2021/04/05

サイクルナビが案内してくれた船橋市内のグラベルコース

桜が散って春よりも初夏の気配がする季節になってきた。サイクリストにとってはこれからが本格的なシーズンなのだが、この数週間は私の持病になっている目眩(めまい)が酷い。とりわけ帰宅時の電車や駅の中では視界どころか脳が揺れる感じがする。

原因は分かっている。住むだけで心拍数が上がる街での生活地獄、それと苦痛で顔をしかめる毎日の通勤地獄。街も電車も一気に人が増えた。かといって速やかな解決は望むことができないわけで、何とかしてストレスを緩和させるしかないだろう。


この1ヵ月くらいの間、日曜日に天気が崩れるというパターンが続いていた。

今週末こそはロードバイクに乗ってサイクリングに出かけられると思っていたのだが、夕方から雨が降るらしい。

このような時、私は自宅で静養して、スピンバイクに乗ってトレーニングに励むことが多いのだが、どうにも目眩が治まらない。平常時の心拍数も高い。

夜に飲む酒の量が減った。目眩で頭が揺れて、航空機や船の中で酒を飲んでいるかのように酔いの回りが早いので、いつも通りに酒を飲むと意識が飛んでしまったりもする。

これはこれで酒代の節約になるのだが、健康面ではよろしくない。

それにしても、滞在するだけで目眩や吐き気、動悸がして、朝に目が覚めただけで絶望する街に住んだことは、浦安を除いて一度もない。

とんでもないところに引っ越してきたものだ。

私の顕在意識に加えて、潜在意識までが浦安という街を拒否していることがよく分かる。

この街に連続で48時間以上も滞在すると気持ちが差し詰まり、どこかに逃げたくなる。

マンションの部屋が静かで快適に過ごしていても浦安という街にストレスを感じるということは、おそらく自分の生き方における様々な不満や不安、憤り、恐怖といった負の感情が蜘蛛の巣のように繋がっているということか。

そして、蜘蛛のようにストレスの糸を吐き出し続け、それぞれを繋ぎ合わせている存在こそが浦安という街そのものという解釈になる。

そういえば、最近、浦安の人口が減ってきているらしい。

浦安から他の自治体に引っ越す人が増えたそうだ。

その気持ちはよく分かる。私も早く引っ越したい。

このままだと人口の流出はさらに続くことだろう。

たとえメッキであったとしても、表面上はキラキラと輝いていた街だが、これからメッキが剥がれて錆が目立ってくる。

財政は赤字に転落するだろうし、古くなった小学校に大規模修繕を施すための予算さえ十分ではない。

まあとにかく、五十路になるようなオッサンが辛い辛いと嘆いていても始まらないし、人生の終わりは近い。

この街から逃げ出したくなったら、短時間であっても逃げるだけの話だな。

日曜日にロードバイクに乗り、いつも通りに入船交差点から浦安警察署の前を走り、猫実川を越えて市川市に入る。

その橋の上で深呼吸すると、一気に心拍数が落ち着いて楽になる。

どれだけ浦安が辛いのだという話だが、ここから半日は脳に休息を用意しよう。

ハンドルを握りながら、毎日の生活において頭の中でイメージしている姿を変える。

この数年、私の自我が自分から離れていくような離人感と付き合いながら生活しているわけで、クリニックに行けば離人症と診断されるような状態だ。

最初は何だこれはと楽しんでいたのだが、離れたように感じる自我をフワフワと漂わせていると酷く疲れる。

頻繁に生じる目眩と離人感がどのように関係しているのか分からないのだが、自我が自己から離れていく時のシグナルとして目眩が起きているように私は理解していて、目眩で視界が歪む度に少しずつ自我が自分の身体から抜けていく感じがする。

自我が離れて、自分自身をロボットのように遠隔操縦している感じになってしまうと、もはや気怠くて仕方がない。

ということで、あくまでイメージではあるのだが、離れた自我を黒い棺桶に格納して縄紐で引っ張りながら、あるいは背中に背負うことで、浦安地獄や通勤地獄に耐えている。

もしもこの棺桶が完全に自己から離れてしまったらどうなるのかというと、おそらく死が待っていることだろう。

割と危険なステージにいても、妻や子供たちは気にもしない。

しかし、なぜだか分からないのだが、ロードバイクに乗ってペダルを漕いでいる時には、離人感が全く生じない。

サイクリングは動的なマインドフルネスを行うことができたりもするので、自我を自己から切り離す必要がなく、むしろ自己の中に自我を取り込んでしまうという性質があるのだろう。

