警戒すべき人物を見抜くためのチェックリスト
私は繊細というよりも神経質という感じだが、確かに目の前の人や物をつぶさに観察する癖がある。
電車に乗ったり浦安市内を行き来する時には、必要以上に周囲の人たちを観察して疲れる。
だったら観察するなと自分自身がそう感じるのだが。
50歳近くまで生きていると、人を外から眺めるだけで性格や生き方を見抜くことができるようになるものだ。
視界に見える人の容姿や言動だけでは、必ずしもその人の内面を把握することは難しく感じるかもしれないが、思ったよりも容易だ。
生きる中でたくさんの人たちに出会うと、それぞれの人たちについて、観察することで得られる外からの情報と、会話や出来事によって得られる内からの情報が蓄積し続ける。
視界に映る人や物を観察しすぎてしまうという私の性質がどのような理由によるものなのかは分からない。
感覚過敏の中に視覚過敏というものがあったりもするし、過集中のひとつなのかもしれない。
職場で働いたり、子育てに入って地域の人たちとの交流があると、非常に多くの人たちの外的な情報と内的な情報が自分の脳に記憶される。
論理的な推論の方法として、帰納法と演繹法という2つがよく知られている。
帰納法という推論は、様々な情報の中からパターンや傾向を導き出す方法だな。
人間関係の場合には、トラブルが生じたり、不利益を被ったり、不快な気分になった際、相手にどのような外的特徴があったのかを思い出す。
それらの外的特徴と実際の内的特徴を照らし合わせ、外的特徴と繋がる部分を見つけ出す。
結論はひとつに限ったわけではなく、複数のパターンがある。
帰納法でパターンを見つけたら、それらを逆方向で様々な他者に当てはめていく。
これが演繹法という論理的推論に該当する。
「人を外見で判断するな」とは言うけれど、人の中身は外に出るわけで、実際によく当たる。
世間ではテレビのワイドショーを視て、その内容を信じ切ってしまう人が驚くほどに多い。
私の両親を含めた団塊世代のシニア層だけでなく、テレビを付けっぱなしにする人たちは、気付かないのだろうか。
出演者の正体が顔や声に顕れているのに、情報を鵜呑みにすることがどれだけ危険なことなのか。
ワイドショーではなくて一般的な報道においても、事実ではあるが意図的に抽出された情報が発信されたり、本来ならば知らせるべき情報が伝えられなかったりもする。
テレビ画面の向こう側の世界を知っていれば、子供にテレビを見せない人の気持ちが分かるはずだが。
しかしながら、他者の外的特徴を観察するだけで内面を見抜くことができれば、職場やプライベートにおいて自分を守るため、あるいは心を波立たせないために他者と距離を取ることができる。
そのことに気付いたのは、バーンアウトを起こした後だった。
感覚過敏の世界を書き留めようと始めたHYPSENTだが、最近ではバーンアウトの話が多いな。
バーンアウトを起こす前の私は、他者の内面を察知して、勝手にフラストレーションを溜めたり、気に入らない人と張り合ったり、バトルで打ち負かそうとする性格だった。
人の外観だけではなくて、送られてきた文章から相手の性格や思考、意図を読み取り、自分の主張を通すために使っていた。
相手としては心を読まれて不快になり、さらにバトルが激しくなることもあった。
しかし、バーンアウトで感情も自尊心もなくなった時、そのようなスタイルは間違っていたと思った。
むしろ、相手の内面を感じ取った後で、要注意だと警戒して心の距離をとり、深く関わらない方が疲れない。
こんな簡単なことに、私はどうして気付かないままオッサンになったのだろう。
もっと若い頃にそれに気付いていれば、もっと穏やかに生活することができたはずなのに。
まあ今さら気付いて後悔しても遅いので、私なりに警戒する他者の外的な特徴についてまとめ、残り少ない人生で読み返しながら忘れずに注意することにしよう。
【1】自らの笑みを制御できない人
