ケチャップうどんの現実から始まる元旦
この1週間くらいの間、妻が穏やかだなと思っていたら、そういうことか。元旦のダイニングのテーブルの上には、1枚の皿が置かれていて、その皿の上には今まで見たことがない料理が乗っていた。
ケチャップとマヨネーズをからめたうどん。その横に小さなスクランブルエッグ。うどんには申し訳程度に挽肉が入っている。家族は外出して誰もいない。
冷蔵庫を開けると、おせち料理の類もなく、大掃除が終わって空洞のままだ。何もない。
まともな考え方や感じ方を持っている夫であれば、憤慨して正月から妻と激しい口論を繰り広げることだろう。
夫の稼ぎが少ないとか、ギャンブル癖があるとか、コロナに乗じて不倫に走ったとか、そういった望ましくない行動に出た結果であれば仕方がないが、私は年末まで懸命に働き、短い休暇で大掃除に励み、元旦くらいは穏やかなスタートがあると期待していた。
この原因を作ったのは、いつもながら苦労している浦安市内の義実家。その中には妻も含まれる。
あらかじめ話を調整した上での現状であれば、私としても驚くことはなかったのだが、義実家と妻はLINEグループで話をまとめた後で、私に対して何も知らせずに行動に出る。
それは配偶者である私にとってとても辛く厳しいことであり、夫と妻の状況が反転していたら、大変なハラスメントに該当するのではないかと思う。
浦安市内にある妻の実家では、1月1日に家族が集まって昼から夕方まで飯を食べたり酒を飲むという恒例の行事がある。
別に親戚一同が集まるというわけでもない。義父母と義妹と妻という以前からの家族に、うちの子供たちが加わるというだけの小さな単位だ。
妻の実家は、その一族の本家だそうで、先代までは自宅に親戚が集まったそうだ。
それを浦安に引っ越してからも続けているらしい。
一族縁の場所から遠くに引っ越した本家が親戚から慕われるはずもなく、元旦の義実家には親戚が誰もやってこない。
独身の義妹が結婚すれば義弟と話ができるが、現状は完全アウェイの私にとって、この行事は苦痛でしかない。
毎年嫌な気持ちになりながら元旦を迎えてはいたが、まあそれも親戚付き合いということで済ませていた。
しかし、首都圏を中心にコロナの感染者数は増大し、ピークアウトするのかオーバーシュートするのか分からない状況が続いている。
ここまで深刻な状態なのに、未だに人混みに向かって出歩く人たちの思考が理解できずにいる。
そこまでして普段通りの年末年始を過ごしたいのか。医療や経済が崩壊すれば、もはや普段通りと言っていられなくなる。
「自分は大丈夫だろう」とか「周りだってあまり気を遣っていない」とか、そういった単純な考え方に基づいて自らの欲求を優先する人たちがあまりに多すぎる。
これではパンデミックを抑止することは難しい。行政に対して様々な批判を飛ばす人たちがいるが、自分たちの行動はどうなのか。
人々が年末年始で浮かれている時間だって、感染症と戦っている人たちは交替で休みを取りながら働いている。
そうやって頑張っている人たちと、社会のために自粛している多くの人たちのお陰で耐えている状況なのに、これはあんまりだろうと思いはする。しかし、集団として考えた場合には個々の行動の総体として結果に顕れる。
専門家たちは言ったはずだ。会食は可能な限り5人以内、いつも生活している家族で年末年始を送ってくれと。
それらは適当に言ったわけではなくて、膨大なデータを抽出し、様々な解析を行った後、人々が何とか守れそうなラインを行政が設定したわけだ。
それすら守れない人たちが多すぎる。
しかし、我が家の場合には大丈夫だろうと思っていた。
最近の妻は穏やかになってきて、自宅で激怒して大声を上げたり、物を投げるという行為は減ってきた。
一時期は家庭内別居のように夫婦の会話が滞っていたが、最近ではフランクに会話を続けていた。
ここまでパンデミックの第三波が大きく、しかも義父母ともに重篤化のリスクがあるのだから、毎年恒例の会食は中止になると、常識的にみて私は思っていた。
義実家に集まる会食を実施するのであれば、前日までに私と妻が話し合い、私の家族は不参加になるように答える。当然のことだ。
大晦日にもその話がなかったので、妻はきちんと義実家と話を調整し、会食はないのだろうと私は考えていた。
ところが、元旦の朝になると、子供たちが早々と着替え始め、妻も外出用の服に着替え始めた。
私は何が起きているのか状況が分からない。
妻や義父母、義妹に至るまで衝動性の高い人たちだなとは感じていて、何か思ったら行動しないと気が済まないという印象がある。
あくまで私を基準にした場合だが、この一族は想像の斜め上を飛んでいく。
義父や義母が決めたことを妻が反対することができないというのも情けないし、私が毎日の日常を送っている家族という存在は、妻にとっては義実家からスピンオフしただけの存在なのだろう。
