2021/04/15

東京大衆歌謡楽団の晴れ渡る歌声と演奏でホロホロと

小学生並な感想かもしれないが、これは凄い。そうか、この鬱屈した雰囲気が続く社会で気持ちを落ち着けてくれるのは最先端の技術ではなく、SNSでもなく、昭和の懐かしの曲だったのか。懐かしいといっても祖父母の頃の曲だ。私は生まれてもいない。

相変わらず夜遅くに仕事から帰り、一人で夕食をとる日々が続く。テーブルの脇にノートパソコンを置いて、映画や動画を眺めながらのリラックスタイム。


夕食を食べ終えて、プラスアルファは太ると分かっていながらも、コンビニで買ってきたツマミを取り出して晩酌が進む。

最近では浦安市内の人口が減ってきているようだが、これだけ鬱陶しい街ならば転出者が増えて当然だろう。

シンボルロードの歩道に立って自動車の往来を見るだけで分かる。

まるで周回レースをやっているかのようにひっきりなしに乗用車や大型トラックが走り続けている。

狭い街なのに、企業を誘致しすぎた上に住宅を作りすぎた。

こんなに混み合って奥行きのない街が住みやすいはずがないだろう。

街が発展しているのだ、税収が多いのだと誇っている時は良かったわけだが、調子に乗って公的な施設やサービスを肥大化させすぎた。

街も人も老いる。必ずやってくる将来への見通しが甘かった。

日本が嫌だからといって海外に移住することは難しいけれど、この街が嫌だからといって他の街に引っ越すことは難しくない。

私もさっさと引っ越したいと考えているし、他の世帯は引っ越していて、その傾向がはっきりと数値になって現れている。

浦安の行政にとって、働き盛りの市民からの税金こそが大きな財源になっている。

見方によっては、地方行政にとって市民は税金という金を街に払ってくれるお客様という存在に該当する。

そのお客様たちが街に愛想を尽かして出て行ってしまうと、街の財政としては痛手になる。

税収が減ると、働き盛りの世代を引きつけるための施設やサービスの規模も減る。

ただでさえ液状化というリスクがあるのだから、地の利は少ない。

正直なところ、この街での生活においては、酒でも飲まなきゃやってられ....いや、もっと品のある表現として...アルコールで心に麻酔をかけないと疲弊してしまう感じだ。

「浦安は素晴らしい」とか「浦安は住み良い」といった言葉は、業者や一部のアレな人たちの売り文句でしかなくて、それならばどうして転出者が増えているのだという突っ込みに答えることができないだろう。

さらに、気温や環境の変化に弱い私は、とりわけ春という季節をとても苦手としていて、コロナ禍による社会の混乱も相まって疲れが増している。

春先の送別会や花見といったイベントは平時であれば問題ないわけだが、このご時世にマスクを外して酔っ払ったり大騒ぎする若者や中年の姿が目立った。

結果、大阪では明らかな感染拡大の第四波が襲来し、医療崩壊が近づいているらしい。

首都圏は緊急事態宣言の解除が先延ばしになっていたが、感染の広がりは人々の行動の変化から数週間遅れてやってくる。

ツイッターやヤフコメといった内面を垂れ流すネットツールを眺めると、やたらと行政の責任を追及する人たちが多かったりもするが、これは行政だけの責任ではなくて、人々の心が制約に耐えきれなくなったためだと私は解釈している。