私が最も警戒するのがこのタイプ。高いIQの持ち主や成功者に多い。どう考えても笑える状況ではないのに、無意識的にニコニコするのですぐに分かる。
このタイプの人たちは、中身まで陽気であることは稀で、むしろ批判的で二面性があり、残酷性が高かったりもする。
何か気に入らないことがあるとすぐに批判的になって怒ったりもするのだが、それを笑みの仮面で隠しているつもりなのだろう。
このようなタイプはなぜか出世が早く、自分より目上の立場にいることが多い。
自らの労力を節約して他者に仕事を押し付け、しかし成果には乗っかろうとすることがある。
全ての要求に応じると自分が消耗するが、使えないと分かれば切り捨ててくる。
ある程度は役に立ち、切り捨てるとデメリットがあるくらいの印象を持ってもらうことで対処する。
【2】笑い方に品性がない人
とりわけ引き笑いとでも表現しようか、有名なコメディアンのような笑い方。
息を吸いながら「ヒッヒッヒ」という感じで嘲笑う人は、多弁で人のプライベートに介入し、それらの情報を撒き散らす傾向がある。
他愛もない内容であれば会話が楽しく、重要な情報を引き出すことができたりもするが、迂闊に自分の本音を話さないようにすることで対処する。
【3】金について執着するタイプ
節約が悪だと言っているわけではなくて、ここでこだわるのかという状況でケチるタイプは要注意。
随分と年上で目上な人が若者を食事に連れて行って、そこでワリカンを主張するとか。
使わなくなった趣味の物を親しい人に譲る時に金銭を要求するとか。
自分の子供の夫婦に食材などを買って届けて、その代金を百円単位でしっかりと要求する爺さん婆さんとか。
逆に金に無頓着で、立替えてもらった代金を払わない人は論外。
関わらないことで対処する。
【4】相手の性別で態度が変わる人
特に、相手が男性だと挨拶もしないのに、相手が女性の場合には異様に話し込む男性ホルモン高めな人に注意する。
このようなタイプの男性は衝動性が高く、気分に斑があり、信頼して付き合うことが難しい。
また、相手が男性の場合に愛嬌よく振る舞って、自分の面倒事をアウトソースする女性もいる。上昇志向が高い人に多い。
このタイプの人たちから学ぶことは少ないので、近づかれないような雰囲気を出すことで対処する。
【5】自己愛が強すぎる人
実力が伴っていないのに自尊心が異様に高い人については、相手にしても意味がない。
加工しすぎて本人なのかどうかも分からないプロフィール写真をネットに投稿する人たちがいるが、とても立派な自己愛だと思う。
しかしながら、何か優れた能力があって自己愛が強いという黄金聖闘士のような人もいる。
バーンアウトする前の私は、そのようなタイプの人に競争心を持って張り合っていたが、今は違う。
積極的に黄金聖闘士を褒め称え、自分を卑下することで対処している。
彼らは自分の優秀さを肯定されることに飢えていたりもして、その貪欲さは底がない。
だが、その自己愛を認めることで、非常に重要な情報やヒントをもらって勉強になることが多い。
また、このタイプの人たちは初回のコンタクトが衝突から始まることも多い。
「なんだコイツは?」と敵認定するのではなく、学ぶことがあるかどうかで判断する。
【6】外国製の高級自動車に乗る人
これは仕事というよりもプライベート、さらには自家用車の軽トラックがほとんど走らない浦安の新町で生活する中で気付いたことだ。
浦安の新町には、もの凄く自己顕示が強い同世代がたくさん住んでいる。
稼ぎが良くて高額の住居費を用意することができても、道徳が備わっているかどうかは別の話だ。
なぜなら、性格が悪くても金を稼ぐことができればよいわけだから。
挨拶程度であれば気にならないが、保護者が集まる行事などで少しでも会話が深くなると「なんだ、この人は?」と感じることがある。
子供が小学校に上がると親同士の距離が離れるが、保育園に通っていた頃は親同士の距離が近く、マウンティングが度々あった。何かと仕切ろうとしてきたり。
