東京大衆歌謡楽団の晴れ渡る歌声と演奏でホロホロと
相変わらず夜遅くに仕事から帰り、一人で夕食をとる日々が続く。テーブルの脇にノートパソコンを置いて、映画や動画を眺めながらの夕食。プラスアルファは太ると分かっていながらも、コンビニで買ってきたツマミを取り出して晩酌が進む。
妻の実家がある浦安市に引っ越して10年以上が経過した。往復3時間を超える通勤地獄と鬱陶しいまでの人口密度、義実家からの過干渉。そして、コロナ禍による社会の混乱。
いつもながら疲労困憊で自宅にたどり着き、希望を持つこともなく眠り、再び重い朝が来ることだろう。
「なんだ、今日もこの程度の一日か...」と諦めながら切り上げようと思ったところ、YouTubeが見かけない動画を提案してきた。
それは、「東京大衆歌謡楽団」という30代の人たちのグループが、神社の境内でライブ演奏を開催している姿だった。
髪の毛をポマードで七三分けに固め、背広を着て背筋を伸ばした彼らの姿は、まるで昭和の初期の男性たちのようだ。
私の母方の祖父は確か大正生まれで、彼らのような格好を好んでいた。ジャケットの下にベストを着込んでいたり、帽子を被っていたりもしたな。
そして、彼らは若い人たちにとって聴いたこともないであろう昭和の名曲を歌っている。
動画を見始めた瞬間、私は彼らのことをコミックバンドだと思っていたのだが、歌唱力や演奏力が高い。ウケや笑いを狙っているわけではなくて真面目に取り組んでいる。
東京大衆歌謡楽団が奏でている曲は、歌謡曲の中でも1930年代から1960年代の「流行歌」とか「昭和歌謡」と呼ばれるジャンルだな。
このジャンルは戦前から戦後まで続いた。戦時中は歌謡曲が軍歌のように使われたこともあったが、軍部の圧力には逆らえなかったのだろう。
また、若い人たちにとっては「昭和歌謡」と「演歌」の区別がつかないかもしれないが、順番としては昭和歌謡の方がずっと古い。
演歌というジャンルは1960年代に昭和歌謡から派生したものだ。歴史を考えると思ったよりも古くない。
そして、1990年代から始まったJ-POPは、昭和歌謡や演歌といったスタイルを否定したり、海外で流行した洋楽の影響を強く受けている。
それがロックだと誇るJ-POPの歌手がいたりもしたが、結局は自国の音楽文化を否定し、外国のスタイルを肯定する価値観のようにも感じる。
とはいえ、昭和歌謡だって明治時代に欧米から入ってきた歌曲の影響を受けていたりもするので、由来にこだわるのは無粋かもしれない。
東京大衆歌謡楽団のライブ動画は、ライブといっても神社の境内での演奏だ。
彼らの周りには多くの高齢者が集まって、間奏の間におひねりを帽子の中に入れている。
シュールといえばシュールな光景でもあるのだが、昨今の利益重視の音楽業界のスタイルとの乖離があって気持ちが楽になる。
東京大衆歌謡楽団の演奏の冒頭では、藤山一郎先生の「丘を越えて」が流れることが多いようだ。
「丘を越えて」という名曲は、その夜も疲れ果てて乾ききった私の心の中に浸透して、一気に彼らの世界観に引き込まれた。
彼らの世界観というよりも、昭和歌謡が現代になって降臨したというタイムトラベルのような世界観だな。彼らには原曲への敬意が感じられる。
私は藤山一郎先生の大ファンだ。彼の天才的な歌声だけでなく、実直でありながらも破天荒な生き様が素晴らしいと敬服している。
藤山先生の存在に気付いたのは、私が就職した後のことだった。
子供の頃に見たアニメのヒーローに憧れて人助けができる職に就いたが、実際の世界はアニメのように楽観的ではなく、しかし現実的でもあった。ガッチャマンというよりも、GANTZのように、とにかく人が亡くなることが多い世界だ。
人の命がどれだけ儚いものか、また自分の力がいかに無力なのかを痛感する日々が続いた。今ではベテランになったので気にしなくなったが、若い頃はさすがに堪えた。
その時、久しぶりにGANTZを見返してみたところ、ミッションの前に黒い球体から流れるメロディーが気になった。「新しい朝が来た 希望の朝だ」という曲。
私が育った地方では使われていなかったが、藤山先生の「ラジオ体操の歌」という曲なのだそうだ。夏休みの早朝に子供たちの体操が始まってこの曲が流れると、ミッションが始まるのかとすぐに目が覚める。
ラジオ体操の歌がリリースされたのは第二次世界大戦の後、つまり、辛く厳しい日々が終わり、新しい朝が来たという意味なのかもしれない。
GANTZのミッションの前にラジオ体操の歌が流れる理由は分からない。戦争という悲劇的な時期を経験したにも関わらず過去を忘れて平和に入り浸り、それが当然だと思い込んでいる多くの人たちに向けたアンチテーゼのような扱いだと私は理解している。
GANTZはともかく、彼の曲はどのような感じなのだろうかと気になって、「藤山一郎全曲集」というアルバムを購入して、驚いた。
子供の頃にトヨタスターレットのCMで耳にした「丘を越えて」という曲も、気性が荒くて近寄りがたかった母が稀に機嫌が良い時に歌っていた「青い山脈」も、藤山先生が歌った曲だったのか。
彼の歌い方は、私が慣れ親しんだJ-POPでは聞いたことがないようなスタイルで、発音がとても明瞭だ。
当時から「唱歌のようだ」とか「楷書の歌」と評されていたらしい。