そういえば、数十人で夜遅くまで飲んで騒いでしまったという霞ヶ関の役人の話がニュースになった。その飲み会でコロナに感染した人までいた。

もはや弁解の余地はないけれど、先の飲み会とは関係なく、同じ省庁では深夜に職場の窓ガラスを割って飛び降り自殺を図った職員までいたそうだ。

そういえば、通勤客で混み合う鉄道では、列車への飛び込みによる人身事故が毎日のように発生している。

人が電車の前に飛び込むなんて異様な出来事ではあるのだが、多くの人たちは気の毒に感じることもなく迷惑事だと批判する。

それが普通であり平凡な日常になってしまっている社会は、すでに病んでしまっているとも思えるが、私一人がそう感じたところで何も変わらない。

しかしながら、皆が正気を装ってはいるものの、多くの人たちの精神には大きなダメージが生じていると思う。

その一方で、状況の深刻さを全く理解せずに我欲に向かって突き進む人たちがいることも現実で、まあそれが人類の多様性なのかなと感じもする。

しかも、コロナに関係なく、言動が非典型的な人たちが街や電車で目立つ季節が春だったりもするわけで、おそらく寒さが緩んで思考や感覚が制御不能になるのだろう。

電車のシートに座って酒を飲んでもいないのに奇声を発するとか、一体、何がどうなっているのか。

いつもながら疲労困憊で自宅にたどり着き、重い気持ちで夕食をとり、大して希望を持つこともなく眠り、再びいつもの重い朝が来ることだろう。

なんだ、今日もこの程度の一日かと諦めながら切り上げようと思ったところ、YouTubeが見かけない動画を提案してきた。

それは、「東京大衆歌謡楽団」という30代の人たちのグループが、神社の境内でライブ演奏を開催している姿だった。

髪の毛をポマードで七三分けに固め、背広を着て背筋を伸ばした姿は、昭和の初期の男たちの身だしなみだった。

ジャケットの下にベストを着込んでいたり、帽子を被っていたりもしたな。

私の母方の祖父は確か大正生まれで、そのような格好を好んでいた。

そして、彼らは、若い人たちにとって聴いたこともないであろう昭和の名曲を歌っている。

動画を見始めた瞬間、私は彼らのことをコミックバンドだと思っていたのだが、歌唱力や演奏力が高く、ウケや笑いを狙っているわけではなくて真面目に取り組んでいる。

東京大衆歌謡楽団が奏でている曲は、歌謡曲の中でも1930年代から1960年代の「流行歌」とか「昭和歌謡」と呼ばれるジャンルだな。

このジャンルは戦前から戦後まで続いた。戦時中は歌謡曲が軍歌のように使われたこともあったが、軍部の圧力には逆らえなかったのだろう。

また、若い人たちにとっては「昭和歌謡」と「演歌」の区別がつかないかもしれないが、順番としては昭和歌謡の方がずっと古い。

演歌というジャンルは1960年代に昭和歌謡から派生したものだ。歴史を考えると思ったよりも古くない。

そして、1990年代から始まったJ-POPは、昭和歌謡や演歌といったスタイルを否定したり、海外で流行した洋楽の影響を強く受けている。

それがロックだと誇るJ-POPの歌手がいたりもしたが、結局は自国の音楽文化を否定し、外国のスタイルを肯定する価値観のようにも感じるな。

例えば有名な日本のロックバンドの某Bは、洋楽のパクリだと言われ続けていたりもする。曲調をオマージュしたという次元を逸脱していて、歌詞を変えたコピーバンドに近いと思う。