そのよう人たちの共通項を考えて導き出された結論が、外国製の高級自動車だった。
ベンツやボルボ、アウディ、BMW、プジョーなどに乗っている人たちの中にはマウンティングが大好きな人が多い。
ポルシェ乗りに至っては決して近づかないことにしている。
このタイプの人たちは、自分は成功者だとか、自分の世帯は裕福だとか、マンションの駐車場で見劣りしたくないとか、そのような自己顕示欲が強かったりもするのだろうか。
アウトバーンのような超高速道路ではなく、シンボルロードを走ってスーパーに行ったり、子供の保育園や塾の送迎であれば軽自動車で十分だが、なぜに外車が必要なのか。
さらに踏み込むと、高級住宅と高級自動車のローンの支払いでカツカツになって、子供を私立学校に通わせることができない人たちも結構いる。
こんな小さな街で見栄を張っても意味はないが、それも人の生き方だ。
浦安から引っ越すことで対処する。
【7】人相が悪い人
「人を見かけで判断するな」という格言が適用されることもある人相だが、中高年になると、その人の内面や生き方は顔つきに顕れる。
分かりやすいのは、目の表情。
とりわけ、計算高く他者から利を得ようとしている人、あるいは人を唆そうとしている人の眼球は、何かに取り憑かれたように一点を見つめて止まったりする。
優柔不断あるいは考えに柔軟性のない人は伏し目がちになって下方を見つめ続けることがある。
同じくらいに分かりやすいのは、口の表情。特に口角と上唇の動きは感情や性格が映りやすい。
また、何をもって判断するのかは個人差があるが、いわゆるスケベ顔がデフォルトになっている男性は、他者を騙すことが得意だったりもする。
自分の経験論でしかないが、初対面で相手の人相に違和感がある場合、その後にトラブルが生じることがよくある。
人を見た目で判断し、慎重に見定めることで対処する。
【8】唐突に子供のようになる人
感情が高まって怒りだしたり、やさぐれてストレスを撒き散らしたり、急にアッパー系あるいはダウナー系に感情が波打つタイプ。
成長時の家庭状況によってアダルトチルドレンになった人の場合は気の毒だが、その判別は本人から教わらないと分かりえない。
このような人は、見た目よりも文章で察知した方が分かりやすい。非常に分かりやすい書き方になる。
このようなタイプの人からは火の粉が飛んでくるので注意し、直接的に関わらざるをえない状況になった時には、中学生を相手にしている教師の気持ちになって対処する。
【9】衣装に特徴があるタイプ
服のデザインや色について強いこだわりがある人は、難しい性格であることが多い。
とりわけ、服や持ち物が赤色や青色を中心にまとまっている人は危ない場合が多い。
初対面の頃は礼儀正しくて普通だったりもするが、顔を合わせる度に妙な言動が増えてきて大変だった。
服装や持ち物以外にその人のこだわりが何なのかを観察して見定め、危ないと思ったら刺激せずに引くことで対処する。
【10】じっとしていられない人
多動性や衝動性が高いタイプに多い。
常に身体のどこかが動いていたり、筆記具をいじっていたり、数分でも空き時間があるとスマホを操作したり、足を細かく動かし続けたり、とにかく何か音を出し続けたり。
このようなタイプの人は短気でせっかちなことが多い。
見た目のままだが、落ち着いて関係を構築することが難しく、不用意な発言によって気分を害することがある。
可能な限り手短にコミュニケーションを取ることで対処する。
【11】相手の立場によって態度を大きく変える人
能力以上の出世を目指すイエスマン、かつパワハラ気質の人に多い。
このような人が同僚の場合には足を引っ張れられ、上司の場合には成果を横取りされた上に使い捨てになることがある。
また、自分の立場や利益のためには軽々と他者を裏切ったり見捨てる。
しかし、この国にはとても多いタイプだ。ほぼ間違いなく内面の発露と判断して警戒しても差し支えない。
