2021/02/28

28Cタイヤのロードバイクで春の江戸川沿いへ

妻が前夜に怒っても、我が家には普段と同じような朝が来て、ダイニングで妻子がぺちゃくちゃと話しながら朝食をとっている。うちの家族はどうしてこうも平気なのだろうか。その雑音によって自室で目が覚めた私は、半ば金縛りのような気怠さを覚えた。


今日が日曜日の朝だということを確認した後、もはや何もする気が起きず、ズレた耳栓を入れ直し、再び布団を被る。

その簡単な動作さえ辛い。

このまま棺桶に閉じこもったままのイメージで夜まで過ごそうかとも思った。

妻は少しずつフラストレーションを蓄積させ、別に爆発しなくてもよさそうなシチュエーションで怒りが大噴火し、自分が納得すれば普段と同じベースラインに戻る。

神経の跳躍伝導の電位のように中間のレベルがない。

さらに、夫に苦痛や迷惑をかけたことについて、妻からのエクスキューズはない。

基本的に妻には鉄のような自己肯定があって、自分が悪くても絶対に謝らない。

その傾向は新浦安の市民によくあることだと思ったりもするし、よく似た状態の夫婦が100世帯どころか、もっといると思う。

ところが、うちの子供たちとしては、自分の母親はこのような性格だと受け入れてしまっている感があり、いくら怒って暴れても、大してダメージが残らないようだ。

確かに、私が母から受けた情緒的虐待やネグレクトに比べれば、妻の激昂なんて大きなことではないのかもしれないな。

しかも、父親としての私は脱力系の子育てを続けていて、別に高偏差値や高学歴、ハイステータスな職業を子供たちに求めていない。

学歴社会という山に登ったことがある人は、そこから見える景色を知っている。

私の場合には頂上ではなくて5合目くらいかもしれないが、下山してくる人たちの話を聞いたことくらいはたくさんある。

また、山頂へのアタックが失敗して滑落したり遭難したような人たちをたくさん見てきたし、必ずしもエリートになることが人生の成功ではないと思っている。

それと、私と妻が同時に子供たちを叱ってしまうと、子供たちは心の逃げ場を失う。

これはプロレスラーの北斗晶さんと佐々木健介さん夫妻の子育て論を参考にした。

大人になれば完全に逃げ場を失って差し詰まることがあるかもしれないが、家庭の中で子供たちが完全に追い込まれないようにしたい。

幼少期の私は両親ともに追い詰めてきたので逃げ場を失い、頭がおかしくなった。

そして、我が家の場合には、いくら妻が怒っても翌朝には手の込んだデザート付きの朝食を用意して子供たちを迎える。

うちの子供たちは、妻がいくら怒っても支持率80%くらいだろうか。

子供たちのことが嫌いで妻が切れているわけではなくて、なんとかして真人間に育てようと必死になっていることを、子供たちも分かっているらしい。

妻が切れた当日には子供たちが妻の布団に入り込んで眠っていたりもするし、布団の中でスマホの漫画やブログを見ている妻としてもまんざらではない表情だったりもする。

一方、私としては、優しく穏やかな女性と結婚することができたと思ったのに、実は気性が荒くて切れやすい人だということに子育てが始まってから気付いた。

まさに大ドンデン返しだが、時既に遅し。このような夫婦は新浦安に100世帯以上あると思う。

妻が突然怒り暴れると、私の子供の頃の心の傷が再び広がって、血が出ているような状態になり、かなり昔に作っていたらしき心の中のボックスに自我を収納して、苦しみをやり過ごすことになった。

