2019/12/10

この学区のPTAは素敵だよ -前編-

夫婦共働きの世帯が増えたからなのか、ネットによる情報の発信や共有が楽になったからなのか、昨今ではPTAに対する風当たりが益々強くなった気がしている。


平成生まれの保護者が三十路になっているという現実に衝撃を受けている昭和の団塊ジュニアの私が説明すると、PTAという団体は日本人が自ら立ち上げようとして立ち上がったわけではないと理解している。

興味があればネットで検索すれば膨大な情報にヒットする。そのきっかけとなったのは第二次世界大戦。日本が敗戦した後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が中心となってPTAの設置を勧奨したわけだ。

勧奨とはいえ当時の日本は連合国軍に占領されている状況だ。その方針を突っ撥ねるような余裕はなかったことだろう。

ただ、過去の文献を読んでみた限りでは、確かに強制ではなくて他国からの勧奨という形でPTAが始まったようだ。

日本語を大切にすべき我が国の公教育の場において、たとえ保護者の団体だとは言ってもアルファベット三文字が使われ続けている。何だかなと思う。

しかし、それまでの日本における教師と保護者の関係はアレだったことは否めないし、かつては聖職とさえ呼ばれていたわけだ。

社会の姿を形成する大きな要素の一つは、子供の頃の教育だと思う。

大人になってからの情報よりも、子供の頃に植え付けられる情報の方が大人になってからも続く。

それは学校だけではなくて家庭での教育にも当てはまる。とりわけ初等教育では、道徳だけでなく国家観についても影響することだろう。

子供の頃に学んだ考え方は大人になっても続く。次世代を担う子供たちへの教育が偏ると、社会全体が偏る。

そう考えると、教師の役割の重要性はとても大きい。聖職とまで言われた理由も分かるし、かつての保護者が教師たちによる教育について介入しなかった理由も分かる。

しかし、GHQなどが問題だと思ったのは、教師と保護者との関わりだったのだろう。

当時の教師たちから教育を受けたのが私の祖父母の世代、その世代の教師たちから教育を受けたのが私の両親の世代。

たった三世代でも受けた教育の内容は随分と異なるし、世代間の考え方も違う。

繰り返しになるが、GHQとしても日本の教育、とりわけ学校において保護者が関わることの必要性を感じたのだと思う。

とはいえ、米国と日本では文化も考え方も違う。勧奨という形でPTAを提案し、我が国にとって適した形にカスタマイズするという流れになったのかもしれない。

しかし、日本に持ち込まれたPTAという組織をカレーやラーメンに例えるのは不謹慎かもしれないが、日本独特の進化を遂げて、そのモデルとなった米国の保護者団体とは似ているようで似ていない強烈な存在感を示す存在になったわけだ。

そもそも任意参加のボランティア団体であるはずのPTAが、早々と自動入会の形になった。

今から30年以上も前のことだ。私の少年時代からPTAがあって、役員決めなどで両親が深刻に議論していた姿を思い出す。

当時からPTAには様々な問題や人間関係があって、私の両親としてもPTAが面倒な存在であることは子供ながらに分かった。

そして、今、私は親になった。引継ぎに次ぐ引継ぎで30年以上もシステムが維持されているというPTAの恒常性が半端ない。私が子供の時から議論されていた話が全く解決しないまま続いている。

おそらくあと30年経ってもPTAは変わらないかもしれない。

それぞれの公立小中学校のPTAを単位として、任意と言いながら実際には自動入会の形で保護者がPTA会員になってしまい、拒否すればプレッシャーを受けることが多いそうだ。

その中核となっている存在は他者について話すことが趣味のようになっている保護者なのだろう。井戸端会議に集まっている人たちの表情を見るだけで悪口を言っているかどうかは分かる。最近ではSNSを使ってプレッシャーをかけてくることさえあるそうだ。

そのような状態のPTAが任意の集まりとは言い難いのだが、子供たちが不利益を被るのは保護者としてよろしくないと感じて我慢することもあるわけだ。

PTAでは「子供たちのために!」というフレーズがよく出てきたりする。

本来なら「任意です!」というフレーズを広める必要がある。しかし、任意であることを広めてしまうと単位PTAが傾くことがあるだろうし、単位PTAから市P連、県P連、日Pに続くヒエラルキーが崩れてしまうかもしれないわけだ。

私自身が教員免許状(全く更新していないので免停中)を持っているので分かることだが、現在の公立小学校は保護者によるボランティア活動がなければ成立しないくらいの状態になっていると思う。

そのボランティアというキーワードだって、本来は自由意志による取り組みだ。だがしかし、実際にはPTAという団体に保護者たちを自動的に入会させて、保護者から会費を徴収するような形になっていると言わざるをえない。

