変態系のカスタムに仕上がったクロモリロードバイク
人は自分が思っているほどには幸せでも不幸せでもない。大切なことは生きることに飽きないことだと、どこかの映画で聞いたフレーズを思い出した。イノセンスの作中だったか。オリジナルはロマン・ロランの言葉だな。
最近の私は間違いなく生きることに飽きてしまっていて、飽きないようにするにはどうしたらいいのかを模索し続けていたりもする。
五十路が近づくと人生の様々なピークが終わって、けれど子供たちの将来のためには無難に生き続けなければならず。
職場でもベテランの域に入り、矜持や内容も把握することができたりもするのだが、定年退職までの道のりさえも分かるようになってきた。
ということで、休日のささやかな楽しみとして、愛用しているクロモリロードバイクを自分で改造してみようかなと思った。
カスタムのコンセプトとしては、ロードバイクをクロスバイクのように変えること。
すでにタイヤについては28Cというクロスバイク級の太いサイズへの換装が完了している。
今回は、ハンドルをドロップバーからマルチポジションバーに変更し、STIレバーを外してトリガー型のブレーキレバーに変更するというコックピット周りの改造になる。
ロードバイクの象徴のようなドロップハンドルを外し、フラットハンドルに変更するかと思いきや、マルチポジションバーに向かってしまうところがアレなのだが、このハンドルに一目惚れしてしまったのだから仕方がない。恋愛のようなものだ。
ロードバイクは高価だということでクロスバイクに踏みとどまったお父さんが、それでもロードバイクに乗りたくて、限られた小遣いの範囲で可能な限りロードバイクのようにカスタムするというベクトルはよくある。
クロスバイクにドロップハンドルを取り付けて、ロードバイク風に仕上げても、やけにホイールベースが長いのですぐに分かる。
カスタムした本人も気になるのだろうか、そこからブルホーンバーに移行するという流れがあったりもする。
私が取り組んでいるのは、それとは真逆のベクトルだ。
しかしながら、最近ではロードバイクをデチューンするような形でクロスバイク風に仕上げようとする人たちが珍しくなくなってきた。
このコロナ禍では、ロードバイクにガチ乗りして必死にペダルを漕ぐよりも、楽で安全にロードバイクに乗りたい人が増えたのもしれない。
必死にペダルを漕いだところで、レース自体が開催されるかどうかも分からない。
ガチ乗りを止めたロードバイク乗りとしては、「もういいじゃないか、ズイフトでペダルを必死に回して、実走は怪我なく安全に走りたい」という気持ちなのかもしれない。
すでにコロナの第4波が来ているが、夏頃には第5波が来るようだ。
前回の波のピークが次回の波のベースラインくらいに相当している。
第一次緊急事態宣言が発令された頃、多くの人たちは外出を自粛してコロナに身構えたわけだが、現在、あの当時の波のピークよりも遙かに感染者が多い状況で生活している。
第4波でさえこれだけ大きいのだから、第5波はビッグウェーブだな。
一度も心安まることなく感染症が波状的に襲来する中で、もはや正気を失ってしまった人たちも多くなった。
我先にワクチンの接種を受けようとする人たちが行政に対して突っ込みを入れることだろう。その気持ちは分かる。
また、ただでさえ医療が逼迫しているので、落車の危険があるロードバイクという趣味は相性が悪い。
ということで、ロードバイクをクロスバイクのようにカスタムして、のんびり走ろうという取り組みを始めた。
結論は大方の予想通り、最初から廉価なクロスバイクを買った方が安くついた。
しかし、カスタムそのものを楽しむという要素が大切なので、一概に値段だけでは判断が難しい。
とはいえ、若い頃は自転車のカスタムが楽しかったが、今は少し億劫になっている。
買ってはみたが合わなかったとか、思ったより使い勝手が良かったとか。
最短距離で効率的に買い物が進まないことが面倒になってきたのは、おそらく歳のせいだろう。
最近まで愛車にはステムやハンドルがない無様な格好だったので、ようやく走ることができそうなレベルになってきた。
今の私には、趣味に没頭するような余裕があるわけではなくて、むしろ自身の状態が良くないので趣味で苦しみを和らげている感じだな。
