馬に近くなったカスタムロードバイクで桑納川沿いの谷津道へ
10年以上もドロップハンドルのロードバイクに乗ってきたので、マルチポジションバーに換えた場合の乗り味については全く想像が付かない。そもそもまともに走ることができるかどうかも確信がない。
頭の中では、ささきいさおさんが歌った「宇宙戦艦ヤマト」のオープニングの曲が流れ続けている。
ヤマトは第二次世界大戦で沈没した戦艦大和に大改造を施して宇宙船に仕上げたわけではなくて、戦艦大和に似た宇宙船を最初から建造したという経緯があったと思う。
しかしながら、あまりに古風かつ前衛的とも言える姿の宇宙船に乗り込んだスタッフたちは、おそらく「これ、本当に空を飛べるのかよ?」と不安になったことだろう。
人類滅亡の危機が迫っていて、もはやそんなことを言っている場合ではなかったかもしれないが、ガンダムのホワイトベースやマクロスのように、誰もが想像する戦闘用の宇宙船の方が安心感がある気がする。
そして、様々なアタッチメントを取り付けたマルチポジションハンドルは、まるで大戦での戦艦のように無骨で重厚な面構えになっていて、ドロップハンドルのように洗練されているとは言えない。
そもそもロードバイクからドロップハンドルを取り去って、本当に上手く乗ることができるのだろうか。
ロードバイクをフラットバー化した時によくあるエピソードとして、やはり同じように神妙になりながらペダルを回し始めるらしい。
マルチポジションバーでブレーキを動作しうる定位置を握ると、フラットバーと同じような状態になる。
これで本当に大丈夫なのだろうか。
しかし、その心配は杞憂だった。
マルチポジションバーもフラットバーの亜種だが、ロードバイクをフラットバー化することでクロスバイクのような乗り心地になると私は考えていた。
私はかなり昔にクロスバイクに乗っていたので、あのような状態で走るのだと乗る前から想像していた。タイヤもクロスバイクと同じ28Cに変更したのだから、当然だと思った。
しかしながら、非常に興味深いことに、ロードバイクをフラットバー化してもクロスバイクのような乗り心地にならないようだ。
クロスバイクのようなもっさりした感じではなくて、ロードバイクの鋭い乗り味が残ったままだ。これはおそらくフレームのジオメトリーに関係するのかもしれない。
ロードバイクのフレームの方が、踏力から推進力への伝達が効率的なのかもしれないな。
それと同時に、ロードバイクをフラットバー化して乗りやすくなったと喜んでいるサイクリストの気持ちが分かった。
ハンドル幅が広がるからなのか、中低速域でのハンドリングがとても安定している。
また、ドロップハンドルの前傾姿勢では見渡せないくらいに視界が広がっている。
グラベルロードだとか、エンデュランスロードだとか、最近のロードバイクには様々なスタイルが登場しているが、手持ちのロードバイクをフラットバーに変更するだけで乗り味が大きく変わるということか。
なるほど、これは勉強になる。
それと、クロモリ製のマルチポジションバーは結構な重量があるので、フロントの加重が大きくなった。
路面が荒れていても両腕でフロントを押さえつける必要がなく、ペダルを漕いでいるだけで安定して前に進んでくれる。
真横から風を受けても臆することがない。
私の愛車はクロモリフレームと手組ホイールの組み合わせなので、重量比が前のめりにならずに済んだのだが、カーボンフレームの場合には軽量なフラットバーの方が適していると思った。
それと、前傾姿勢が緩やかになってアップライトのポジションになると、ペダリングで力が入りにくくなると予想していた。
しかし、むしろ現在のポジションの方が走りやすい。向かい風になると空気抵抗を受けやすくなるが、そもそも速く走ろうとしていないので問題なさそうだ。
シマノ製のサムシフターがコロナ禍の影響で欠品が続いたため、なんとWレバーを取り付けて変速する羽目になったのだが、これはこれで面白い。
なるほどこれは楽しい。
宇宙戦艦ヤマトはイスカンダルに向けて出発したわけだが、カスタムロードバイクに乗った私は八千代市に向かうことにした。
