2019/12/08

江戸サイでミニベロを眺めながら

サイクリストの中には、自転車という趣味で感じたことを人生全体に照らし合わせるという、見方によっては演繹的で時に帰納的でもある思考を好む人と、それを好まない人がいる。


前者は中年に多く、後者は若者に多い印象がある。

それぞれの人がどのように感じるかは個人の話であって、互いに批判し合う必要はないということが私なりの結論。

自転車が生活の一部であれば、そこで考えたことを生活全体に当てはめるということは不自然ではない。他方、人生は趣味のように上手くは進まないという意見も分かる。

そこに哲学の素養があるかどうかでも話は変わってくるが、私の場合にはロードバイクという単なる趣味の領域であっても学んだり振り返ったりすることは多い。

さて、土曜日にゴロ寝して少し回復したので本日の日曜日はソロライドへ行く。

土曜日の話に戻ると、この日は完全オフではなくて、子供たちが通う小学校で学習発表会というイベントがあった。

師走のこの時期に小学校でイベントを開催するという某日の出小学校と某浦安市教育委員会の方針に唖然とするが、色々と都合があったのだろう。

土曜日であっても共働き世帯は余裕がないと上から批判するわけではなくて、私は単に仕事で疲れている。休みたい。

こうやって書き綴っていると、私はいかにも家庭や子供たちのことを考えていないダメな父親だと突っ込みを受けるかもしれない。

しかし、父親にも色々なスタイルがある。自らを消耗させてでも他者を守ろうとしている父親だっている。自分の家族だけでなく、他の多くの人たちまで。

学校行事は大切だと思うけれど、そのようなイベントに参加する時間があるのなら休養に充てたい。妻は気遣って休めと言ってくれたのだが、子供たちとしては父親にも学習発表会を見てほしいのだそうだ。

断ったら良心の呵責に苛まれるくらいの真っすぐな視線だった。

大人の都合はともかく、子供たちの学習発表会は本当に素晴らしかった。どの学年も子供たちの目がキラキラしていた。

我が子たちも一生懸命に頑張っていて、父親になって良かったと思った。

翌日、日曜日の早朝に起き出してライドに行くだけの気力も体力もない。

ブランチらしきものを食べた後、昼くらいからクロモリロードバイクに乗ってライドに出かける。サークルを解散することにしたので、これからはこのようなソロライドが続くことだろう。

浦安の日の出地区からシンボルロードを北上して357号線沿いを走る。その時点でいつも使っている鎖骨保護用の肩プロテクターを装着し忘れていることに気づく。

大腿骨の付け根を保護するためのプロテクターは装着しているのに。肩がガチガチに凝って感覚が薄い。やはり疲れているようだ。

千葉市を抜ける車道のルーティンルートを走ろうとしていたのだが、プロテクターを装着していない状態で落車するといけないので、江戸川沿いを軽く流して帰ってくることにした。

そもそもロードバイク乗りは肩用のプロテクターを装着しないし、市販されていない。そして、落車して鎖骨を骨折すると、全身麻酔下で肩を切開して金属プレートとネジで折れた鎖骨を繋ぎ、骨が繋がったところで再び手術によってプレートを取り出すわけだ。

ロードバイク乗りの患者は丈夫で脂肪が少ないので、若い整形外科医や麻酔科医によるオペの練習に適していることだろう。

よくよく考えてみたら、この状況はおかしくないか? 大腿骨もそうだが、落車すれば鎖骨が折れることが多いのに、どうしてプロテクターが用意されていないのだ。

格好が悪いからなのか? ライドのパフォーマンスが落ちるからなのか? 安全よりも骨折を選ぶのか?確率論で滅多にないと看過するのか?

あまりに多い鎖骨骨折の頻度を考えたら、確率論でもいつかやってくるのではないか?

自転車関連の団体によるレース時の競技規定でプロテクターが禁止されているのか?競輪選手はプロテクターを付けている。

サイクル業界の方針やロードバイク乗りのコンセンサスなんて関係ない。プロテクターが市販されていないなら自分で工夫して作る。

オートバイ用の肩パッドにマジックテープを貼ってサイクルジャケットに貼り付けているだけだが、これはとても便利だ。

その姿が格好悪いとレーサーたちが笑いたければ笑えばいいと思う。

しかし、仕事も家族もあるのに鎖骨を折るレーサーたちを私は笑わない。人生で何かに熱中することができる人を尊敬する。

できる限り早い回復を願うし、術後であればこの肩プロテクターを試してほしい。普段よりも安心してライドに行くことができると思う。

まあそういったことを考えながら江戸川の河口から右岸を走り続ける。向かい風で鼻水が出続ける。鼻腔内に冷たい風が吹き込むからなのだろうか。何かのアレルギーではなさそうだ。