人は誰だって完全ではないし、切れなければ十分。それ以上の贅沢は言わない。

だが、妻が自宅でブチ切れて、人に向かって物を投げつけるなんて、どう考えても正気の沙汰とは思えないし、内科的な治療が必要な状態だと思う。

その妻に連れ添ってここまで来た。何度も諦めかけた。

同じ状況であれば耐えきれなくなって離れる夫がいることだろう。

子どもたちが独立するまでは連れ添うと妻には伝えているが、その時が来たところで何かが好転するとも思えず、ただ流れた時間を振り返るだけだな。この展開は。

人が生きる上で、何を心の拠り所にするのかは人それぞれだ。

家族というものが、そもそも心の拠り所になりうるのかどうかも分からない。

結婚後にフィーリングが違ってくることはよくあるはずで、生殖のステージと子育てのステージ、その後のステージでは互いの感情は違う。

家族を残して自ら死んでしまう人たちがどれだけ多いことか。

では、仕事が心の拠り所になるのか。

確かに職業人生が続いている限りはモチベーションになりうるかもしれないが、仕事とは生きるための手段でしかない。

やり甲斐や矜持、楽しさや収入など、様々な価値基準がありはするが、リタイアした後は思い出になるだけで、そこからの「今」は続く。

定年退職した後でやることがなくなって真っ白になっていたり、再就職して働いている私の父親の世代を見かけるたびに、ひどく靄がかった気持ちになる。

定年退職後に蕎麦打ちを始めたり、家庭菜園を始めたりと、様々なことをイチからスタートするシニアの男性が多いらしい。

彼らが何を求めているのかは定かではないが、自分の存在を家族や身近な人たちに示したいという気持ちがなくはない。

ひとりで完結するような趣味ならば構わないが、製作物や生産物を子供たちや近所の人に配ったりして、それらがあまり美味しくなくて周りが困ったりもする。

老後のために今を生きているわけではないのだけれど、彼らのような姿にはなりたくないと思ったりもする。

老いてなお他者を自らの鏡にしないと保つことができないというのは、何だか違う気がするからだ。

私のロードバイク乗りの最終形としては、クロモリロードバイクに釣竿を取り付けて、適当に走ってから釣りをするという爺さんなんじゃないかと感じ始めた。

クロモリロードバイクが途中からチタンロードバイクになるかもしれないが、どこか適当な方向に走って行って、餌を買い、釣り糸を垂れ、ひとりで旅館に泊まり、街の風景を眺め、遺書としてのブログを書きとめ、再び家に戻る感じ。

孫たちが生まれたとして、その子供たちには自転車が好きなお爺ちゃんという記憶しか残らないことだろう。

しかし、ネットでググってみると、若い頃は同一人物とは思えないような働きをしていたのだなと、私が墓に入ってから気付くという体がいい。

金縛り状態で延々と考えていても仕方がない。とにかくペダルを回そう。

私がロードバイクに乗っている時には、自我がしっかりと自分の身体に戻っている感覚があって心地良い。

しかし、自室で棺桶のイメージから這い出して、タイヤに空気を入れ、ウェアを身に着け、玄関を出るまでがひと苦労だ。なかなか身体が動かない。

自我が解離しているような状態の私の意識としては、アバターが自動操縦しているようなもので、モチベーションが大きく低下し、当たり障りのないことをこなした後でスリープモードに入ってしまう。

