2021/04/01

終の自転車生活とロングホールトラッカー

自転車に限らず、オートバイやカメラ、旅行や料理といった趣味を楽しんでいる人たちの間では、50代くらいになってくると聞こえてくるフレーズがある。それは、「残りの人生が20年だとすれば、本当に楽しめるのは10~15年間くらい。だから、心残りがないように手に入れておきたい」という感じのつぶやき。

その気持ちは私にも痛いほどに理解することができて、実際のところ、この数週間はカーゴバイクの購入を真剣に考えてしまっていた。


20代や30代の頃、毎年の桜が咲く時期には新たな生活や出会いに関心が向いていた。これからどのような新人が職場にやってくるのだろうとか。その当時に定年でリタイアする人たちのことなんて、あまり気にかけてもいなかった。

一方、これから50代に入ろうとしている現在では、定年を迎えて現役を退く先輩たちの背中に自分を重ね合わせてしまったりもする。

20代の新人がやってきても、ああ若いなとか、きちんと挨拶ができないなとか、まあよくあるベテラン的な視線で眺めているだけだ。

その人たちだって、若き日の私が眺めていたような感じで現在の私を見ていることだろう。

職場には私よりも5歳くらい年上の同僚がいて、とても仕事ができる。

彼と同じ職場で働き始めたのは、お互いに20代や30代の頃だった。時の流れは早いものだ。

だが、とても仕事ができて周りから頼られる同僚は、人生観の柱が仕事ではなくて「金があるなら今すぐ辞めたいよ」と笑いながら話す。

彼は、私にとって大変勉強になる存在だ。

どの職種でも仕事にのめり込んで家庭や趣味を持たない人たちが珍しくない。

定年を迎えた後でも職場にしがみ付いて働いているような人がいたりもする。

どうして職場に居続けようとするのかというと、年金が支給されるまでの収入という側面もあるのだろうけれど、「他にやることがないから」だろう。

若い人たちから煙たがられてはいるが、かつての地位を考えると無碍に扱われることもなく、けれど現役から退いた寂しさを隠すことはできず、その延長時間が過ぎたらどうなるのだろうかという空虚な未来が見える。

ところが、彼も私も同じような人生観があって「仕事とは、生きるための活動」という範囲から外れていない感がある。

仕事には矜持があって遣り甲斐もあるのだが、人の生き方において仕事は一部でしかないし、イエスマンに徹してまで出世することを望んでもいない。

若い頃、上司の指示が違うと思えば、「それは違います」と主張していた。

ベテランになってくると反論するのが面倒なので、「ああそうですか分かりました」と上司の指示に従い、やはり上手く行かなかった時には笑いを堪えながら上役の責任にする。

そのうち仕事を任される。よくあるマーベリックなポジションだな。

では、彼や私にとって家庭という存在が生き方において大きな存在なのかというと、そうでもない。

家庭が人生の全てになっている父親もいたりするが、彼も私も家庭に対して期待というより諦めを持っている。

成人男性は適齢期になると結婚し、子供を育てることが当たり前だという風潮は、私の親の世代、つまり団塊世代では普通のことだった。

そして、団塊世代の子供たちである私たちのような団塊ジュニア世代の男性においては、その不文律に従って進む人たちもいれば、結婚や子育てをせずに生活する人たちもいる。

だが、着実に老いが進んでいくと、結婚するかしないかとか、子供を育てるとか育てないとか、そういった議論さえも夢のように感じるのかもしれないなと思う時がある。

懸命に育てた子供たちだって、いつかは独立して家を出る。むしろ、独立して家を出てもらわないと困る。

そのような時期が来た時、子供がいないまま老いを迎えた男性の生活と何が違うのか。

子供たちが運よく結婚することができて孫が生まれたら、好々爺のようになって生きる気力が湧くとでもいうのか。

私がロードバイクでのサイクリングを楽しんでいることと同じように、職場の同僚の彼は郊外に畑を借りて一人で耕し、日本国内ではあまり見かけないような作物を育てることを趣味にしている。

最初は子供たちのために、父親として農作物を育てることの大切さを教えようとしたそうなのだが、子供たちが興味を持ってくれなかったらしい。

しかし、労働が重なると様々なストレスが心身を蝕んだりもするわけで、大地に触れ、陽の光を浴び、自分で育てた野菜の旨さを感じることが楽しくて趣味になってしまったそうだ。