春はいつも疲れるが、今年の春はさらに疲れる。
規格品を用いてパーツをグレードアップするだけのカスタムは予算的にも時間的にも無駄がなく、パーツが上手く装着することができないという事態は少ない。
しかし、本当に上手く付くかどうか分からないパーツを自転車に取り付ける時には、まさに現物合わせのようになることが多い。
ブリヂストンのクロモリロードバイクはクラシックなスタイルだが、かつてのレースシーンで使用されていたロードレーサーの復刻版のような位置づけになる。
つまり、速く走ることを目的として設計されたフレームだと私は理解している。
そのフレームにおいて、ツーリングやロングライドのためのマルチポジションのハンドルバーを取り付けてみようなんて考える人は奇特だと思う。
この趣味の界隈では「変態系」と呼ばれるカスタムだな。
私はなぜか規格に沿ったカスタムに喜びを感じず、アブノーマルなカスタムに向かっていく性質があるらしい。
性癖自体はノーマルなはずなのだが、自転車の趣味においては真面目に考え抜いた結果として有らぬ方向に突き進むことがよくある。
潜在的に存在している私の変態性が発露しているのか、あるいは最初から変わったタイプが好みなのか。
そういえば、私には弟がいるのだが、彼から見ると兄である私は昔からマニアックで変わった女性と付き合う癖があるそうだ。
言われてみればそうかもしれない。その総決算が妻という解釈になる。
ということは、私はあえて妻のような女性を求めていたということか。
妻は変態系ではないが、サイコパス指数が高めな感じだ。
妻と私の母は初対面で意気投合していたが、お互いに波長が同期したのだろう。
なるほど、実家で集まった時に、弟夫婦が母や私の妻の前で凍ったように静かになって言葉を選ぶ理由も分かる。
得体の知れない恐怖を本能的に感じ取っているからなのか。
もとい、変態系のカスタムでは、パーツが合わなければ安全や強度に影響しない範囲で削ったり、他のパーツの一部を流用したりと、様々な工夫を重ねる。
もはや、このパーツを使用するのは不可能だと判断すると、自らの判断のミスを嘆くかのように買ったばかりのパーツをジャンク箱や燃えないゴミの袋に投げ込んだり。
これらは自転車の整備というよりも、創作活動のように感じたりもする。
パーツを使わなければ意味はなく、無駄金を使ったことが後ろめたくも思うわけだが、合う合わないを含めて工作を楽しんでいるという趣味の形だな。
ひたすら作業に没頭しながら、ふと感じたことがある。
昨年はロードバイクという趣味への熱量が明らかに落ちていた。
医療の逼迫はさらに深刻な状態だ。夏にかけてかつてないコロナの大きな波がやってきて、その後でさらに大きな波がやって来ることだろう。
このような波が、あとどれくらい続くのか。5年間くらいで済めば幸いかもしれない。
正直なところ、サイクリングを楽しんでいるような気持ちにならなかった。
しかも、コロナとは関係ないのだが、仕事や家庭において、これからの目的地が大まかに見通せるようになってきた。
目的地とは、すなわち職業人として、あるいは子育て中の父親としての終焉だな。
ロードバイクという趣味についてはどうなのかというと、ロードバイクのカスタムが一段落してから数年が経ち、劣化による同一製品の交換を除いてカスタムをしたいと思う部分が見当たらず、新鮮味がなくなってしまっていた。
そもそも、私はどうして前傾姿勢で自転車に乗り、必死にペダルを回さなくてはならないのか。
もっと楽な格好で、景色や季節を感じながら楽しく走りたいと思うようになり、現在のロードバイクがそのスタイルに合っていないと思った。
そのような疑問というか悩みを抱えているうちに、ロードバイクを速く走るための道具として使わないスタイルの面白さにも気づいた。
最近ではグラベルロードやエンデュランスロードといったカテゴリーの規格品が販売されていたりもするが、手持ちの自転車を自分なりにカスタムして使うわけだな。
このように趣味を楽しんでいる人は日本国内にもたくさんいる。
自転車がスポーツのための機材として捉える人たちからは、そのようなスタイルが深淵な世界に感じることだろう。
クロモリロードバイクを好む人が多いのは日本人の特徴かと思いきや、実は米国や欧州のサイクリストも勢い余って変態系のカスタムに突き進んでしまう人が珍しくない。
