2021/04/28

しばらくの間は「谷津道」の探索を楽しみに生きよう

そのきっかけはロードバイク通勤を続けていた時に、葛西の辺りで偶然出会ったサイクリストとのグループライドだった。

彼は私と同世代で少し年下の父親で、同じ浦安市内だけれど海側から見て陸橋の向こう側、つまり新浦安から見て本浦安と表現しうる町の人だった。


とある日のこと、千葉県の八千代市にある「道の駅やちよ」に行ってみようという話になった。

そこで彼が案内してくれたルートは、サイクリングロードでもなく、自動車が頻繁に行き交う幹線道路でもなく、自然あふれるワインディングロードだった。

片方の視界では田畑が広がり、片方の視界では森の縁をトレースするような不思議なコースで、あまり大きくない川の岸から離れないような形で道が続いていた。

ようやく、彼が教えてくれた桑納川沿いのコースを理解して走ることができるようになってきたのだが、どうやら、千葉県にはこのようなコースが多数存在していることを最近になって知った。

丘陵地や台地が雨などによって浸食されて谷が生まれた。その谷がある地形は「谷津」と呼ばれているそうだ。

また、谷津にある稲田は「谷津田」、谷津を通る農道は「谷津道」と呼ばれている。

このような地形の呼び名は地方によって異なり、「谷地」とか「谷戸」という名前が付いていることもある。

谷があるということは、雨水が集まって川を作ることが容易に想像される。そして、人々はその地形を利用して稲田を作り、米を収穫するようになったらしい。

千葉県内に谷津が多く存在している理由をもう少し深く知りたくなったので、国立国会図書館のデータベースにアクセスしてみた。

すると、協同レファランスにて成田市立図書館の以下の蔵書が紹介されていた。

 「谷津田小宇宙」 中野耕志 家の光協会 1998.7 748, ISBN 4-259-54544-2

 「写真で見る自然環境再生」 オーム社 2011.1 519.81, ISBN 978-4-274-20977-2

谷津の形成について考えられていることを、歴史順に簡単に書き留める。

 〔1〕 千葉県北西部の下総台地は、昔、海の底だった。

 〔2〕 氷河期に海面の水位が低下して、下総台地に相当するエリアが陸地になった。

 〔3〕 雨水や風などによる浸食によって、平坦な陸地の一部が浸食されて谷になった。

 〔4〕 縄文期に海面の水位が上がり、谷に海水が入り込んで入り江を形成した。

 〔5〕 海に沈んだ谷に土砂などが堆積して、谷が平坦になった。

 〔6〕 その後、海底が干上がって、谷が陸に姿を現し、平坦な低地が生まれた。

このような経緯で谷津が生まれたと考えられているらしい。非常に長い歴史があるのだな。

なるほど、谷津が平坦になっているのは、海底に沈んでいた時の名残で、そこには川が流れ、稲作に適した土壌成分も含まれているということだな。

最近になって気がついたのだが、23区内に生活していて、ロードバイクなどでサイクリングに出かけるとすれば、荒川や多摩川といった大きな河川の河川敷、あるいは自動車が行き交う一般道を走ることが多い。

