2021/03/08

「うつヌケ」の内容を回想しながら

自宅からロードバイクをエントランスまで運んで、そこから新浦安駅方面に走り始めた。少し走っただけで、これまでと違う感覚がロードバイクから伝わってくる。これはいいと、気持ちだけでなくて表情が緩む。

28Cという太めのタイヤに合わせて遠方のサイクルショップの店長が製作してくださった手組ホイールを試す日がやってきた。とはいえ、新浦安は相変わらず人と自動車が多すぎて鬱陶しい。まるで普通の街を圧縮ファイルに詰め込んだような街だな。土地も人々の心も余裕がなくなっている。


この街で不快な存在はたくさんあるが、そのひとつが新浦安駅前のロータリー。

ロータリーとは回転という意味だと思うが、通行が回転しているとは思えない。

一体、どのような思考によってデザインされたのか、全くもって理解に苦しむ。

わざわざ大通りから路線バスを右折させてロータリーに入れるので道路が混み合う。

ロータリーから新町方面に出るバスや自家用車が、焦って右折しながらすぐ近くの横断歩道と交差して走って行く。

これでは歩行者や自転車での通行者の安全が担保されない。

しかも、近距離でもマイカーで移動する新浦安の住民たちが自動車で駅のロータリーまで入り込んでくる。どうして、その入り口がバスと自家用車で同じなんだ。何を考えているんだ。

車線のひとつは隣接するショッピング施設の利用者が路上駐車しており、警察が取り締まっているようにも感じない。

その路上駐車や路上停車によってバスの運行が妨げられて、ロータリーがさらに混み合う。そもそも、あえてバスと自家用車の動線を重複させることの意味が分からない。

このように意味不明な施設が、この街には数多く存在している。トップダウンの弊害なのか、行政のインテリジェンスの不足なのか。

とにかく、事故に巻き込まれずに、鬱陶しい街を抜けるまでの我慢だ。

できるだけ短時間で新浦安から脱出するため、浦安警察署の方面に右折して、ロードバイクを引っ張り上げながら猫実川だか何だかの汚い川にかかる橋を渡り、さっさと市川市に入る。

すると、私の心拍数はすぐに下がり、とても落ち着いた気持ちになる。

暗鬱とした浦安ライフで苦痛を感じながら、思い通りにならないことばかりの毎日だ。

せめて趣味くらいは自分の希望通りに進んでほしい。

それにしても信頼しうる職人が製作してくださった手組ホイールは素晴らしい。

何より造形が素晴らしい。

クラシックなクロモリフレームのロードバイクには、和傘の骨のように編み込まれた32Hのホイールがとても似合う。

もちろんだが走り心地も素晴らしい。

どうしてここまで手組ホイールの良さが分かるのかというと、私自身が感覚過敏持ちなことに加えて、ロードバイクが鉄製のクロモリフレーム、さらにフロントフォークまでクロモリだからなのだろうか。

おそらく、フロントフォークがカーボン製であれば、ここまでホイールからの振動が手のひらや腕にまで響いてこないはずだ。

では、どうしてクロモリ製のフロントフォークを使い続けているのかというと、いくつかの理由がある。

以前、ロードバイクで都内まで通勤していた時、夜に走っていて路面の境目に乗り上げたりするとフロントが大きく跳ねてバランスを崩すことがあった。

フロントフォークをゴツくしておけば跳ねないだろうという単純な発想だ。

それと、あまり聞いたことはないが、カーボン製のフロントフォークにクラックが入っていて、走行中にいきなり折れたら前転して突っ込むだろうなと思い、どう考えても折れなさそうな合金製の素材に変更した。

そもそも、風で倒れただけで走行不能になるような自転車に乗る気がしない。

だが、クロモリフォークの面白さというものもあって、それは地面がどのような状態なのかを手で触れて確認しているように感じるところ。

まるで、ハンドルからタイヤまでがプローブになっているような面白さがある。

道路というものは一様に感じられて、実際は街によっても違う。

それらの変化は楽しくもあり、路面の状態を確かめることもできそうだ。

28Cのタイヤに限らず、完組ホイールから手組ホイールに変更すると、すぐに分かることがある。

それは、ゴムの円盤が回っているような不思議なフィーリング。

リアよりもフロントのホイールの変化が大きい。

完組も手組もリムはもちろん円形なので、円盤が回っている感覚があってもよさそうなものだが、少なくとも私が使ってきたアルミの完組クリンチャーホイールは、デュラから鉄下駄まで円盤のようには感じなかった。