そうしないと人が集まらないという懸念もあることだろう。PTAがどうしてそのような形になったのかと考えてみると、米国からPTAが日本に持ち込まれた時、日本には任意のボランティアという概念があまり定着していなかったのではないかなと感じることがある。

もちろんだが当時の日本にも自助や共助による精神があったわけだが、罪の文化と恥の文化と表現されるくらいに欧米と日本において考え方が違ったのだろう。

罪の文化と恥の文化の違いを私なりに一言で定義すると、前者は価値観の基準が内面に、後者はそれが外面、つまり自らを取り巻く社会にあるということだと思う。

日本人は「周りが言っているから」と集団の意見に左右されて考えを決めることが多いと思うし、それが正しいことなのかそうでないのかを別にして自らの「立場」を重視して行動するという性質があるように感じる。

普段は優しくて穏やかな保護者がPTAの役員になって、他の保護者に対して上からな意見を飛ばすことがあったりもするのも、どう考えても違うと個人的に考えている雑用であっても次年度に引き継いでしまうのも、PTAという集団の中での自らの立場を重んじてしまうからではないだろうか。要は保身だな。

他の多くの保護者がPTAに入っているのに、一部の保護者がPTAに入らないとはけしからん、それは公平性に問題がある、集団の不文律に異を唱える人は仲間外れだという感じは、まさに恥の文化だと思う。

結果、保護者がPTAに入会することが義務のようなシステムが構築されてしまい、システムを変えようとしてもなかなか変えられないという状態になってしまっているのだろう。

例えば、「役員を引き受けられない理由を用紙に書けば、免除する場合がある」といった文言がPTAのプリントで配布されることがあるようだが、この文言は適切ではない。

任意の取り組みで「免除」という単語を使うこと自体がナンセンスだ。また、PTAの役員であろうとなかろうと、役員を引き受けられないという他の世帯のプライバシーに踏み込むような道理はない。

役員を拒否したいのなら理由を紙に書いてPTAの中で公開せよという話は、受け取り方によってはとても乱暴で、法的な根拠はまるでない。

それを拒否したことで他の保護者から嫌がらせを受ける場合にはハラスメントに該当するし、あまりに酷いプレッシャーの場合には強要罪が適用されるのではないだろうか。

PTA役員から嫌がらせや脅しを受けた場合に、全ての会員が泣き寝入りするとは限らない。国内では民事訴訟に発展したケースさえある。

そうなった時、訴えられたPTA役員は裁判の費用をどうやって捻出するのだろうか。PTA会費から用意するわけにもいかない。その小学校の学区で噂が立って住み心地が悪くなることだろう。

それでも「子供たちのために!」と言えるのだろうか。

「親の立場のために!」が本音ではないか。

ということで、我が子が日の出小学校に入学する際、私にはとてつもなく大きなPTAに対する反骨心があった。

私が小学生だった頃に酷いイジメを受けたが、イジメを加えてきた子供たちの親がPTAの役員を歴任していたという超個人的な理由が背景にあった。

くどいようだが、PTAは任意入会のボランティアという体だが、実際には自動入会や強制入会という形になっていることは否めない。

浦安市の公式サイトをくまなく調べてみたが、PTAが任意だという記載がある資料はほとんど見当たらなかった。

浦安市P連が単位PTAの任意性について議論した形跡も見当たらない。横浜市P連はPTAが任意入会の集まりであることを単位PTAにも通知しているが、同じベイエリアでも随分と違うものだ。

「任意」という論点は、PTAに熱心な保護者にとっては突っ込まれると最も痛い部分であって、開き直るか、次年度申し送り的にスルーか、暗黒のプレッシャーで黙らせるか。

極めて建設的な取り組みによって本当にPTAが任意の形になると、市P連や県P連を含めたPTAという組織そのものが大きく変わってしまうことだろう。

政治的な意図がないことを明記した上でさらに踏み込むと、PTAという組織は行政や政治による介入が難しいエリアにあって、その問題を指摘すること自体がタブーになっているように感じる。

浦安市議会の会議録がネットで公開されているのでキーワード検索してみればいい。PTAの任意性について議論が行われているだろうか。

また、浦安市P連について詳しく調べさせてもらったが、この団体の意思決定を行っている保護者がどれくらいの人数いるのか。あまり多いとは思えないし、会長が代わったとしても執行部のキーパーソンはあまり変わっていないようだな。

そもそも市P連の役員の人選がどのように行われているのか。長年にわたって役員を務めているような保護者がいるようだが、それは市P連にとって望ましいことなのだろうか。メリットとデメリットがある。

