2021/03/03

ワイドリムの手組ホイールが届いて、他者への感謝を忘れていたことに気づく

スポーツバイクのプロショップの店長と手組ホイールについてメールで相談し始めてから数週間が経ち、ようやく納品の時が来た。趣味的な品である上に、そのショップのスタッフは店長だけなので納期は気にしない。


ロードバイクに28Cという太めのタイヤを取り付け、医療現場が逼迫しているコロナ禍においてできるだけ安定して走ろうと思い付いたのは半年以上前、いや前回の緊急事態宣言の頃だから1年くらい前のことだ。

色々と試行錯誤しながら、ようやく28Cのスタイルが固まってきた感がある。

仕事は年中忙しく、往復3時間超の電車通勤がストレスに追い打ちをかける。

直線距離としては浦安市は都心に近いが、私の場合には路線を何度も乗り換える必要があるので通勤に時間がかかる。

それは職場の立地にも関係するわけだが、東京に隣接しているのに、電車や駅で千葉県民の人波に飲み込まれ続ける毎日だ。

生来の感覚過敏があるので、ストレスが増幅した形で脳に届いているらしい。

自分の身体から自我が離れているような離人感は全く改善の兆しがない。

浦安という鬱陶しい街に住み、通勤地獄が続く限り、離人症と診断されるレベルの状態は治らないことだろう。

自分から離れてしまっているように感じる思考や感覚を黒くてスタイリッシュな棺桶に入れて、紐で引っ張って持ち運ぶというイメージを思いついてから、離人感の苦しさを緩和することができるようになってきた。

しかし、仕事で無意味なストレスがかかり、さらに浦安住まいや通勤地獄のストレスが加わると、棺桶のイメージを維持することができなくなることが分かってきた。

自分から離れた自我を棺桶ではなく、大きな袋に入れて、縄紐をかけて引っ張っているイメージが浮かぶ。

その縄紐の先がどこに繋がっているのかが気になる。

幻覚ではなくて、あくまでイメージなのでまだ大丈夫だと思うが、ロードバイク以外の趣味である映画やアニメの時間を減らした方がいいだろうか。

そのような時には袋の中がモゴモゴと動いているイメージもあり、昨夜の帰宅時には袋の中身が外に出た状態のまま帰ってきた。あくまでイメージだが。

その状態とは、映画やアニメでよくあるヒトの形に似た青白い発光体だった。

人の自我の本質を突き詰めて考えれば、神経細胞間を伝う電気信号だったりもするわけで、それを発光体にたとえた場合には、まあ確かにそのようなイメージなのかなと思う。

ほら、よくある怪談では、真っ暗な場所で薄暗く光る幽霊が出てきたりする。

その姿を脳で認識した人がいたからこそ、このような怪談が残っているはずだが、その正体は頭の中で広がった自分自身のイメージなのだろうなと、無難な結論に至る。

人には大きく分けて、頭の中で様々なイメージをめぐらして想像することが好きな人と、現実的な事柄を中心に考えてイメージを好まない人がいると思う。

前者は後者のことを創造性がないと感じ、後者は前者のことを気持ち悪いと感じるのかもしれないな。

イメージはイメージでしかなくて、現実とは割り切って考える必要はある。

だが、想像という活動が全くない世界で生きることは息苦しくはないか。

まあとにかく、仕事が忙しい上に通勤地獄で疲労困憊になり、もはや自己から離れかけた自我をボックスに入れるどころか、そのまま背負ったような状態で自宅にたどり着くと、玄関先にシマノの大きな段ボール箱が置いてあった。

注文していたワイドリムの手組ホイールが届いたらしい。

自転車を趣味にしている父親が妻に相談なくネットでホイールを買い、それが自宅に届いた場合、往々にして緊張感が高まることだろう。

我が家の場合には妻の機嫌にもよるが、あまり気にしない。

ホイールが増え続けると部屋が片付かないので妻が不機嫌になるけれど、ホイールは合計で3セットまでという私なりのルールを決めているので、適宜処分している。

今回オーダーした手組ホイールは、TNIのAL22WというワイドリムにDTのスポーク、105のハブという非常によくある組み合わせになった。

コロナの影響でリムやハブのメーカー在庫の欠品が相次いでいるので、選択肢がとても限られてしまった。

最初、台湾製のKINLINのワイドリムに日本製の星スポークという燻しの利いた組み合わせも考えていたのだが、この状況での店長のお勧めを尋ねたところTNIのリムとDTのスポークということだった。