アルミの完組ホイールでは何か多角形の車輪が回っているような振動が感じられる。少ないスポークの数と高いテンションによるものかもしれない。

かといって、大枚を叩いてカーボンホイールを買う気にもなれない。

昨今の国内では、ユーザーの好みに合わせてアッセンブルする手組ホイールの人気が上がっているようで、手組ホイールを扱うプロショップが増えてきた。

よくよく考えると、ショップの経営を考えても手組ホイールはメリットがあるかもしれないな。メーカーから仕入れた完組ホイールをユーザーに売ってマージンを取ったところで、その利益は限られていることだろう。また、販売数のノルマがあったりするとさらに大変だ。

しかし、手組ホイールの場合には、工賃だけで6千円くらいだろうか。

完組ホイールでこの額のマージンを得ようとすれば大変かもしれないな。

高級な完組ホイールであればショップではなく通販で買った方が安い。

また、手組ホイールは定期的なメンテナンスが必要になるので、同じショップにお世話になることだろう。そこで工賃を得ることができる。

さらに、手組ホイールは製作した人のスキルが顕れると言われていて、上手なショップとあまり上手でないショップの力量が残酷なまでに分かれるそうだ。

ユーザーとしては、命を預けるホイールを下手なショップに頼みたくないわけで、確かな技術を有するショップとユーザーとの間で関係が深まることだろう。

私は以前、浦安市内のショップに完組ホイールのメンテナンスを依頼して酷い目にあったことがある。

そのようなショップでも手組ホイールを作って売っていると聞いて驚いた。

他方、腕の良いメカニックがいるショップで作ってもらった手組ホイールの乗り心地は本当に素晴らしい。

走っていて心地良い振動が全身に伝わり、まるでマッサージを受けているような感じがある。

「ああ、気持ちがいい...」と健全なオッサンの溜息をもらしながら、気が付くと原木中山まで来ていた。

ここから手賀沼方面に進むか、千葉市方面に進むかをその日の気分で決めている。

本日は手賀沼方面。

いつもは荒れた路面が気になったりもするのだが、28Cのタイヤが衝撃をいなしてくれる。

千葉県の良さは千葉市や鎌ヶ谷市に入ったところから分かる気がする。

浦安市のせっかちな雰囲気は、23区の外側、例えば江戸川区や江東区に似ているが、それらをより清潔に、かつピーキーにした状態だな。

さらに、23区の住宅街では見かけないくらいの高い人口密度と都心への電車のアクセスの悪さ。

この街が住み良いと言っている人たちの気持ちが全く理解できない。

周辺の松戸市や流山市、市川市には古き良き千葉っぽさがあって落ち着くが、千葉都民の流入の影響は小さくないようだ。

千葉県北西部から遠ざかるにつれて自動車のドライバーたちが自転車乗りに対して優しくなり、とても気を遣ってくださる。

浦安なんて、自分のことしか考えないドライバーばかりだ。何度もはねられかけた。

街の名前を見るだけで気持ちが沈む地獄のことは一旦忘れて、ここからは千葉県の良さを感じよう。

自転車で車道を走っている私を気遣いながら追い越していくドライバーに、私はハンドサインで挨拶しながら「ありがとう」と声に出してつぶやく。

その声がドライバーの皆さんに届いているはずはないだろうけれど。自分の気持ちの問題。

もちろん昔から「ありがとう」という言葉を使っているが、最近になってとても不思議なフレーズだと思うようになった。

なぜなのか分からないが、他者に心から感謝すると、自分の気持ちが穏やかになる。

これはいいと、1回のサイクリングで100回くらい感謝している。どのような仕組みがあるのだろう。

嘘だと思ったら、実際に走りながら感謝してみると分かる。

さて、ここ数ヶ月のHYPSENTは、自分の内面と向き合うというテーマが多い。

浦安に住み続けている限り毎日が地獄だが、倒れて休職しているわけではなく、普通に忙しく働いている。

しかし、10年近い慢性的なストレスは、間違いなく心身にダメージを蓄積させている。どうにも頭や身体が気怠くなり、自分が自分の身体から離れている感じがする。

2015年頃にバーンアウトを起こして苦しみ、気がつくと自分を遠隔操作で動かしているような不思議な感覚が現れた。

そのような状態は私の頭の中の感覚でしかないのだが、それにしては非常に明瞭なイメージが浮かぶ。