とはいえ、昭和歌謡だって明治時代に欧米から入ってきた歌曲の影響を受けていたりもするので、由来にこだわるのは無粋かもしれないな。

東京大衆歌謡楽団のライブ動画は、ライブといっても神社の境内での演奏だ。

彼らの周りには多くの高齢者が集まって、間奏の間におひねりを帽子の中に入れている。

シュールといえばシュールな光景でもあるのだが、昨今の利益重視の音楽業界のスタイルとの乖離があって気持ちが楽になる。

東京大衆歌謡楽団の演奏の冒頭では、藤山一郎先生の「丘を越えて」が流れることが多いようだ。

「丘を越えて」という名曲は、その夜も疲れ果てて乾ききった私の心の中に浸透して、一気に彼らの世界観に引き込まれた。

彼らの世界観というよりも、昭和歌謡が現代になって降臨したというタイムトラベルのような世界観だな。彼らには原曲への敬意が感じられる。

私は藤山一郎先生の大ファンで、以前に続けていたブログのハンドルネームは「フジヤマジロウ」だった。

自分が主宰したサイクリングサークルでも「藤山次郎」という仮名を名乗っていた。

彼の生き方を真似することは不可能だが、生き様が素晴らしいと敬服している。

藤山一郎先生の存在に気付いたのは、私が就職した後のことだった。

ガッチャマンに憧れて就職したものの、実際の世界は子供向けアニメのように楽観的ではなかった。

ガッチャマンというよりも、GANTZのように、とにかく人が亡くなることが多い世界だ。

人の命がどれだけ儚いものか、また自分の力がいかに無力なのかを痛感する日々が続いた。

今ではベテランになったので、あまり気にしなくなったが、若い頃はさすがに堪えた。

その時、久しぶりにGANTZを見返してみたところ、ミッションの前に黒い球体から流れるメロディーが気になった。

「新しい朝が来た 希望の朝だ」という曲。

私が育った地方では使われていなかったが、藤山一郎先生の「ラジオ体操の歌」という曲なのだそうだ。

夏休みの早朝に子供たちの体操が始まってこの曲が流れると、ミッションが始まるのかとすぐに目が覚める。

ラジオ体操の歌がリリースされたのは第二次世界大戦の後、つまり、辛く厳しい日々が終わり、新しい朝が来たという意味なのかもしれないな。

GANTZのミッションの前にラジオ体操の歌が流れる理由は分からない。

アニメ版のGANTZでは、戦争という悲劇的な時期を経験したにも関わらず過去を忘れて平和に入り浸り、それが当然だと思い込んでいる多くの人たちに向けたアンチテーゼのような扱いだったと私は理解している。

GANTZはともかく、彼の曲はどのような感じなのだろうかと気になって、「藤山一郎全曲集」というアルバムを購入して、驚いた。

子供の頃にトヨタスターレットのCMで耳にした「丘を越えて」という曲も、気性が荒くて近寄りがたかった母が稀に機嫌が良い時に歌っていた「青い山脈」も、藤山先生が歌った曲だったのか。

彼の歌い方は、私が慣れ親しんだJ-POPでは聞いたことがないようなスタイルで、発音がとても明瞭だ。

当時から「唱歌のようだ」とか「楷書の歌」と評されていたらしい。

音声技術が発達しておらず、ラジオやレコードで音源を流さざるをえない時代だったので、藤山先生は人々が聞き取りやすいように意識して明瞭に歌詞を歌ったそうだ。

現代になっても自らの歌い方のスタイルを変えなかったところに、彼の職業人としてのこだわりや、かつて流行った表現であればダンディズムと定義できそうな格好の良さを感じる。

私が藤山先生について語り始めると、彼の生い立ちから始まって、彼の慶應幼稚舎時代からの同級生である天才的芸術家の岡本太郎先生の話に入り、東京音楽学校から戦時中の話にまで進み、それでも話の半分にたどり着かないくらいに延々と語るので、この辺で切り上げる。