初めて参加した保護者と、ずっと居残っている保護者で発言力が違ってしまうことにはならないだろうか。

浦安市の教育関係者との馴れ合いを防ぐためにも、ある程度の参加制限が必要ではないだろうか。

それ以上に、公に突かれると困ることは市P連にいくつもある。

私はそれらについてここでは言及しないけれど、市P連を脱退する単位PTAが生じている理由がとてもよく分かる。

そもそも、浦安市P連は横浜市P連のように公にアナウンスしていないけれど、PTAは任意参加の団体だ。任意という意味が分かるか? 参加するかしないかは個人の判断で決めることだ。

また、PTAに入会するか否かについてあらかじめ説明と同意があって入会が成り立つ。子供が小学校や中学校に入学したから同時にPTA会員になるという流れは、任意ではない。説明もないし同意もない。

そして、単位PTAが浦安市P連に加盟しているからといって、私の世帯も浦安市P連の構成メンバーにされてしまった。

我が子たちや学校のためと思って納めたPTA会費の一部が浦安市P連に徴収されているようだ。

そういえば、浦安市P連の役員たちは市長や教育長、市議会議員などを集めて豪華なホテルで懇親会を開催しているが、その時のビール代は、どこから出ているのだろうか?

子供たちのためと思ってPTA会費を納めているのに、そのお金で酒を飲んでいるようなことがあれば追求の対象だな。自分が飲む酒くらい、自分で金を払うもんだ。

一度も参加したことがなく参加するつもりもないソフトボール大会やバレー大会の予算にもPTA会費が使われるのだろうか。一人ひとりのお金は少なかったとしても、全体として考えれば大きな額だ。

防犯や教育のセミナーならともかく、スポーツ大会の場合には参加者が金を払えばいい。

PTA活動にどうして保護者のスポーツ大会が必要なんだ。学校のためか? 違う。子供たちのためか? 違う。保護者同士の交流のためだというロジックになるのだろう。

それでも、PTAという存在や市P連という組織の意義について深く考えず、単純に他のPTAとスポーツで競って楽しみたいという保護者はたくさんいるわけで、互いに議論しても結論には至らないことだろう。

任意であるはずのPTAに保護者を強制的に入会させることは「結社の自由」に反するという大上段からの指摘もある。

PTAが法律どころか憲法に抵触する可能性があるとすれば深刻な話だ。

それが本当なら結社の自由が押し流され、「理由を記載すれば役員を免除する」といった不可思議な文書がまわってきたりもするわけだ。

無視すれば我が子たちが不利益を被ることがある。日本のムラ社会を体感する人生のステージだな。

子供が日の出小学校に入学したら、気が付くと私の世帯は日の出小学校PTAの会員になっていた。

役員決めのプリントがまわってきて、選考委員会で役員が決まると拒否できないという旨のプリントが配布されると聞いた。何の召集なんだ。

これが、GHQが推奨したPTAの姿だったのか。こういった同調圧力が悲劇に繋がった歴史があるのに、まだ続けるつもりかと。

拒否することができるもできないも、PTAは任意の会なのだから拒否することができて当然だ。拒否することができないなんて、どこにそんな法的根拠があるのかと。

一方で、私としてはできればPTA会長がまわってこないかなとワクワクしながら待っていた。

望むところだ。PTAという不条理に感じる組織に立ち向かってやろうと思っていた。

結局は負けるだろうけれど、1年間くらいマッシブな保護者とまさに口角泡を飛ばす議論を交わして、PTAの問題点を引きずり出してやる。

数時間にわたって5人くらいの教授たちから質問や指摘を受け続けるという百人空手のような博士号の審査に耐え、今ではもっと怖い人たちから詰められても気にしない私だ。

PTAで幅を利かせている保護者からの指摘なんて怖くない。一対一のディベートでは負けない。有形無形のプレッシャーも上等だ。全て記録してブログで公開してやろう。校長や教育委員会についても言及してやろうと、かなり熱い気持ちだった。

日の出小学校のPTA会長になると、浦安市P連、正式名称は「浦安市立小中学校PTA連絡協議会」の委員会や総会に出席する必要があるそうだ。

素晴らしいじゃないか。

多くのPTA会長が集まる浦安市P連の総会で「PTAが本当に任意の会になっているのですか? その課題についてどのように取り組んでいるのですか? ソフトボールやバレーボールの大会なんて、その後の話ではありませんか? 何のための連絡協議会なのですか? スポーツ大会のために連絡協議するのですか?」と質問しようと考えていた。