何だこれは面白いではないかと、苦しさと引き換えに自らの内面が好奇心の対象になった。

この事象は、残りが少ない人生を過ごす上で大切な経験になるかもしれないと思った。

自分の自我が身体から離れた感覚は、医学的には離人感と呼ばれている。

それが酷くなれば離人症と診断されることがある。これは解離性障害という精神疾患のひとつだが、治療薬はない。

今ココという段階だな。治療薬がないのなら、診療は必要ない。私自身で認知行動療法を施行することにした。

それにしても、どうしてここまで分かりやすいイメージが浮かぶのだろう。

イメージといっても、実際に感じている内容と似て非なるものだ。

その状態で感じていることを、自らが知りうることで置き換えている感じだな。

そういえば、最近、「うつヌケ」という漫画を読んだ。

バーンアウトを起こしてから、様々なイメージが頭の中に浮かぶようになったのだが、うつ病の場合はどうなのかと思ったからだ。

この作品では、うつ病から寛解した人たちのエピソードが手塚治虫先生の作風でまとめられている。

うつ病とバーンアウトは違うものだが、よく似た症状があったりもする。

その作品で興味深く感じたのは、うつ病から寛解した人たちの中に、当時の頭の中のイメージをかなり具体的に説明している人が多いこと。

脳が寒天に包まれているとか、画面の文字が滑って読めないとか、自分を引っ張り込む黒くて小さな群集とか。

健常人であれば何のことか理解することが難しいはずだ。

しかし、彼ら彼女らはその感覚を明瞭に記憶している。

寛解までの闘病の期間を長いトンネルと表現することも多い。

バーンアウトの場合は、トンネルというよりも深い井戸のイメージだった。少なくとも私の場合には。

おそらく、脳に疲労が蓄積して一部の機能が亢進するのかもしれないな。

加えて、うつ病から寛解した人たちの中には、厳しい経験だったにも関わらず、うつ病になる前の自分よりも現在の自分の方が気に入っていることさえある。

分かる気がする。

寛解と完治は違う。寛解は病態が治まっていても再発する可能性がある状態だ。

寛解という用語は、白血病やリンパ腫といった血液腫瘍疾患、つまり血液の癌で使われる。

うつ病は心の風邪ではなく、心の癌だと言われて久しい。

そのためなのか、うつ病から寛解した人たちのことをサバイバーと呼ぶこともある。生き残りという意味だな。

擦過傷は待てば治る。風邪も寝れば治る。

しかし、メンタルの疾患を生じると完治は難しい。

様々な治療薬が出回っているが、これらは苦しみを軽くするだけで、治癒させるための薬ではないと私は理解している。

ならば、心を疲れさせている原因を取り除けと言われたところで、それができれば苦労はない。

現に私は疲弊することが分かっていながら浦安に住んでいる。それは子供たちのためだ。

さらに、心が疲れると健常人から弱い人間のレッテルを貼られたり、蔑まれることが多い。

自分まで巻き込まれると忌避されたり、仕事ができない無能と揶揄されることもある。

そのような状態になる前の自分よりも、そのような状態を経験した自分の方が素晴らしく感じるとはどういうことか。

私の場合にはうつ病ではなくてバーンアウトだが、医療職や介護職といった職種によっては半数近い人たちがバーンアウトを起こしたまま働いているそうだ。

バーンアウトを起こして辛かったけれど、休職もしていないし、年収は全く落ちていない。うつ病の場合には倒れて起き上がれないこともあり、自ら命を絶つこともよくある。

しかし、私自身に限れば、バーンアウトを経験して寛解した後に広がっていた世界は、バーンアウトを起こす前よりもずっと広くて平坦で、人生や社会のずっと先まで見通せるような感覚がある。

自分の存在を小さく感じながらも、生きていられること自体に幸せを感じるというか。

バーンアウトに併発して生じた離人感については、今のところ良いのか悪いのか分からないが、自分を客観的に眺めたり、煩わしい人間関係でのストレスを回避する上では役に立つ。

うつ病から寛解した人たちは、さらに苛烈な苦しみを乗り越えてきたわけだ。

生きるとは何か、死ぬとは何か、自分とはどのような存在で、自分はどのように生きてきたか。

真っ暗闇のトンネルの中で苦しみに耐えながら、平凡に生きていれば考えることさえないようなことに真正面から向き合い、自分自身の内面について考え続けた人が多いことだろう。