音声技術が発達しておらず、ラジオやレコードで音源を流さざるをえない時代だったので、藤山先生は人々が聞き取りやすいように意識して明瞭に歌詞を歌ったそうだ。
現代になっても自らの歌い方のスタイルを変えなかったところに、彼の職業人としてのこだわりや、かつて流行った表現であればダンディズムと定義できそうな格好の良さを感じる。
私が藤山先生について語り始めると、彼の生い立ちから始まって、彼の慶應幼稚舎時代からの同級生である天才的芸術家の岡本太郎先生の話に入り、東京音楽学校から戦時中の話にまで進み、それでも話の半分にたどり着かないくらいに延々と語るので、この辺で切り上げる。
さて、「東京大衆歌謡楽団」のライブ動画を視聴していたら、これはハイボールを飲んでいる場合ではないと思い、どこかから日本酒を取り出して再び飲み始めた。
そして、気が付くとホロホロと涙を流しながら歌声に耳を傾けていた。
眼球の周りにこれだけの水分が蓄えられていたのかと自分で驚くくらいに涙が出た。
悲しくなったわけではなくて、感動したとも表現しえず、しかし感情が涙となって噴き出した。
間違いなく疲れていることは確かなのだが、沼で溺れていたところを引っ張り上げてもらい、空を見上げて深呼吸したようなイメージがある。
彼らのライブは懐かしの曲を求める年配の人たちが集まってくるわけだが、決して古臭くなくて、むしろ時代を周回して新しく感じる。
現在の若い人たちに受け入れられるかどうかは分からないが、立派な姿だと思った。
クラシックを聴くことが優美で高尚で、昭和歌謡を聴くことが古臭くて俗的だという話でもない。
加えて、彼らの周りに集まっている高齢者たちの姿が気持ちに深く染み入ってくる。
若い頃に眺めた当時の高齢者たちは、その時点で高齢者という認識だった。
しかし、よくよく考えてみると、彼ら彼女らにも同じように若い時代があり、長い年月をかけて老いたわけだ。当然のことだな。
若い頃の私には、そこまで考えることができずにいた。老いを実感していないからこその思考かもしれないな。
だが、五十路が見えてくると、高齢者が単に老いた人たちではなくて、長く険しい道のりを生き抜いたサバイバーだと感じるようになってきた。
若い人たちから見ればサバイバーなんて大袈裟だと思うかもしれないが、70歳くらいまで生きて、街中で歌を聴いて楽しみ、おひねりを用意するくらいの余裕を持つことがいかに大変なことか。
同時に、私は近い将来、彼らのような姿になる。
自分の人生が引き返せないところまできたことを実感した。
働き盛りの頃は、学歴だとか職歴だとか年収だとか、そういった物差しで人生を測っていたりもした。
しかしながら、職業人をリタイアした頃には、それらの物差しの多くが消えることだろう。
そのような時を恐れるのではなくて、そのような時の存在を受け止めた上で生きることも大切なのかもしれないなと思った。
加えて、思秋期的な思考よりも、私にとって大きかったことがある。
昭和歌謡を今の若者が歌うと、色褪せた曲が妙にリアルに感じる。
そもそも私はリアルな時代に昭和歌謡を聴いたことがないので、そうか、このような感じだったのかと新鮮さがあって面白い。
同時に、自分が今、どのような時代で生きて、何に疲れているのかを改めて理解した。
すでに使い古された表現ではあるけれど、現在は情報が過多になっていて、人の心が社会の流れに追いついていない。
だから、疲れる。
昭和の初期は、社会の進展よりも人の思考や感性の方が先に進んでいたと思う。
「このような世界があれば」と人々が想像していたことが技術的に実現していなくて、不便ではあったけれど生きているという実感がある中で人々は生きた。
では、現在はどうなのか。
ネットだとか、デジタルだとか、便利な技術が社会に浸透し、昭和歌謡が流行った時代よりも格段に便利な世の中になった。
便利な世の中になったけれど、本当に人々は幸せになったと言えるのか。
むしろ、世界中に個人レベルの煙突が立ち、そこからモクモクと不平不満という煙が立ち上っているように感じはしないか。
ネットを眺めても、テレビを見ても、ラジオを聴いても、何だか晴れ渡らない感じだ。しかもコロナという重い雲が漂っている。
しかしながら、東京大衆歌謡楽団が過去から引っ張り出してくれた昭和歌謡の世界はとても晴れ渡っていて、歌声を聴いているだけで現実を忘れさせてくれる。
人にもよるだろうけれど、生きていると様々な不満や悩みが蜘蛛の巣のように広がっていて、モヤモヤとした思考の中でさらに社会の変化がやってきている。
落ち着こうにも、地に足を着けて考えようにも、なかなかフラットな心理状況になれない時代だと思う。
何がきっかけになるかは分からないものだ。
昭和歌謡が流行ったのは私が生まれる前の話だが、その時代に引っ張り込んでもらうことで、様々なストレスから解放された感じがある。
久しぶりに気持ちが楽になって感動して涙が出たというわけか。
どこまで涙が出るのかというくらいにホロホロと泣いた後、昭和大衆歌謡楽団が小坂一也さんの「青春サイクリング」を歌ってくれて、ようやく現実に戻る気になった。
そうか、あの歌も昭和歌謡なのか。
サイクリングに出かけると気持ちが楽になることは昔も今も変わらない。私の青春はすでに終わったけれど、青春サイクリングの歌詞を暗記して、口ずさみながら自転車に乗ってみたい。
どこまでもレトロに浸りたい気分だ。