その返答を受けてから、KINLINのリムと星スポークにしたいとは言えない。

定食屋に入って店長にお勧めを尋ねて、「今日のおすすめはトンカツ定食です」という返事があって、「そうですか、じゃあ、焼き魚定食をお願いします」と注文するようなものだ。

到着した段ボールを開けると、丁寧に梱包された一組のホイールが入っていて、私の希望通りにリムのステッカーを除去してくださっていた。

リムの穴についても綺麗にバリ取りと研磨がなされていて、とても大切に組んでくださったことが分かった。

以前、オフセット仕様がないマヴィックのオープンプロのナローリムとシマノの9000系のハブで組んでもらった際には、スポークの選択について店長が工夫してくださった。

9000系の11速対応のリアハブでは、フランジ(オチョコとも言う)の幅が狭いので、オフセットリムでないとホイールの左右のスポークのテンションを合わせることが難しいそうだ。

そのため、リアホイールのドライブ側と反ドライブ側で違う種類のスポークを使うことでテンションを合わせてくださった。

今回のリムは左右でオフセットしているので、全て同じスポークを使うことができた。

両サイドのスポークのテンションが偏っていないことは、自分でスポークを触るだけで実感するし、ハブに無理がかかっていなくて安心する。

手組ホイールの中でも、ローハイトリムの場合にはブレーキ面の切削がシルバーで、その他がブラックもしくはシルバーというデザインばかりだ。

なので、リムのプリントもしくはステッカーをはぎ取ってしまうと、どれも同じような見た目になる。

しかしながら、今回届いたワイドリムは、カラーリング以上にリムの幅の厚さが素敵だなと思った。

いかにも幅が厚くてタフなデザインだ。このゴツい感じがたまらなく好きだ。

しかし、TNIの軽量リムなので、手に取った感じは鉄下駄の完組ホイールのような感じがしない。

このリムと軽量スポークを組み合わせて、ヒルクライム用の手組ホイールを使っている人たちの気持ちがよく分かる。

それ以上に驚いたのは、私が小売店で手に入れて店長に送ったR7000系の105ハブの回転の良さだった。

完組ホイールに付属している105グレードのハブというものは、DURAやアルテのハブと比較すると回転が渋くて、乗り続けるうちにある程度は回ってくれるというイメージだった。

しかしながら、さすが職人だな。

届いたハブを分解して球当たりの調整やグリスアップなどの整備をしてくださったようだ。ハブがクルクルとよく回る。

何だかこみ上げるものがあり、それを後の楽しみにして風呂に入る。

風呂上がりにハイボールの缶を開け、組んでもらったホイールをしげしげと眺める。

うん、素晴らしい。

感動して涙が出てきた。

手組ホイールは酒のつまみになる。

工芸品のように綺麗に編み込まれたスポークを見ていると全く飽きが来ない。

このホイールは、私のために職人が組んでくれたものだと思うと、値段以上の思いを感じる。

完組ホイールの場合には、確かに完成度が高くてスタイリッシュだが、どうしても工業製品としてしか見ることができない。

私が手組ホイールを作ってもらっているプロショップの店長は、よくあるロードレーサーからの転身でショップを立ち上げたというタイプではなくて、最初から比較的大きなショップでメカニック担当として仕事に就いた人のようだ。

ロードレーサーとして現役を引退した、あるいは現役を続けている人がプロショップを経営していると、レースが上でサイクリングが下のような意見をブログで発信することがある。

時速30kmで走るようなオッサンにはこのフレームの良さが分からないとか、500gも重くなるなんて話にならないとか、そのような尊大なことを主張するプロショップの店長が実際にいる。

また、自分が出場したわけでもないのに、すぐに欧州のサイクルレースの話を根拠にするタイプがこのような人たちだな。

日本国内の実業団クラスでさえ頂上に立ったことがないのに、どうしてツールドフランスを引き合いに出すのだろう。

欧米人と日本人は筋肉も骨格も違う。

プロショップは客が存在してこそ成立する。自らの理想を追求することも立派だが、尊大なプライドだけを維持していれば客が減り、下火になっているロードバイクブームとコロナ禍の影響を受けて破綻すると思うが。