私の信仰や宗教色を除いた上で学問として考えた場合、メンタルの苦しみから寛解して、新しいビジョンを持って生きている状態とは何か。

この感覚は自分で味わってみないと分からないと思うわけだが、おそらく仏教で表現される悟りの境地に近いのではないかと思う。

悟りを得ていないのに尊大なことを言い放ったり、悟っていればありえないほどに金に貪欲な僧侶がたくさんいるようだ。

彼らよりも、うつ病のサバイバーたちの方がずっと悟っているし、仏の概念に近いところにいる。

一歩間違えると自ら死んでしまうような状況下で、まさに懸命に死への衝動を抑え、生きることを選択した人たちが、人生を達観しないはずがない。

他方、生きることや死ぬことについて深く考えていない多くの人たちだって、年老いれば仕事や家庭といった多くの柱がなくなり、やがて死がやってくる。

私のような団塊ジュニア世代は、そろそろ五十路に入る。次の10年で六十路に入る。

還暦がやってきて、60代で死んでも「若くして」という表現が付かなくなる。つまり、そろそろ死んでも珍しくない年齢になるということだ。

その時には、深い孤独を感じ、虚しさを感じ、確実に近づいてくる死への恐怖を感じることだろう。

自分はどうやって生きたのか、自分は残りの短い時間でどうやって生きるのか。

そういった苦悩がいきなりやってきて、動揺して悶え苦しんでも遅い。

サバイバーたちは、老いて死が近づく前にその境地を経験していると解釈することができる。

学歴や職業のステータス、年収、住居、その他、様々な価値観の中で私たちは生きている。

しかし、それらが意味をなさない思考や感覚に陥ったことがある人とない人では、生きることや老いること、死ぬことについての心構えが違うと思う。

様々な不文律やマウンティングについて疑問を持たずにそのまま老人になり、我を張って近所に迷惑をかけたり、家庭や地域で居場所がなくなって街中を彷徨ったり、いきなり店員や役所の職員に切れて怒鳴る爺さんたちを新浦安でよく見かける。

浦安に限ったことではないだろう。若い人たちからアレと揶揄される老人の姿だ。

団塊世代の現在の状況を観察すれば分かることだ。彼らはリタイアとともにやってきた価値観の変化に対応することができずに苦しんでいる。

これといった趣味もなく、地域の繋がりもなく、何を心の拠り所にして生きているのだろう。

そして、私たちにもその時期がやってくる。

それと、メンタルが不調になりにくい人たちは、自己肯定や自己愛、自己顕示が非常に強かったりもする。

そのような人たちの生き方は、本当に幸せなのだろうか。

自分はこんなに素晴らしい、自分はこんなに頑張った、自分はこんなに凄いんだと誇っていても、自分が思っているほどには他者は認めていない。

SNSで発信しても「いいね」がゼロ。それが現実だ。

メンタルの地獄を生き抜いた人たちが眺めれば、そのようなアピールは、動物のマウンティングの行動にしか見えないかもしれないな。

様々な固定観念の中で自分たちは生きていて、それらは生きるためのモチベーションになりうるわけだが、時にそれらが自分たちを縛り付けてしまう時だってある。

メンタルの淵に落ち込む最も大きな原因は、自分自身を否定することではないかと思う。自己愛や自己肯定とは全く反対の方向だな。

自分の存在を否定すれば、自分で死を選ぶということ。かなり簡単な機序なのかもしれない。

逆に考えれば、自己否定を減らして自己肯定を増やせば、メンタルの不調から回復するという理屈になる。

その方法までが、うつヌケというコミックに描かれていて、やはりそうかと思った。

しかし、現時点でうつ病やメンタルの疾患に苦しみ、薬漬けになってしまっている人たちにとっては、寛解した人たちからのアドバイスが心に届かないかもしれない。

回復のための鍵が自分の外ではなくて内にあることを納得することは難しい。

本日のサイクリングは、禅ではないけれど自分なりに重要だと思うことを頭の中で整理することができた。

どのような生き方をしていても、老いて朽ちる時には一瞬の夢のように感じるそうだ。

四十路に入った頃、私は老いることを恐れた。人生の終わりが近づいているなんて、一体、これからどうなるんだと。

しかしながら、毎日を丁寧に生きていれば、終点まで丁寧に生きることができるのかなと思ったりもする。

生きていることを実感しながら終点まで過ごすことができるのであれば、その道程を恐れる必要はない。

お気に入りの手組ホイールを取り付けたロードバイクに乗って、時速20kmくらいのスピードでのんびりと走りながら、一定のケイデンスでペダルを漕ぎ続けた。