ロードバイク用品の一斉処分と夢の跡
コロナ禍はきっかけに過ぎなくて、それまでに感じ続けていたことが背中を押した気がする。
ロードバイクという趣味は、所詮は趣味だ。
趣味というものは仕事や家庭の隙間で暇つぶし程度に楽しむものだという認識だった。
しかしながら、実際には大きな心の拠り所になることもある。
仕事は定年退職すれば終わる。家庭だって子供たちが巣立てば寂しいものになる。
趣味の場合にはずっと続く。経験が長ければ長いほど深みが増す。
定年後に趣味を探している人もいるが、それでは間に合わないと思う。継続してきたからこその楽しさがあるわけで、時間と金が用意されたところで簡単に心の拠り所が見つかるはずもない。
そして、私のサイクルライフは大きく変わろうとしている。
これまではより速く、より遠くまで走ることを意識することもあったが、そろそろ本格的にロードバイクの乗り方を変えようと思う。
愛車のクロモリロードバイクにクロスバイクのようなカスタムを施し、のんびりとサイクリングを楽しむことにした。
ロードバイクという趣味自体は続けていくが、以前のように高価なパーツやウェアを購入することもなく、ママチャリの延長線上にある乗り物という感じで乗ろう。
その場合のサイクリングでは、心身のリフレッシュと走行時の安全が最優先だな。
クロスバイクと同じ28Cの太めのタイヤをワイドリムの廉価ホイールに取り付け、安定性を高めることにした。
手組ホイールについては次回のオーバーホールでワイドリムに交換することにしよう。
ビンディングペダルについてはすでに取り外して、三ヶ島のフラットペダルに交換した。
ビンディングの方が走りやすいが、足をペダルに固定して落車すれば、怪我の程度はより深刻になる。
医療現場の逼迫が数年で解消される気がしない。浦安市内で外科手術を行うことができる医療機関は、コロナ対応で大変な状態だと思う。
ママチャリのように気楽で、転びにくいロードバイクのセッティングが何かと言えば、要は自転車通勤用のクロスバイクのような感じだなと私は考えたわけだ。
併せて、私はロードバイクに乗って必死にペダルを回したり、他者を意識して見栄を張ることに厭きてしまった。
肩肘張らずに気ままに走りたい。
ということで、部屋の中にある自転車関連のボックスをひっくり返し、どうしても必要なものを残してサイクル用品をメルカリで売り払うことにした。
最近では自転車関連の中古業者も経営が厳しいようだ。見積をとっても大した額にならなかったので、それならばメルカリで出品した方がよいと判断した。
妻に相談すると、「駆け引きなしで、潔く売り払え」というニュアンスのアドバイスをもらった。なるほどそうかと思い、潔く売り払うことにした。
それぞれのパーツや小物をマイクロファイバーの布で綺麗に拭き、写真を撮り、緩衝材でくるみ、段ボール箱に梱包。
ホイールについては、手組のものを愛用していて、他に2セットあるセミディープのホイールは自室で埃をかぶっていた。かなりくたびれていた方のホイールについては潔く廃棄処分することにした。
また、レース、あるいはサイクリングで見栄を張りたい時に使用してきたWH-9000のセミディープについては、浦安市内で数少ない友人と呼べる父親に無償で譲り渡すことにした。
彼との出会いは、数年前のバーンアウトにおいて電車通勤を中止し、ロードバイクで浦安から都内まで通勤していた頃のことだった。
帰宅時に夜の葛西橋を越えた私はスローペースで走っていたのだが、自分がどうしてこのような状況に追い込まれているのかを受け止められずにいた。
通勤だけで時間がかかり、しかも感情やモチベーションが枯渇し、それでも自宅に帰らなければならないのかと、自らをとても無様に感じた。
それぞれの人たちはそれぞれのペルソナを付けて生活しているわけで、私自身の不調について完全に理解してくれる人はいない。視界が直径1メートル程度に狭まったように感じた。
本来ならば妻が夫の不調を察する存在になるのかもしれないが、往々にしてそうならないことだろう。いきなり夫が倒れて家庭が傾くことはよくある。
交差点の信号で青色のランプが点灯しても、私はそこからロードバイクを走らせることができなくなり、夜空を見上げて呆然としていた。空には星さえ見えなかった。
その状態の私の横をロードバイクで颯爽と走っていったのが、先の父親だった。
ライディングのスタイルやコース取りが非常に美しく、後ろを走っていると気分がとても楽になった。
当時を思い返すと、知らないオッサンが追いかけてきたので、彼としては相当に気持ちが悪かったらしい。
葛西橋から浦安橋を抜けるナイトライドはとても楽しく、それ以来、彼とは数え切れないくらいにサイクリングに出かけた。