その時、黒い棺桶のイメージはどうなるのかというと、ロードバイクと同化して姿がなくなる。

普通の人たちの普通の生活では、これが普通なんだろうな。

離人症は治療方法が確立されていないので、私は死ぬまでこのような思考の世界に居続けるのかと悲しく感じる時があるし、気分が上向いた時には楽しくも感じる。

浦安地獄や通勤地獄のダメージが大きすぎて、街から引っ越しても離人症が治癒しないかもしれない。

だが、ロードバイクに乗っている時には離人感がなくなって、自我と自己が一緒になる。

逆に考えると、サイクリングで調子を整え続ければ、離人感が緩和され、そのシグナルになっている目眩も減るというよく分からない理屈になる。

しかし、そのよく分からない理屈が本当に形になって復調するのだから面白い。

さて、本日のコースはコンパスを頼りに適当に走るのではなくて、最近になって契約したスマホの自転車ナビを使うことにした。

自転車用のNAVITIMEの評判をネットであまり見かけないので、試しに人柱になってみようかと思った。

浦安市から市川市に入って原木交差点を右折し、プリティ何とかの看板を左折して橋を渡り、そこから汚れた小川の脇を通って船橋市内に入る。

このルートは浦安市内の友人に教わった。

そこからずっと走って桑納川沿いを走り、八千代市まで抜けるというコースがあるのだが、そのコースを忘れてしまった。

ということで、ナビを頼りに走ってみることにした。

実際にナビタイムで走ってみると、間違いなく友人が教えてくれたコースではない走路が表示されて、まあ仕方がないやと走り続ける。

海老川という小さな河川があり、その脇道は信号も自動車の走行もないので抜け道に適しているようだ。

フルカーボンのロードバイクで走るような脇道ではなくて、ホリゾンタルのクロモリロードバイクでのんびりとポタリングを楽しむようなルートだな。

まだ桜が完全に散っていなくて趣がある。

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そこからのルートは一度走っただけで記憶することが難しいくらいに入り組んでいたが、確かに面白い。

船橋市内はサイクリストにとってあまり走りやすい街ではないと私は理解していたのだが、網の目のようになった道路の中には自転車で快適に走ることができるルートもあるのか。これは勉強になる。

桑納川にアクセスするためには、高根公団という駅がランドマークになる。

別に高根公団駅に到着する必要はなくて、その付近に広がる住宅地を抜けると、そこから先に自然あふれる世界が広がっている。

友人に連れていってもらった場所こそ、その桑納川沿いの自然が豊かなルートだった。

相変わらず、一度で記憶することは難しいルートをロードバイクで走りながら、途中でナビのGPSがおかしくなって明後日の方向で立ち止まったりもしながら、ようやく桑納川に到着した。

素晴らしい。

私はベンツやポルシェ、大型トラックがせわしなく走り抜ける街よりも、軽トラが多い街の方が好きなんだな。改めてそう感じる。

しかしながら、本日は早めに浦安に帰らないと夕方から雨が降ってくる。

途中でさっさと引き返し、再びサイクルナビで現在地から自宅までという大雑把なルートを指定して走り始めた。

その際、私は大きな設定ミスをしたらしい。

推奨ルートではなくて、裏道を通るルートで検索してしまったので、とにかく裏道ばかりをナビが指示してくる。

都会と田舎が混ざり合っていて、しかも道が網の目のようになっている船橋市で、とりあえず浦安までたどり着くルートを注文するとどうなるか。

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このような未舗装の砂利道ばかりをロードバイクで走り続けることになった。

裏道を通るルートといっても、これは裏道過ぎる。

あまりに衝撃を受けて写真を取り忘れたのだが、「ここに入るのか!?」という感じの山沿いの小道が指定されて、ロードバイクを肩に乗せて歩くような畦道を渡ることもあった。

斜度があまりに厳しすぎて壁のように感じる登り坂をロードバイクを押しながら進んだり、ここは本当にあの船橋なのかという状況だ。

ジブリアニメでこのような展開があったな。

ここでトトロが出てきても、私は何も驚かない。

すると、小さな山の麓に向かう畦道を抜けたところにブルーシートの自作テントが張られていて、トトロではなくてホームレスの高齢男性に出会った。

ホームレスにしては陽気な人で、自作の物干しに洗濯した後のシャツやズボンを干していた。

彼は髪とヒゲが伸び放題だったが、自然の中でキャンプをしているような開放感と清潔感を漂わせていた。

咥え煙草で自然を満喫しているような彼の姿がとても印象的だった。孤独を楽しんでいる。

しかし、山の中にロードバイク乗りがやってきて、彼は驚いたことだろう。私も驚いた。

再びロードバイクに乗って出発。

最近、28Cの太いタイヤに換装していたので、グラベルでも何とか走ることができた。

しかし、愛用しているコンチネンタルの四季タイヤでなかったら、パンクのリスクがあったかもしれない。

また、パナのグラベルキングの方がスリップが少なかったはずだな。

だが、そもそも論として本気でグラベルを走るのであれば40Cくらいのタイヤが必要だなと真面目に思った。

同時に、グラベルを走ることの楽しさも分かった。

舗装路を延々と走り続けることも好きなのだが、たまにはグラベルに入ってウォオオとペダルを漕ぐことも楽しい。

クロモリロードバイクをクロスバイクのようにカスタムしてみようという最近の私の方向性にも見合っている。

思った通りに進まないのが人生で、仕事も家庭も若き日の理想とは程遠いところにある。もはや方向転換さえ難しい。

しかし、趣味の世界であれば方向を変えることができる。

やはり趣味は大切だな。

相変わらずナビタイムが裏道ばかりを指定してくるのだが、ようやくグラベルが減って舗装路が増えてきた。

浦安では見かけない広々とした農地を眺めながら、誰も通らない場所でフェイスカバーを外して、初夏の香りがする空気を思い切り吸い込んだ。

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何だかよく分からない社会になってしまったけれど、私は、今、両足で地面を踏みしめて立っている。

それはどこでも同じことなのだろうけれど、まさに浮足立ったような情報の波に飲み込まれて、地に足を着けて生きているのか分からない毎日が続く。

コロナ禍が続く世界で、同じような違和感を覚えている人たちは多いことだろう。

けれど、あまり悲観的にならず、現実を受け止めて、地に足を着けて現在を感じるという時間も必要だな。

ストレスを受けると自我が解離して漂ってしまう私が言う台詞ではないが。