ミドルエイジクライシスと男性ホルモン
人によって背景や理由、症状も違うそうだが、このような状況は「ミドルエイジクライシス」とか「ミッドエイジクライシス」、あるいは「中年の危機」と呼ばれているらしい。キアヌ・リーブスがミドルエイジクライシスに苦しんだと聞くと格好がよく感じるが、平たく言うと中年男性の更年期という解釈となり、全く格好がよく感じない。しかし、湿っぽくならずに前向きに考えてみよう。
この休日に、私はとあるクリニックを受診して、長い待ち時間の後でスタッフの女性から処置を受けていた。
クリニックといってもメンタルクリニックではなくて、器質的なダメージがあってそれを手当てしてもらっていた。
そのスタッフの女性は、マスクから上がハリーポッターのハーマイオニーのような顔立ちで、しかもハリーのような眼鏡を付けていた。
栗色の綺麗な髪の毛を後ろで束ねて、かなり細身のウェアを着こなしていた。
半袖の上着からスラリと伸びる両腕は神々しくも感じ、細くて長い指にも美しさを感じる。
その割にハキハキとした性格なのだろうか、よく気が付いて元気な感じの人だ。
感覚過敏を有していることはクリニックには伝えていないのだが、そのようなシチュエーションでは、相手の香水についてまで脳に情報が伝わってくる。
なんだろうな、この優しい感じの香りは。
オスとしてはすでに終わった感があって、たまに役目が終わったので早く死ねないかなと思う時があったりもする私だが、久しぶりに胸がときめくような感情があった。
このような人と普通にお茶を飲みながら会話したり、一緒にサイクリングに出かけると、ゼロに近いHPで低空飛行を続けながら生きている私も元気になるのだろうなと思った。
空想の世界は瞬く間に過ぎ去り、待合室でドクターからの診察を待つ。
やたらと落ち着きがない小学生の子供を連れて大声を出し、ソファに物を置いて一人分のスペースを無駄にし、どかりと腰を沈めてスマホを凝視しているどこかの母親を眺めながら、この人にも夫がいて、その夫はどのように生活しているのだろうかと思った。
気が付くと、私の周りにはそのような母親が何人も座っていた。
子供にタブレットを渡して音を垂れ流していても気にしない人までいる。
診察待ちが長くて、子供たちも母親たちも苛ついている。
母親だけが子供をクリニックに連れて行かなくてはならないという道理はないが、うちの子供たちも母親の同伴を要求する。
痛くて怖い時には母親を頼りにするということか。
しかしながら、マスクの上の部分がハーマイオニーに似たスタッフさんから優しく手当してもらったので、今日はラッキーデーだと思って良しとする。
診察を待ちながら私は思った。
女性の更年期についてはよく知られていて、現に私の母も更年期で苦しんでいたので理解していたのだが、まさか男性にも更年期があるなんて、自分自身がそうなるまで気にもしていなかった。
ミドルエイジクライシスの時期に差し掛かった人たちの思考は、若い人たちの思春期が再びやってくるという意味で、「第二の思春期」とか「思秋期」と呼ばれている。
40代や50代の中年男性が、急にトレーニングによる肉体改造を始めてムキムキになってしまったり、脱サラして自営業になってしまったり、不倫や風俗に走って性的欲求を求めてしまったり、悟りを得て別人のようになってしまったりといったことは珍しくない。
とりわけ、脱サラや不倫についてはコロナ禍が加速させてしまった感がなくもないし、ミドルエイジクライシスのダメージを際立たせてしまったという印象がある。
具体的には、大手企業に勤めていた中年男性が退職して会社を立ち上げたり、サイクルショップとか小さな民宿をオープンさせたり、そういった夢に向かって船出した直後にコロナがやってきた。
今のところは何とか耐えているようだが、おそらく資産や貯金は減り続け、かなり厳しい将来が待っていることだろう。
妻も子供もいるのに大変だろうなと思うが、同情はしない。それを決めたのはその人たちだからだ。
また、在宅ワークが続いて夫婦の関係に亀裂が入り、不倫に走ってしまうケースが増えたらしい。