とある日のこと、「50近くになって、今でも前線にいるなんて、若い頃は思ってもみませんでしたよ」と私は彼に笑いかけた。

すると、彼も深みのある声で笑っていた。

「机に座って書類にハンコを押し続けて、会議で居眠りするようなオッサンの生活よりは随分とマシですけどね」

退職した後も職場に残って年金支給まで働いている先輩たちについて、彼も気になっていたらしい。

出世したけれど頂点に登ることができなかった人たちに限って居残って、しかし管理職だったので現場では活躍することもできない。

何をしているのかといえば職業人としてのクールダウンのような姿を晒しているように私には感じた。

「仕事以外にやることがないのかね。金のためか?」と彼は苦笑いしていた。

収入が増えてくると、人は生活のレベルを下げることに躊躇するのだろう。

逆に考えると、個人の年収が1千万円を超えたところで、世帯年収が2千万円近くなったところで、生活の質を上げると大して幸福感も感じないのだろう。

稼ぎが増えたからと高い住居費をかけた住まいで生活し、より高いグレードの自動車や家電、服などを手に入れ、子供を学習塾や習い事に通わせて、私学に入学させたりすれば、経済的には大して余裕があるわけでもない。

その生活を下支えするのが職業でもあるわけで、熱心に仕事に打ち込むことは決して間違っていないと思う。

また、父親になった以上は家族のために頑張ろうと、家庭を大切にすることも間違っていないと思う。

けれど、それらが一段落した時、男の人生には何が待っているのだろうか。

私は同僚に尋ねた。

「まだ、先の話ですけどね。あなたは定年した後も仕事を続けるんですか?」

彼は大笑いしながら答えた。

「そんなことは勘弁したいです。定年したらお終いですよ。今でも辞めたいくらいですから」

彼は30代の頃から辞めたいと言っている割に仕事ができて、ボスも含めて誰からも頼りにされるエースだ。

うちのセクションにとって余人をもって代えがたい存在なのだが、仕事は仕事でしかないという考えを崩さない。

すると、彼は窓から見える空を眺めながら、少し照れた表情で言葉を続けた。

「山を買おうと思ってるんですよ。小川があって、自分で開拓する感じの小さな山です。そこに小屋を建てて、畑を作って一人で生活したいなと思うんですよね」

少子高齢化や地方の衰退は深刻な社会問題となっているけれど、田舎で探せば、実際に数百万円で手に入る山はたくさんあったりもする。

今は首都圏の郊外のレンタル畑で農作物を育てている彼だが、仕事と家庭から解放された時には、一人になって自分の山でのんびりと生活したいらしい。

彼は芸術家肌で器用な人なので、小型の重機で山を開墾して、自分でログハウスを作り、そこで趣味を楽しんでいる姿を容易に想像することができる。

他方、仕事を生活の中心に据え、ただひたすら出世することを望み、趣味を持たずに老後を迎えた人たちに待っているのは何かと言えば、所在なさげな残り時間か。

私は彼に答えた。

「素晴らしい老後ですよ。私の場合には、週末だけではなくて、平日にもサイクリングに行くだけの話です」

とはいえ、仕事をさぼっているわけでもなく、深夜まで残業して働き、電車に乗って浦安まで帰宅する時間がやってきた。

春と夏には大きな仕事の波がやってくることだろう。

この一年はとても忙しくなりそうだ。

電車や駅にはたくさんの酒気帯びの人たちを見かける。

緊急事態宣言が解除されても、このように大騒ぎして飲んだくれていれば、すぐにコロナ感染者が増えて社会は混乱する。

それでも、人々は自分の欲を抑えることができない。

酒を飲みたければ自宅で一人になって飲めばいいのに、人は孤独を恐れ、誰かと繋がることを求める。

それによって楽しさや安心感を手に入れようとするのかもしれないが、生きることの本当の楽しさは孤独な状態にあるのではないかと、職場の同僚の話を思い出した。

若い頃は気にしたこともなかったが、「終の棲家」とか「終の住処」という言葉がある。死を迎えるまで生活する住まいのことだ。

私は、浦安市内に終の棲家を用意するつもりは全くない。

東日本大震災で新浦安の大部分が液状化した時、泥だらけで激しく傾いた自宅を前に呆然としていた高齢男性たちのようにはなりたくはないと思った。

その後、浦安市は液状化対策として戸建街に特殊な工事をすることで地盤を強固にするための取り組みを検討したが、結局は住民たちの賛同が得られずに計画は頓挫した。

当時の浦安市の行政は、世界初だとか、日本初だとか、そういったシュプレヒコールのようなフレーズが好きだったと記憶している。

だが、他の自治体での導入例がなく、実験レベルのエビデンスしかない液状化対策について、国からの予算を獲得し、住民にも多額の自己負担を要求するようなプロジェクトが円滑に進むはずがない。