さて、最近は趣味のロードバイクの話が多くなってきたが、相変わらず私自身の状態は良くない。
家族の前や職場の同僚の前では普段通りの姿を装っているが、自我が解離してロボットになったような感覚だ。私なりにはアバターモードと呼んでいる。
自分のことを客観的に見つめることができたり、感情を抑制することができるという点ではアバターの方が楽だ。
しかし、アバターが自分を動かしている状態が続くと生きた心地が少なくなり、世の中から自分がいなくなっても大したことがないと感じるようにもなる。
超客観的に自分を眺めると、自分と他者が同じような見方になってしまう。
家族が変調に気づかないまま、父親が自室で首を吊った状態で発見されるパターンかもしれないな。
うちの家族が24時間以内に気づくことはないだろうが。
しかし、こんな時こそ前向きに生きよう。
いつものサイクリングでは、浦安市を脱出して市川市に入った時点で心拍数が下がるのだが、今回は様子がおかしい。
市川市を抜けるまで、相変わらず解決に至ることもないネガティブな思考が延々と続いた。
厭世的になるくらいに疲れが蓄積しているということか。
疲れの原因は簡単なことだ。
浦安という街での生活のストレスはすでに限界を振り切っている。
この街の住み心地の悪さは凄まじい。転出者が増えている理由なんて考えるまでもない。
そして、通勤地獄のダメージが大きい。
浦安は東京まで20分の好立地なんて、詭弁を含んだセールストークでしかない。
私は往復3時間もかけて都内の職場に通っている。
通勤が往復1時間の人の1日が24時間だとすると、私の1日は22時間しかないという解釈になる。
短い時間を補うために自由時間と睡眠時間、それと心身を削っている。
時間だけではない。
電車にも駅にも我欲をむき出しにした変な千葉都民が多すぎる。
千葉都民の通勤の苦痛は人間性に影響を与えるのだと思う。
人としてのモラルやマナーが崩壊した輩が目立つ。
車内でマスクを外して飲酒したり、床の上に座り込んでいる酔っぱらいまでいる。
どうして私はこのような人たちと同じ乗り物で運ばれなくてはならないのか。同じ空間にいたくない。
その人混みに巻き込まれ、心拍数が120近くになるまで苛立ち、顔が歪むまでストレスを受ける。
そして、過呼吸になりながら自宅にたどり着いても、妻や子供たちからの気遣いや労いの言葉がない。
父親は心身を擦り減らして仕事から帰ることが当然なのか。家族の態度が私をさらに追い込んでいく。
最近では私の自宅に近づかなくなったが、市内の義実家からの干渉も心に大きな傷を残した。
休日に私が体調を崩して寝込んでいても、義父母が捌いていない魚を持って自宅に突撃して大声を出すことがよくあった。
義母や義妹の甲高い声が響いて、眠ることさえ許されなかった。
アポなしの突撃を止めるように両親に言い出せない妻の態度にも私は肩を落とし、夫婦の絆が崩れた。
子離れと親離れができていない一家だと私が辟易したところで何も変わらない。
夫婦関係において、配偶者ではなく実家の味方をすると、途端に愛情が消え去るという話は本当だった。
自分の家庭ができたわけではなくて、義実家の別宅で金と種を支払って生活しているような感覚がある。
この街に住みたくない。
早く引っ越したい。
通勤地獄でパニック障害でも起こそうものなら、現在の家族生活は強制終了だ。
電車に乗る事ができないのだから、私は薬漬けになった上で都内に引っ越さざるをえない。
何が住みよい街だ。妻や義父母の主張は間違いだ。私はこんなに疲弊している。
浦安に引っ越してきてから、爽やかな朝なんて一度も迎えたことがない。
苦痛で顔を歪めずに職場にたどり着いたことなんて一度もない。
こんな生活が10年以上も続いている。これで疲れないわけがない。
幸せか不幸せかと問われれば、間違いなく不幸な人生だ。
それでも必死に耐えながら、夫としての役、そして父親の役を演じながら生きている。
それらはあくまで演劇の役のようなものだ。
しかし、もう十分だと思う時が増えてきた。
夫婦関係が何とかとか、住環境が何とかとか、その様なレベルを超えて、二度と目覚めずに不快で気怠い朝が来なければいいのにと。
そこまで差し詰まるほどに、浦安での生活は厳しい。