日曜日であれば、たまった洗濯物があれば洗って干し、自宅の洗剤や紙類のストックを確認し、ミニベロに乗って買物に出かけ、帰ってきて自宅の掃除やゴミのまとめ。

妻の愚痴聞きなどが終わったら、自室で静かに読書や映画鑑賞。

その間に自室にやってくる子供たちの話を聞いて相談に乗り、ひとりになったら昼寝して、夕方が近づいたら子供の塾の迎え。

帰宅して少し早めに酒の缶を開け、チビチビと飲みながらスマホを片手に無意味な時間を過ごす。

風呂に入ろうと脱いで鏡を見れば、たるんだ腹回りに気付く。

妻との夜の営みがあるわけでもなく、どうせ誰に見せるわけでもないと、風呂上りには気にせず部屋着を被せて2本目のチューハイ。

そういえば自家発電さえご無沙汰だと、オスとして終わった的な諦めとともに眠りにつき、気がつくと月曜の朝がやってくる。

スマホなんか眺めても大して有意義な情報があるわけでもないのに、習慣のように画面をいじる。

休んだのか休んでいないのか分からないまま仕事が始まり、そのループ。

自分が何のために生きているのか、自分はどのように生きたかったのか、そんなことを考える余裕すらなく。

そう、アバターが自動操縦しているような行動こそが、共働き家庭の父親の典型的な休日スタイルだったりもするわけだな。

まあ、そのようなスタイルの方が妻の機嫌は良いわけだが、昨日は妻が暴れて、私が耐えた。

このままでは私が潰れてしまうので、ロードバイクのライドに出かけることにする。

調子に乗って棺桶のイメージの中に入りすぎたせいなのか、全身が重い。

気のせいではなく、愛車のクロモリロードバイクもいつもより重い。

たぶん28Cタイヤに35Cまで対応する極太チューブを入れたからだな。

気持ちのダメージが大きいので、今回は千葉市往復ではなくて、江戸川の河川敷へ。

相変わらず新浦安は人と自動車の交通量が多くて気が滅入る。スペースコロニーが地球に不時着したような感じの街だな。

357号線沿いには宮内庁が管轄している鳥が集まる公園というか池というか、まあそのような施設があるのだが、猛烈な臭気を漂わせている。

松本零士さんの作品に出てくるような黒くて異様な形の鳥が集まって、気持ち悪く騒いでいる場所になってしまっているわけだが、この公園を維持する必要はあるのだろうか。

まあ、あの宮内庁だからな...期待する方が以下略。

その強烈に臭い場所を回避して江戸川の河口の右岸から河川敷に入る。

コロナ禍の前後で江戸サイがどうなったのかというと、江戸サイ自体が消失したという表現が大袈裟ではない気がする。

河川敷のグラウンドに野球少年や野球中年が溢れ、遊歩道には遊び場が減った親子が道の上で遊んでいる。

さらに、感染のリスクを減らしつつ体力をつけておきたいのだろうか、無数の団塊世代が散歩して遊歩道を塞いでいる。

この状況ではサイクリングロードとしての意味は成立しない。

加えて、英語ではない言語で話す外国人たちの集団が目立つ。彼らは屋外が大好きだったりもするからな。

河口近くでは中国人が多くて、貝を採ったりバーベキューを楽しんでいたりもする。

上流に向かうにつれて中国人が減り、ベトナム人やブラジル人が増えてくる。

少子高齢化によって労働人口が減り、安い賃金で働いてくれる人たちをこの国に連れてきた結果なのだろうか。

「今の日本はどうなってるんだ!?」と怒る人たちもいたりするわけだが、我が国の歴史を振り返れば同じことが生じた跡がある。

そして今の社会にも影響を与え続けている。

多くの人たちは、その歴史を学んでいない、もしくは気付いていないだけの話だ。

江戸川ではなく荒川の河川敷にはインド人が多かったりもする。彼らの中には非常に頭の回転が速い人たちがいて、IT系を中心として活躍していたりもする。

そして、本国から親や兄弟、親戚を呼び寄せ、西葛西を中心としてインド人のコミュニティが形成されているそうだ。

日本にやってきた人たちに子供が生まれ、日本で育ち、そこが故郷になる。

そのような人たちにとって、この国の社会はどのように見えているのだろう。

さて、かつて江戸サイと呼ばれて、ロードバイク乗りたちがトレインを組んで走っていたわけだが、この状態ではソロのライドすら厳しい。

たまに30km/hを超えるスピードで歩行者の隙間を縫うように疾走するロードバイク乗りを見かける。

彼らはニワカが多い。機材やウェアで飾ったところで、不格好なペダリングがニワカであることを明示している。

この時期の場合には、パッドが付いたタイツのフィット感だけでも初心者なのかどうかが分かる。赤ちゃんのおむつのようにブカブカだ。

それにしても、ガチのロードバイク乗りたちはどこに行ってしまったのだろう。自宅でZwiftなのだろうか。もしくは、江戸サイはすでに壊滅ということで荒川の左岸に移ったのだろうか。