そのようなレースを好むロードバイク乗りたちにとっては、確かにレースが上でサイクリングが下なのだろう。

けれど、プロのレースには全く興味がなく、ロードバイクに乗ってサイクリングを楽しむことが好きなユーザーだって多いわけで、レース志向の人たちの話は疲れてしまう。

ロードレーサーあるいはロードレーサー気取りの人たちが、公道や河川敷の遊歩道でどれだけの迷惑行為を行っているのかについて、そのような店長たちが気にしているとは思えない。

一方、お世話になっているメカニック専門のプロショップの店長は、ロードレーサー出身の人たちと比べて整備の技術がとても高いと思う。

(日本は広いもので、数々のロードレースを制した後でプロショップを経営し、さらに整備の技術や接客さえ素晴らしいという現実離れした店長がいて、私も何度かお世話になっているが、この録での紹介は割愛する。)

メカニック畑の出身ならば知識やスキルの引き出しの数が半端なく多いだろうし、ロードバイクに乗ることと整備することを両天秤にかけるような迷いが全くない。

あまりにマニアックすぎて理解しえない部分があったり、職人堅気なところがあったりもするが、彼の矜持は同じ職業人として尊敬に値する。

彼は、サイクリングを始めてみたいとショップを訪れた人に対しても、実業団レースで切磋琢磨する人たちに対しても、親切に接してくださるそうだ。プロショップのオーナーによくある上からな態度がない。

何度もメールで相談して、私の好みに合わせて組んでもらったホイールを手に取って見つめていて、とても大切だと思うことに気づいた。

私は元から暗い性格なのだが、このコロナ禍でさらに視野が狭くなっていることは分かっていた。

社会や人々の本性が吹き出したような気持ちの悪さを感じ、他者を受け入れない状態になっている。

けれど、疲れ切った状態の自分の元に届いたホイールを眺めているだけで、気分がとても楽になってくる。

私はその店長と直接的に会ったこともないし、彼は私の顔も知らない。

ネットで検索すればヒットするかもしれないが、彼としては同一人物なのかどうかも分からないことだろう。

その状態で、リムを丁寧に磨き、ハブを調整し、スポークを1本ずつ組み、テンションを合わせ、とても大切に梱包してホイールを届けてくださった。

私は客なんだから当然だと感じることなく、遠方に住む私に可能な限りの配慮をくださったことを、とても有り難く感じた。

彼が組んでくれたホイールは、私のサイクルライフに欠かせない存在になっている。

また、これらのホイールは、大袈裟ではなく生きる上でのモチベーションの一部になり、心身の疲れを癒やしてくれている。

そして思った。自転車用品に限らず、人は社会の中で生きている。

何気ないことであっても、そこには誰かの力があってこそ成り立つ。

生活する中で、たくさんの人たちに支えられながら私は生きていることに気づいて、有り難い気持ちになった。

この感情はとても大切だな。

しかしながら、人はとても利己的なところがあって、他者からの支えについて気づこうとせず、自分の欲を追求するところがあると思う。

家庭の中においてもそうだ。

妻が切れると私は苦しみ出すが、どうして妻が切れたのかまで考えようとしなかった。

仕事と子育てを抱えてストレスが溜まっていたことだろうと気遣うことができていなかった。

妻は家庭を維持するために努力してくれている。

結婚生活が長くなり、その有り難ささえ普通のことだと思うようになっている自分を恥じた。

すっかり反省しきった私は、自分自身の不甲斐なさを感じながら眠りについた。

すぐに朝が来て、電車通勤が始まった。

昨日は自我の本体を背負って歩いていたが、今日はスタイリッシュな棺桶にきちんと自我を格納し、バックパックのように背中に装着して歩いている感じだ。

棺桶を紐で引きずりながら歩くなんて、無様で悲壮感が漂う姿を想像し続けるから気持ちが沈むんだ。

棺桶を背中に取り付けて、何かあれば変形して空中を飛行するくらいのイメージで生きよう。

ああ、これは明らかに後期のガンダムと、コアなアニメファンなら知っている黎明期の名作バイファムの影響だな。

それだけ気持ちが前向きになったということだ。

店長さん、ありがとう。

離人感は続いているので、前向きなのか後ろ向きなのか、あるいは健康なのか不健康なのか分からないが。