五十路近いオッサンが生きることを嘆いても仕方がないのだが、もう十分に苦しんだ。
家族のためにこの街で耐え続けているにも関わらず、妻も義実家も我関せずだ。
誰がこの街での生活を望んだのか。私はこの人たちのペースに巻き込まれて苦痛を背負うことになった。
だが、今ではその怒りも虚しく感じるだけだな。失った時間は戻らない。
あの人たちの主張を安易に受け入れないことくらいしか対処がない。
嘆いても嘆かなくても、私の寿命がくれば苦しみからも解放される。しかし、その時は短いようで長いものだ。
今すぐに人生を終わらせる必要はなく、焦らなくてもいいと自分に言い聞かせる。
しかし、何を心の拠り所に生きればよいのかと言えば、それがなかったりもする。
やり残したことがなかったかと何かを探して、自分の裁量で実現することなら経験し、少しの満足感に浸るだけ。
その他は全ての希望を失うくらいに、浦安という街での生活はストレスフルだ。
そして、職業人生は散々たるものだ。
働き盛りの時期にポテンシャルを発揮するどころか、バーンアウトで出世も棒に振った。
様々な街に住んだが、こんなに鬱陶しくて苛立つ街は珍しい。毎日、何かに追いまくられて落ち着かない。
早回しの映像のように忙しなく人や自動車が行き交い、街自体が多動性と衝動性を制御できなくなっている。
とどの詰まり、この街の発展は金儲けを目論む人たちの意向を強く受けてきた。
裏の歴史を知れば分かることだが、必ずしも帰属意識が育っていない多くの市民は自分の利益ばかりを優先し、街のことなんて気にしない。
人が生活する街とはどのようなものかということについて深く考えず、行政も市民もパンとサーカスを追ってしまったのではないか。
併せて、この街を商品、あるいはビジネスのための土台として利用し続けた人たちによって、住環境は悪化した。
彼らは儲けることを優先し、そこで住む人たちのことなんて考えているとは思えない。
それを街の発展だと勘違いする市民もいる。
さて、このままだと少し早い終活に入ってしまいそうなので、生きる中でやり残したことに取り組もう。
それは、世の中の普通を無視した自転車に乗って、自分のスタイルとペースでサイクリングを楽しむこと。
平凡といえば平凡で、大したことでもない。
今の私の状況では、これくらいしか関心事がなかったりもする。
それなりに学業に励み、それなりに仕事に精進し、それなりに子供を育てたが、住む街を間違えただけで人生が大きく沈んだ。
...と、いつもの愚痴や不満が頭の中に降り注ぎ、そして途中からペダルを回すことに意識を移す。
だが、今回のライドではマインドフルネスが破綻して、再びネガティブな思考のループがやってくる。相当に疲れているらしい。
浦安に住んで抱えている苦しみや悩みを妻に説明したところで理解してもらうことも、肯定してもらうこともない。
それらを口に出した時点で夫婦喧嘩が勃発する。
通勤時間が長くなると離婚率が高くなるということは、すでに学術論文として発表されている。
また、研究者が真面目に調べれば、妻の実家の近くに住むと離婚率が高くなるという傾向が認められるはずだ。
浦安市内に妻の実家があって浦安に転入してきて、その生活が嫌になって他の自治体に引っ越した家族を知っているし、離婚していなくなった父親も知っている。
子供たちが都内の私立中学に入学すれば、浦安から転出しても構わないと妻が言ってくれたので、私としてはその日を待ち望んで耐えるのみ。
この状況が続くのであれば、完全に潰れて別居するか、離婚するか、自ら世を去るしか選択肢がない。それくらいに私にとって浦安市での生活は最悪な状況だ。
しかし、市川市から船橋市に入り、最近になって抜け道のルートを見つけた海老川沿いをカスタムロードバイクで走っている頃には気分がとても楽になった。
非常に不思議な現象ではあるのだが、浦安市内にいると道路の上でも家の中でも私は酷い目眩に悩まされている。
特に新浦安駅付近からシンボルロードを通行している時の目眩は凄まじくて、視界が歪むことがある。
ところが、自転車に乗って浦安市から出ると、気がつけば目眩が緩和される。