さて、「東京大衆歌謡楽団」のライブ動画を視聴していたら、これはハイボールを飲んでいる場合ではないと思い、どこかから日本酒を取り出して再び飲み始めた。

そして、気が付くとホロホロと涙を流しながら歌声に耳を傾けていた。

眼球の周りにこれだけの水分が蓄えられていたのかと自分で驚くくらいに涙が出た。

悲しくなったわけではなくて、感動したとも表現しえず、しかし感情が涙となって噴き出した。

間違いなく疲れていることは確かなのだが、沼で溺れていたところを引っ張り上げてもらい、空を見上げて深呼吸したようなイメージがある。

彼らのライブは懐かしの曲を求める年配の人たちが集まってくるわけだが、決して古臭くなくて、むしろ時代を周回して新しく感じる。

現在の若い人たちに受け入れられるかどうかは分からないが、立派な姿だと思った。

クラシックを聴くことが優美で高尚で、昭和歌謡を聴くことが古臭くて俗的だという話でもない。

加えて、彼らの周りに集まっている高齢者たちの姿が気持ちに深く染み入ってくる。

若い頃に眺めた当時の高齢者たちは、その時点で高齢者という認識だった。

しかし、よくよく考えてみると、彼ら彼女らにも同じように若い時代があり、長い年月をかけて老いたわけだ。当然のことだな。

若い頃の私には、そこまで考えることができずにいた。老いを実感していないからこその思考かもしれないな。

だが、五十路が見えてくると、高齢者が単に老いた人たちではなくて、長く険しい道のりを生き抜いたサバイバーだと感じるようになってきた。

若い人たちから見ればサバイバーなんて大袈裟だと思うかもしれないが、70歳くらいまで生きて、街中で歌を聴いて楽しみ、おひねりを用意するくらいの余裕を持つことがいかに大変なことか。

同時に、私は近い将来、彼らのような姿になる。

自分の人生が引き返せないところまできたことを実感した。

働き盛りの頃は、学歴だとか職歴だとか年収だとか、そういった物差しで人生を測っていたりもした。

しかしながら、職業人をリタイアした頃には、それらの物差しの多くが消えることだろう。

そのような時を恐れるのではなくて、そのような時の存在を受け止めた上で生きることも大切なのかもしれないなと思った。

加えて、思秋期的な思考よりも、私にとって大きかったことがある。

昭和歌謡を今の若者が歌うと、色褪せた曲が妙にリアルに感じる。

そもそも私はリアルな時代に昭和歌謡を聴いたことがないので、そうか、このような感じだったのかと新鮮さがあって面白い。

同時に、自分が今、どのような時代で生きて、何に疲れているのかを改めて理解した。

すでに使い古された表現ではあるけれど、現在は情報が過多になっていて、人の心が社会の流れに追いついていない。

だから、疲れる。

昭和の初期は、社会の進展よりも人の思考や感性の方が先に進んでいたと思う。

「このような世界があれば」と人々が想像していたことが技術的に実現していなくて、不便ではあったけれど生きているという実感がある中で人々は生きた。

では、現在はどうなのか。

ネットだとか、デジタルだとか、便利な技術が社会に浸透し、昭和歌謡が流行った時代よりも格段に便利な世の中になった。

便利な世の中になったけれど、本当に人々は幸せになったと言えるのか。

むしろ、世界中に個人レベルの煙突が立ち、そこからモクモクと不平不満という煙が立ち上っているように感じはしないか。

ネットを眺めても、テレビを見ても、ラジオを聴いても、何だか晴れ渡らない感じだ。しかもコロナという重い雲が漂っている。

しかしながら、東京大衆歌謡楽団が過去から引っ張り出してくれた昭和歌謡の世界はとても晴れ渡っていて、歌声を聴いているだけで現実を忘れさせてくれる。

人にもよるだろうけれど、生きていると様々な不満や悩みが蜘蛛の巣のように広がっていて、モヤモヤとした思考の中でさらに社会の変化がやってきている。

落ち着こうにも、地に足を着けて考えようにも、なかなかフラットな心理状況になれない時代だと思う。

何がきっかけになるかは分からないものだ。

昭和歌謡が流行ったのは私が生まれる前の話だが、その時代に引っ張り込んでもらうことで、様々なストレスから解放された感じがある。

久しぶりに気持ちが楽になって感動して涙が出たというわけか。

どこまで涙が出るのかというくらいにホロホロと泣いた後、昭和大衆歌謡楽団が小坂一也さんの「青春サイクリング」を歌ってくれて、ようやく現実に戻る気になった。

そうか、あの歌も昭和歌謡なのか。

サイクリングの爽快感はよく分かる。

サイクリングに出かけると気持ちが楽になるのは、現在から過去に足を踏み込んでいるようにも感じる。

もしくは、人が幸せを感じたり気持ちが楽になるという行動や感覚は昔から変わっていなくて、そのことを潜在的に感じ取っているからなのか。

詳しいことはよく分からないけれど、昭和歌謡の歌詞を暗記して、口ずさみながら走ってみようかと思う。

デジタルで録音して骨伝導のヘッドホンで聞きながら走るよりも、自分で歌った方が楽しい気がしてきた。

どこまでもレトロに浸りたい気分だ。