スポーツタイプのミニベロをポチる前に踏みとどまる
それにしても危ないところだった。
夫婦仲や不倫といったディープな話ではなくて、趣味の自転車の話。
もう少しでミニベロを通販で買ってしまう勢いになっていた。やはり酒を飲んでから通販サイトを見ることは良くない。
我が家には「自転車の室内保管は2台まで」という妻が定めたルールがあり、彼女としてはスピンバイクが1台の自転車としてカウントされる。
自宅で室内保管することができる自転車は残り1台のみという計算になり、バーンアウトで苦しんだ際の民間療法で使った愛車のクロモリロードバイクがそれに該当する。
つまり、新しくミニベロを購入することは、私がロードバイクから降りるということを意味する。
もう10年以上もロードバイクに乗り続けてきたのに、その趣味をやめてしまい、ロードバイクから小径車であるミニベロへとサイクルライフを変えたくなるくらいに、私の思考は別の方向に進んでいるということか。
コロナの影響でロードバイクによるロングライドが難しくなった。
河川敷ではなく一般道を走ることが多い私にとって、コンビニのトイレが使えないという地味な問題があったりもするし、落車して入院になると手術までの時間が長くなったりもするそうだ。
整形外科医にとっては患者の数が増えて大変だということではなくて、コロナ対応のためにナースが動員されており、オペや術後管理、ベッドの確保に制限が生じていることもあるらしい。伝聞だからあまり定かではないのだが。
全身麻酔のオペに対応している公的な病院の多くはコロナ患者の病床を有して医療が切迫しているらしい。
となると、コロナ患者を受け入れない方針の民間病院に入院し、手術を受けることができるかどうか。
この浦安という街で、そのような病院があるのかどうか。
医療崩壊が危惧されている状況で趣味のロードバイクで転んで怪我をしました、痛いけれど手術を待ちます、ついでにコロナにかかってしまったので長期に仕事を休みます、さらに家族にもコロナを移してしまいましたとなると、かなり愚かな父親になってしまう。
ということで、この数ヶ月、ロードバイクに乗ってまともに走った回数はとても少ない。
緊急事態宣言下では不要不急の外出を控えるようにアナウンスされているが、この宣言がはたして1ヶ月で解除されうるものなのだろうか。
私にとってのロードバイクとは、それに乗って有酸素運動と禅を行うための道具でもあるわけで、前者はスピンバイクで代用することができる。しかし、後者をスピンバイクで代用することができるのかというとなかなか難しい。
家の外の風景を眺め、風と季節を感じ、自分の小ささを受け止め、ひたすら無心でペダルを漕ぐというロードバイクでの禅を再開することができないと何が生じるか。
これは私に限ったことではないと思うのだが...何と表現しようか...心が分散して考えが落ち着かない感じがある。
この場合の心とは何かというと、様々な事象についての自分の頭の中の思考を意味していて、色々なことが整理できずに蓄積してしまい、何だか分からないが混乱しているような気がする。
足が底に届かない沼や湖の中心で泳いでいるような気持ち悪さと所在のなさがある。
仕事のこと、家庭のこと、趣味のこと、過去から現在まで、現在から未来まで。考えることはたくさんあってもまとまる気配がしない。
私は変化に弱いタイプなので、社会が目まぐるしく変わり続けている状況は概してストレスになり、周囲の環境から大きな影響を受ける。
そのような時、一つひとつの事象を繋ぎ合わせ、考えを保留しておくことは保留し、優先順位を付けて処理する必要があるはずだ。それなのに思考がループしている。
コロナ対応において、行政は答えのない課題に取り組んでいるとコメントしている識者や報道を見かけたことがある。
一方で、必ずしも機敏かつ細やかな対応をとることができていない行政に対する人々の不満は蓄積し、この国が抱える別の課題を実感していることだろう。
コロナへの対応において答えは見つかっていないというメディアや行政の意見は確かに正しい。未知の感染症の動向は誰にも分からない。予測しているだけの話だ。
しかし、我が国の社会におけるコロナの対応においては、ある程度の答えが出てしまっていることに気づかないだろうか。
行政が緊急事態宣言を発出したところで、自治体が市民に様々な呼びかけをしたところで、人々の生活スタイルはすでに構築されつつある。
この国の様々な課題が噴出し社会が混乱してはいるが、人々の生活においては自身や家族レベルの自助、それと学校や地域社会といった共助のレベルでパンデミックに対応している。
他方、人々は行政による対応について不満を溜めすぎた上に、行政の能力の限界をすでに悟っているのではないか。