亀裂といっても、元々存在していた考え方や感じ方の違いが、自宅で共に生活する時間が増えたことで顕在化しただけの話かもしれないな。
若い頃の私には、そのような中年男性の姿が不可思議に思えたものだが、いざ自分がそのステージに差し掛かると、なるほどこれだけ大きな思考や体調の変化がやってくれば、そのような行動に出ることも分かる。
ミドルエイジクライシスの原因が何なのか、私にはあまり確たることが分からないのだが、おそらく男性ホルモンの減少による脳を含めた全身的な変化ではないかと思っている。
まあ、中年になってくると男性ホルモンどころか体中のいたるところが衰えてくるわけだけれど、確かにオスとして終わっていくような感じはあるな。
結婚すると性的な活動について充実すると思っていたのだが、生物学的な生殖のステージが終わると、むしろストイックな生活が延々と続く。
子育てに入っても仲が良い夫婦がいたりもするそうだが、日本の夫婦の多くがレスになって手も触れなくなるなんてことはよく知られたことだ。
お互いに白けた感情の中で同居を続けて、お互いの遺伝子を持つ子供を育て、お互いに老いる。
けれど、職業人として長く生きていると、中年に入っても元気ハツラツな男性を見かけたりもする。
どこまでも元気ハツラツなので、何か特別な栄養ドリンクでも飲んでいるのかと思ったら、そうではなかったりもする。
英雄色を好むとはよく言ったものだが、今でも各方面で活躍している既婚の中年男性たちの中には、家庭の外にパートナーがいることが珍しくない。
そのような性的な刺激と男性ホルモンと仕事でのパフォーマンスにどのような相関があるのか、私には分からない。
むしろ罪悪感を感じずに行動に及ぶくらいの図太さがあるというだけの話かもしれないが。
そういえば思い出した。私が妻と結婚した直後、義父母と私の三人で会話した時に、義母が私に厳しい表情で意見を述べた。
妻は気づかないかもしれないが、浮気の類は厳に慎めと。
「そうよね、お父さん!」と、義母は義父に皮肉っぽく話を振り、義父は「う、うん!」と頷いた。
その空気で私は大まかなことを察したわけだが、妻に情報の裏取りをやってみると、義父は昔に義母以外の女性とお花畑で遊んでしまい、それがバレたそうだ。
その当時はだらしないオッサンだなと思った。
しかし、今では義父に同情してしまったりもする。
家に帰れば甲高い大声で言いたいことばかり言う義母がいる状況で、義父の精神は限界に達し、一時の心の癒しを求めたのかもしれない。
そういえば、昨年のコロナ自粛が始まった頃、テレワークなんてやっている場合ではないと深夜残業を続けていた私は、京葉線ではなくて東西線で帰ることになり、浦安駅を出てバス停に向かって歩いていた。
そろそろ新町方面行きの最終のバスが出る頃だ。
結局、最終バスに間に合わず、タクシーに乗ろうと駅に向かって引き返していたら、二人組だったかの女性に声をかけられた。
駅の近くにガールズバーがあるそうで、いかがですかという声掛けだった。
新宿辺りだと強引な客引きとかぼったくりがあったりもするが、浦安市内でそういった店があるという話を聞いたことがない。
そのような意味では浦安はとても安全な街で、ガールズバーといっても如何わしいわけでもなかろう。綺麗な女性がいて、ご飯を食べて酒を飲み、会話を楽しむというだけの話だ。
しかし、私はその声掛けをもらって、とても気持ちが落ち込んだ。
おそらく、ガールズバーとしても、どのようなタイプの男性がターゲットになるのかを知っているはずなんだ。
妻との会話もなく、せめて他の女性との会話を欲していて、小金くらいは持っていて、男性ホルモンが減ってきている感じの中年男性だろう。
私がそのオーラを漂わせていて、ターゲットとしての要素を持ち合わせていると女性たちから判断されたであろうことを察して、何だかとても寂しい感情が浮かんだ。
その機会を金で買ったところで、残るのは余計に大きな寂しさかもしれないし、その姿をイメージするだけで気持ちが落ち込む。
だが、よくよく考えてみると、既存の夜のサービスだけではなくて、最近ではパパ活という名前の援助交際までが広がっているそうだ。
