え方を変えればすぐに消え去ることもあり、考えたところで絶対に解決しないこともある。
そんなことくらい、オッサンになってきたら分かるはずなのに、自分のことはなかなか気がつかない。
今までの経験から考えると、その時点の悩みは5年後には全く消え去っていることが多い。
5年どころか、1年経っただけで悩みがなくなっていることも多い。
そのようなことに悩むことも大切なことかもしれないし、あまりに悩みすぎることはよくない。
できるだけポジティブとネガティブのバランスを取りながら録を記した方がいいな。
可能であれば、ずっと前向きな録にしたいものだが。