昨年、行政が言う通りに外出を自粛し、かろうじて感染の拡大についてピークアウトすることができたけれど、気が緩んだら再び大きな波がやってきた。
しかも、行政のアナウンス通りに生活していたら、ライフスタイルはとても厳しく、経済的にも苦しむ場合が多いことを人々は知った。
また、行政の舵取りにおいても混乱が生じ、人々が不安になるだけではなくて、むしろ信頼しなくなってきた。
過去の日本において大規模な災いが生じた時、人々はどのように対応したのか。平安時代くらいまで遡って歴史的な資料を読んだ。
私自身の短い人生で知りうる情報は限られているので、先人たちから何かを学ぼうと思ったわけだ。
すると、日本において社会に大きな災いが生じた時、人々は自助や共助で対応することが多く、公助をあまり頼らない方向に行動していたことが分かる。
公助といっても、中央集権的なシステムが構築されたのは歴史的にはずっと浅い時期だ。その土地であるとか、その地方の領主による社会体制が当時の行政であったり公助に該当するのだろう。
時代劇や歴史小説で「お上」という単語が出てくるが、今でも行政のことをお上と呼んでいる人たちがいたりもする。
では、日本の人々がお上について絶対的に服従していたのかというとそうでもない。例えばヨーロッパの歴史と比べるとずっと穏やかだな。これがチェスの文化と比べた場合の将棋の文化なのだろう。
その時代の権力者たちが力を失って、別の権力者がやってきたとする。それによって社会がより良い方向に進むこともあれば、悪い方向に進むこともある。
しかし、多くの人々は自分たちの生活の恒常性を維持するために、自身あるいは家族、親戚、地域社会といった範囲でトラブルに対処することが多かったらしい。
現在に視点を戻すと、多くの人々は察してしまったのだろう。このパンデミックを公助によって解決することが難しいということを。
世界各国を見渡してみると、強力な社会体制あるいは指導者によるリーダーシップによって感染症の拡大を抑えたり、経済を立て直し始めた国家があったりもする。
それに比べて日本の行政は何だ。これで本当に感染の拡大を抑えることができるのか。いい加減にしろという人々の憤りを感じる。
一方、日本をこのような状態にしてしまったのは誰なのか、行政についての関心を失って放置し続けた自分たちではないのかという指摘もあったりする。
このような状態では、感染症の解決に向けた答えが見つからないではないかという意見も理解することができる。
しかし、状況としてはすでに答えが見つかっているわけだ。この国の場合、公助をあまり信用せずに、人々は自助や共助で進んでいく。
行政が何を言っても効果は薄くなり、ネットやマスコミからの情報を元に人々が自分たちで考えて行動に移すということか。それがこの社会としての暫定的な答えに該当する。
この答えが愚かなことなのかというと、私はそうは思わない。
例えば、第二次世界大戦後、社会のシステムが破壊され、街々もダメージを受け、経済も酷く停滞した。原子爆弾を2発も落とされた。
日本が再び力を取り戻すことは不可能だと世界の人々は思った。
しかし、その逆境からの繁栄については語るまでもない。
私は抽象的な愛国主義者ではないのだが、はたしてその時代に強力なリーダーシップを発揮する指導者がいたのだろうか。もしくは、行政が機敏で細やかな対応をとっていたのだろうか。
五十路が近い私の場合には祖父母や両親の世代からリアルタイムに話を聞いたこともあったが、お上のリーダーシップというよりも、社会を構成する集団の流れや人々のモチベーションが大きかったようだ。
どうやら、この国の人たちは社会の空気や他者が考えていることを察し、行動を共有するような能力に長けているらしい。
その能力によって事態が上手く進んだこともあれば、振り返ると間違っていたと思えることもある。
では、パンデミックにおいて行政がアナウンスしても人々が連動しているように思えない現時点の答えは、はたして正解なのか、不正解なのか。
とにかく、そのように変化し続ける社会の中では、私の感覚や思考がオーバーヒートしてしまう感じがあり、ロードバイクに乗れないのなら降りてしまおうという考えに至ったわけだ。
なぜにロードバイクではなくて、ミニベロなのかというと、街乗り用に手に入れた小径のシティサイクルが想像以上に快適で、より乗り込む場合のミニベロがあると素敵ではないかという判断だ。
ミニベロは信号でのストップアンドゴーがとても楽で、取り回しも便利だ。
サイクリングに出かけた時にも、適当に建物を見つけてトイレを借りるくらいのことは問題がない。
これがロードバイクになると、盗難を避けるためにどこに地球ロックしようかとか、そのようなレベルから話が始まる。
しかも、医療崩壊が近づいている時期にロードバイクに乗って疾走する気持ちになることがやはり難しい。