しかも、男女ともに不倫相手をネット上で探すためのサイトやアプリまであることに気付いた。
なるほど、この場合には金銭のやり取りというよりも、パートナーを見つけて心の拠り所を得たいという目的なのだろうか。
しかしながら、それらの男女関係を取り巻く環境がビジネスとして成立しているところを考えると、それらを望む人たちの数が半端ない気がしてならない。
なんたることだ。
中年男性の深淵なる欲求は底無しだなと思いはするし、それらの行動に至る動機のひとつにミドルエイジクライシスがあるのではないかと考えてしまったりもする。
法やモラルに抵触する内容であっても、さぞかし楽しくて気持ちが良くて、生きる気力が湧くのだろうなとは思う。
減ってきた男性ホルモンだって、これは必要だと脳が察し、視床下部辺りが末梢に向かって産生を指示することだろう。
だがしかし、家庭を持って子供たちを育てる父親は、自分のためだけではなくて子供たちのために生きる存在だ。
生きていれば何かと悩むことはあるわけだし、残りの寿命が限られていることを知って思秋期に入ったとしても、地道に生きることが大切だな。
そう思って、週末の夜がやってきた。
平日は子供たちが眠った後で帰宅するが、休日の夕食くらいは家族で楽しみたい。
すると、上の子供が妻の飲み物を分けてくれと欲して、下の子供も後からそれを要求し、子供たちが喧嘩になった。
我が家の食卓でよくあるパターンだ。
そして、妻に叱られた上の子供が癇癪を起して拗ねた。
その姿に対して妻も癇癪を起した。
相変わらず、この二人は電子レンジのようなスピードで感情を加熱させる。
そして、キレた妻は、早口で聞き取れない甲高い怒声を上げながらペットボトルの中身を子供のコップに荒っぽく注ぎ、空になったペットボトルを上の子供に向かって投げつけた。
妻が激昂すると物を投げて暴れるという性質がある。これは間違いなくドメスティックバイオレンスだ。
空のペットボトルならともかく、怪我に繋がるような物を妻が投げたら、私は110番通報して警察を呼ぶしかないと私は考えている。
「何をするんだ、落ち着け!」と私が妻に対して諭し、無言の夕食が続き、私は無言で自室に閉じこもった。
妻が家庭で暴れた時、私は妻との一切のコミュニケーションを絶つことにしている。
いくら感情的になったとしても、家庭で物を投げるなんて正気とは思えないし、会話したくもない。
妻は忘れているようだが、私自身に対して暴力をふるった時、私は子供たちが独り立ちするまで連れ添うと妻に伝えた。
その方針は変わっていない。私が夫の役を演じているのだから、妻も妻の役を演じてもらわねばならない。
家庭で物を投げつける姿は妻の役を外れている。感情的になって暴れる女性を妻として愛おしく感じるはずがない。
とはいえ、五十路近い私が家庭を捨てて自由を選んだところで、そこに幸せがあるとは思えない。
三十路でさっさと離婚して再婚し、幸せな夫婦生活を謳歌している人たちも珍しくないわけで、そのような人たちの突破力はもの凄く強いのだなあと思う。
離婚するまでは辛いだろうけれど、再婚してから朽ちるまでは幸せなのかもしれない。
我が家で離婚上等の夫婦喧嘩が勃発した時、まだ保育園児だった下の子供が泣き喚きながら私たちの仲裁に入った。
その姿で私は我に返り、子供たちが独り立ちするまでは家庭にいようと、私は一歩を踏み込まずに今に至った。
下の子供だけは不幸にしてはならないと私は思った。
その時の過去の私の判断は間違っていなかったと感じる未来が来ればいいな。
まあこれも精神鍛錬の場だと思って修験者のように苦しみに耐え続け、邪な気持ちを振り払うように一心にペダルを回し続けて、老いて朽ちた方が清潔感があるな。
毎日がハッピーだと生きていれば残り20年が惜しくして仕方がないかもしれないが、辛い辛いと思いながら生きていれば早く過ぎてくれと感じるだろう。
そもそも、この状況で男性ホルモンを増やすなんて、無理だろ。どう考えても。
仕方がない。
明日は近所のヤオコーでホルモンを買ってきて、一人で焼いて食べようと思う。