私は種と金を提供して同居しているということか。
妻と結婚した当初、義父母の行動はもっとおとなしかった。歯止めが効かないくらいに衝動性が高くなったのは、ひとりの存在を失ったからだろうと私は推察している。
その存在とは、妻の祖母。
彼女はとても常識があって、どうしてこの人から義母のような人が生まれたのかと思うくらいのセルフコントロールが長けた人だった。
衝動性の高い義母を育てる際、義祖母はかなり努力して義母の性格を矯正したらしい。
義母は毎日のように離れた場所で住む義祖母に電話をかけ、行動についてのアドバイスをもらっていた。
突然思いついたかのように突き進んでしまう義母と比較して、義父の衝動性は義母と違ったところがあり、ひとつの場所に落ち着いていられない多動性が見受けられる。
妻が義父と義母のどちらに似たのかといえば、どちらにも似ている。
だが、この一家について共通したことが言えるとすれば、家族というテリトリーが非常に狭く、その中で目上にある人の意志決定に大きく依存してしまうということだ。
かつて義母が義祖母を心の拠り所にしていたように、妻は義母の意見を無視することができず、たとえ夫が悩み苦しんでいたとしても突き進んでしまう。
素になって考えてみると、この状況に放り込まれた男性の中には、昔風に表現するとノイローゼのようになって離婚する人がいると思う。
三次元で生活する人類が、四次元や五次元の世界を体感しえないのと同じく...いや、そこまで話を大きくする必要もないな...人類が鳥類のように紫外線を見ることができないのと同じく、私は妻と義実家に存在する何かを理解することができない。
この街には、真の意味で「私の家庭」というものが存在しているとは思えない。
妻と義実家の距離が、物理的だけではなく精神的に近すぎて、親離れできない妻と子離れできない義父母のサテライトのような形で私の家庭のようなものが存在しているだけだな。
その理不尽さというか不幸せにもがいて消耗したこともあったが、それらを招いた大元は私が判断したことだ。
結婚する前に挨拶に行った時、義父母の主張が強くて気が合いそうにないと感じ、けれど妻は穏やかな人なので大丈夫だと判断したわけだ。
まあとにかく、病的とまでは言えないが衝動性が強い妻を、元旦の会食当日に引き留めることは不可能だろう。
当然だが私は義実家での会食は不参加だ。口には出さなかったが、何を考えているんだと呆れかえっている。
仮に私の家族がコロナに不顕性感染しており、義父母に感染が広がった場合には自業自得だ。
他方、義妹はコロナに感染しやすい環境で働いている。
妻や子供たちが感染した場合、私は濃厚接触者に該当し、この多忙な年明けにおいて職場で働くことができない。
それが何を意味するか、妻は分かっているはずだ。私が自宅に隔離されるだけではなくて、助けるべき人たちを助けることができなくなるんだぞ。
それでも、妻としては私の仕事や使命よりも、自分の実家を優先するらしい。
あらかじめ私に相談すると会食なんて以ての外だと反対されると予想して、義実家と話を合わせて策もなく強行突破したということだ。
どうせ、いつも通りに盛り上がって、半日くらいは自宅に戻ってこないことだろう。
妻は昼食として、この見たことがないうどんを使った何かをテーブルに残し、子供たちを連れてさっさと浦安市内の実家に行ってしまった。
普通の生活であれば心情的に問題はないが、元旦当日におせちもなく、即席で作ったうどんを夫に食べさせるというのは、どのような思考によるものなのか。
状況にもよるだろうが、あまりに思い詰まって皿ごと壁に投げつける夫がいても不思議ではない。
このような時には、「ゲシュタルトの祈り」が効果的だと思い、何度かフレーズを唱えた後、自らが置かれている状況を整理することにした。
夫婦喧嘩を繰り広げて、夫としての私の主張や意見を妻に伝えるステージはとっくに過ぎた。
互いに意見をひとつにすることは不可能だと悟ったし、それでも離婚せずに子供たちを育てることに決めた。
それは妻のためではなくて、子供たちや孫たちのためだ。
義父母による干渉については、私が何を言っても妻は変わらない。子供の頃から親に逆らわないようにという思考が妻の脳に刻まれている。
それは私にとって不気味なことではあるけれど、それを含めた妻を外側から理解せざるをえない。
ということで、ミニベロに乗って、私はひとりで買い出しに出かける。
私の両親がこの状況を知ったら、おそらく悲しい気持ちになって妻や義実家に対して激怒することだろう。しかし、くどいようだがこの状況になったのは私の判断によるものだな。
案の定、近くにあるニューコーストというショッピングセンターは元旦に営業していない。
ということで、浦安の新町を大回りして高洲地区にあるOKまでミニベロを走らせる。やはり元旦には営業していないようだ。
このままだと、私は元旦に食べる料理がケチャップうどんとコンビニのチキンになってしまう。