しかも、液状化対策工事は各戸ではなくてブロックごとに進める必要があり、その工事を拒んだ世帯については市役所の職員が説得に向かったり、住民同士で圧力を加えたり、一度賛同してから拒否すると浦安市が弁護士を用意して何かをしたという話まであった。

この街の黒いハラワタを垣間見たのはそこからだった。

ネット上に漂っていない情報をシニア世代の人たちから教わり、多くのことを知り、この街のことがさらに嫌いになった。

このような街で死ぬまで生活するなんて御免被りたい。

妻にとって故郷だからとか、そこまで私は妻に配慮するつもりはない。

とはいえ、浦安市からさっさと引っ越して、そこで新たな生活を始めるとしても、その時には五十路だ。

それまで苦しんだ時間は取り戻せないし、残りの時間は短い。

すでに何千回も同じことを嘆いているが、浦安に引っ越したことは、我が人生の最大の失敗だ。

都内に戻り、そこで新たなことをやるにしても、結局は地道に働いて子供たちを独立させ、残った時間で趣味を楽しむくらいのことしかできないだろう。

今、努力して家族のために尽くしていれば、将来になって必ず幸福がやってくるなんて、それは幻想でしかない。

とどのつまり、一人の時間が増えるだけだろう。過去のことは夢のような認識になるはずだ。

その時、私は思った。

40代や50代の前半ならば、今までと同様にロードバイクに乗ってサイクリングを楽しむことができる。

しかし、その後、私はどのようなサイクルライフを送るのだろうか。

最近、気に入って使っているミニベロのシティサイクルは、大袈裟ではあるけれど私のサイクルライフを変えてしまったように思える。

街中を移動する場合には、ミニベロはとても便利で楽しい。完成車で5万円くらいなのだが、とても良い買物だった。

このようなミニベロは老後になっても乗り続けるだろうし、おそらく現在使っているミニベロならばメンテナンス次第で15年くらい乗り続けることができるはずだ。

ミニベロを買い替えるタイミングは、あと1~2回になることだろう。残りの人生の短さを実感する。

では、スポーツバイクについてはどうなのか。

今まで乗り続けているブリヂストンのクロモリロードバイクは、私がバーンアウトで苦しんでいた時に購入し、通勤地獄を回避する際にも活躍してくれた。

毎年、自分でオーバーホールして使っているのだが、今のところ大きな故障もなく、今まで通りに乗ることができている。

子供たちが私立中学に入学して、浦安という私にとって苦痛しかない街を脱出する時、新たな気持ちとともにスポーツバイクを新調しようかなと思った。

妻の実家が浦安にあるからと、私は全く望んでいないのに千葉県民になってしまった。

しかし、千葉県民になったことでロードバイクの楽しさを知ったことも事実だな。

東京都に住み続けていたら、そもそもロードバイクを室内保管するだけの住居で生活することができたかどうかも分からない。

今では子供たちが大きくなり、個室も必要になってきた。

都内と比べると浦安は私の通勤において不便で仕方がない。しかし、不便だからこそ住居費が安く抑えられているという点も考慮する必要がある。

浦安から脱出することは私の中で決定事項であり、23区に転居すれば、スポーツバイクに乗って職場に通勤するという夢のような将来がある。

その際、今まで使っているロードバイクではなくて、よりタイヤの太いスポーツバイクの方が安全かなと感じ始めた。

きっかけは単純なことだ。

都内ではウーバーイーツの配送の自転車を頻繁に見かけるのだが、当初は背中にバッグを背負ったロードバイクが多かった。

25Cとか28Cといったロードバイクタイプのタイヤを履いて走っている人が必死に漕いでいる感じだったな。

しかし、コロナ禍も1年を経過して、ウーバーたちの自転車にも変化が認められるようになってきた。

ロードバイクで配送している人もいるのだが、電動アシストが付いたかなりゴツめのフレームに40Cくらいのタイヤを履いたクロスバイクのような自転車で車道を走っている人たちをよく見かける。