シャンシャン総会なんてありえない。浦安市長や教育長の目の前でPTAの課題を指摘すればいい。

その後のスキームとしては、「日の出小学校PTAは浦安市P連に加盟する意義があるのか?」というテーマで各世帯にアンケートを配布し、可能な限り速やかに浦安市P連を脱退。

日の出小学校PTAをぶっ壊すことを目的としているわけではなくて、浦安市P連を脱退し、PTAからPTOに移行するというビジョンを考えていた。

PTAの正式名称は「Parent Teacher Association」、PTOの正式名称は「Parent Teacher Organization」。

米国に転勤あるいは留学して子育てをした人なら分かるかもしれないが、PTOは米国における学校単位の保護者のボランティア団体で、全米PTA団体には加盟していない。

日本でもちらほらとPTOを名乗っている保護者団体があるようだが、文部科学省や各地の教育委員会が正式に認めているかどうかは分からない。

日本にPTAを持ち込んだという形になっている米国ではあるが、現在では学校レベルの団体ではPTOが7割近くて、PTAはマイナーな存在になりつつある。

任意の参加なので、役員などを全て拒否することもできるし、多めに会費を納付すれば、それが嫉妬ではなくて貢献として認められることさえあるそうだ。

日本全国でおやじの会やお父さんの会が広がっているが、PTOのイメージとしてはそういった会に近いと認識している。

PTAに熱心で公平性や自己アピールを重んじる保護者としては嫌うタイプかもしれないが。

日本のPTAの場合には、学校単位でのPTA、市町村レベルのP連、都道府県レベルのP連といった形で階層構造になっている。これは米国でも同じようなシステムかもしれない。

しかし、日本において、単位PTAにおける自動入会だけでなく何十年経っても変わらない強固なシステムが残り続けているのはどうしてなのだろうかと考えた。

米国が全て良いという話ではないが、このようなP連の階層構造によって、全国レベルで単位PTAのシステムが横並びになってしまっているからではないか。

最も手っ取り早いストラテジーとしては、単位PTAが市P連を脱退することだ。運営が学校単位になれば、そこに自由度が生まれる。他の小学校のPTAのシステムを気にする必要もない。

現に、日の出中学校PTAは浦安市P連を脱退したが、米国だとこの状態がPTOという解釈になると私は認識している。

中町エリアの〇浜小学校でも浦安市P連の脱退が検討され、市P連の会長が説得して残ったという記録が市P連のサイトでも公開されていた。

その理由は私の考えと同じだったと理解している。市P連の意義はスポーツ大会なのかと。

浦安市P連の正式名称が連絡協議会ではなくて、連絡競技会あるいは連絡球技会であれば、実に活発で素晴らしい運営がなされていると賞賛に値するのだが、市P連の意義を見失っていると感じざるをえない。

また、人の心は往々にしてより楽でメリットがある方向に流れる。義務でもない限り、面倒でメリットがないシステムに組み込まれるのは遠慮したいということが本音だろう。

そのメリットに該当するのがソフトボールやトリムバレーの大会というところか。PTAは何のためにあるんだ。

隣の日の出南小学校も、明海地区の全ての小中学校も、東野地区の小学校も、浦安市P連には加盟しておらず、実際にはPTO化している。

つまり、浦安市という街は、PTOの先進自治体であるという考え方が成り立つ。

残念なことは浦安市の行政や教育関係者がPTOの大切さに気づいていないどころか、PTAに依存してしまっているように感じることだ。

新町エリアの多くの保護者が、どうして我が子を私立中学校に入学させるのか浦安市の関係者や教育者は理解しているのだろうか。

日の出小学校PTAが浦安市P連を脱退することで、浦安市の新町エリアの日の出地区および明海地区の全ての小中学校が浦安市P連に加盟していない状況になる。

新町エリアの3分の2の地区のPTAが市P連に加盟していないということが何を意味するか。新町に限って言えば市P連が保護者の代表になりえないということだ。

市の教育部門としても相応の対応が必要になることだろう。

日の出小学校のPTAもPTO化すれば、浦安市P連の仕事がまわってこなくなるし、上納のような形でPTA会費の一部を提供する必要もなくなる。

小学校レベルのボランティア活動は維持されるわけだし、保護者の負荷も減る。

PTOの場合には、単位PTAから自治体のP連に繋がる階層構造には含まれず、あくまで学校単位での保護者のボランティア活動になる。

日本全国の多くの保護者がPTOを望んでいるはずだが、それを良しとしない保護者、および行政や学校関係者がいることも現実だと思う。だからPTAが残り続けるのではないか。

よし、保護者になった思い出として、このPTAを変えてやろう。それくらいに鼻息が荒かった。

ログが長くなったので二つに分ける。

後編のログに続く