まあそれも仕方がないかと思ったが、新浦安駅の付近まで出てみようかと思った。
それにしても、元旦の新浦安はとても静かだ。いつもは人が溢れて鬱陶しい街だが、道路や施設といったハード面はかなり考えて配置されているのだな。
新浦安駅前のイオンに多数の自動車が入っていく姿を見かけて、ようやく食材を手に入れることができると確信した。
ここまでは特に大きな怒りもなく、ただひたすら家族という存在が義実家の干渉によってバラバラになっているという現実を飲み込んでいた。
妻の実家依存はどうしようもない。私は結婚の前にその特徴に気づくべきだった。
だが、義父母については待っていればいなくなる。子供たちが独立した後には、妻が子供たちの家庭に干渉しないように私が制止する必要がある。
このようなループは断ち切った方がいい。
イオンの入り口で手を消毒し、ひとりで買い物かごをぶら下げてスーパーの中に入る。
手を消毒することさえしない人たちが多いな。この空間に感染者がいても不思議ではない状況なのに。
ただの買物に来ただけの中年男性の体でスーパーの中を歩いていたが、途中で激しい目眩がやってきて、しばらくの間、立ち止まる。
思考として現状を受け止めているはずだが、実際にはストレスを気にしないように自己暗示をかけているようなものなのだろう。
自分には理解しえない妻や義実家の行動によって強いストレスを受けていることは確かで、目眩という形で自分の脳がSOSを出しているのだろう。
目眩によって視界が乱れる。人間の脳って凄いよなと思いながら、この程度のストレスに反応する自分が惨めに思えた。
いざ正月の料理といっても、私には特にこだわりはなくて、少し値が張るハムと、焼肉用の牛肉、それとオージービーフのステーキ肉。あとは安いハイボールとチューハイを適当に買い物かごに入れてレジに並ぶ。
日本国内の統計では、年収何とか万円の人の割合は5%程度なのだそうだ。
年収数百万円の厳しい生活から始まって、職業人として努力して何とか万円プレーヤーになり、贅沢をしなければ必要なものが手に入る生活になった。
しかし、いざその生活に辿り着いてみたところで、物質的な豊かさが必ずしも人生の幸福に繋がるわけでもない。
妻がより良い食材を求めているということで、私はかなりの額の食費を妻に渡している。
その結果が、ケチャップうどんか?
そして、これでは寂しいということで自ら買い出しに出かけて手に入れたのが、安いステーキ肉。
若い頃、あまりに金がなくて、何か良いことがあれば自分への祝いとしてステーキ肉を買ってひとりで焼いて食べていた。
その時からの習慣というか、過去を忘れないための儀式というか。
貧しさは辛いことだが、そこからより良い経済状態になろうと這い上がり、ようやく軌道に乗った頃が最も嬉しかったのかもしれないな。
今の私の稼ぎは、家族から大して感謝もされない新町での高額な住居費、夫婦共働きを効率化するための高性能な家電、子供たちの教育費などに消えていく。
そこに「私の家庭」という心の拠り所があるのなら有意義な金の使い方だが。
妻の実家依存は消えることがなく、義実家に対して「いい加減に子離れしろ!鬱陶しいぞ!」と怒鳴り声のひとつでも撃ち込みたい気持ちにもなる。
だが、いくら形骸化しつつあるとはいえ、そのトリガーを引いてしまうと家庭が崩壊することだろう。
何があっても夫に付いていくという結婚式での妻の誓いが詭弁だったとは言わないが、条件付きの誓いだったのだろう。
ミニベロのフロントキャリアに食材や酒を乗せて自宅に帰り、誰もいない自宅でステーキ肉を焼く。
妻が間に合わせで作ったケチャップうどんは、ステーキ肉と思ったよりも合って旨い。
案の定、子供たちをつれた妻は昼前に義実家に行き、毎年のごとく会食し、酒を飲み、日が暮れた頃に帰ってきた。
きちんとマスクを付けていたと妻は言うけれど、妻の言うことを全て信じるステージはすでに終わっている。
それでも、正月早々なんたることだと怒る気持ちは私に残っていなくて、とりあえず口数も少なく自室に入り、妻や子供たちとの接触を控えることにした。
妻としても、夫婦の人間関係における最低限のマナーを守らずに自分の実家を優先したことは自覚しているはずだ。
この状況が夫婦で反転していたなら、熟年離婚の大きな根拠になるくらいの出来事だと思うし、ごく一般的な夫から見て、この言動はどうなんだと感じることだろう。
しかし、家族にも様々なスタイルがある。義実家の考え方も変わることがない。
これが現実だと私自身がやり過ごして騒動なく過ごした方が、私自身の心の安定にも繋がると信じるしかないな。
夫婦の間で必要最小限の会話しかない状態を察したのか、下の子供がわざとテンションを上げて盛り上げようとしている。
何だか理想と違う家庭像だが、これもまた仕方がない。
私は私、妻は妻という考えで過ごさざるをえないことだろう。