彼らはバッグを背負うのではなくて、リアキャリアをバイクに取り付けてバッグを収納し、突貫工事で荒れた路面なんてものともせずに悠々と走っていく。

少し逸脱していることは自分でも分かるが、この現象は生物学的にみて興味深い。

ウーバーイーツが日本で始まった当初、様々なスタイルのサイクリストがいた。

ロードバイクやシティサイクルなど、手持ちの自転車で配達に向かう感じだったと思う。

しかし、自転車で料理を運びながら車道を走るという共通の命題があって、それらに順応していくうちにサイクリストのスタイルが一つの方向に進んでいき、最終的に効率的で安定したスタイルに落ち着いてきたのではないか。

非常に長いスパンで考えると、よく似た現象が生命の進化においても生じてきた。

生命の進化は複雑系の中から単純系に進むことが多い。要は、様々なスタイルが存在している状態から、環境に適した個体や集団が生き残り定着するという理屈だな。

その多様性がどうして生じたのかについては不明な点が数多く残されているわけだけれど、自転車配達員のスタイルの場合にはコロナ禍とウーバーイーツが引き金になっている。

私たちの遺伝子には、そのように環境に適応するような思考がプログラムされていると考えても違和感がない。

ヨーロッパのように自転車道が整備されておらず、青いペイントどころか何も用意されていない道路を自転車で走る日本の姿は、仕方がないとは言っても理不尽だ。

細いタイヤのスポーツバイクが車道を走っていると、我ながら頼りなくて危険だなと思う。そのすぐ脇を自動車が駆け抜けていく。

ところが、太いタイヤを装着してリアキャリアを積んだウーバーの配達員たちの姿は威風堂々としていて、ドライバーからもよく目立つ。

なるほど、これは勉強になる。

サイクリストとしては電動アシストを付けた時点で負けだと思っているわけだが、彼らのようにゴツいスポーツバイクが欲しくなった。

ところが、ゴツいスポーツバイクといっても、私が欲しいのはマウンテンバイクやファットバイクではない。

別にオフロードを走るわけでもないし、できればリアキャリアを取り付けて通勤やツーリングで使いたい。

色々とネットで調べてみたところ、サーリーというメーカーの「ロングホールトラッカー」という自転車が世界で最強なのだそうだ。

自転車で世界一周をするような人たちにとっては、ロングホールトラッカーは定番のカーゴバイクで、アラスカから南米の南端まで走ってもトラブルがほとんどなかったとか、そのような信じられない武勇伝が広がっている。

日本で有名なクロモリロードバイクのビルダーが作った自転車で世界一周の旅に出て、フレームがダメージを受けて走行不能になり、現地の自動車工場で溶接してもらいながら必死に走り続けたが旅半ばで頓挫し、一時帰国してロングホールトラッカーで再開したら、あっさりと目的地まで走り切って拍子抜けしたという話も見かけた。

ロングホールトラッカーはリムブレーキ仕様だが、最近ではディスクブレーキ仕様のバージョンが追加され、ディスクトラッカーという名前で販売されているらしい。

新しいモデルが販売されてすぐに在庫切れになるので、予約を入れても数か月から半年待ちは当たり前の人気商品だそうだ。

このように突き抜けたモデルを世に出すところが、さすが米国メーカーだなと感じざるをえない。

日本国内でもロングホールトラッカーと同程度のフレームを開発することができるメーカーがあるはずなのだが、設計のコンセプトが生まれたとしても、実際に市販されるまでには色々と大変かもしれない。

「そんなに丈夫なフレームを販売したところで、本当に売れて採算が取れるのかどうか分からない」とか、そのような突っ込みを入れる幹部が出てくるはずだな。

ただ、私なりに気になるのは、ディスクブレーキが嫌いなのでリムブレーキを選択するとして、ロングホールトラッカーのような26インチのホイールが、今後も手に入るのかどうかという点。