とはいえ、28Cのタイヤに換装してクロスバイクのような乗り味になった私のクロモリロードバイクにとって、河川敷をのんびりと走るにはちょうどいい感じだな。

28Cという幅広タイヤだけでも重いが、極太のチューブを入れているのでさらに走りは重い。おそらく軽量チューブを使うとフィーリングが変わってくるかもしれない。

だが、この太いタイヤは、路面の衝撃を緩和してくれるので、ショックアブソーバーが装着されているかのような心地良さがある。

ヨーロッパのサイクルシーンを中心として、ロードバイクでの28Cタイヤの使用が検討されている理由は分かる。

日本の公道と比較して、路面の状態が良くない場所が多いので、25Cのタイヤよりも身体への負荷が少ないことだろう。

さらに、28Cのタイヤのメリットとしては、乗ってすぐに分かる安定性と安心感。

特にブレーキがとても効きやすく感じる。

23Cのタイヤであれば間違いなくリアがロックして滑るような状況でも、28Cのタイヤの場合にはそこで踏ん張ってくれる。

ディスクブレーキが普及している現状では、もはや23Cのタイヤは過去のものになってしまい、28Cが選択肢になってくるのだろう。

自転車業界としては、あまりディスクブレーキを推し過ぎるのはどうかとも思うが。

登りだけのヒルクライムの場合には、23Cのリムブレーキで十分だと思うし、その方が軽くて走りやすいことだろう。

ディスクブレーキは便利だが、リムブレーキも価値があるので、どちらも買いましょうとユーザーを誘導した方が、全体として見れば売り上げの向上に繋がると思う。

28Cのメリットというか、23Cや25Cではあまり感じられなかった面白さとしては、タイヤの空気圧によって走り方やフィーリングが大きく変わることだな。

空気圧をどんどんと上げていくと、25Cのタイヤのような感覚になって走りやすくなるが、レーシーな感じで衝撃が増える。

また、25Cでは設定しえないくらいに空気圧を下げていくと、走りがマイルドになってクロスバイクのような感じになる。地面からの衝撃が減って、これはこれで走りやすい。

ホイールやタイヤを交換することなく、タイヤの空気圧で走り方や気分を変えられるというのは、とても楽しい。

今はまだ28Cは重くて走りにくいというイメージがあるかもしれないが、軽量化が進んで28Cがロードバイクの標準になる気がしてならない。

特に、平坦な路面を中心としたレースでは、コーナリングの安定性が素晴らしいと思う。

28Cのデメリットとしては、クリンチャーの場合には28C専用のチューブのレパートリーが限られていることだな。

28Cから35Cまで対応しているチューブは重くて仕方がない。かといって、23Cから28Cまで対応しているチューブでは耐久性がどうなのかと不安になる。

心配性の私としては前者を選択してしまうわけだが、笑いがこぼれる程に加速が重い。

巨人の星で使用されていた筋肉矯正ギプス、あるいはドラゴンボールの悟空が使用していた重い道着のような感じだ。

しかし、マナーに欠けたロードバイク乗りに追い越されても、腹が立って追いかけるという気力が失せるので、これはこれで安全だな。

そういえば思い出した。チューブだけでなく、今使っているホイールも重い。

職人にオーダーしたワイドリムの手組ホイールが届いていないので、今は廉価な完組ホイールで走っている。

いつもお世話になっているサイクルショップの店主は、ホイールを組むことに関しては日本国内でも天才的だが、メール連絡や経理といったことはあまり得意ではないようだ。

ハブを自前で調達してスポークとリムを購入して組んでもらうという見積にて、私が計算すると3万円だったはずなのだが、職人が送ってきたメールには6万円近い金額が記載されていて驚いた。

工賃で3万円を取られても納得するくらいの仕上がりのホイールが届くので、まあ仕方がないかと思った。

しかし、どう考えても間違いだと思ったので確認してみると、計算が間違っていたらしい。

どのような計算だったのか、詳しく知りたかったが突っ込まないことにした。

以前に組んでもらったオープンプロのリムとデュラのハブの手組ホイールをばらして、デュラのハブだけを使って手組ホイールを組んでもらおうと思ったのだが、途中で方針が変更になった。

105のハブとプレーンスポークで頑丈に仕上げてもらい、28Cのタイヤで走る時に使ったり、街乗りに使おうと思う。

そして、秋にはDTのRR411のリムが入荷してくるようなので、手持ちのデュラのハブとサピンのスポークで軽量な手組ホイールを組んでもらおうかと考えている。

うん、何だかマニアックな趣味の世界が続いていて、とても楽しい。

それにしても、河川敷のサイクリングは暇だ。暇で仕方がない。

以前は広い川の上に広がる空を眺めて和んだりもしたが、もう飽きた。

片道が50kmくらいになってくると、片側には住宅街が広がり、反対方向には土手や川が見えるだけの光景がずっと続く。

その間、色々と物思いに耽りながらペダルを回すだけ。

河川敷でトレーニングを続けている人たちはパワーメーターをロードバイクに装着していたりもするそうだが、私は心拍計すら取り外してしまった。

しばらく走っていると、目の前にひとりの女性のロードバイク乗りの姿が見えてきた。

小さな穴を開けた自動車用の初心者マークをバックパックに結んでいる。

昨今では、バブル期の女性を彷彿とさせるかのように、ツイッターに登場してボディコンで容姿をアピールしまくる女性のロードバイク乗りが目立ったりもするが、とても謙虚な人だな。

もしも私が結婚適齢期の独身男性で、そのような女性とサイクリングの最中に知り合い、そこから恋愛が始まって結婚に至ったとしたら、どのような夫婦生活があったのだろう。

絵に描いた理想像だが、現実はどうなのか。

おそらく、共働きで子育てが始まると、「あんたばかりライドに行ってんじゃないわよ」と妻から突っ込みが入り、夫も自粛して「ロードバイクに乗れねぇ...」と嘆くかもしれないな。