私の感情が枯渇していたので、状況に合わせて話をしたり、表情を見せることは大変だったが、彼の存在はとても大きかった。
また、彼は以前から浦安と都内とのロードバイク通勤を続けていたので、通勤中に見かけることも度々あり、元気に挨拶してもらうことでモチベーションをいただいた。
せっかくだから、まだ使っていないコンポについても彼に譲渡しようと思ったのだが、諸般の都合によりメルカリで売却することになった。彼にも詳しく説明することができずにいる。
彼はホイールを交換しても変化に気づかないタイプのサイクリストだとおっしゃっていたので、おそらくデュラホイールを使ってもあまり違いに気づかないことだろう。
けれど、これからのサイクルライフを大きく変える時、彼には何らかの形で感謝の気持ちを伝えておく必要があると思った。
ホイールを彼に渡すと、彼は車の中から松戸のネギの束を私に渡してくれた。
私としては無償でホイールを譲渡すると言っておいたので、金銭や物を受け取る気持ちが全くない。ということで、ネギをくれたわけだ。
ホイールとネギという組み合わせはとてもミスマッチな感じがあるかもしれないが、私にとってはとても大きな意味がある。
バーンアウトの絶望の中で、彼と松戸までロードバイクに乗って走り、背中のバックパックに大量のネギを立てて一緒に笑いながら走って帰ってきたことがあった。
松戸の農家がネギを分けてくれるからと、彼が連れて行ってくれた。
今のように寒い日のことだった。
あの頃から、私のバーンアウトは少しずつ回復に向かい、家庭で怒り暴れていた妻も少しずつ穏やかになっていった。
家族で鍋を囲んで鶏肉とネギを食べた時、私は将来にわずかな希望が見えて、思わず涙ぐんだ。
私は友人と呼べる人がとても少ないのだが、人生の軌跡の中で彼のように道標になってくれる存在と出会うことがある。
まさに有り難いことだ。
ホイールは金で買うことができるけれど、人生のマイルストーンになる出来事を金で買うことは難しい。
「世の中が落ち着いたら、一緒に走りに行きましょう」という彼の言葉が印象的だった。
そう、きっと落ち着くはずだ。
さて、様々なサイクリストのブログを拝見していると、とても楽しそうにロードバイクに乗っていた中年男性が、5年あるいは10年くらいの期間で急に興味を失い、ブログを更新しなくなることはよくある。
おそらく、ロードバイクという趣味自体をやめてしまったことだろう。
若い男性たちの場合には、結婚して子育てに入ってロードバイクに乗ることができなくなり、そのタイミングでロードバイクから降りてしまうことがよくある。
しかしながら、四十路や五十路の中年男性たちの場合には子育てが一段落して、これから自由にライドに出かけることができるわけだ。
どうしてロードバイクを降りてしまう必要があるのだろう。私は以前からそのことが気になっていた。
そして、今の私には彼らの気持ちがとてもよく分かる。
出品のためにパーツなどを整理していたのだが、どうしてこのような物を購入して、到着するまで楽しみに生きていたのだろうかと理解に苦しむことが多々あった。
DURA-ACEのアウターチェーンリングを何枚もストックしていた頃の私は、一体、何を考えていたのだろう。
人の興味や関心は、時間とともに波のように変動する。
三十路の頃は、ロードバイクに乗って他者から追い抜かれたりすると気分が悪かったし、できる限り高価なパーツを付けて見栄を張りたいという気持ちもあった。
レースにも出場して、ロードレーサーの気分を味わった。
しかしながら、五十路が近くなってくると、全身タイツのようなタイトなウェアを着てロードバイクに乗ること自体が無様に感じるようになってきた。
それは個々の感じ方によるものであって、必ずしも一般的な話ではないわけだけれど、非常に格好が悪い姿として私の目に映る。
かといって、遠くまで自転車で出かけて美味を堪能したいという気持ちもなくなる。代謝が落ちてきたのか、たくさんの量を食べることができなくなってきたし、食べ過ぎるとすぐに太る。
六十路になるとウォーキングで有酸素運動といった生活になっても何ら違和感がないわけで、七十路になると生きているかどうかも分からないというわけだ。
しかしながら、たとえ残りの人生が限られていたとしても、後ろ向きになったところで良いことは何もない。
ロードバイクに乗って走っていると気分が爽快で、帰ってくると全身が心地良く、何より酒が旨い。健康を維持しないと酒が飲めない。
私は酒のために走っているわけではないが、とりわけ将来に向けて大きな夢も希望もない。
子供たちの進路については地頭や性格が分かってきて、大まかな想定が付いた感がある。
仕事についてもまあこの程度だろうという職業人生の限界が見えてきた。
慣性運動のように、これまでの勢いで進み、勢いが衰え、そして朽ちるだけ。