ハンドルから20cmくらい高いところにDHバーを取り付け、市販品を自分で加工して牛若丸の下駄のようなアームレストを作り、「これは楽だ」と笑顔で走っている人がいたりもした。
DHバーに特有の上半身のリラックスポジションを追求しているが、空力抵抗は無視している。紛れもない変態系のカスタムだ。
欧州の道端に停められているスポーツバイクの中には、バタフライバーという8の字ハンドルを取り付けたものを見かけることがよくある。
日本でバタフライバーを使っていたら、かなりの確率で変態系と認定され、ロードバイク乗りたちが怖がって近寄ってこないはずだ。
当然だが欧米にもガチなローディもいたりはするが、そのスタイルが上位という価値観がなくて、自分が楽しければそれでいいという不文律なのだろう。
他者からの見た目なんてどうでもよくて、自分が楽しく、あるいは快適に走ることができるスタイルを形にしている彼らの姿が勉強になる。
色々なことを感じながら、愛車のクロモリロードバイクのカスタムが進む。
マルチポジションバーをロードバイクで使用するためには、70cm近いハンドル幅を短くしないと話にならない。
ということで、「パイプカッター」という男性にとって物騒な名前の工具を使って、ハンドルを短く切断する。
クロモリ製のハンドルバーの割には、難なくカットすることができた。
このハンドルが思ったよりも柔らかい素材で作られているのは、路面からの衝撃を緩和するための工夫なのかもしれない。
しかも、説明書に記載されている注意事項が面白い。
「安全のため、60cm以上の段差から落ちないようにしてください」という趣旨の但し書きがある。
ロードバイクに乗って60cmくらいの高さから飛び降りると、ハンドルよりも先にホイールがL字になる気がしてならない。
ここまでは上手く行ったのだが、今回のカスタムにおいて最も困っていることがあって、それは11速に対応したサムシフターがコロナ禍の品薄で手に入らないことだ。
次回の入荷が9月くらいになるという話もあり、それまで待つ気持ちにもなれない。
仕方がないので、ダイアコンペが販売している11速用のWレバーで変速することにした。
クロモリロードバイクは、Wレバーの台座があって助かった。何かこだわりがあってWレバーを使っている人もいるが、私の場合には妥協の産物だな。
ブレーキレバーはキャリパー用のダイアコンペのSS-6、グリップはフラットバー用。
ブレーキケーブルの取り回しは、現物合わせで長めにカットして、使い勝手に合わせながら少しずつ短くしていこう。
歳のせいなのか、若い頃よりもカスタムの腕が良くなった。工具の類も充実しているし、不可能だと思うことには手を出さなくなった。
さて、ようやく走ることが出来そうだが、これで本当に大丈夫なのだろうか。
ブリヂストンアンカーの設計者がこの自転車を見かけたら、間違いなく憤慨するような姿になった感がある。
だが、ジオメトリーを元に算出した数値としては間違っていないので、おそらく気楽に乗りつつ、踏力を無駄にせずにペダルを漕ぐことができる...はずだ。
街中でこのRNC3を見かけたら、高い確率で私だな。
おそらく日本で1台しかないことだろう。
それを誇ることができないのが、変態系カスタムの哀しいところだ。
しかし、変態系の自転車に乗るときには、恥ずかしいと思わないことが大切だと思う。
「自分のサイクルライフに合わせて自転車をカスタムしていたら結果としてこうなった、何がおかしいのだ。むしろ、自分の身体に合わない自転車で我慢しながら、『世の中の普通』に合わせて生きている人たちの方がどうかしている」と疑問を感じるくらいの体で堂々と走る。
そう、堂々と走りたいのだが...ここまで原形をとどめていない愛車に乗って、本当にイメージ通りに走ることができるのかどうかは分からない。
カスタムに入る前は、わざわざコンピュータープログラムまで立ち上げて、ジオメトリーだけではなく力点や加重まで計算した。
理論上はこのセッティングで快適な走行が可能なはずなのだが、途中から現物合わせになってしまい、やっつけ仕事になった感が否めない。
とにかく走ることができるのかどうか試走を繰り返してみよう。