他方、千葉県内のサイクリストの場合には、人工的な環境ではなくて、限りなく自然に近い道路を自転車に乗って走ることができたりもする。

しかし、浦安に引っ越してきた私には、千葉県内にそのような道が存在していることを知らなかった。

ロードバイクは速く走るための自転車なので、農道のような路面を走ろうという気になれなかったし、そもそも千葉県内の農地がどこなのかも分からなかった。

千葉県内のサイクリストたちがネット上で紹介してくださっている谷津道を拝見してみると、その多くは小さな河川の近くにあることが分かる。

私が市川市内や船橋市内の混み合ったエリアを抜ける時に通行している真間川や海老川も、都市化する前は谷津道だったのかもしれないな。

桑納川に至っては正真正銘の谷津道だな。

浦安から船橋を抜けて八千代方面に向かう時には、桑納川ルートの谷津道がとても便利で快適だ。

しかも、谷津道のルートについては、個々のサイクリストが実際に走ってみて、気に入った経路を選択するという面白さがある。

まるで探検のようにも感じるし、ネット上の衛星写真では道が存在していないはずなのに、現地を訪れてみると森や林の木々によって道路が隠されている場合もある。

これは楽しい。

一方で、最近の私は思秋期真っ盛りで、もはや生きることに飽きてしまって、仕事にしろ、家庭にしろ、背負った責任を果たすことが生きる目的になってしまっている。

何を楽しみに生きるのかということについても明確な解を出せずにいて、それ以前の話として生きること自体に飽きてしまっている。

ここから先、楽しいことなんてあるのだろうかと。

それが仕事や家庭ではなくて、趣味の中に残っていた。

趣味という活動が、生きることを楽しむためのものだと考えると、なるほどとても大切だな。

明確なビジョンがあってたどり着いたわけではないが、何とか耐えて生きていたら、点と点が繋がって線ができて、線と線が交差して面が生まれてきた感じ。

そもそも、現時点で私の頭の中にモヤモヤと漂っているものは何なのか。

それを整理することから始めよう。

ただでさえ慌ただしい夫婦共働きでの複数の子供たちの子育て。

しかも、世界中に感染症が広がり、社会が混乱し、人々の心がささくれてしまっている。

行政や医療という仕組みや労力に限界が生じ、人々が不満を隠さなくなった。

行政や医療に関心を持たず、誰かが何とかするだろうと見過ごしてきたのは誰だ。

一方で、人々が自分のエゴを優先するようになり、行政や医療を圧迫している。

結果、社会全体に負荷がかかってループし、混乱が増大している。

マスコミが人々を煽り、ネット上には人々の不満が放出されている。

ネットではなくてリアルな状況での人々の内面もよく似たものだろう。

近所のショッピングセンターのフードコートには、このご時世にも関わらず、マスクを外した浦安市民がひしめき合い、飲食ついでに大声を出している。

自宅に帰ってネットにアクセスすれば、多数の人たちの我欲が渦を巻いている。

社会が不安定になってくると、職場においても個々が自分の利益を追求し始める。

同僚のことなんて見向きもせずに、ただひたすら自分の出世や立場のためにエゴを出してくる。

人とはなんとも多様性があるものだ。

道徳とかマナーとか、そういったものは人の自我の前には無力だな。

この状況で、心穏やかに生活することは難しい。

家庭においては、気圧が下がってくると妻が切れて怒鳴るという場面が増える。

どうして妻は、こんなに簡単に感情を高まらせて、甲高い声で怒鳴るのか。

ほとんど義母のような状態になってきた。

自分の感情を家族に転化させれば、自分は楽になるかもしれないが、家族が苦しむことになる。

コロナ禍でも職場がテレワークを推奨せず、未だに電車に乗って職場に通っているが、妻の仕事のペースはさらに上がっている。

子育てが一段落すれば、夫婦関係も穏やかになると思っていたが、妻が仕事のペースを上げてくれば、当然だが家庭に影響が生じるし、妻自身の苛立ちも増える。

最も大切なのは、ストレスが溜まったからといって、妻が夫や子供たちを攻撃したところで状況は変わらないということだ。

それは自分の感情をコントロールできず、家族に怒りをぶつけて発散しているだけの話だ。

ああ、毎度、毎度のことだが、自分の頭の中のモヤ付いた中身を書き留めると、非常にたくさんのことが蓄積していることに気づく。

妻はすでにスマホ依存症になってしまっているが、私はできるだけネットの記事を見ないことにしている。

ネットニュースの類いは記事一覧のタイトルだけを眺めるだけ。本文は読まない。

ツイッターなどのSNSにはアクセスしない。

ヤフコメや5chにもアクセスしない。

たまに、メンタルが非常に強くて、この社会情勢でも落ち着いているブロガーのサイトには巡回する形でアクセスしている。

やさぐれる人たちのブログについてはブロッカーに登録して、強制的にアクセスを遮断している。

そして、空き時間があると、地図サイトにアクセスして、千葉県北西部のマップや衛星写真を眺めている。

桑納川の谷津道については把握したので、今度は手賀沼方面に抜ける大津川の谷津道のルートを確保してみよう。

谷津道に詳しいサイクリストのブログを拝見すると、谷津道と谷津道を抜け道で繋ぐと、千葉県の北西部から九十九里浜までたどり着くことができるらしい。

おそらく、それらのルートには無数の組み合わせがあって、一般道を走ってもあまり気にならない私の場合には、自分で解を見つけるような話になってくるだろう。

なんと言うことだ、これは非常に楽しい。

愛車のクロモリロードバイクをクロスバイクのようにカスタムして安定して走りたいと考えついたのは、間違いなくコロナ禍による医療現場の逼迫によるものだ。

かといって、1年以上も可能な限り外出自粛を続けても、状況は好転するどころか、さらに酷くなっている。

当初は社会が抱える様々な課題を目の当たりにしたが、現在はどうか。

人々の内面の貪欲さや醜悪さを感じざるをえない。

そこから一時的に回避して、自然の環境で精神をリブートしたいと考えてサイクリングに出かけたら、谷津道のことを思い出した。

谷津道の道路は必ずしも整っているとは限らない。未舗装のダートに遭遇して、そのまま走ってしまうこともある。

その時には、28Cまでインチアップさせたロードバイクのタイヤがとても便利だ。

加えて、ドロップハンドルの前傾姿勢が嫌になり、しかも醜態をさらすマナーの悪いロードバイク乗りと一緒にされたくなかったので、ドロップハンドルを取り外し、マルチポジションのフラットバーに変更した。

すると、谷津道の荒れた路面でもハンドルがふらつかずに安定して走ることができることに気づいた。

さらに、ルートを確保する際にはアップライトなポジションが便利だ。

ドロップハンドルのロードバイクでポタリングに行くと首が痛くなるが、これならば大丈夫だな。

ここまでの経緯は、それぞれが個々の事象であって、ひとつの目的のために取り組んだことではない。

しかし、気がつくと、それらが組み合わさって、ひとつの意味を持つようになってきた。

生きることに飽きてはいたが、地道に生きているとひとつくらいは良いことがあるものだな。

自分に適した谷津道のルートを少しずつ探索して、もっと千葉県を楽しもうという気持ちになってきた。

妻の実家の都合で千葉県民になってしまい、もの凄く苦しんでいるわけだけれど、辛い辛いと言っているよりも、何か楽しいことがないか探すということも大切だな。残りの時間は短い。

それと、夏が来るまでには、懐かしの昭和歌謡である小坂一也さんの「青春サイクリング」という曲を歌えるようになっていたいものだ。

「みどりの風も~さわやかに~にぎるハンドル~心も軽く」という歌。

そうか、最近になって感動した東京大衆歌謡楽団との出会いは、ここに繋がっていたということか。

なるほど、生きることはサイクリングで訪れる小道のようなものだ。

どこがどこに繋がっているのか、実際に体験することでしか分からないし、走り出せばどこかにたどり着くことだろう。