通販で買ったサイクル用品の価格も妻にバレてしまう。

そう考えると、私の趣味どころか私自身に関心がなくて、ホイールのセットが増えても全く気にしないという私の妻は、ロードバイクという趣味を続ける上で最高の伴侶なのかもしれない。

初心者マークの女性ロードバイク乗りを遠回りでパスした後は、散歩中の老人たちの間を縫って上流を目指し、再び暇なライドが続く。

この老人たちの中に、時空が歪んだ結果として私自身が含まれていたとしたら、その老人の私はどのような思い出で五十路前の私を眺めているのだろうかというSF的な思考が回ったりもする。

とにかく、河川敷のサイクリングは暇なんだ。

それにしても、目の前を走って行ったりすれ違うサイクリストは、フラットバーのクロスバイクに乗っている人たちが多いな。

このコロナ禍で健康のためにサイクリングを始める人たちが増えたというニュースがあったが、確かにそうなのかもしれない。

ところが、彼らの中には、やたらとペダリングが美しくて、どう考えてもロードバイクを乗り込んできたであろうウェアを着た人を見かけたりもする。

クロスバイクに乗り始めて、そこからロードバイクに移るという流れがよくあったのだが、最近ではロードバイクに見切りを付けてクロスバイクやミニベロに移るサイクリストが増えているのではないだろうか。

ロードバイクでポタリングを楽しんでいる人がいたりもするが、ロードバイクの前傾姿勢はポタリングには向いていないと思う。

フラットバーの自転車でアップライトな姿勢から眺める光景は、より視界が広がって楽しい。

さて、片道40km地点にやってきたわけだが、やはり河川敷の遊歩道は暇だった。

これだけ人が多いとロードバイクに乗ったままの禅は困難だ。けれど、ペダルを回し続けているうちに家庭でのトラブルのことが遠くに消えてしまった感がある。

そう、これが本日のサイクリングの目的だったな。

28Cのタイヤの割には軽快に走ったなと思ったのだが、どうやら河川敷によくある追い風だったらしい。

下流に向かって走っていると、強烈な向かい風がやってきて気持ちが萎えてきた。

そのような時、向かい風であっても必死にペダルを回すロードバイク乗りがいて、あるいはハンドルにDHバーを取り付けて風圧を緩和するロードバイク乗りがいる。

私は河川敷の土手から市街地に降り、カロリーメイトのバーを数本かじった後で江戸川から離れ、街中の道路を走ることにした。

ビルや住居が風を遮ってくれて、右側を通行する自動車が小さな範囲で追い風を作り出してくれるので走りやすい。

一般道によくある荒れた路面でも、28Cのタイヤはきちんとグリップして衝撃をいなしてくれる。

市街地コースの楽しさは、ずっと変わり続ける街並みを眺めたり、近くの店舗などから漂ってくる香りや匂いを感じることだなと思う。

コインランドリーから漂ってくる洗剤の香りをかぐと、幸せな新婚時代を思い出したりもするし、ラーメン店から漂ってくるスープの匂いで豚骨系か鶏ガラ系かを判別することも面白い。

たまに、これは今度立ち寄ってみたいという飲食店を見かけたりして、それもまた興味深い。

三郷の辺りで見かけた鶏の唐揚げの店は、コロナ禍においてもたくさんの客が並んでいた。

この店の唐揚げ弁当はフタが閉まらないくらいに鶏肉が多いそうだ。

店から出てきた人たちが驚いた表情で弁当をぶら下げていたが、どれだけ巨大なのかが気になる。おそらく鶏の半身くらいを出してくるのだろうか。

そして、浦安が近づいてくると、リラックスしていた気持ちが再び固まり始め、新浦安に入ると気持ちが沈む。

この街に住むこと自体を、私自身が拒否しているのだな。

頭の中に棺桶のイメージが戻ってきて、自宅に帰ると自我が浮き上がり始めて、棺桶に自我を留めて自室に入り、いつもの父親の役を演じることにする。

まあこうやってサイクリングによってたまに自分を戻してさえいれば、とりあえず自我が潰れていなくなることはないだろう。

浦安に引っ越してきたからこそロードバイクという趣味に出会えたわけで、良くもあり悪くもあるという浮き沈みの中で生きている。

自分だけが悲劇の人物になっているわけにもいかない。

とにかく今を生きよう。

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