浦安から離れれば離れるほど目眩が減って、千葉市くらいまでたどり着くと目眩がなくなってしまうのだ。
だからといって千葉市に引っ越すと都内への通勤地獄がさらに厳しくなるので、千葉市に住みたいという気持ちには決してならないわけだが。
今回のサイクリングの目的地は八千代市。
桑納川沿いの農道を抜けて「道の駅やちよ」で折り返して帰ってくるというルートを確保したい。
以前、浦安市内のサイクリストからこのルートを何度も紹介してもらったのだが、後に付いて走っているだけだったので、本気でルートを覚える気がなかった。
頭の中が疲れている時は、浦安のように人も建物も混み合った人工的な環境から離れ、できるだけ自然のある環境で休んだ方がいい。
また、このルートは河川敷のようにロードバイク乗りが頻繁に訪れることがなく、付近の森の木々が日陰を作ってくれるので、真夏のサイクリングにおいてとても快適だ。
本格的な夏がやってくる前に、ルーチンコースとして慣れておきたい。
おそらく桑納川の上流だと思うのだが、両側が全く整備されていない状態の小川にたどり着いた。
親父ギャグではないが、何とも官能的な感じがしなくもない。
ストイックな毎日が続いている共働きの父親ならば、説明しなくても分かるはずだな。
農道を走っていると、至る所で堆肥の匂いが風に乗って漂ってくる。おそらく牛糞をベースにした肥料だな。
船橋市も市街地を除くと田舎だが、八千代市の場合にはガチで田舎という感じがあって心が落ち着く。
もちろんだが、八千代市にも市街地があるはずなのだが、八千代市に来てまでビルや人混みを眺めたくない。
私は以前から考えていたのだが、ボランティアで農家の仕事を手伝うというイベントがないものだろうか。
農家も高齢化が進み、人手を必要としているかもしれないし、頭脳労働が続くと土の感触や香りが懐かしくなる。
二泊三日の住み込みで農家を訪れて、田畑を耕して汗をかき、飯を食べてぐっすり眠り、都市部の騒音ではなくて野鳥の声で目を覚ましたら、心身の疲れも緩和される気がする。
うつ病になったシステムエンジニアが農村で働くと、すぐに元気になるという話を耳にしたことがあるが、おそらく同じ原理だろう。
八千代市内の農道をカスタムロードバイクに乗って走っていると、アップライトなポジションだからなのか、まるで馬に乗っている感じがする。
馬に乗ることと同じく、自転車に乗ることも英語で「ライド」と呼ぶのだが、競馬のジョッキーを除いて、ロードバイクの前傾姿勢は一般的な乗馬とは異なる。
ロードバイクをフラットバー化すると乗馬のように目の前の視界が大きく広がるので、これまでに訪れた時よりも走っていること自体が楽しい。
そういえば、かなり若い頃、外国に旅行に行った私は、現地の農場を訪れて馬に乗り、小道を走りながら丘や谷を越えたことがあった。あの時の感覚に似ていて気持ちが落ち着く。
これくらいの農道であれば、別にグラベルロードバイクやマウンテンバイクは必要なくて、タイヤのサイズを太くしてフラットバーを取り付けた普通のロードバイクで十分なんだな。
現時点での改善点としては、ダイアコンペのブレーキレバーの調子が悪い。
買ったばかりの新品なのに、ワイヤーを引っ張るタイコの部分からギシギシと異音が聞こえる。
このような製品を使い続ける気になれないので、シマノ製のブレーキレバーへの換装が必要だな。またしても無駄金を使ってしまった。
それと、Wレバーを使い続けていると変速が面倒になり、途中からギアに合わせてペダルを回すようなスタイルになってしまった。
次回のサムシフターの入荷は9月という話なので、気長に待つしかなさそうだ。気休め程度にヤフオクから通知が来るように設定しておくか。
道の駅やちよの前までたどり着いた。
そこで休憩しようと思ったのだが、ガチのロードバイク乗りたちから何か嫌なことを言われて気分を害するのもアレなので、一度も休憩せずに来た道を引き返して浦安にたどり着いた。
私のロードバイクはカスタムが完了しておらず、試運転の状態だ。
ガチのロードバイク乗りたちが気持ち悪がって近寄ってこないくらいに変態系のカスタムが仕上がったら、堂々と道の駅に駐輪してニヤニヤしようと思う。