信頼関係を結ぶことは難しいので、必要最小限のやり取りに徹し、時に貸しを作ることで対処する。
【12】転職を繰り返す人
職業人に転職は付きものだが、ジョブホッパーのように職場を転々とする人には注意する。
このタイプの人は、自分の利益のために他者を利用し、他の職場でより高いポジションを確保した後、それまでの人間関係をご破算にし、砂をかけていなくなることがよくある。
そもそものモチベーションが特定の分野でのスペシャリストではなく、より高いポジションまで出世したいというジェネラリスト志向の人に多いパターンだな。
いかに優秀な肩書を持ち、第一印象が良かったとしても、それによってジョブホッピングを繰り返すことができた可能性もある。
そのような人に力を貸さざるをえない状況になった場合には、見返りを期待せずに手を抜くことで対処する。
また、力を貸さなくてもいい状況では相手にせず、競争心を持って張り合わないこと。
【13】既読スルーを連発する人
筆マメな私にとって、非常に不快なタイプ。
また、そのような人の態度を修正することは不可能なことが多いので、信頼に値しないことが分かったと前向きに解釈する。
速やかに敵認定し、以後は相手にしないことで対処する。
【14】氏名に違和感がある人
これは私の経験則だが、これまでにトラブルを被った、あるいはバトルになった人には、名字や名前に特徴があるケースが認められる。
このパターン認識は非常によく当たるが、角が立つので公開しない。
必要時を除いて、最初から近づかないことで対処する。
◇
このように列挙してみると、自分自身が該当する項目もあって興味深い。
ここまで気になるのだから、人間関係が苦手で当然だな。
むしろ、これらの条件に全く該当しない人の方が少ないかもしれない。
新浦安に住んでいて、気が休まらずに苦労する理由もよく分かる。
そして、可能な限り他者との距離を保ち、アバターを操作するつもりで生きるという現在のイメージは、決して偶然ではなかったということだな。
警戒する必要がある人に出会った場合には「距離を取る」という対処ばかりだ。
アバターのイメージは、バーンアウトで弱りきった私が、他者の内面と接触しないために作り出した思考ということか。
重度のうつ病やパニック障害になった人の中には、投薬ではなく自己暗示で回復することが稀にあるらしい。
そういえば、昔の高僧の中には死に至りうる苦行の後で、別人のように徳のある状態になって戻ってきたこともあるそうだ。
脳の中で何が起きているのだろう。
しかしながら、このように難しい人間関係であっても、また様々なことが気になる人が相手でも、バーンアウト後の私が大切にしていることがある。
それは、一度でも助けてもらったり気を遣ってくれた人に対しては、感謝の気持ちを忘れないこと。
人は個性や癖があって当然で、完璧な人なんているはずがない。
そのような多様性のある社会で私たちは生きている。
私が五十路に近くなり、ようやく人と人との距離感が分かっただけであれば、別に大きな発見でもない。
しかし、過去への感謝を忘れず、他者に踏み入らず、言葉少なく謙虚に生きていれば、感謝するエピソードが増えると思う。それらは無形の財産だ。
けれど、他者を警戒する明確な物差しが私の中で作られていたことに自分自身が驚いていたりもする。
バーンアウトする前は、それらに関係なく人間関係に飛び込んで消耗していたわけだから、疲れて当然だな。
競争心や闘争心はモチベーションを維持する上で大切だとは思うが、私はもう若くないし、人生のレールも切り替えができないくらいの時期に差し掛かった。
悟ったように見えて、実は狡猾になっただけではないかと気になったりもするが、自分の行動や表情、言葉に出さなければ他者には気付かれない。
本当にそのような生き方でいいのだろうか。まあいいや。これからもアバターを操作するイメージを維持しよう。
その方が穏やかに生きることができるだろうから。