私としては完組ホイールではなくて、手組ホイールを使いたいので、26インチのワイドリムが必要になってくるわけだ。

しかし、26インチのリムは昔のマウンテンバイクの規格であって、最近ではほとんど使われなくなってきたと理解している。

実際にネットで検索しても、有名どころのリムとしてはアレックスくらいだろうか。もはや希少種とも言える。

32Cから40Cくらいの太いタイヤをスポーツバイクに取り付けて、ガチにならずに走りたいと考えている人は私以外にもたくさんいて、最近ではパナソニックのクロモリ製のシクロクロスフレームが人気なのだそうだ。

このシクロクロスモデルはカンチブレーキの復刻版だが、街乗り風のカスタムの素材として有用で、しかもよく走ることで評判が良いらしい。

ロードでもグラベルでも走ることができ、しかもクロモリ製で丈夫だということで、「オールロードバイク」と呼んでいる人たちまでいる。

だが、カンチブレーキからショートVブレーキに換装して、シマノのSTIレバーで操作するというスタイルは、おそらくシマノは推奨しないことだろう。

ますます思考が泥沼に入っていく。

そういえば、ロングホールトラッカーはVブレーキ仕様なので、シマノのSTIレバーを使うにはサードパーティ製のアダプターでワイヤーのレンジを変換する必要がある。

以前、ダホンのミニベロをカスタムする時にアダプターを使ったことがあるのだが、五十路にもなってそのようにマニアックなカスタムに励むだけの気力があるかどうか。

となると、潔くフラットバーに変更するか。

それと、ロングホールトラッカーにもラージサイズでは700Cのモデルがあるそうだが、どう考えても欧米人の足長の体格でないとサイズが合わないことだろう。

仕方がないので、ディスクブレーキ仕様のグラベルロードバイクに乗り換えるという選択もなくはないが、グラベルロードバイクはロードバイクよりも飽きやすいという話を耳にする。

グラベルロードで舗装路を走ると、乗り味がもっさりして楽しくないとか。

私がイメージしているのは、グラベルでも走ることができるロードバイクではなくて、ランドナーをよりタフに仕上げたカーゴバイクなわけだ。

重い荷物を載せて千葉県内の温泉旅館に向かって走っていくとか、釣り用品一式を載せて泊りがけで走っていく時の相棒として、グラベルロードバイクは何だか違う気がする。

うーん、頭の中ではイメージがあるのだが、いざそのようなスポーツバイクが市販されているのかというと、なかなか見当たらない。

700Cのホイールと32Cから40Cくらいのタイヤが装着可能で、制動はVブレーキ、フレームはホリゾンタル、リアキャリアを付けることができるクロモリロードバイクがほしい。

E.B.S.というメーカーがその条件に近いクロモリフレームを製作しているようだが、制動はディスクブレーキ。やはり世の中はディスクブレーキなのだろうか。

すると、思考は最初に戻って、フェンダーの取り付けを最初から放棄して、ロングホールトラッカーを700C化するか。

いや、そもそもロングホールトラッカーは重量級のスポーツバイクだ。東京都内のマンションに引っ越して、ロングホールトラッカーを自室まで持ち上げて運ぶことができるかどうか。

そもそも、浦安の場合よりも狭いマンションの部屋にロングホールトラッカーを保管することができるかどうか。

いや、ロングホールトラッカーをマンションの駐輪場に保管して、通勤時も普段使いするのであれば問題はない気がする。

思考をフル回転しているのに、なかなか結果にたどり着かない。

趣味とはいえ、なかなか思った通りに事が進まないものだな。

色々と試行錯誤した結果、リムブレーキのクロモリロードバイクに28Cのタイヤを履かせるという結論に至り、すなわち現在のスタイルが最適解だったということにもなりかねない。

これは一体、どうしたものか。

まあ、今すぐ結論を出す必要はないな。

浦安を脱出するまでには、まだまだ時間がある。

出来る限りの選択肢を考えてみて、やはり現在のスタイルが適しているのなら、それを終の自転車生活としよう。

しかしながら、終の自転車生活を固定するには早いと思うので、残りの人生で解を探すことも意義がありそうだな。

趣味の場合には、仕事をリタイアしてからの生活を考えるのではなくて、現在の延長線のまま進んでいくと考えた方がいいのかもしれない。

だとすれば、仕事の有無とか、家庭の変化とか、そのようなことをあまり深く考えなくてもいいというわけか。

市販品で色々と悩むよりも、ビルダーに相談してオーダーメイドでフレームを製作してもらった方が話が早いかもしれない。

あまり希望が持てない人生だと思っていたけれど、小さな楽しみが残っていたようだ。