気温は10℃程度だろうか。この時期になってくるとジョガーやロードバイク乗りの姿もまばらだ。今年や一昨年のゴールデンウィークくらいからロードバイクに乗り始めたビギナーたちは、どれくらいの割合がこの冬を越すことができるだろうか。

冬の時期にロードバイクにあまり乗らなくなって、春頃に数回乗って、酷暑の夏を迎えた頃には降りてしまう人が珍しくない。

以前も書きとめたが、今の私はロードバイクよりも小径自転車、いわゆるミニベロが気になって仕方がない。

この衝動にも似たミニベロへの欲求は数年に1回くらい、とりわけ生きることに疲れた時や、その回復期にやってくる。

まあ私の人生はずっと疲れっぱなしではあるけれど、なぜか波のようにミニベロに乗りたいという欲求がやってくる。

江戸川沿いを走っていると、確かにミニベロに乗っている人が増えた気がする。ロードバイク乗りは増えた印象がなくて、むしろ減ってきたのではないだろうか。

最近の私は意図的に河川敷を走らないようにしている。

子供たちが歩いているような道路を時速30kmを超えるスピードで突っ走るロードバイク乗りを見かけると腹立たしさがやってくる。

このスピードはロードバイクを乗っていると普通の速度なのだが、やはり河川敷では速度を落とすべきだ。歩行者がいる場所では危険なスピードだと思うし、実際に事故が起きている。

荒川ほどではないが、江戸川の河川敷にもチャリンカスと揶揄されそうなロードバイク乗りが多すぎる。

ブレーキから手を離してDHバーを握って前傾姿勢で走っている輩までいる。本当に危険だ。

条例や法律で速度制限を行って警察が取り締まればいい。近隣住民が署名を集めて議会に提出したり、危険走行を動画で撮影してYouTubeで公開するようなチャンネルを用意すれば、少しは改善されると思う。

DHバーを握って前傾姿勢を取れば速く楽に走ることができるが、河川敷でそれをやる意味がない。不意に歩行者が方向転換したらどうするつもりだ。

DHバーからブラケットに持ち替えてブレーキか? そのスピードでは前後輪ともにロックしてスリップだ。警察がスピードガンを片手に二点で見張って、離れた場所で捕まえればいい。

以前、荒川の河口、清砂橋の河川敷で30台以上のロードバイク乗りが警察に捕まって、カーボンロードが土手の手前の空き地に並べられていたことがあった。

危険走行なのか車体のチェックなのか分からないが、まるで窃盗犯が捕まった時の下着のようにロードバイクが整然と並べられ、ピチピチのサイクルウェアを着た人たちが数列に分かれて一人ずつ警察官から質問を受けていた。

あのような取り締まりを1週間に1回くらいやればいい。フィッシングではないが、日曜日の早朝から正午にかけてよく釣れると思う。迷惑なロードバイク乗りは捕まえ続ければいい。

DHバーについては条例や法律で禁止すればいい。歩行者がいる道路でブレーキから手を離して自転車に乗るべきではない。本当に危険だ。

しかし、一人のロードバイク乗りが考えたところで無意味なことだろう。そういったロードバイク乗りが走る場所を私が走らなければ気にならない。

ああ、やはり休日にソロで河川敷にやってきたことが失敗だった。とても不快だ。ロードバイクはロードを走る。ロードとは何かと言えば車道だと私は思う。

まあいいや。本日の予定としては、夕方までに風呂場とトイレと洗面台といった水回りの掃除がある。これは夫婦共働きの中で私が担当する家事だ。

となると、ライドの時間は合計で2時間30分しかない。自宅に戻ればスピンバイクでペダルを回すことはできるのだから、この時間は日光浴をしながら考え事もでもしよう。

江戸川河川敷に来たことを後悔しながら走っていると、すれ違うミニベロが気になる。普段着に近い格好でミニベロを悠々と走らせる白髪頭の初老の男性。あのフレームはパナソニックのチタン、クランクは9000系のシルバーだな。

江戸川には堤防の上と下に別れている時があって、私は人が少ない下の道路を走ることが多い。

ふと堤防の上の道路を見上げると、ダホンのフォールディングバイクに乗った夫婦の姿が見える。その光景を眺めるだけで穏やかな気持ちになれる。彼らはとても優雅な休日を過ごしている。