転びにくい自転車となるとマウンテンバイクになるのだが、私はディスクブレーキが大嫌いだ。かといってクロスバイクに乗ると何だか負けた気がする。
カリカリにカスタムしたミニベロで、のんびりと街中を走り、そこから田舎まで走って行って心を落ち着けたい。
ここまで変化が大きい社会で生きることに、私はすっかり疲れてしまったのだ。
これを専門用語でヤケクソと呼ぶ。多分に現実逃避を含んでしまっている。
すでに注文予定のモデルも決めてある。ブルーノというメーカーのROAD DROPというモデル。
このミニベロは折り畳みではなくて、カンチブレーキが採用されていて、カスタムの素材としてよく用いられる。
そのカスタムのイメージとしては、20インチのホイールにブロックパターンの太いタイヤを履かせて、フロントはショートタイプのミニVブレーキ、リアはロングのVブレーキに交換。
くどいようだが私はディスクブレーキが大嫌いなので、Vブレーキに換装が可能なカンチブレーキタイプのミニベロのクロモリフレームを探すと、ブルーノしか見つからなかった。
できればマンハッタン製のロングフォークが理想なのだけれど、このメーカーのフレームはキャリパーブレーキなので、太いタイヤを取り付けることが難しい。
コンポについては現在のクロモリロードバイクに取り付けてあるR8000系を移植し、リアのVブレーキにはSTI用のコンバーターを取り付ける。
ブロックパターンの太いタイヤはタイオガ製のものを使うつもりで、なぜにブロックパターンなのかというと、要は格好がいいから。それと、悪路に強いから。
太いタイヤは走りが重くなるけれど、のんびりとサイクリングを楽しむ分にはスリップが少なくて落車のリスクも減ることだろう。ミニベロなのでジャックナイフ的な転倒が心配だが。
ロングツーリングに出かける時には、別のホイールを用意しておいて、それにはシュワルベ製のタイヤを取り付けておこう。
となると、職人に組んでもらってそろそろオーバーホールが必要なロードバイク用ホイールのリムとスポークを小径に組み直してもらえばいいわけだな。
まるで、最初からデザインされていたかのように今後の予定が思い浮かぶ。
ミニベロに乗って笑顔を浮かべながら厳しい時代を生きていく私自身のイメージが想像できる。
なぜだ?
そして思い出した。私がロードバイクに乗れなくてミニベロに移ったことは、実際にあった。
それは東日本大震災で浦安市が液状化の被害を受けて、新浦安が砂と泥にまみれた時だった。
しかも、千葉県内では放射能の異常値が確認されて、もはやロードバイクに乗っていられるような状態ではなかった。
当時、マウンテンバイク風のルック車にブロックパターンのタイヤを履かせていたのだが、これがなかなか面白くて、液状化を起こした路面を力強くグリップして飛び跳ねて憂さを晴らしたりもした。
しかし、当時は上の子供が乳児だったので自宅にいることが多く、「ロードバイクに乗れねぇ...」という育児中の父親ならば多くが感じる悩みを抱えていたりもした。ロードバイクで長時間を走ること自体が困難だった。
そして、ヤケクソになった私は、通販で折り畳み式のミニベロを注文し、自宅でカスタムに取り組むことにしたわけだ。
新浦安駅から折り畳み式のロードバイクを運んで輪行して、訪れたことのない街を走り、様々な美味を味わおうと。
実際にミニベロをいじり始めると、大きなプラモデルのようで実に楽しい。しかも、自宅に飾っておくだけで面白い。
ロードバイクの場合には格好いいという感じだが、ミニベロの場合には可愛いという感じ。
だが、実際に折り畳み式のミニベロに乗って輪行したのは、たったの1回だった。
小径車はスピードを上げると挙動が不安定になり、フロントホイールが地面に引っかかるとあっさりと落車してしまう。
私感だが、ロードバイクのように人馬一体となったような爽快感はミニベロにはない。あえて乗馬に例えれば、サラブレッドのような馬に乗っている時とポニーに乗っている時くらいの差があると思う。
当時は私も若かったので、それなりにスピードを上げてみたかったし、その方向にむかってカスタムを行っていた。カスタムのために随分と無駄な出費を繰り返したものだ。
しばらくすると、震災の影響が減ってきて、再びロードバイクに乗り始め、ミニベロを処分することにした。そして今に至る。
危ないところだった。どうやら私は社会に大きな変化がやってくると、ロードバイクを降りてミニベロに向かってしまう性質があるらしい。
10台くらいの様々なスポーツ自転車を購入して実際に乗ってみて、最終的に行き着いたのがクロモリロードバイクだったわけで、おそらくそれが私なりの答えなのだろう。
仕方がないので、ママチャリとして使っているミニベロをカスタムして憂さを晴らすことにしよう。