生きる中である程度のことを経験したが、何かやり残したことと言えば...なんだろう。
風俗や不倫といった邪淫、あるいはギャンブルを試してみる気はない。かといって他の趣味に没頭するような熱量もない。
とどのつまり、生きることに飽きないようにすることが大切なのだろう。
子育てが一段落したら、一泊旅行を兼ねて房総半島まで一人でサイクリングに出かけることも趣がある。
六十路になっても七十路になっても、ロードバイクで走っているような爺さんになりたいと願う。
ところで、メルカリにロードバイク用品を出品すると、実に様々な人たちがアクセスしてくる。
とても礼儀正しい人がいたりもするが、落札した後で何のメッセージも送ってこない、あるいは転売目的で執拗に値下げを要求してくるといった人たちが半数近くいた。
ロードバイク乗りには変わった人がいて、常識が通用しないことが多いことはサイクリストだけでなくても知るところだろう。
この傾向は、私にとって未だに解釈に至っていない謎でもある。確かにロード乗りには変な人が多い。もちろんだが私も含めて。
一般常識で考えれば、出品物が到着した後で「ありがとうございました」の一言でもあって良さそうなものだが、全く無反応だったりもする。
他方、どう考えても転売して稼ぎたいのだろうなという人たちから、常識では考えられないくらいの値引きを要求されることもある。巷では「転売ヤー」と呼ばれているらしい。
そのような取引で金を得ようとしても、結局はメルカリに仲介手数料を取られて利益は微々たるものだ。
金とは地道に汗水流した労働の対価として得るものだと私は考えているが、それでも昨今の労働環境を考えると低所得になってしまう人たちの事情も分かる。
私としては、ロードバイク用品を燃えないゴミで出してしまうと妻から冷たい目で見られると思ったので、とりあえずメルカリで激安王を演じたわけだが、投げ売りなので数日で売り切れた。
私は商売人に向いていないと実父は言ったが、確かにその通りだな。
ああそうか、こうやって激安王を見つけて出品物を入手し、そこからより高い額で売って差額を得ることができたら、確かに趣味として楽しいかもしれないな。魚釣りのような気持ちになるのかもしれない。
加えて、転売という行為が生きるための糧になっている人たちもいるわけで、千円でも収入を増やすために無礼であっても値引きを要求するということか。
一方で、実際にサイクリングを楽しんでいる人たちのアクセスも見受けられて、落札してから喜んでメッセージを送ってくださったりもした。
そのような取引では、私は相手に何も伝えずに、必ず使うであろうオマケの品を箱に忍ばせて送ることにした。
SPDペダルを購入してくれた人には新品のクリート。
クランクを購入してくれた人には未使用のミッシングリンク。
SPD-SLシューズを購入してくれた人には冬用のシューズカバー。
すると、思ったよりも喜んでもらって楽しかった。
しかしながら、次々に入金される金額を眺めていると、私がロードバイクという趣味にどれだけの金を使ってきたのかを実感することになった。
当時は、夫婦関係や子育てのストレスをロードバイク用品の購入で紛らわしたり、商品が到着して使うまでは死ぬことができないといった生きるためのモチベーションになっていた。
そのような意義があったと考えれば無駄ではなかったと思うわけだが、それにしても散財してきたのだなと深く反省することになった。
これからは子供の学費がかかるので、気楽に数万円の自転車用品をポチることはできなくなることだろう。
私立中学の学費だけでも1年で100万円近くかかるらしい。これに習い事や塾の金もかかる。ロードバイクのフラッグシップモデルを毎年購入するようなものだ。
しかも、五十路が近くなると生きることに飽きてくるわけで、それでも子供たちのために生き続ける必要があったりもする。
メルカリで出品して得た金額について、妻には合計で数万円だろうと私は答えておいたが、実際にはちょっとしたスポーツミニベロが買えてしまう金額になりそうだ。
ステーキ肉に換算すると、巨大なブロックになる。食べきることは困難だな。
かといって、子供たちのために貯金しても教育費で泡のように消えてしまう。
ということで、記念として何か自転車用品を買おうとすると...再び同じループに陥る。
それどころか、以前のように「どうしても欲しい」という自転車用品が見当たらない。
まあこうやって趣味に対する関心や情熱が変化することも、これからを考えると重要なことかもしれないな。
そういえば、以前、ガラケーを解約して貰ったiPhoneの処分にも困っていたところだ。同じようにメルカリに出品して現金に換えておこうか。
そして、ヘソクリとして隠しておこう。