ロードバイクサークルを閉じようとしていた時、ロードバイクを通じて知り合った友人が「ロードバイクをやめるようなことはないだろうけれど...」と心配していたが、確かにロードバイクへの熱意が減ってきたのだろうか。

私にとってロードバイクはママチャリのように身近なもので生活の一部だ。しかし、今のサイクルライフは必ずしもロードバイクでなくてはならないものでもない。

私はどうしてなのか分からないがホリゾンタルのフレームが好きで、さらに小径車のデザインが美しく見える。

700Cのロードバイク用のホイールは実際に走ると楽なのだが、車輪が小さいミニベロの方が自転車っぽく感じる。

加えて、自身の気持ちとして速く走ることを要求されず、小回りが利くミニベロの方がリラックスして走ることができる。

しかし、今まで2度もミニベロを衝動買いして、しばらく乗って、ロードバイクとは違った走行感を楽しんでいる間に「うーん、違うかな...」と思って手放している。

ミニベロ特有のクイックなハンドルの挙動が私には不安でしかない。

ただ、今回のミニベロ欲はこれまでよりも違っている。これまでの私はミニベロに携帯性を求めていた。そのために折り畳み機能があるミニベロを買っていたのだが、電車が嫌いなので実際に折り畳んで輪行に行くことがほとんどなかった。

また、ミニベロであっても私はホリゾンタルフレームの方が美しいと感じるが、これまでに買った自転車はストレートフレームだった。しかも私が苦手とするスローピングの形状。

今回のライドに出かける前日のゴロ寝でネットを眺めていたら、マンハッタンのM451というミニベロが気になった。ロードバイク規格の長いフロントフォーク、ホリゾンタル、そしてクロモリのダブルバテッドフレーム。

しかも、コンポやホイールまで付いた完成車の価格が10万円を切っている。もちろんだがドロップハンドルだ。

江戸川河川敷のサイクリングは暇なので、シミュレーションをやってみる。

例えば、浦安市内のミニベロ専門店でマンハッタンのミニベロを購入して、BBを含めたコンポを全て取り外してもらう。これらは使わないのでショップに差し上げる。

カタログで見たところ、M451はスレッドステムだ。10mm刻みで揃えている私のアヘッドステムのパネルが適用できない。

となると、コンバーターでアヘッド化...というのは安直で何だか違う気がするので、ポジションを出しながらDEDAのクイルステムを使おうか。それなら自宅に転がっているZERO100のドロップハンドルが使える。

おそらく451の20インチホイールのハブを考えると10速が限界かもしれないが、手持ちの7900系で組んでもらえば丁度よい。ペダルは9000系のSPD-SLがある。ブレーキだけはR8000系を使おう。

10速用のカセットは自宅に何個もあるので完成車に付属しているホイールにも取り付けてもらうことができる。

それとは別に、小径ホイールで評判の高い千葉市のプロショップに手組ホイールを組んでもらおう。

M451を販売しているマンハッタンブランドの中の人たちは値段を下げるために懸命に取り組んでくださっているはずなのに、買った瞬間にフレームとフロントフォークしか残らない状態になるかもしれない。

遠い昔、ビックリマンチョコという菓子が流行って、当時の子供たちはおまけのシールだけを取り出して、チョコウエハースを捨てることがあって問題になった。

私の実家はあまり裕福ではなかったので、むしろチョコウエハースをもらって食べていたが、マンハッタンのミニベロのフレームだけがほしい。完成車は要らない。

タイレルはフレームの形状が気に入らないし、ガノーやパナのチタンフレームはフロントフォークが短いのでハンドルの挙動が予想できる。値段なんて関係ないのでマンハッタンがほしい。

速度なんて気にせずに、ミニベロに乗ってゆったりと走りたい。河川敷をのんびりと走っていると、その気持ちが強くなる。

本気になれば年内に何とかできそうな話だな。新車のミニベロを眺めながら年越しなんて素晴らしいじゃないか。

そして、帰りに357号線沿いを走る。私は歩道に乗り上げることが嫌いなので、できる限り車道を走る。後ろから迫ってくる自家用車やトラック。

河川敷沿いのリラックスした気持ちは吹き飛んで、自らの手で必死にハンドサインを出し、視線でドライバーに意思を伝え、時に威嚇する。私は人相が悪いので顔芸が結構通用する。そうしないと自らが危険な状態になる。

巡航速度も上がる。必死にペダルを回す。心拍数がどんどんと増加して、自らの息遣いが聞こえる。そして、しばらく経つと心の中が無になる。

ホイールが風を切り、自分がどうして生きているのか、どうやって生きるのかなんてことを考えず。しかし落車したら大怪我だ。すぐそこに死が転がっている。

そう、この感覚。ライドの最中に頼ることができるのはタフに仕上げたクロモリロードバイク。私にとっては愛車ではなくて愛機と呼べるくらいの存在だ。

この走りをミニベロで感じようとして、何度も失敗してロードバイクに戻ったことを思い出した。

自動車のドライバーから見れば、小さな車輪の自転車で車道を走っている人をなめてくる感じがあって、実際にそのような行為を受けてとても危険だった。

浦安の場合には市内を走っている路線バスでさえ危ない。ミニベロどころかロードバイクに乗っていても何度も車間を詰められたことがある。

そういったなめた態度を防ぐためには、とりわけ信号待ちで悠然とトップチューブに跨って、近くの自動車に挨拶をしつつ、しかし何かあれば何かあるぞというテンションが大切だと思った。

イキるとまでは言わないが、やはりドライバーになめられない雰囲気が必要だ。しかしながら、ミニベロではさすがに迫力がない。

そう、思い出した。ミニベロで走っている時の私自身の姿が店舗のガラスに映っていて、迫力がない姿を残念に感じた。

ステアリングの不安定さに加えて、私が何度もミニベロを降りた原因がこれだった。

ミニベロを漕いでいる人たちは素敵だなと思うのだけれど、私には似合わないと感じた。

そして、道路でよく見かけるカーボンロードバイクにピチピチウェアのレーサーではなくて、接触したら自動車も無事では済まされないような鉄製のロードバイクと、喧嘩が強そうで燻しの効いた中年ライダーという組み合わせがいいと思ったわけだ。

意図的に幅寄せを受けたら、自転車に乗ったままの状態で自動車のドアをノックして議論するくらいの気迫があってもいいじゃないかと。しかしミニベロだと格好が付かない。

では、今の私がどうしてミニベロを欲するのか。

おそらくなのだけれど、私がミニベロを欲するタイミングは、自転車に限らず、もっとゆっくりと生きたいと感じる時期なのかもしれない。

ゆっくりと生きている人たちの姿が眩しく感じられて、あのように生きることができればどれだけ幸せなのだろうかと憧れているだけの話だ。

しかし、実際にはそのような生き方が私には合っていなくて、望んでも違和感を覚え、元のスタイルに戻り、再び憧れを持つのだろう。

そういえば、自転車以外の人生も同じようなものだな。

田舎が好きなのにわざわざ都内で職に就き、あえて激務な職業を選び、夫婦の共働きを選び、なぜに厳しい方向を選択してしまうのだろうか。

おそらく、そのような生活を望んで生きている中で、ゆっくりと生きたいという気持ちが残っているのかもしれない。

そのチャンスは何度かあったし、実際にゆっくり生きたこともあった。しかし、すぐに今のスタイルに戻った。

自転車と人生とを重ね合わせる考えが嫌いな人は、このような思考が苦手なのだろう。そしてすぐに結論を出そうとする。思考そのものを楽しもうという気持ちがない。

「趣味なんだから、悩んだらやめればいいじゃないか!」とか、「ほしければ気にせず買えばいいじゃないか!」とか。そしてツイッターやブログで罵詈雑言を吐く。そういった単純な話ではないのだけれど、思考も人それぞれだ。

ロードバイクという趣味はすでにミニベロに移行するには長く続け過ぎた。1mmも変更したくないくらいにポジションが合ってしまっているし、手組ホイールを含めて何セットも700Cのホイールが並んでいる。

我が家には自転車2台ルールがあるので、ミニベロを手に入れようとするとロードバイクかスピンバイクを手放さなくてはならない。どちらも気に入っていて何の不満もない。

そう、我が人生と同じように、我がサイクルライフは進路変更ができないくらいに進んでしまっているのだろう。

この状態をマンネリと呼ぶのは適切ではなく、紆余曲折がありながらも真面目に考えてここまでやってきた。色々と悩んで試してこの状態になったのだから、おそらくこれでいいのだと思う。

よし、ミニベロ欲がなくなった。このままロードバイクに乗り続けよう。このままの人生を進んでいこう。